第18話 それぞれの想い
文字数 4,317文字
「人の本心などというものは、普段は中々見えて来ぬものだが、この様な時にこそ知れる。そなたのみが、麿の心を汲み、いち早く立ち上がってくれると言うか。頼りにしておる。伜 逹の無念を晴らしてくれ。一生恩に着る」
良正から、将門を討つという決意を聞かされた時、護 は、両の手を取って涙を流しながら喜んだ。しかし、その良正も敗れ去った。
二ヶ月ほど後の承平五年(九百三十五年)十二月二十九日。源護 は、太政官宛に、将門を告発する書状を送った。
こうなると、負けた良正より、貞盛 と良兼 に周りの非難の目が向けられるようになる。
「水守 の良正殿はお気の毒で御座いましたな。力を貸す方が居れば、敗れることも無かったかも知れませぬのに。太郎殿には、今も父の仇を討つ気は無いものと見えますな」
義母 は、明け透けに貞盛に嫌みを言って来た。
「そこもとの父上が、朝廷に訴えたそうに御座いますな。そのお裁きが出る前にこちらから事を起こせば、当方の落ち度となりましょう。まずは、お裁きを待たれるのが筋ではあるまいか」
亡き国香の妻 は、可笑 しそうに乾いた笑いを漏らす。
「口は便利なもの。麿など田舎者ゆえ、都の官人 殿にはとても敵 いませぬ」
そう言うと義母 は、くるりと背中を向けて荒々しく裾 を捌 き、自 らの居室に向けて去って言った。
源護 の訴えは半月ほどで都に届いたが、太政官で正式に受理される前に、弁官の忖度 により、左大臣・藤原忠平の私邸に回された。
「前常陸大掾 ・源護 からの訴えに付いて、審議に掛ける必要が有るか問い合わせが参っております。
と申しますのは、源護が訴えて来ている者は、当家の家人 にて、下総 に住いおります平将門 という者に御座いますゆえ、まずは、御前 のご意向を伺った上で、と言うことに御座います」
そう家司 が忠平に伝えた。
「何 当家の家人 ?…… 平将門」
忠平は少し考えていたが、
「ああ、あの男か。従者 であったな。官人 としては、どうにも使い難 そうな男であった」
ど思い出したようである。
「はい。頑 ななところが有り、家中 の評判を聞くと色々と問題がありましたので、確か、滝口武者 としたと思います。腕は立ちましたので」
「その将門が、何を仕出かしたと言うのじゃ」
と問う。
「はい。護 の訴えに寄れば、所領に侵入し護の子ら三人を始め多くの郎等を殺し、焼き討ちまで掛けたとの事に御座います」
「何! それだけ聞けば極悪非道、お上 をも恐れぬ所業であるが、理由は?」
将門と言う男、理由も無く無法を働くような男では無いと言う印象が、忠平には有る。
「それが、訴状には『怨みを以 て』と有るだけで、子細 は分かりません」
「そこまで恨 まれる、何をしたか書いてはおらぬのか? 仮にも我が家の家人 とあらば、公 に審議して不都合が有るといかん。まずは、秘かに調べさせよ。喚問するかどうかはその後で決める」
忠平はそう指示した。役人では無く、私的使用人を坂東に派遣して調べさせたところ、仕掛けたのは護 の息子達で、奇襲を掛けようとして見破られ、逆襲を受け本拠地まで焼き払われたと言うことが分かった。
「己 の仕出 かしたことの始末を朝廷にさせようというのか。源護 。虫の良いことを…… 暫 く放って置け」
忠平は、忌 々しげに、そう言い捨てた。
そんな訳で、承平 五年(九百三十五年)十二月二十九日付けの護 の書状が正式に受け付けられ、公文書に記載されたのは、実に、八ヶ月以上後の六年九月七日なのである。
一方、将門に散々に打ち破られた良正は、上総 の兄・良兼 に訴え、共に将門と戦って欲しいと頼み込んだ。
一族の恥ともなる良正の敗戦に、良兼 も放って置く訳にも行かなくなり、貞盛 にも加わるよう説得に乗り出した。
