第46話 残りし想い

文字数 5,290文字

 余りにあっさりと坂東を制覇したことで気の緩みが出たのか、或いは、覚悟を決めたはずの将門の意識が、客観的に見れば尚も中途半端であった為か、結果的にここが将門の頂点であった。
 恐らく、将門が朝廷を倒すことを最大の目標としていたとしたら、間髪を入れず、上洛の為の西進を開始したであろう。
 都と坂東を結ぶ東海道沿いに在住する土豪達をどちらが先に取り込むかということは、勝敗を左右する大きな要素となる。追討軍に取り込まれた東海道沿いに在住する土豪達とは実際には戦っていないのだから、影響は無かったと見るのは間違いではないだろうか。
 もし、将門が()ぐに西進を開始し、官位・官職を餌に土豪達を取り込んで行ったら、どうなっていただろうか。まだ、海の者とも山の者とも知れない将門が、それぞれの国の国司に任ずると言っても、多くの者達は直ぐには反応すまい。
 しかし、国府に強い不満を持つ者や、息子達の出世の糸口が全く掴めず、将来を悲観していた者の一部が将門に賭けてみようという気になれば、様子見をしている者達の一部がそれに加わって来る。
 そうして、将門軍が膨れ上がって行くのを()の当たりにすることに寄り、時の勢いというものが生まれる。迷っていた者達が、ある時、雪崩を打って将門軍に参加し始めるということが起こり得たかも知れないのだ。
 ところが、実際の将門の動きは、この辺りから急に鈍くなる。それは、将門の意識の中心が打倒朝廷には無く、坂東制覇にあった為だろう。
 将門の意識の中に、(みかど)弑逆(しいぎゃく)するとか島流しにするなど全く無かった。いずれ都に攻め上ったとしても、倒すのは、太政大臣(だじょうだいじん)忠平(ただひら)以下の公卿(くぎょう)達までである。(みかど)を頂点とする皇族達に手を掛けるつもりは無い。その気持ちが、親皇(しんのう)任国の(つかさ)(すけ)としようとしたことに現れている。将平(まさひら)出奔(しゅっぽん)により例外を作ることになってしまってはいたが……。

 いずれ追討軍が派遣されることは予期していた。それは現実となった訳だが、軍事に優れた武官を派遣した訳でも、畿内で軍を緊急招集した訳でも無い。高齢の公卿(くぎょう)三位(さんみ)以上で無くとも参議になると公卿(くぎょう)と呼ばれる)に、(みちみち)々兵を徴集させながら坂東を目指しているという噂が入って来る。将門は思わず笑ってしまった。坂東に着くまでには恐ろしく時が掛かるであろうし、そんな寄せ集めの軍など何万来ようと恐ろしくは無い。伯父・良兼(よしかね)や、常陸介(ひたちのすけ)維幾(これちか)と戦った経験がそう思わせた。しかし、将門は、伯父達との戦いと今回の戦いでは、ひとつ大きな違いが有ることを見落としてしまっていたのだ。
 将門自身、軍は数では無く士気と質であると思っている。その士気に於いて追討軍は、今まで将門が戦って来た相手とは全く違うことになる。
『将門を討った者は、その身分に拘わらず、五位に叙す』
という布告がどれ程の重みを持つか、思い至らなかったのだ。それに、布告に影響を受けたのは、単に東海道の土豪達だけでは無い。坂東の土豪達の意識にも、布告は大きな影響を与えていたのだ。

 実はこの時期、追討軍に先駆けて、(おびただ)しい数の朝廷の密使が急派され、坂東に入り込んで来ていた。貞盛(さだもり)を探し出し将門追討の詔勅(しょうちょく)を渡そうとする者の他、各寺社を訪ね歩き、将門調伏(ちょうぶく)の祈祷を命じる為の使者達もいた。
 平時であれば、国守に命じれば済むことであるが、行政組織が崩壊してしまっているので、一社、一寺毎に訪ね歩くしか方法が無いのだ。この命令に、多くの寺社が従うことになる。

 密使の中のひとり、真言宗(しんごんしゅう)の僧・寛朝(かんちょう)は、宇多(うだ)天皇の皇子(みこ)敦実(あつざね)親王(しんのう)の子であるが、他の密使に先駆けて、密勅を携えて海路、上総国(かずさのくに)尾垂浜(おだれはま)(現・千葉県山武郡横芝光町尾垂 )に上陸。将門を調伏する為、下総国(しもうさのくに)公津(こうづ)ヶ原(現・成田市加良部)で不動護摩(ふどうごま)の儀式を行っていた。これが、成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)の起源である。
 その為、平将門を祀る神田明神とは相性が悪いとされ、今でもこの二つを同日にお参りしてはならないと言われたりする。

