第25話 千曲川残照
文字数 1,843文字
貞盛に取って幸運なことが起こっていた。
小次郎は、物見を放って、一度は貞盛逹を確認していたが、日理駅(現・上田市諏訪部)を過ぎて暫く行っても追い付かない。おかしいと思い、再度物見を放つが、錦織駅(現・四賀村刈谷原町)を過ぎても尚見当たらず、見失ったようだとの報告が入った。
『そんな馬鹿な。何故だ』
少し考えて思い当たった。
『都へ向かうと言う前提で、そのまま東山道を進んだが、貞盛に気付かれたのだ。とすれば、街道を逸れ、海野を頼ったに違いない』そう気付いた。
滋野と石田の関係は小次郎も知っていた。
「止まれ! 引き返す。敵は海野に向かった」
そう下知する。そして、小諸の西、滋野の総本家・海野城(現・東御市本海野三分)に向う。
小次郎が一時貞盛を見失ったことが幸いし、貞盛方は、滋野一族が集まる時を稼ぐことが出来た。
貞盛と滋野一族は、北上し、信濃国分寺付近、千曲川沿いに陣を敷き、小次郎を待ち構えていた。
滋野一族の戦いは、誰が主体となるかで陣形が決まっており、海野が主体となる戦いに於いては、中央;海野、右翼;根津、左翼;望月となる。
貞盛は海野隊に加わっている。
矢頃手前で右手を挙げ、小次郎が軍を止めた。敵の数は凡そ百二十。全面に盾を並べ、旗を靡かせ、弓を構えている。
「流石滋野一族。結束が固いとは聞いていたが、僅かの間に、良くもこれだけの人数を集めたものだ。見るところ陣形もしっかりとしておる」
一渡り敵陣を見回して小次郎が呟く。
「しかし、判断を誤ったと言うことですな。貞盛に助力して我等に立ち向かうとは」
多治経明がそう言った。
「経明。増長はいかん。苦い敗戦を忘れたか。我らは滅びの淵に立たされたことが有るこのだぞ」
小次朗が経明をそう戒める。
「あれは、我等が至らなかったゆえの負け。申し訳有りませんでした。しかし、お舘が陣頭に立っての戦いで負けたことは御座いません」
経明はそう返した。
「その意気は買う。だが、我も人。化け物ではないぞ。油断するな」
「はっ」
将門軍は弓を構え、ゆっくりと矢頃に入って行く。
鏑矢が唸り、矢合戦が始まるが、小次郎が予期せぬ展開となった。最初の矢を射たのは、海野隊のみだったのだ。
海野隊は、射終わるや否や盾の陰に身を伏せ、その瞬間に右翼の根津隊が射て来る。そして、根津隊が伏せた瞬間に望月隊が射て来る。そして又海野隊が……
三段掛かりで射られては、小次郎方に矢を番える暇など無く、何人もが敵の矢の餌食になって行く。
「退け! 一旦退いて矢頃を離れる」
将門軍が退くと、その分、滋野は押し出して来た。
小次郎は、少し後方に居る貞盛を狙って矢を射た。普通なら届く距離では無い。小次郎の強弓を以てして始めて届く距離であった。
小次郎の放った矢が、放物線を描いて貞盛の胸に迫った時、その軌道を遮って飛び出した男が居た。他田真樹は、背中に矢を受け崩れ落ちた。
「三郎! 三郎! しっかり致せ」
しゃがみ込み、倒れた真樹を貞盛が抱き起こす。矢は、背後から真樹の心の臓を貫いていた。真樹が飛び出さなければ、矢を受けたのは貞盛だったはずである。恐怖と悔悟の念が一時に貞盛を襲った。
動揺したのは貞盛だけでは無かった。他の将逹も、己が将門の射程距離内に居ることを思い知らされた。
一瞬の隙を突いて、射ながらの将門軍の突撃が始まった。滋野軍も怯まず応戦する。
一気に突破と言う訳には行かなかった。少し退いて、又、将門軍が攻撃する。そうしている中で、将門方の上兵・文室良立も矢を受けた。だが、幸いなことに矢は急所を外れていた。
「好立、後ろへ下がれ。誰ぞ好立の手当てを致せ」
一人が手綱を取り、もう一人が落馬しないよう好立を支えながら後方に下がって行く。
押しつ押されつしているうちに、滋野方の被害が徐々に大きくなって行き、貞盛の郎等逹も次々に討たれて行く。そして、流石の滋野一族の陣も遂に崩壊した。
残った郎等を集める暇も無く、貞盛は命からがら山中に逃げ込み、辛うじて難を逃れた。
春まだ遠い二月末のこと。食料も無く、泥にまみれ、寒さに震える貞盛の苦難の逃避行が始まった。
一方の小次郎。幾つもの首を上げた。信濃くんだりまで追って、追い着いたものの、貞盛を討ち漏らしてしまったことが何としても思い切れず、悔いとして残った。
山に残照が映えている。時を同じくしてはいるが、別々の場所で、小次郎、貞盛の二人はそれぞれの想いを抱いて、千曲川を挟んで同じ景色を見ていた。
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