貞盛は、良正の要請に応じ、上総 から出張って来た良兼に、水守 に呼び付けられた。この時貞盛は、和睦の方向で逆に伯父逹を説得するつもりで、水守 に出向いた。
良正が一人勝手に将門に戦いを仕掛けてしまったのは、将門との和解を進めようとしていた貞盛に取っては、大きな痛手となっていた。敗戦に寄って小次郎に対する恨みをつのらせている良正が、簡単に和睦に応じるはずは無かった。
しかし、立場を弱くし、信用を失ってしまっていることを考えれば、良謙 さえ説得出来れば、良謙に良正を説得して貰うことは可能なのではないかと、貞盛には思えた。
三人は良正の館 で顔を合わせた。
貞盛の要請を受け、まずは良正を外して、良兼 と貞盛の談合が行われた。
「良正には、暫 し待つよう申して置いたのだが、聞き入れず勝手に事を起こしてこの様 だ」と良兼 が話の口を切った。そして、
「しかし、こうなった以上、もはや放って置く訳にも参らん。このままでは、我ら高望王 に連なる坂東平氏の全てが世間から侮 りを受けることになる。我等の手で将門を討ち、一族の団結を図るより仕方あるまい」
良兼は冷静な態度で話し始めた。貞盛は、
「伯父上の申されること、御尤 もと存じます」
と、まずは良兼の言い分を肯定し、
「しかし、事が大きくなれば、朝廷への聞こえも悪くなります。また、小次郎に心を寄せる者がこのところ急に増えております。下手をすると、我等一族の争い事にとどまらず、坂東をふたつに分けての大きな争いとなる恐れが有ります」
と貞盛は、朝廷を憚 っていると思える、良謙 の感情に訴え掛けようと試みた。
「なればこそ、そうなる前に小次郎を叩いてしまわねばならんのじゃ。恥は雪 がねばならぬ」
良謙が、そう言って貞盛を見据える。
「一挙に叩けましょうか?」
と貞盛が問う。
「何? 麿を誰と思うておる。上総介 ・平良兼 じゃ。小次郎如き青二才に負けるはずが無いではないか!」
「水守 の伯父上も、同じように申されて兵を挙げられました」
と貞盛が返す。
この貞盛の言葉は、良兼 の誇りをひどく傷付けた。良兼はムッとした。
「貞盛! 貴様、父を討った将門に味方したいのか?」
と、良兼 が鋭く貞盛を咎 める。
「我等が互いに殺し合って、亡き御爺 様(平高望)が喜ばれますでしょうか? 喜ぶのは他の者達ではありませんか?」
貞盛はそう反論した。
「…… 長年京 におると口が巧 くなるものじゃな。ならば聞こう。汝 はどうしたいと申すのじゃ」
「小次郎と和睦致します」
そう言い切った貞盛の顔を見詰め、良兼 の表情に怒りの気持ちが表れる。
「戯 けた事を!」
良謙は顔を背 け、不快さを顕 にした。
「我が父・国香は小次郎に討たれた訳では御座いません。運悪く居合わせた護 殿の舘 で火に巻かれて死んだものと分かりました。
そうと分かれば、麿に小次郎を深く恨 む気持ちは有りません。嫡男である麿が仇 と思っていないのであれば、仇討 ちということにはなりますまい。後は、伯父上方に取っての舅 に当たる前常陸大掾 殿に対する義理立てということになりましょうが、一族を二つに割っての殺し合いと引き換えにするほどのことでございますか? 最早 あのお方の影響力は失われております。
今は、我等、高望流 平氏一族の結束を図るべき時とは思われませぬか?」
貞盛は必死に訴えた。
「確執を忘れ、小次郎と和睦せよと申すか?」
いくらか怒りを鎮めたかに見える良兼 が言った。
「はい」
と、固い意志を見せて貞盛が答える。
「条件は?」
良謙は、貞盛の話に乗って来るかのような素振りを見せ始めた。
「所領は全て返してやりましょう」
「何? それでは、我等が小次郎の軍門に下ったも同然ではないか。その様な事出来るか!」
「小次郎には、それなりの対価を払わせます」
「そもそも、それをあ奴が聞かぬゆえ、話が拗 れたのであろう」