 各寺社が将門調伏の祈祷を行っているという噂は、朝廷が尚も健在であるという印象を庶民に与える効果が有った。将門が坂東を制覇したとは言っても、それは単に将門に対抗する軍事勢力が無くなったと言うだけのことに過ぎない。
 行政組織は崩壊したままで、除目(じもく)を行い、国守(くにのかみ)を任じたとは言っても、それは(いま)だ名目上のものに過ぎず、下部組織を整えなければ行政官庁としての仕事など何も出来ない。坂東の実態は、無政府状態だったのである。
 実際に、庶民の怨嗟(えんさ)(まと)になるような行為も行われていた。膨れ上がった将門軍は、毎日大量の食料を消費することになる。それを緊急に調達する為に、(かつ)受領(ずりょう)達が行っていた以上の過酷な徴発が行われ始めたのだ。
 そんなことはもはや、いちいち将門の耳には入って来ない。冷静に考えれば当然起こり()る事態なのだが、(かつ)て農夫達と共に(もっこ)(かつ)いで汗を流していた将門も、坂東経営という大きくて掴み所の無い問題に頭を(めぐ)らせているうち、身近なところで起こっている事態にまで気が回らなくなってしまっていた。
 それでも将門は『善政を行わなければ』と思っている。兵農分離が行われていない時代に於いては、農繁期の(いくさ)は避けるのが常識である。農民の反発を招くばかりでは無く、国力を疲弊(ひへい)させ飢餓(きが)を招くことになるからだ。
 しかし、朝廷を倒す為には常識を()えた発想が必要であり、西進を開始する為には、それらの問題をどう解決するかということを考えなければならなかった。もし、朝廷打倒に将門が執念を燃やしていたならば、真剣に考え、何らかの解決策を見出したかも知れない。だが、将門の意識はそこに無かった。

 追討軍の動きは鈍く、例え迫って来たとしても、足柄(あしがら)(駿河、相模国境の足柄峠)、碓氷(うすい)(信濃、上野国境の碓氷峠)の二関を固めれば防ぎ切れると思った。秋の取入れを待って食料を確保することが第一の目標である。その間に行政組織を整えなければならない。
 荘園や公田を接収し、人を入れて耕作させ、上がりを公費に充てる為の組織作りと、どれ程の収穫が得られるかの見積り、そして公費がどれだけ必要かの計算も必要となる。それが出来て初めて年貢をどれだけ引き下げられるかの見通しが立つのだ。
 国守に任じた者達だけでは、とてもそれだけの仕事は出来ない。まずは、新しい人材の発掘が必要である。善政を敷く為にはやるべきことは山ほど有った。
 だが、行政経験の無い将門に取って、それは心の負担として重く伸し掛かって来るばかりで、なかなか動き出せない。悩んだ挙句将門は、まず、休養と農事に携わらせる為に、前年十一月以来帰していない農民兵達を一旦帰すことを決断する。
 だが、その前にどうしてもやって置きたいことがあった。逃走した貞盛(さだもり)為憲(ためのり)の捕縛である。
 そんな折、為憲が十数人の郎等を率いて、石井(いわい)の営所に監禁していた維幾(これちか)を奪い返したという報が入って来た。下野(しもつけ)上野(こうづけ)へと進軍する間に、本拠地・石井(いわい)は手薄になっていたのだ。これは、将門の脇の甘さである。(かさ)に懸って攻撃している時の将門は徹底的に敵を追い詰めるが、一方で、取り逃がすことも度々有る。守りに付いてもその甘さが出た。
 激怒した将門は、一月中旬、五千の兵を率いて常陸国(ひたちのくに)へ出陣し、貞盛(さだもり)維幾(これちか)為憲(ためのり)親子の行方を捜索する。
 十日間に及び捜索するも貞盛(さだもり)らの行方は知れなかった。しかし、兵達が貞盛(さだもり)の妻と源扶(みなもとのたすく)の妻を発見しこれを捕らえた。そして犯してしまった。
 憎っくき貞盛(さだもり)ではあるが、仲の良かった従弟(いとこ)としての感情がどこかに残っている。
「何たることだ!」
と兵に凌辱されたと聞いて、自責の念が込み上げて来た。
 そして、犯した者達を目の前にすると、いきなり抜き打ちでひとりを斬り殺し、残りの三人をも斬って捨てた。将門の怒りの激しさに兵達は驚愕した。
 当時の常識からすれば、敵の女を犯すなど、略奪と並んで、戦場では当たり前のことなのだ。身分の有る女を犯した為かと皆解釈した。
 将門は兵に陵辱された妻達を哀れみ、着物を与えて帰した。そして、下総(しもうさ)の本拠地に帰り、兵の多くをそれぞれの地元へ帰還させた。

 一方、秀郷(ひでさと)はと言うと、一気に兵を集めることはせず、いざとなったら()ぐにでも集められるように根回しをしながら、時を掛けて徐々に集めていた。そして、小規模な集団を単位に、あちこちで基本的な訓練を繰り返していた。
 将門個人からの密使が何度も訪ねて来て、一日も早い参陣を催促して来る。最後の密使は、武蔵守(むさしのかみ)の職を用意しているので、兵の数は少なくても良いから()ぐにでも参陣するようにと強い調子で迫って来た。
 (はな)っていた細作(しのび)から、将門が新皇を名乗り除目(じもく)を行ったという報せが(もたら)されたのは、その翌々日のことであった。

