第34話 皇統
文字数 2,942文字
四郎将平 が将門の居室を訪れている。将平は、武 を好まず学問好きの弟であるが、小次郎は、将平と話すことが好きだった。
忙しさに紛 れて、最近、余り話す機会が無かったので、四郎の訪問は嬉しかった。
「このところ、顔を合わすことが少なかったが、どうだ、元気でやっておるか? まあ、座れ」
小次郎が将平に席を勧める。
「お忙しくは御座いませんか?」
と将平 が尋ねた。
「忙しいと言えば、何時 も忙しいのだが、任せられる者も増えて来た。大事が有れば直 ぐ報せが入るが、今日は取り立てて何も無いようじや。話すのも久し振りだ。ゆっくり致せ」
「何やら、柄 の悪い者達も増えたようで御座いますが、大丈夫ですか?」
多くの浮浪人が小次郎を頼って食客となっている。四郎にしてみれば、舘 の雰囲気が荒々しくなって来ているのが、気になっていた。
「今の世、多少の悪事は働かんと生きて行けん。ただ踏みつけられて耐えているだけの者より使えるぞ。けじめさえ守らせればな。その代わり、心根からの悪党やけじめを守らぬ者は容赦せん」
そう言い切り、現状に満足している小次郎に、四郎は力無く笑った。
「玄明 のこと、案じておるのか?」
将平 が気にしているであろう事を小次郎が突き、
「存じて居 ろう。君香 を届けてくれた恩人だ」
と説明を加えた。
「いえ。特にそう言う訳では有りません。何やら荒くれ者が増えたような気がしただけで……」
小次郎が、将平 を見て笑った。
「顔が恐い者も居るが、話して見よ。皆、気の良い奴らだ。本当に危ない奴は、とっくに追放しておる」
「兄上の事ゆえ、その辺は誤ることは無いかと思っておりますが……」
と将平 の不安は尚も消えないようだ。
「ところで四郎。一度聞きたいと思うておったところだが、あの大唐が何故滅びたのか?」
「はい。もう三十年ほどにもなるそうです。唐が滅びて。権臣の朱全忠 と言う者に乗っ取られたとのことでございます。それまでに唐は、何度も危機を迎えておりましたそうですが、最終的には、朱全忠 が忠臣達を殺し、形だけの皇帝・哀帝 を立て、禅譲 を受けたという名目で帝位に就き、
粱 (後粱)と言う国を興 したそうです」
そう説明する将平 に、小次郎は、
「我が国に置き換えれば、太政大臣 様が帝 から禅譲を受け、新しき国を建てたと言う事になるな。
本朝では有り得ぬ事だ。太政大臣 様は、帝 に成り代わろうなどと考えた事もあるまい。この国は万世一系の帝 が治められると決まっており、それが揺るぐ事は無い」
「はい。麿もそう思います。我が国と外国 とは違います。粱 も二十年ほどで滅び、次々と王朝を建てる者が現れ、大陸は今、混乱状態に在 るようです」
小次郎が頷く。
「天の理に背 けば、その様になると言う事なのであろうな」
「ただ、彼 の国には、皇帝の位 は天から与えられるものであって、時の皇帝が一旦信を失えば、王朝は終焉を迎え、それに代わって、天が別の者を選んで皇位に就けると言う考え方が御座います。これを、易姓革命 と申します。これは、真壁 の菅原景行 師に学んだことに御座いますが」
小次郎の目が動いた。
「景行 殿は、菅公 (菅原道真)のご三男であったな。学識の深い方じゃ……易姓革命 か。ま、他国の事ではあるな」
「はい、円恵師は、我が国ではあり得ぬ事と仰せでした」
と、将平 は景行の説明に付いて円恵にも見解を求めた事を明かした。
「神日本磐余彦天皇 (神武天皇)以来、我が国の皇統は万世一系 であるからな」
「景行師は、それも怪しいと仰せでした」
と言う将平 に、怪訝な目を向けた。
「万世一系は書紀(日本書紀)が目指したもので、その編纂者は舎人親王 と言う事になっておりますが、実務上の責任者は、藤原家の祖・鎌足候の一子・不比等 候と言われております。
その不比等 候を中心として、編者達が、各豪族に伝わる伝承を一本化し、天照大御神 を主神として体系化したものではないかと仰せでした。
男大迹王 (継体天皇)の代でも或いは、皇統は変わっているかも知れぬとも仰せでした」
