第33話 集いし者たち

文字数 3,531文字

 用意された居室の闇の中で興世王(おきよおう)は考えている。昼は能天気に振る舞っている様に見せて、実は、小次郎の郎等や食客達と上手くやって行く為に必死の努力を続けているのだ。
 何故なら興世王(おきよおう)に取って、行くべき場所は最早(もはや)他に無い。ここで人間関係を悪くする訳には行かないのだ。
 着任早々、貞連(さだつら)文書(もんじょ)の総ざらいを始めたのは、不正を見付けて興世王(おきよおう)更迭(こうてつ)する為と分かったからである。
 興世王(おきよおう)更迭(こうてつ)するに際し、武芝(たけしば)との()め事を理由にしたく無いのだ。調べれば、他の多くの国司同様に、興世王(おきよおう)も当然不正はやっている。
 質問された時、上手く言い逃れた積もりでいたが、貞連(さだつら)と言う男、そんな甘い男では無いと興世王(おきよおう)は気付いた。きっちりと証拠を固めて、更迭(こうてつ)の為の訴状を都に送るつもりに違い無い。国司としての旨味(うまみ)を生かして(もう)けようとしたが、その道が完全に絶たれてしまったのだ。職を得る目的で(まいない)を贈る為に知り合いなどから借りたものを、返せる目処(めど)が立たなくなってしまっていた。このまま更迭されては都へ戻れない。親戚、知人に借りた分は平謝(ひらあやま)りするとしても、そんな事が通じない(やから)から借りた分も有るのだ。
 返せなければ命をも奪われるかも知れない。そんな(やから)からの借入分も有る。だから、更迭されても都に戻ることは出来ないのだ。
 色々思い(あぐ)ねて出した結論が将門を頼ることだった。行く末を(かんが)みると、眠れない夜も多い。
『五世とは言え、皇統に連なる身が、何故、世間に身の置き場も無い様な事になってしまったのか? 今の世、天が地となり、地が天となってしまっているからだ。本質はそこに有る』興世王(おきよおう)はそう思った。
(みかど)を飾り物にし、本来、臣下の身に()るべき藤原氏が実質的に世を支配している。その一方で、皇統に連なる王や源氏、平氏の多くは、代々身分が低下して行くばかり。矢張、世が狂っているのだ』興世王(おきよおう)はそう考えた。

「今の世は狂っているとは思われぬか?」
 忙しく動き回っている将門が、たまたま(くつろ)いでいると、興世王(おきよおう)が入って来て、そんなことを言い始めた。将門とてそう思っているので「確かに」と応じる。
渡来人(とらいじん)如きがのさばりおって、己の国に帰れば良いのじゃ」
 貞連(さだつら)について、そんなことを言っているが、実は、貞連(さだつら)興世王(おきよおう)に取って縁戚に当たる。近い親戚ではないので聞いて知っている程度だ。
 何だ、武蔵守・貞連(さだつら)に対する愚痴かと小次郎は思い、(しば)し付き合って聞いてやらねばならぬかと思った。
「そもそも、(みこと)も麿も(みかど)の血を引いておる身ではないか。五世とは言え、その我等が、元々臣下に過ぎぬ藤原の者共に、なぜ(あご)で使われねばならんのじゃ。そうは思わぬか? 将門殿」
 これには小次郎も迂闊に賛同する訳には行かない。
「ま、時代で御座ろう」
と当たり(さわ)りの無い返事をする。 
 居候(いそうろう)ということもあって、興世王(おきよおう)に対する小次郎の言葉遣いは、少しぞんざいになって来ている。
「大臣、参議の大方(おおかた)は、皇孫である源氏と平氏が占めてしかるべきとは思われぬか?」
「はあ ……」
 面倒な事を言い始めたものだと小次郎は思う。
「藤原など、参議に二、三人も入っておれば良い」
 将門という男、元々革命児などでは無く保守的な考えを持った男だ。皇孫としての誇りは持っているものの、既成の権威は認めている。ましてや、忠平などは、己が選んだ私君であると思っているから、世を乱す元凶などと考えた事も無い。忠平をはじめとする藤原摂関家に対する批判には余り深入りしたく無いのだ。
 小次郎の(やかた)には多くの食客が居る。誰かの耳に入り、小次郎が朝廷批判をしているなどと言う噂が流れるのは困る。都に在った頃、大きな不満を抱えていたとは言っても、怒りの対象は上司や家司(けいし)に向けられており、(あるじ)である忠平を恨んだことは無いのだ。
 一方で情に厚く、庶民に対する思い遣りの気持ちが有り、国司の苛政(かせい)(いきどお)りを感じ立ち向かう気概は持ってはいる。しかしそれは、個々の国司に対する怒りに留まっており、搾取が構造的に発生していると迄は思い至っていない。そう言う意味で、この時点での将門は革命児などでは無く、数多く居る土豪の一人でしか無い。
 興世王(おきよおう)の言うことも、憂さ晴らしの大言(たいげん)くらいにしか取っていない。
 小次郎は、興世王(おきよおう)が面倒なことを言い始めたものだと思っていた。
「我等皇孫が、歪んだ今の世を何とかせねば。そうは思われぬか? 将門殿」
 興世王(おきよおう)が、そう水を向けて来た。
「そう思わぬことも無いが、そうは言っても、世の中そう簡単に変えることは出来ません。まして、吾如(われごと)きは、己の出来る範囲で、周りの者達を少しでも楽にしてやりたいと思うのみ。それで精一杯で御座るよ」
と適当に(かわ)そうとする。将門は、興世王の物騒な発言を、この辺で終わらせたいと思っていた。
 一方、興世王(おきよおう)は自分の考えを、無理に将門に押し付けようとはしない。将門が同意しなければ、軽く笑って、さっさと他の話題に話を()らす。だが、忘れた頃にまた話に織り込んで来て、またさらりと流すと言うことを繰り返すようになった。