普通なら、これから先は水掛け論にしかならない。
「小次郎は、父や伯父上方の申し出を聞かなかったとのことですが、麿には、小次郎を説き伏せる自信が御座います」
貞盛は、そう言い切った。
「例えそれが出来たとしても、そなたを含め、我等の面目 はどうするつもりじゃ。良正はこのままでは納得せんぞ」
「ですから、伯父上に水守 の伯父上を説き伏せて頂きたいのです。父・国香 については、平正樹 と源護 殿の争いに巻き込まれ、運悪く命を落としただけで、小次郎に我が父を討とうなどという気は無かったことをお伝え下さい。小次郎から、詫びの一言 も言って貰えば、麿は忘れるつもりです」
貞盛の言い分を聞いていたかに見えた良兼 だったが、ここに来て、良謙は首を横に振った。
「話にならぬ。そのようなことでは我等の面目 は立たんし、良正は元より、そなたの弟達でさえ納得せぬであろう」
そう言って、話は終わったとばかり腰を浮かし掛けている。
「面目、面目と言っていては、何も始まりますまい」
貞盛がまた、毅然と反論する。
「内輪揉 めをしておれば、坂東に於ける我等の力を損 なうことになりましょう。
伯父上であれば、それをお分り頂けると思うておりましたが……」
声を落とし、眉間に皺 を寄せた貞盛が、肩を落として言った。
「それは、分らぬでも無い。…… じゃがなぁ」
否定しながらも、良兼の心が少し動いたように見えた。
「それに、甚 だ申し上げ難 いことですが、伯父上に今ひとつお願いせねばならぬことが御座います」
ここぞと、貞盛が畳み掛ける。
「何か?」
「僭越とは存じますが、伯母上 を護 殿のところへお返し頂く訳には参りませんでしょうか?」
これが、貞盛の大誤算となる発言となってしまった。
「何ぃ?」
「事を収めるには、我等一族の揉 め事と、護 殿と真樹 との揉 め事とを分ける必要が御座います。一族の揉め事、所領の件については、麿にお任せ下さい。必ず小次郎を説き伏せます。
…… 更に、もし、伯父上に前大掾 と縁を切って、真樹 殿との確執を修復して頂ければ、事は全 て収まると思うのですが……」
理詰 めで説 いたつもりでいたが、良兼の顔が見る見る紅潮して来た。貞盛は、都での気配りを忘れ、事を収めたい一心で策に走り過ぎてしまっていた。良兼 の表情の変化に気付き、
『しまった。言い過ぎた!』
と思ったが、遅かった。
「…… 貞盛! 言わせて置けば勝手なことを抜かしおって。読めたぞ。貴様、小次郎が怖いのであろう。戦いたく無いから何のかんのと屁理屈を捏 ね回しておるだけであろう。この臆病者めが!」
良兼が、これほど護 の娘に執心していたとは、貞盛の思いの外 であったのだ。
婚姻は飽くまで政略であり、護 が没落した今、縁を切ることに、良兼 としてはそれほどの拘 りは無いのではないかと踏んだのが、大間違いだったらしい。
『麿としたことがなんということを言ってしまったのだろうか。もう無理だ』そう思って、貞盛はがっくりと肩を落とした。
少なくとも、甥 が伯父たる者に言うべき言葉では無かった。
良正から、将門を討つという決意を聞かされた時、
二ヶ月ほど後の承平五年(九百三十五年)十二月二十九日。
こうなると、負けた良正より、
「
「そこもとの父上が、朝廷に訴えたそうに御座いますな。そのお裁きが出る前にこちらから事を起こせば、当方の落ち度となりましょう。まずは、お裁きを待たれるのが筋ではあるまいか」
亡き国香の
「口は便利なもの。麿など田舎者ゆえ、都の
そう言うと
「
と申しますのは、源護が訴えて来ている者は、当家の
そう
「何 当家の
忠平は少し考えていたが、
「ああ、あの男か。
ど思い出したようである。
「はい。
「その将門が、何を仕出かしたと言うのじゃ」
と問う。
「はい。
「何! それだけ聞けば極悪非道、お