 将門を訪ねた時、秀郷(ひでさと)は、その態度に違和感を持った。そして、その原因が興世王(おきよおう)に有ることを見抜いた。
 将門の下野(しもつけ)侵攻は素早く、とても、兵力を整える(いとま)は無かった。
『将門と手を組めば、坂東を変えられるかも知れない』と言う想いがあった為、今まで秀郷(ひでさと)は、将門との衝突は避けて来た。将門の軍才に付いても評価していた。
 このところの将門の勢いからして、秀郷(ひでさと)は、自分が将門の下に着くこともやむを得ないとまで思った。だが、将門がこの坂東をどうしようとしているのか、それを知らなければ従えないと思っていた。
『危険を冒してでも一度会い、将門の考えを(ただ)さなければならない』
と思った。そして、名簿(みょうぶ)を用意して、数人の郎等を従えただけで、将門に会いに行ったのである。
 将門が慌てて出て来たのは、烏帽子(えぼし)から垂れ下がった数本の(ほつ)れ毛で、()ぐに分かった。
『将門も自分を待ち兼ねていたのなら、じっくり話し合える』そう思った途端『秀郷殿、名簿(みょうぶ)(たてまつ)られよ』と言う、興世王(おきよおう)の言葉が飛んだ。
『問答無用で従えと言うことか。ふざけるな』
 そう思ったが、
『この場で争えば命が無くなる』
と判断し、名簿(みょうぶ)(たてまつ)ったのだ。

 期待に反して、将門と坂東のことについて語り合う機会は無かった。(やかた)に戻ってより『将門と連繋するならば、興世王(おきよおう)をいつどんな風に排除するか』と秀郷は真剣に考えていた。 
 興世王(おきよおう)に操られる将門に失望はしたのだが、将門の(まれ)に見る(いくさ)の才能には依然として期待を持っていたし、この幾を逃したら、坂東を変える機会は二度と訪れないだろうと言う想いも持っていた。ただ、将門の同意を得た上で興世王(おきよおう)を排除する為の具体策が成るまでは、迂闊に動けないと思った。そんな中で、将門が新皇(しんのう)を名乗ったと聞いた時の秀郷(ひでさと)の落胆は激しかった。将門は、この坂東に都の朝廷を真似たものを作る方向に動き出してしまったのだ。それは、あの興世王(おきよおう)が望む方向に将門が引き摺られてしまったということに他ならない。秀郷の考える『朝廷とは全く違った体制をこの坂東に作り上げる』という方向性とは明らかに異なったものとなってしまっている。
 もはや、興世王(おきよおう)ひとりを除いたとしても、将門の進む方向を変えることは難しくなっていた。二度とは無い機会に敢えて賭けたとしても、いずれは将門と決定的に対立し、結果双方とも滅ぶことになる。成り行きを読めば、そう言う結論しか出て来ない。だが、秀郷(ひでさと)は、まだ動かなかった。将門の周辺からも、秀郷(ひでさと)参戦に対する疑念が湧き上がり始めていた。

 正にそんな時。朝廷からの密使のひとりが、秀郷(ひでさと)を訪ねて来た。
「何と! 朝廷が麿を押領使(おうりょうし)に任ずると言うのか。晴天の霹靂(へきれき)とは、正にこのことじゃな」
 良くもまあ抜け抜けと、と思いながら秀郷(ひでさと)は、密使の口上を聞いていた。そして、思わせ振りな表情を作ると、
「…… ところで、確か下野(しもつけ)の国府から麿に対して追討の官符が出ておったような気がするが、あれはどうなったので御座ろうかのう。遠い昔のことのようで、記憶も定かでは無いが、取り消されたと聞いた覚えも無い……」
と言った。朝廷のご都合主義に対する秀郷(ひでさと)厭味(いやみ)である。
「いや、この大事の時、もはや、そのようなことは無かったとお考え頂くようご沙汰を得ておる」
と使者は慌てて取り繕おうとする。
「どなたの?」
「…… それは勿論」
 まともに聞かれて、使者は口籠った。
太政大臣(だじょうだいじん)様がそう申されたと取って良いのじゃな」
秀郷(ひでさと)が念を押す。
「罪有る者を押領使(おうりょうし)に任じたり出来ると思われるか? それに、今回の押領使(おうりょうし)のお役目は、単に下野(しもつけ)の治安を守るだけではなく、国境(くにざかい)を越えて、坂東全体の治安を回復せよとの(めい)に御座います」
 要は、将門を討てとの(めい)に他ならない。将門を討った者は、その身分に拘わらず五位に叙すとの布告に続いて、目の上のたんこぶである筈の麿を押領使(おうりょうし)に任ずるなど、朝廷も随分と思い切った手を打ったものだなと秀郷(ひでさと)は思った。と言うよりも、朝廷の形振(なりふ)り構わぬ必死さを感じた。

 数日の後、将門が、殆どの兵を家に帰したとの細作(しのび)からの報せが入って来た。こうした出来事を重ね合わせてみれば、秀郷(ひでさと)の取るべき道は決まったも同然であった。
 しかし、この坂東を変えられるかも知れない又と無い機会を見逃して良いのか、という拘りから、秀郷(ひでさと)は逃れ切れていなかった。
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