第10話 嫁盗り
文字数 2,670文字
弥生三月十日。小次郎の舘には早朝より、選ばれた郎等逹が集まっている。数は二十人。花嫁を奪うだけにしては多い人数に見えるが、郎等逹の半数は陽動を担当し、半数が花嫁を奪取する小次郎を援護する作戦である。警護の人数を恐れている訳では無い。無駄な犠牲を最小限に押さえたい意図が有り、まず、護衛の者達を輿から引き離したいのだ。
平安時代と言えば通い婚が主流とされるが、地方の兵逹の間では輿入れ婚に変わりつつあり、それに伴って、財産の女系相続も崩れ始めていた。
戦国時代に最も盛んになる政略結婚。その萌芽も既に見られる。
高望王の子である国香、良正が前常陸大掾・源満仲護と早くから縁戚関係を結び、正妻を亡くした良兼も二人に追従した。そして義兼は源護の縁者に君香を嫁がせ更に縁を深めようとしていたのだ。
常陸、上総、下総の辺りは群盗退治の為に都から派遣された王臣貴族の末裔が土着し、地元有力者との婚姻を通じて勢力を広げている土地柄であった。
『将門記』の冒頭の多くは失われており、将門と伯父達の間に起きた諍いについてその原因が『女論』であるとの記載はあるのだが、詳細は不明である。国香、良正、良兼が源護の娘を娶っており、そうではない良将、良文との間に対立が有ったとも、将門が良兼の娘を強奪したことを指すとも言われている。
輿入れの行列が表れるのをじっと待った。経路に付いての情報は、公雅が密かに報せて来てくれていた。
互いに見える距離ではあるが、小次郎勢は二手に別れて、それぞれ、小さな林の陰に身を隠している。
やがて、行列の先頭が姿を表す。警護の人数は二十人ほど。半数が前、残りが後方を護っている。
林の陰から確認した小次郎が手を挙げると、まず、多治経明率いる一隊が、行列の前方から襲い掛かる。
奇襲を受けて、後方警護の者逹の多くも前方へ移動し、太刀を抜いて応戦する体制を整えた。
花嫁を乗せた輿は少数の者逹に守られながら引き返そうとする。
花嫁の輿と警護の者達。その二つの塊が離れたところを見計らって、小次郎率いる一隊が輿に目掛けて突き進んで行く。小次郎に従う郎等逹は、輿と経明率いる人数に対処しようとする警護の塊の間に割り込んで行く。
それに気付いて戻ろうとする警護の者逹。相手方も襲撃を防ごうとする者と、小次郎に襲い掛かろうとする者達の二手に分かれる。
撃ち掛かって来た者二人の攻撃を小次郎が打ち払う。気付いた小次郎の郎等逹が直ぐそれらに対応し、引き離した。
「慌てるな! 豊田小次郎・将門である。害は加えぬ。ゆっくりと輿を降ろして立ち去れ。御息女は一生懸けて大切に致すと伯父上に伝えよ!」
小次郎は輿に近付いてそう叫んだ。少数の護衛の者逹が、再度小次郎に撃ち掛かろうとするが、小次郎の郎等逹が奮戦し、寄せ付けない。
身の危険を感じた輿の担ぎ手逹は、言われた通りゆっくりと輿を降ろして走り去った。
小次郎は下馬し、輿に近付く。輿の扉が開く。小次郎はゆっくりと進み、輿の横に立った。
「済まぬ。待たせた」
息切れもしていない小次郎が、静かに語り掛ける。そして、輿の中から見上げる君香と目を合わせた。
「信じてはおりましたが、最早覚悟せねばならぬ時かと思いかけておりました」
小次郎を見上げて、そう言う君香の頬には笑みが浮かんでいる。
小次郎が手を差し出すと、君香もその手を握り、輿から降りた。
小次郎は君香を誘って馬の側まで歩み寄り、ひょいと抱き上げて鞍の前に横座りさせ、そのまま自分も乗馬する。小次郎は大男である。そして大変な腕力の持ち主なのである。
「引き揚げじゃ!」
小次郎が声を張り上げると、郎等逹も撤収に掛かる。
君香を抱いた小次郎に従い、二十人の一団が野道を駆け抜けて行く。
殆どの者が徒歩である良兼の郎等逹は、小次郎逹を追うことも出来ず、悔しがりながらも見送るしかなかった。
舘に戻ると、門の前で母が立ったまま待ち侘びていた。馬上の小次郎の前に君香の姿を見て、緊張した表情が緩み、笑みが溢れる。
歩み寄りひらりと馬から降りた小次郎は、右手を、揃えた君香の両膝の下に差し込み、君香は、俯いて小次郎の肩に腕を回す。
下馬した二人は小次郎の母の前に歩み寄り、揃って頭を下げた。
「無事、立ち戻りました。ご心配をお掛け致しました」
小次郎の挨拶に頷いた後、母は君香に視線を移した。
「良うお越し下された、君香殿」
君香は、小次郎の母に丁寧に頭を下げる。
「お陰様で、想いが叶いました。不束者ですが、末永く宜しくお願い致します」
「何の、こちらこそ。このような不器用な息子ですが、宜しくお願いしますよ。
さ、さ中へ。まずは中へ入ってお休みなされ。
案じておりましたが、二人とも無事が何より」
小次郎の母は、君香の背に手を添えて、舘まで誘う。
一旦母と別れ、二人は小次郎の居室に入った。
「そなたの父上は、どう出て来られるであろうな。体勢は整えておるが、大人数を繰り出して、そなたを取り戻しに来るということは、十分考えられる」
腰を下ろすと、小次郎がそう切り出した。
「大丈夫かと思っております」
妙な自信を見せて、君香がそう答える。
「何故そう思う?」
と小次郎が問う。君香が何故そう言い切れるのか、小次郎には分からない。
「口では色々厳しいことを言って参りますが、父は、どこかで麿の気持ちを理解してくれているように思えるのです。父は、義母と麿の板挟みになっているのではないでしょうか。そう思えるのです」
小次郎を目の敵にしているように見える良兼である。小次郎は意外に思った。
「父上の麿に対する態度は、前・常陸大掾に気を使ってのことか?」
と聞いてみる。
「それも有ると思いますが、義母への想いも強いように思えます。歳も離れておりますので」
悪意を持って自分に対していると思い、対決心を深めていた伯父の人間臭さが垣間見えたが、そこまで後添えに気を使うことは理解出来なかった。そこに丁度、様子を見に母が入って来た。
「若い妻の機嫌を取らねばならぬと言うことか……」
小次郎が言った。
「小次郎様も、お歳を召されればお分かりになると思います。いずれ麿に飽きて、若い妾に気を移されるようなことが有れば、その時は、父の気持ちもお分かりになるのではないでしょうか」
君香はそう言って面白そうに笑い、小次郎の母も釣られて笑う。
虚を突かれて、小次郎は狼狽えた。
「何を申すか。そんなことは無い! 終生そなたを大事に致す」
向きになって、そう言い切った。そんな小次郎を見て君香は、また笑った。
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