第43話 策略
文字数 3,668文字
興世王と将平との会話に付いては、他の者は殆ど意味が分かっていない。男大迹王とは、この時より四百五十年ほど前に大王と成り、後に継体天皇と謚された帝のことである。
日本書紀が完成したのは西暦七百二十年であるから、この年・天慶二年(九百三十九年)から二百十九年前であり、男大迹王が即位したのは、更にそれを遡ること、二百数十年前のことになる。
男大迹王は、応神天皇五世の子孫と称し、五世紀末の越前(現・福井県)もしくは、近江(現・滋賀県)を統治していた。
西暦五百六年に武烈天皇が後嗣を定めずして崩御した為、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大臣・巨勢男人らが協議した。
まず、丹波国に居た仲哀天皇の五世の孫である倭彦王を抜擢したが、迎えの兵士を見て恐れを成して、山の中に隠れて行方不明となってしまった。そこで、次に越前に居た、応神天皇の五世の孫の男大迹王にお迎えを出したと書紀は言う。
そして、翌年五十八歳にして河内国(現・大阪市)樟葉宮に於いて即位し、武烈天皇の姉(妹との説もある)に当たる手白香皇女を皇后とした。しかし、大倭に都を移すことが出来たのは、実に即位十九年後の五百二十六年に至ってである。
男大迹王のことを知識として知っていたのは、興世王と将平のみだから、他の者達に取っては、良く分からない話であり、皆、大したこととは感じていなかった。
「三郎兄、あの興世王という男、何を考えているか分かっておるのか?」
皆が散ってから、将平が将頼に言った。
「何と無くはな。だが、実際にどのようにしてやろうとしているかは、分からん」
「あの男は、小次郎兄を帝にしようと企んでいるのですぞ」
将平は深刻そうな顔でそう言った。
「かも知れぬが、良いではないか。今のままでは、どこまで行っても謀叛人の身。謀叛人では無く、新しき世を作る為に戦うのだと、兄上にも心の底から思って貰いたい。その方が兄上の為にも良い。
念の為、皆の顔を見たが、異を唱えそうな者は居なかったぞ」
将賴は興世王の言うことを大まかに理解し、それでも良いと考えた。
「皆どう言うことなのか良く分かっていないだけです。謀叛の上に、もうひとつの朝敵と言う罪を重ねることになるのですぞ! この国に於いてそれが何を意味することなのか、三郎兄も分かっておらぬ」
将平が真剣に将賴に警告を発した。
「我等を罪人と見る朝廷に、今更義理立てしてみても始まらん。それよりも、この先どう上手くやって行くか、その方が大事だ」
危機感も無くそう言い切る将賴に、これ以上話しても無駄と思った将平は、踵を返して将頼の前を離れた。
将平と将頼が話している頃、興世王は玄茂を誘って話していた。
「玄茂殿とはこれから親しく交わり、力を合わせて行かねばなりませぬな」
笑顔を見せて、そう言った。
「はい。お舘様のお力になる為には、麿もそうしたいと思うております」
「命は、戦ばかりでなく、政の面でも、これからお舘の片腕となって頂かなければならぬ方。期待しておりますぞ」
やたらに持ち上げる興世王に玄茂は僅かな違和感を感じていた。
「いや、麿など、ついこの間従ったばかりなのに副将という大役を頂き、ご恩に報いる為には、命懸けで働かねばなるまいと己に言い聞かせております」
と答える。
「お館が命を重用するのは、命の器量と人柄を見込んでのことで御座いましょう。また、決断の時を得てとも言えまするな。国衙に逃げ込んだ後帰順したのでは、お舘もそうは考えられなかったと思う。決断の時というものは大事で御座いますな」
「いや、実は、玄明めの所業に寄り国衙内で肩身が狭くなり、正直、腹立たしい思いをしておりました。
しかし、或る時、娘を人買いに渡すところに出くわしてしまいましてな。もちろん長年官吏をやっていれば、そんなことが、いたる所で行われていることは存じておりました。ですが、その場を目の前にしたのは初めてで、さすがに、その後で隠し米を家探しする気にもなれず、そのまま戻りました。
戻ると、国守の維幾ばかりで無く、国司でも無い息子の為憲までもが一緒になって詰る始末。
その時、初めて考え申した。本当に玄明のやっていることは悪行なのかと。ひょっとしたら、受領達のやっていることの方が悪行で、長年、己はその手先となって働いて来ただけではないか。なぜか急にそう思ったのです。
暫く欝々としておりましたが、三千の大軍がいともあっさりと打ち破られ、泣き顔かと思われるような表情で馬にしがみ付き逃げる維幾を見た時、憂さが晴れるような心地になり申した。
