第35話 貞盛と維幾
文字数 2,955文字
良兼の死を知り、行く宛を失った貞盛は、常陸介・藤原維幾を訪ねることにした。
維幾の妻は高望の娘で、維幾は貞盛に取って義理の叔父に当たる。しかし、その維幾は、常陸介として着任して来たばかりで、姻戚とは言っても貞盛に面識は無かった。
だが、行く宛てを失った貞盛がいつまで坂東の地を彷徨っていることは、非常に危険なことであった。日に日に勢力を増している将門の目がどこに光っているか分からないのだ。
国衙と対立関係にある土豪達が貞盛を捕らえ、それを手土産にして将門に近付こうとするかも知れない。
立場上、伯父達と共に将門と対立関係となった後でも、貞盛と将門の間には信頼関係が有った。
貞盛は、最初、将門と連絡を取りながら和解の道を探っていた。しかし、高望王の木像と将門の父・良将の木像を並べて掲げて戦ったことが将門の怒りを買い、貞盛は将門から執拗に追い回される身になってしまっていた。坂東に居る限り、どこに居ても油断はならなかった。
貞盛には一抹の不安は有ったが、維幾は貞盛を歓迎してくれた。将門への召喚状を示すと、むしろ目を輝かせ協力を約束してくれた。
話を聞いてみると、将門が藤原玄明というお尋ね者を匿っており、何度、引き渡すよう要求しても『そのような者、当家には居ない』と抗弁し、引き渡しに応じないのだと言う。維幾は、常陸介の面子に掛けて、力尽くでも玄明を捕らえようと腹を決め、兵を徴集している処だった。
維幾は、早速、召喚状を将門に送った。だが将門は『下総の住人である将門に、常陸介を通じて召喚状が送られるなど奇怪千万、偽物に違い無い』と突き返して来た。添え状には『貞盛朝臣宛て朝廷より下されしもの』と書いておいたにも関わらず、将門は突き返して来たのだ。
「おのれ! なめおって」
維幾は、将門からの返書を引き破った。
「常陸介が兵を募っておるとのことです」と郎党から報告を受け、小次郎は思案していた。事が思いの外大きくなって来てしまっている。
常陸介には小次郎の舘を捜索する権限は無いから、飽く迄、玄明など居ないと押し通せば済むくらいに当初は考えていた。また、仮に下総守に維幾が依頼したとしても、下総守には、自分と対立するほどの度胸は無いと踏んでいた。
だが、維幾自身が兵を集め、この舘を襲おうとしていると言うのだ。しかも、それに貞盛が一枚噛んでいる。
「どう為さる? 黙っていればやられまするぞ」
興世王が言った。
「しかしな。維幾め、本気で国境を超えて、この下総に攻め込むつもりかのう」
小次郎は、少々思案顔でそう答えた。
「出来ましょうな。お舘は、朝廷からの召喚状を突き返されましたからな。貞盛の要請により、朝命に従わせる為出兵したと申し開き出来ますぞ」
興世王は小次郎を追い込むように、そう言った。
「ふ~ん」
と溜息を突いた小次郎だったが、やがて、
「分かった。兵を集めよう」と気持ちを切り替えた。だが、まだ本気で常陸介と戦おうとは思っていない。兵を集めて威圧を加えれば何とか収まるのではないかと思っていたのだ。
小次郎が兵を集めるのは早い。まず、居候は興世王と玄明ばかりでは無い。将門の武名が高まると共に、逸れ者や浮浪人達が集まって来ており、郎等に加えて、その数は百に近くなっている。その為に小次郎は対屋と郎等長屋風の建物を別に建てたほどだ。
声を掛ければ直ぐにも飛んで来る土豪の数も増えていた。小次郎は、極力、民人を狩り出したくは無かったのだが、兵を集めていると聞くと勝手に集まって来る。総数はあっと言う間に千に達した。
「少し脅してやれば、維幾め、交渉に応じるであろう」
鎧を着け終わり、兵達の待つ庭に向かおうとする小次郎が、興世王に言った。
「交渉? 卒爾ながら、何を交渉されるおつもりか? 玄明を引き渡す代わりに貞盛とやらを引き渡してくれとでも仰るつもりか?」
興世王は、玄明を交渉道具として使うつもりが有るのかどうかを確かめて来た。
「馬鹿なことを申されるな。玄明は断じて渡さん」
「左様で ……」
と言って、興世王は、言葉をそこで切ったが、暗に『左様であれば、もはや戦うしかないではないか』と言いたかったのだろう。しかし、そこまでは口にはしなかった。
当初小次郎は、玄明を常陸介との交渉に連れて行くつもりは無かった。しかし、
「玄明を渡さぬということであれば、居ないという前提で維幾を抑え込んだとしても、後日居ることが分かれば、話は元に戻ってしまいまするぞ。こうなった以上、玄明はお舘の身内、以後手出し無用と強気に出た方が、後々宜しいのでは?」
と言う興世王の進言を受けて同行して来ていた。仮に、相手方が提案してきても、貞盛と玄明を交換する気など毛頭無かった。
「どうも、脅しだけで済ますのは無理のようじゃな。常陸介、少し痛めつけてやらずばならぬか。それに、許せぬのは貞盛じゃ。ついでに、貞盛も捕らえるぞ」
穏便に話し合いで済めばと、小次郎は漠然と思っていたが、言われてみれば、常陸介惟幾とて、そんな甘い交渉をしようとは思っていないだろうと認識し、覚悟を示した。
「それでこそお舘。麿も同行して、お舘のお手並み拝見させて頂きまするぞ」
興世王は勝手に盛り上がっている。
既に常陸の国府には三千に上る兵が集められていた。
主力は二百人の健児と維幾の郎等達。
健児は『郡司の子弟と百姓のうち武芸の鍛錬を積み弓馬に秀でた者を選抜する』となっている。
そして、貞観八年(八百六十六年)十一月の勅を以て『その選任に意を用い、良く試練を行なって一人を以て百人に当り得る強力な兵士となすべきこと』が国司に命じられていた。辺境の地を除いて各国の国軍の制度を廃止した事に伴う措置だった。多くの農夫を訓練して定期的に賦役に付かせる事に比べたら、小数精鋭の健児制度の方に変えることによって格段に安上がりで済むことになったのである。
しかし、『一人を以て百人に当り得る強力な兵士』と言うは安く、簡単に作れるものでもない。
農民相手に戦うなら、確かに健児は強力かも知れないが、将門のように武装し、戦歴も有る土豪に対して、どれほどの役に立つのかその力を疑わざるを得ないのだ。
農民の蜂起や盗賊とて本格的な軍事訓練を受けている者などは少ないので、そう言った相手を想定して、国軍を廃止する代わりに少数精鋭の軍事組織である健児を組織することを目指したのだろう。本音は大幅な経費削減の為の改革でしか無い。
時代が下るに連れて健児制度も綻びが出て来ていた。郡司の子弟等は健児の役に就くことを嫌うようになり、身代わりを出すようになる。その身代わりが屈強な郎等であるならまだしも、時には、武術の心得など無い下働きの者であったり、農民であったりもするのだ。こんな連中に、いきなり本格的な軍事訓練など無理なので、当然、訓練もおざなりになり、健児も、もはや張り子の虎でしか無くなってしまっていた。
次に、土豪達。国府の命とあれば集まって来るものの、普段、国府との間に税の徴収を巡って諍いを起こしている者も少なくないのだ。
国府の軍も結局は掻き集め。決して士気が高いとは言えない。三千の常陸の兵も、その殆どは、嘗ての良兼の軍同様、徴発された農民兵なのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)