第28話 四郎将平
文字数 2,772文字
小次郎の弟・四郎将平 は武 を好まず、幼い頃より学問好きであった。近くに有る小さな寺の住職・円恵 を師と仰ぎ、足しげく通って教えを受けている。
「おお四郎殿、良く参られた」
訪れた将平に円恵が気さくに声を掛ける。
「お手透 きでしたら、また、お教えを受けたいと思いまして」
円恵はニヤリと笑った。
「お手透き、お手透きじゃぞ。ここ数日、死人も無かったでな。本堂で良いか。上がれ」
本尊を背にしてどっかと座ると円恵は、小坊主を呼んで、白湯 を持てと命じた。
四郎は、対座して礼をする。
「近頃、そなたの兄上の評判、大したものじゃな」
まず、円恵はそう言った。
「この先どうなるのか、何やら恐ろしゅう御座います。下手 をすると、麿も関わる事になるところでした」
ぼそっとそう言った将平の言葉に円恵が反応し、
「どういう事じゃ」
と聞いた。
「はい。実は、伊豆にも祖父 から受け継いだ所領が御座いまして、管理を他人 に任せておりました。幸い遠方だったので、伯父逹に横領されることは御座いませんでしたが、近年、周りの土豪逹との揉 め事が増えて来たそうです。
そこで地元で管理している者が、兄・将門の名を使って収められないかと考えたようです。
兄の所領であることを示す為に、弟逹の誰かを派遣して貰いたいと訴えて来ました。最初に指名されたのが麿でした。しかし、麿は争い事は好みませんし、まだまだ、師に着いて学びたい事が有るので断りました。
その時、自 ら名乗り出たのが、六郎・将武 でした。まだ十五でしたが、兄に似て武 を好み、気の強い弟です。揉め事を拡大させてしまうのでは無いかという危うさを感じたのですが、それを言えば、麿が行かなければならない事になると思い、黙認しました」
「案じても仕方有るまい。全 ては天の為 せる業 だ」
円恵がそう口を挟む。
「仏様の御心 とは仰せにならぬのですか?」
”天の為せる技“ と言う言い方が僧侶らしくないと感じた将平が面白がって返す。
「ふん。確かに坊主らしく無いのう。だが、それはそなたの所為 じゃぞ。坊主に説教(経典の講義)させんと、歴史の話ばかり聞きたがる妙な弟子じゃからな、そなたは」
四郎は微笑んで頭を下げた。
「申し訳御座いません。麿は僧になる気は毛頭ありませんし、あの世の事にも余り興味は有りませんので……。むしろ、今の世がどのようにして出来て来たのか、その中で生きて来た先人の生き様 はどんなものだったのかと言う事の方に感心が御座います」
「たまたま、童 逹を集めて書紀(日本書紀)の話をした時、異様に目を輝かせ、誰よりも熱心に聞いておったのが、そなたじゃったな」
「はい」
「乞 われて弟子にしたが、坊主に説教させぬ弟子になるとは思わんかったわ」
円恵はそう言って笑った。
「師の歴史についての並々ならぬ知識に心酔しております」
将平は、そう言うと居住まいを正して、頭を下げた。
「なに、学者に着いて学んだ訳では無い。独学の浅い知識じゃ」
円恵は少し照れたように言った。
「決してその様なことは…… 噂では、師は元はお公家 であったとか…… 」
将平の言った意外な言葉に、円恵の表情は少し固くなり、暫 し将平の顔を見詰めていた。やがて、
「都から遠く離れたこの地にも、思い出したくも無い過去を知る者が居たと見えるな」
と呟く。
「真 で御座いましたか」
将平は噂が本当と知って、少し驚いたようだ。
「他人 に語ったことは無いが、外ならぬそなたゆえ、話そう。麿は若い頃、都で右小弁 と言う職に在 った。太政官 の下 で、文書の作成などの実務をこなす職じゃ。色々有って、つくづく宮仕 えが嫌になってな。職を辞して叡山 (比叡山)に登った。十年ほど修行したが、僧も結局は公家 と同じ。立身出世に血眼 になっている者ばかり。そう分かった。
都落 ちして田舎でのんびり暮らしたくなって、思い切って坂東に下って来たと言う訳だ」
「史書はいつ学ばれたのですか?」
「そなたと同じ。幼い頃から好きであった。役所勤めの頃も、仕事上必要な『延喜式 』などと併せて、史書も貪 り読んだ」
将平が大きく頷く。
「左様でしたか、麿も自 らもっと学びたいと思うのですが、片田舎では写本も手に入りません」
「今度、漢書 の写本を貸してやろう。写すか?」
と円恵が将平に尋ねる。
「はい。是非とも」
将平は身を乗り出して、力強く返事した。
「その代わりと言っては何だが、そなたの兄が、前常陸大掾 の子らと争った時の話、聞かせてくれぬか」
円恵は意外な事を将平に求めて来た。
「えっ? そんな事に興味がお有りですか?」
将平は驚いてそう尋ねる。そして、
「麿は、軍に帯同もしておりませんし、改めて兄逹に聞き質 してもおりませんので、世間の噂と大して変わらぬ程度の事しか分かりません」
と言った。
「それでも良い。聞かせてくれ。或いは我等、歴史が作られるのを、目 の当たりにしているのかも知れぬ。司馬遷 には遥か及ばぬが、そなたの兄上の戦いの記録を残すことは、即 ち、歴史じゃ。そう思わぬか」
そんな事を言われて、将平は戸惑った。
「はあ……? 片田舎の同族の争い。ま、我が家の歴史とは言えるかも知れませんね。
武射 の伯父とは、以前から義姉上 のことで揉 めていたようです。
