第26話 動き出す運命《さだめ》

文字数 2,515文字

 将門が引き揚げた後、貞盛(さだもり)は千曲川を泳いで渡り、凍える身に鞭打ちながら歩いた。
 信濃(しなの)の国府に辿り着いたところで、一度迷い、考えた。追討の官符が出されている身だ。国府を訪れたら、そのまま拘束されてしまうのではないかと恐れた。しかし、身体(からだ)はぼろぼろであり、食料も無く、このまま歩き続ければ、命をも失ない兼ねない。
『ええいっ! (まま)よ』
と不安を振り切った。
 門衛は、最初胡散臭(うさんくさ)げに貞盛を見たが、亡き常陸大掾(ひたちのだいじょう)嫡子(ちゃくし)と名乗ると取り次いでくれ、待たされたが、信濃守(しなののかみ)と面談することが出来た。
 追討官符は信濃(しなの)には届いていないようだ。それどころか、小次郎との戦いを承知していて、(ねぎら)いの言葉を掛けてくれ、将門の暴挙と断じた。恐らく滋野(しげの)一族や郡司からの報告を、既に受けていたのであろう。当然、反将門の立場からの訴えである。
 事情聴取は受けたが、信濃守(しなののかみ)藤原良載(ふじわらよしのり)は好意的で、貞盛(さだもり)に休息と食料と衣服を与えてくれたので、貞盛(さだもり)は無事、京へ向かうことが出来た。
 
 上洛すると、一応笠で顔を隠し、貞盛(さだもり)は単身、(あるじ)藤原師輔(ふじわらのもろすけ)を密かに訪ねた。母屋のひとつに通され、(ひさし)(*1)に控える。
 御簾(みす)は巻き上げられており、一畳だけの畳が敷かれた御座(ぎょざ)の横には、三尺几帳(きちょう)が置かれている。

 やがて、師輔(もろすけ)が表れ、貞盛(さだもり)が低頭する。
(おもて)を上げよ」
師輔(もろすけ)の声が掛かった。
(うるわ)しきご尊顔拝しまして、(しん)貞盛(さだもり)無上(むじょう)の喜びに御座います。御前(ごぜん)様には、上洛以来変わらぬご恩顧を(たまわ)りながら、久しくご無沙汰のこと、お詫び申し上げます
 また、此度(こたび)は、追討の官符を受けし身を(かえり)みず、御前(おんまえ)(まか)り越しましたること、万死にも当たる所業(しょぎょう)と心得ますが、お許しのほど、伏してお願い申し上げます」
 いきなり(とが)めを受ける可能性も十分に有った為、貞盛(さだもり)は、出来る限りの低姿勢を保った。
「うん、その事な。此度(こたび)の父上(忠平)のお考え、その方らへの追討のことじゃが、お止めしようとしたがお止め出来なかった。許せ。
 だが、(しば)し待て。将門と申すか、父上はその男を妙に買っておいでなのだ。武力のみを頼るような野良犬を利用しようとすることが、如何(いか)に危ういことであるかを、繰り返し父上に申し上げ、その方逹への追討官符も取り消して頂こうと思うておるところじゃ」
 師輔(もろすけ)の言葉を聞いて、貞盛は安堵した。
「手前がお願い申し上げたきこと、申し上げるまでもなく既に(すべ)てお察し頂き、貞盛(さだもり)ただ、ただ感服するのみに御座います」
貞盛(さだもり)は床に頭を付けた。
「何もそちの為だけにしていることでは無い。野良犬を手懐(てなづ)けようなどとすれば、手を噛まれることになりかねん。そう案じておるのじゃ」
「お言葉に甘え、今一つだけ、お願い申し上げて宜しいでしょうか」
と、師輔(もろすけ)の反応を見る。
「何か?」
「将門に召還状を出して頂けませんでしょうか? (さき)の件では許されましたが、将門はその後も、()に訴える所業(しょぎょう)を繰り返しております。武力による争いが有れば、双方を呼んで審問するのはご常法。それに付いては、太政大臣(だじょうだいじん)様のご承認も得られるのでは御座いませんでしょうか」
 師輔(もろすけ)が理解してくれているなら、忠平を説得して貰う事も可能と思われた。
「申すこと道理じゃ。だが、今日明日と言う訳には行かぬ。(しばら)(やかた)におれ。折を見て、父上に申し上げてみる」
 貞盛は師輔(もろすけ)(やかた)内に寄宿し、結果を待つことになった。