 十月になって、もう一人の面倒な男が将門の(もと)に転がり込んで来た。藤原玄明(ふじわらのはるあき)である。
 常陸国(ひたちのくに)の東部の霞ヶ浦沿岸地方を拠点としている小土豪だ。荷駄の列を引き連れて下総(しもうさ)に入った玄明(はるあき)の一行は、()ぐに小次郎の郎党達の目に止まった。
藤原玄明(ふじわらのはるあき)殿が、今、こちらに向かっております」  
 (かつ)玄明(はるあき)が、良兼(よしかね)(もと)に連れ戻されていた将門の妻を、公雅(きんまさ)公連(きんつら)の依頼を受けて、送り届けてくれた時の事情を知る郎党が、将門に告げた。
玄明(はるあき)殿じゃ。玄明殿が来るぞ!」
 将門は、(えん)を走って妻を探し、興奮気味にそう伝えた。玄明(はるあき)()を送り届けてくれた時のこと、
『済まぬ。この恩、生涯忘れぬぞ!』
と言った言葉を決して忘れてはいなかった。
「馬を引け! 出迎えに参る」
と今にも飛び出して行きそうな小次郎に、
「お待ちを!」
と声を掛けたのは興世王(おきよおう)だった。
藤原玄明(ふざわらのはるあき)と言えば、余り評判の良く無い男。お親しいのか?」
 自分のことは棚に上げて、そう尋ねる。武蔵権守(むさしのごんのかみ)として職務を果たしていた頃、常陸介(ひたちのすけ)藤原維幾(ふじわらのこれちか)から移牒(いちょう)に寄り、悪い評判を報されていた。
「恩人じゃ。他人(ひと)の評判を(もっ)て恩を忘れるような将門では無い」
 小次郎はそう反発する。
「いや ……お(やかた)がそう言われるのであれば ……」 
興世王(おきよおう)は引き下がった。

 将門の出迎えを受けて、妻子を伴った玄明(はるあき)(やかた)に入った。将門の妻も門口(かどぐち)まで出迎えていた。
常陸介(ひたちのすけ)藤原維幾(ふじわらのこれちか)とその子・為憲(ためのり)が、(おおやけ)の威光を(かさ)に着て、過酷な租税の取り立てを行っておりましたので、麿はそれを拒否し抵抗を続けておりました。しかしながら、為憲(ためのり)が本気で麿を潰そうと準備を始めたとの報せが有り、この度ばかりは身の危険を感じたゆえ、妻子を連れ逃れました。
 かと言って頼る宛ても無く、たった一度お目に掛かっただけの将門殿ですが、勝手ながらお(かくま)い頂けないものかと、その武名を慕って参った次第です」
 神妙な態度で、玄明(はるあき)は小次郎にそう訴えた。
「何を申される玄明殿。()と共にこの将門が今、()るのも(みこと)のお陰。恩は忘れておらぬ。例え常陸介(ひたちのすけ)殿が引き渡せと言って来ても、必ずお守り致す」
 そう言い切った。小次郎という男、人を大事にする。一旦信じた者の言うことは、疑って裏付けを取るなどと言うことはしない。それが魅力でもあり、また弱みでもある。玄明(はるあき)の境遇を武蔵武芝(むさしのたけしば)の災厄に重ね合わせて同情していた。
「あの荷駄は?」
 郎等達が引いている荷駄を、認めて、興世王が横から口を挟んだ。他人(ひと)の言うことを鵜呑(うの)みにするような性格では無い。玄明(はるあき)と言う男に胡散臭さを感じていた。
「あれは、常陸国(ひたちのくに)行方(なめかた)河内(かわち)両郡の不動倉(ふどうそう)より奪って来たものです。今迄、藤原維幾(ふじわらのこれちか)苛政(かせい)()って取り立てた物の一部を取り返して参ったものです。一部は御厄介(ごやっかい)代わりに将門殿にお納め頂き、大方(おおかた)は、常陸(ひたち)民人(たみびと)達に折を見て返してやりたいと思うております」
 なんの躊躇(ためら)いも無く、そう言った。
「う~ん ……」 
 さすがの小次郎も、これには少し戸惑った。しかし、一旦(かくま)うと口にした以上、その(げん)(ひるがえ)す訳には行かない。また、密かに事実関係を確認しなければ、と思うような男では無いのだ。 
「将門殿。些細なことを覚えていて頂き、快くお(かくま)い頂けること、この玄明(はるあき)、心より御礼申し上げます。ご妻女に付いては、頼まれてお送りしただけで、麿の手柄ではありません。
 御厄介になる以上、今後、将門殿のことは、兄とも慕いお(つか)えしたいと思いますので、宜しくお願い申します」
 将門の次の言葉を待たず、とどめを刺すように玄明(はるあき)が言った。
「分かった。安心して、何時(いつ)までなりと、この(やかた)におるが良い」

 成り行きを見守っていた興世王(おきよおう)が、玄明(はるあき)に対し初めて笑顔を見せる。
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