玄明の為、一歩も引かずに一国の国府軍に立ち向かって来るお舘に、感謝と畏敬の念が沸いて来たのです。
身の回りに居た郎党にのみ『別行動を取るがその時は着いて参れ』と駆けながら声を掛け、城門から逸れた後、お舘に従うことを打ち明けました。声を掛けた者は皆着いて来てくれました」
述懐する玄茂の顔を興世王は黙って見ていたが、
「成る程。賢明なご判断で御座ったな。 ……ところで、ひとつ相談が御座います」
と言った。
「何で御座いますかな?」
玄茂が尋ねる。
「例え坂東を占領し力を示したとしても、朝廷がお舘を許すことは有りますまい」
いきなりそう言われて、聞いた玄茂は驚いた。『坂東を占拠した上で様子を見た方が良い』と提案したのは、他ならぬ興世王自身ではないかと思う。
「以前、常陸で申されたことと違うではないか」
と少し気色ばんで、興世王に詰め寄った。
「坂東だけ変えようとしても無理だ。何も変えることは出来ぬ。朝廷を倒さねば何も変わらぬ」
興世王は平然とそう答えた。
「恐ろしいことを申されるな」
将門はこの男に踊らされているのではないかと、玄茂は思った。
「我等は既に謀叛人と成ってしまっているのをお忘れか?」
と興世王が言う。
「謀叛とは即ち朝廷を倒すことでは御座らんのか。中途半端な謀叛など有り得ぬ。中途半端ならやらぬ方が良い」
将門を謀叛に踏み切らせた張本人がそう言う。玄茂は暫く腕組みをして考え込んでしまった。
やがて急に「ふふふふ」と笑った。
「なるほど、起きてしまったことを悔やむのは女々しいことですな。麿も一旦お舘に従うと決めた以上、命も名も捨てる覚悟はしたつもりでおった。もはや、元の鞘に戻すことは出来ないと分かっておりながら、何をグズグズ考え、何に怯えたのであろうか。
どうせ従うなら、そのお方を帝にすると言うことは、言われる通り、男としてこれ以上大きな夢は無い。
どうせ、大掾にも成れぬ身であった。この年になって大きな夢を見てみるのも悪く無いかも知れませぬな。一度は国守も務めてみたいものだ」
興世王の言葉に触発され、玄明の中で何かが弾けた瞬間である。
「お分かり頂けたか。さすが玄茂殿」
と、興世王は満面の笑みを湛えて言った。
「ですが、夢では無い。麿は確かな絵図を描いておる。望みが国守など、小さい小さい。玄茂殿には、参議どころか、大納言にも右大臣にも成って頂かなければならぬ。そのおつもりでおられよ」
興世王にそう言われて、玄茂は苦笑いをした。
「麿はそのような器では無い。ただ、お舘を帝にするということについては、体中の血が沸き上がるような思いが致す」
「頼もしい限り」
と満足げに頷いた興世王だが、直ぐに憂鬱そうな顔を作った。
「他の方々を説得する自信は有るが、問題はお舘ご自身だ。こうなった後でも、お舘には帝を崇拝するお気持ちは強く、旧主の忠平を憚るお気持ちも強い。
であるから、朝廷に取って代わるなど、到底受け入れて頂けぬであろう…… 如何したものであろうのう……」
本当に悩んでいるのか、或いは玄茂を操る為に見せている芝居なのか、この男の場合、分からない。
「ふ~ん。お舘のお気持ちは分かる。だが、こうなった以上やるところまでやらねば、唯の謀叛人として野に朽ち果てるのみ。確かにお舘の仰るような綺麗事で終わらせることは到底無理だ。 ……だが、我等が何を申してもお舘のお心を変えることは難しかろう。……天の声でもあれば別だがな」
なんとなく言った玄茂の言葉に興世王が反応した。
「“天の声”。それじゃ! それじゃよ、玄茂殿。帝の権威に勝るものは神しか無い。古今の書物を紐解いても、偉大な為政者が生まれる時には、必ず天の啓示が有る。天の啓示であれば、説得力はとてつもなく大きくなるぞ」
どんな段取りを取るつもりか、興世王は、もうそれを実行するつもりになっていた。
「お舘を謀れと?」
将門を騙してその気にさせるつもりと感じた玄茂は、そう言った。
「お舘の為じゃ。決して私欲からでは無い…… それしか無かろう…… それとも、他に良い考えでもお有りか?」
そう言われて、暫し迷った様子を見せていた玄茂だが、やがて大きく息をしてから頷いた。
「それしか無いようで御座いますな。分かり申した。段取りは麿が致そう。お任せ頂けるか?」
寧ろ積極的にこの策に関わる意思を玄茂は示した。
「元よりお任せ致す。お願い致す」
興世王が満足げに会釈をする。
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