将門と言う男、理由も無く無法を働くような男では無いと言う印象が、忠平には有る。
「それが、訴状には『怨みを
「そこまで
忠平はそう指示した。役人では無く、私的使用人を坂東に派遣して調べさせたところ、仕掛けたのは
「
忠平は、
そんな訳で、
一方、将門に散々に打ち破られた良正は、
一族の恥ともなる良正の敗戦に、
貞盛は、良正の要請に応じ、
良正が一人勝手に将門に戦いを仕掛けてしまったのは、将門との和解を進めようとしていた貞盛に取っては、大きな痛手となっていた。敗戦に寄って小次郎に対する恨みをつのらせている良正が、簡単に和睦に応じるはずは無かった。
しかし、立場を弱くし、信用を失ってしまっていることを考えれば、
三人は良正の
貞盛の要請を受け、まずは良正を外して、
「良正には、
「しかし、こうなった以上、もはや放って置く訳にも参らん。このままでは、我ら
良兼は冷静な態度で話し始めた。貞盛は、
「伯父上の申されること、
と、まずは良兼の言い分を肯定し、
「しかし、事が大きくなれば、朝廷への聞こえも悪くなります。また、小次郎に心を寄せる者がこのところ急に増えております。下手をすると、我等一族の争い事にとどまらず、坂東をふたつに分けての大きな争いとなる恐れが有ります」
と貞盛は、朝廷を
「なればこそ、そうなる前に小次郎を叩いてしまわねばならんのじゃ。恥は
良謙が、そう言って貞盛を見据える。
「一挙に叩けましょうか?」
と貞盛が問う。
「何? 麿を誰と思うておる。
「
と貞盛が返す。
この貞盛の言葉は、
「貞盛! 貴様、父を討った将門に味方したいのか?」
と、
「我等が互いに殺し合って、亡き
貞盛はそう反論した。
「…… 長年
「小次郎と和睦致します」
そう言い切った貞盛の顔を見詰め、
「
良謙は顔を
「我が父・国香は小次郎に討たれた訳では御座いません。運悪く居合わせた
そうと分かれば、麿に小次郎を深く
今は、我等、
貞盛は必死に訴えた。
「確執を忘れ、小次郎と和睦せよと申すか?」
いくらか怒りを鎮めたかに見える
「はい」
と、固い意志を見せて貞盛が答える。
「条件は?」
良謙は、貞盛の話に乗って来るかのような素振りを見せ始めた。
「所領は全て返してやりましょう」
「何? それでは、我等が小次郎の軍門に下ったも同然ではないか。その様な事出来るか!」
「小次郎には、それなりの対価を払わせます」
「そもそも、それをあ奴が聞かぬゆえ、話が
普通なら、これから先は水掛け論にしかならない。
「小次郎は、父や伯父上方の申し出を聞かなかったとのことですが、麿には、小次郎を説き伏せる自信が御座います」
貞盛は、そう言い切った。
「例えそれが出来たとしても、そなたを含め、我等の
「ですから、伯父上に
貞盛の言い分を聞いていたかに見えた
「話にならぬ。そのようなことでは我等の
そう言って、話は終わったとばかり腰を浮かし掛けている。
「面目、面目と言っていては、何も始まりますまい」
貞盛がまた、毅然と反論する。
「
伯父上であれば、それをお分り頂けると思うておりましたが……」
声を落とし、眉間に
「それは、分らぬでも無い。…… じゃがなぁ」
否定しながらも、良兼の心が少し動いたように見えた。
「それに、
ここぞと、貞盛が畳み掛ける。
「何か?」
「僭越とは存じますが、
これが、貞盛の大誤算となる発言となってしまった。
「何ぃ?」
「事を収めるには、我等一族の
…… 更に、もし、伯父上に
『しまった。言い過ぎた!』
と思ったが、遅かった。
「…… 貞盛! 言わせて置けば勝手なことを抜かしおって。読めたぞ。貴様、小次郎が怖いのであろう。戦いたく無いから何のかんのと屁理屈を
良兼が、これほど
婚姻は飽くまで政略であり、
『麿としたことがなんということを言ってしまったのだろうか。もう無理だ』そう思って、貞盛はがっくりと肩を落とした。
少なくとも、