何故 前常陸大掾 と争ったかに付いては、義姉上 の叔父・真樹 殿と前常陸大掾 との諍 いに巻き込まれたものと聞いております。扶 逹が待ち伏せていたのです。人数も三倍近く居たそうです」
将平が言っていること程度の事は、円恵は既に承知していた。
「三倍もの人数での待ち伏せを受けながら、何故 勝てたのか?」
まずは、その辺の事が知りたかった。
「さあ、必死で戦ったのでは御座いませんか。何でも、大将の扶 を討ち取ったのを期に敵は崩れ去ったと聞いております」
「うん、うん。矢張、兄上は強いのだな。だが、一気に前常陸大掾 の本拠地まで攻め込もうと思ったのは何故だったと思う?」
「さあー?。……御師匠 様。麿は、お話を伺う事を楽しみに参っておるのですが……」
そう切り返す将平に、
「ウッホッホ。そうであったな。済まん。では今日は、男大迹王 に付いて話すことに致そう」
と笑って答えた。
「はい。宜しくお願い致します」
といつもの歴史話に戻って、円恵は語り始めた。
講義が終わると、四郎将平は謝礼を置いて帰って行った。
円恵は、野本の戦いに付いて、もっと詳しく聞きたかった。四郎が詳しく知らないなら、将門自身か従軍した郎等にでも聞いてみたかったのだが、余り根掘り葉掘り聞き、聞かれたことを将平が将門に話したら、敵の間者 ではないかと疑われることを恐れ、控えたのだ。
円恵は、袋の中から木簡を取り出し刻み始めた。『夫 れ聞く、彼 の将門なる者は天国押撥 御宇柏原 天皇の五代の苗裔 、三世の高望王 の孫なり……』と刻んで行く。
円恵は、辺りが暗くなるまで刻 み続けていた。
「おお四郎殿、良く参られた」
訪れた将平に円恵が気さくに声を掛ける。
「お
円恵はニヤリと笑った。
「お手透き、お手透きじゃぞ。ここ数日、死人も無かったでな。本堂で良いか。上がれ」
本尊を背にしてどっかと座ると円恵は、小坊主を呼んで、
四郎は、対座して礼をする。
「近頃、そなたの兄上の評判、大したものじゃな」
まず、円恵はそう言った。
「この先どうなるのか、何やら恐ろしゅう御座います。
ぼそっとそう言った将平の言葉に円恵が反応し、
「どういう事じゃ」
と聞いた。
「はい。実は、伊豆にも
そこで地元で管理している者が、兄・将門の名を使って収められないかと考えたようです。
兄の所領であることを示す為に、弟逹の誰かを派遣して貰いたいと訴えて来ました。最初に指名されたのが麿でした。しかし、麿は争い事は好みませんし、まだまだ、師に着いて学びたい事が有るので断りました。
その時、
「案じても仕方有るまい。
円恵がそう口を挟む。
「仏様の
”天の為せる技“ と言う言い方が僧侶らしくないと感じた将平が面白がって返す。
「ふん。確かに坊主らしく無いのう。だが、それはそなたの
四郎は微笑んで頭を下げた。
「申し訳御座いません。麿は僧になる気は毛頭ありませんし、あの世の事にも余り興味は有りませんので……。むしろ、今の世がどのようにして出来て来たのか、その中で生きて来た先人の生き
「たまたま、
「はい」
「
円恵はそう言って笑った。
「師の歴史についての並々ならぬ知識に心酔しております」
将平は、そう言うと居住まいを正して、頭を下げた。
「なに、学者に着いて学んだ訳では無い。独学の浅い知識じゃ」
円恵は少し照れたように言った。
「決してその様なことは…… 噂では、師は元はお
将平の言った意外な言葉に、円恵の表情は少し固くなり、
「都から遠く離れたこの地にも、思い出したくも無い過去を知る者が居たと見えるな」
と呟く。
「
将平は噂が本当と知って、少し驚いたようだ。
「
「史書はいつ学ばれたのですか?」
「そなたと同じ。幼い頃から好きであった。役所勤めの頃も、仕事上必要な『
将平が大きく頷く。
「左様でしたか、麿も
「今度、
と円恵が将平に尋ねる。
「はい。是非とも」
将平は身を乗り出して、力強く返事した。
「その代わりと言っては何だが、そなたの兄が、
円恵は意外な事を将平に求めて来た。
「えっ? そんな事に興味がお有りですか?」
将平は驚いてそう尋ねる。そして、
「麿は、軍に帯同もしておりませんし、改めて兄逹に聞き
と言った。
「それでも良い。聞かせてくれ。或いは我等、歴史が作られるのを、
そんな事を言われて、将平は戸惑った。
「はあ……? 片田舎の同族の争い。ま、我が家の歴史とは言えるかも知れませんね。
将平が言っていること程度の事は、円恵は既に承知していた。
「三倍もの人数での待ち伏せを受けながら、
まずは、その辺の事が知りたかった。
「さあ、必死で戦ったのでは御座いませんか。何でも、大将の
「うん、うん。矢張、兄上は強いのだな。だが、一気に
「さあー?。……
そう切り返す将平に、
「ウッホッホ。そうであったな。済まん。では今日は、
と笑って答えた。
「はい。宜しくお願い致します」
といつもの歴史話に戻って、円恵は語り始めた。
講義が終わると、四郎将平は謝礼を置いて帰って行った。
円恵は、野本の戦いに付いて、もっと詳しく聞きたかった。四郎が詳しく知らないなら、将門自身か従軍した郎等にでも聞いてみたかったのだが、余り根掘り葉掘り聞き、聞かれたことを将平が将門に話したら、敵の
円恵は、袋の中から木簡を取り出し刻み始めた。『
円恵は、辺りが暗くなるまで