 話は少し戻る。丁度、貞盛(さだもり)が都に向けて旅立った頃、常陸(ひたち)の西隣の武蔵(むさし)で、一つの事件が起こりつつあった。
 この事件は、後に小次郎の運命に大きく関わって来る権守(ごんのかみ)興世王(おきよおう)(すけ)源経基(みなもとのつねもと)と言う二人の男が、武蔵の国司として赴任して来たことにより始まる。
 この二人。着任早々に検注を行おうとした。検注とは、年貢などの租税を収取する為に土地の面積などを計測するものだが、国司の活動費や飲食・宿泊の面倒を見る他、住民側が、検注に掛かる諸費用の一切を負担する必要があった。その上、検注の結果確定された年貢などの租税額は、豊作・凶作を問わず原則的には毎年定額を徴収されることになる。 
 結局増税となるので、在地の者逹に取っては阻止したいことなのだ。 
 興世王(おきよおう)権守(ごんのかみ)(すなわ)権官(ごんかん)である。権官(ごんかん)とは、正規の員数を越えて任命される官職であり、平安時代に入って急増し、代理、補佐その他色々な立場で常態的に任じられるようになっていた。
 興世王(おきよおう)の場合、正任(しょうにん)国司の任命又は赴任が何らかの理由で遅れていた為、先に赴任した補佐役と言う立場だ。
 武蔵では、正官(しょうかん)の国司赴任以前には検注は行われないことが慣例となっていた。その慣例に反して、興世王(おきよおう)は検注を強行しようとしたのだ。
 検注により、隠田(おんでん)(隠し田)の発覚や租税の増徴の切掛けになることへの危機感が有ったことから、この時代、利害が反する国司と住民の間では、各地で様々な駆け引きが展開されていた。 
 勘料(かんりょう)伏料(ふくりょう)といった形で米や銭を渡し、手加減をして貰ったり検注そのものを中止して貰ったりすると言うことが常態化していたのだ。
 要は、検注をすると国司が脅し、住民側は、勘料(かんりょう)伏料(ふくりょう)を払ってでも検注を逃れようとする。賄賂である。国司にしても、面倒な検注を実際にやるよりも、”やるぞ!“ と脅して賄賂を受け取る方が楽な訳だ。
 興世王(おきよおう)らが狙ったのはこれである。しかし、住民側にしてみれば、正任(しょうにん)国司が着任した時『そんなことは知らん』と言って、もう一度同じことをやられたのではたまったものではない。
 そう思って、足立郡司(あだちのぐんじ)武蔵武芝(むさしのたけしば)は、検注も、勘料(かんりょう)伏料(ふくりょう)を出すことも拒否したのだ。
 これに対し、興世王(おきよおう)経基(つねもと)は兵を繰り出して武芝(たけしば)郡家(ぐうけ)(=郡役所)を襲い、略奪を行った。
 武芝(たけしば)は山野に逃走、幾度と無く文書で私財の返還を求めたが、興世王(おきよおう)らは応じないどころか合戦の準備をして威嚇したのだ。そして、二人は、武芝(たけしば)を無礼であるとして、その全財産を没収してしまった。

 その後武芝は、自力で解決することの困難さを悟り、当時、武名を欲しい儘にし、下総(しもうさ)常陸(ひたち)上総(かずさ)にまで勢力を広げつつあった将門に調停を依頼することを決心した。

参考:
(*1)この時代で言う “(ひさし)” とは、現代の(ひさし)とは意味が違い、母屋の周りに設けられた回廊のようなスペースを「庇(ひさし)」と呼んだ。
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