「ふん。父上である菅公 が、あの様なご最期 を遂げられているのだ。時平候ばかりでなく、救ってくれなかった帝 にも、お恨みが有るのかも知れぬな。朝廷や藤原氏に対して複雑な想いが有るのじゃな。忠平候は、当時より、菅公 には同情的であったと聞くがな。
……ところで、皇統が変わったと言われる根拠は何じゃ?」
「はい。師が言われるには、第一に、男大迹王 は、我等と同じ五世の皇孫であったと言うこと。もっと近い血を引く方の中に、後継とされるべき方が、本当に居なかったのかと言う点です。
男大迹王 は手白香皇女 を妃 に迎えることで即位を宣言しました。それが為、師は、男大迹王 が五世の皇孫と言うことすら怪しいとお考えのようです。
第二に、最初に同じ五世の倭彦王 に即位するよう頼みに行ったが、恐れて山に隠れてしまったのでと言う前置きが不自然と言うこと。男大迹王 の勇猛さを強調する為の作り事なのではないかと言うことですね。
男大迹王 と同じ五世の倭彦王 に頼みに行ったと言う前提を作り、まず、五世の王に依頼したと言う前例を作り五世への違和感を薄め、その上で、倭彦王 は臆病であったが、男大迹王 は勇敢であったと言う対比を作り出し、焦点を何故五世なのかと言う疑問から逸 らしている。
第三に、男大迹王 は、河内 の樟葉宮 で即位してから大和 に入るまでに、実に二十年も掛かっているということ。
これらの記述が作為的であり、極めて不自然だと師は仰っています」
小次郎は、菅原景行 の過激な思想に、少し恐怖を覚え、この儘将平 を預けて置いて良いものかと思った。
「ふ~ん。良く分からんが、皇統の一系を説明する事に苦心したのであれば、不比等 候は朱全忠 などとは違って、私欲の無い、無類の忠臣であったとも言えるな」
「それに付いては、名を捨て実を取ったのであろうと仰せでした」
空 かさず将平 がそう言った。
「男大迹王 は五世と称していたと申したな。ならば、真 の五世である麿は、帝位に就 ける可能性が有ると言うことにならんか?」
小次郎が戯 けた表情で言う。勿論、本気では無い。小次郎にしては珍しく戯言 を言ったつもりなのであろう。
「兄上!戯 れ言 にしろ不謹慎で御座いますぞ。細作 の耳にでも入れば、また、謀叛の疑いを掛けられます」
四郎・将平 の中では、景行 の学問的な見解と、現実の将門の立場とは、なんの矛盾モ゙無く、全く別のものとして考えられているらしい。
「いや、済まぬ。謀叛の疑いはまずい。もう、御免じゃ」
そう言って小次郎は大笑いをする。
「お気を付け下さい」
と、将平 は改めて小次郎に忠告した。
「案ずるな。太政大臣 様は、麿を信用して下さっている。何やら、漏れ聞くところでは、麿に、坂東を平 らかす為の役を任せようとされているとか」
「ならば、宜しゅう御座いますが……」
「四郎。今ふと思ったのだが、手白香皇女 が居 られたのであれば、探し回らずとも、女帝で良かったのではないのか? 古 より、女帝は何人も居 られたではないか」
小次郎は、沸いた疑問を率直に将平 にぶつけて来た。
「さて、その点に付いては分かり兼ねます。今度、師に伺ってみることと致しましょう」
久し振りに四郎と時を忘れて話し、小次郎は疲れが癒 されるのを感じていた。
忙しさに
「このところ、顔を合わすことが少なかったが、どうだ、元気でやっておるか? まあ、座れ」
小次郎が将平に席を勧める。
「お忙しくは御座いませんか?」
と
「忙しいと言えば、
「何やら、
多くの浮浪人が小次郎を頼って食客となっている。四郎にしてみれば、
「今の世、多少の悪事は働かんと生きて行けん。ただ踏みつけられて耐えているだけの者より使えるぞ。けじめさえ守らせればな。その代わり、心根からの悪党やけじめを守らぬ者は容赦せん」
そう言い切り、現状に満足している小次郎に、四郎は力無く笑った。
「
「存じて
と説明を加えた。
「いえ。特にそう言う訳では有りません。何やら荒くれ者が増えたような気がしただけで……」
小次郎が、
「顔が恐い者も居るが、話して見よ。皆、気の良い奴らだ。本当に危ない奴は、とっくに追放しておる」
「兄上の事ゆえ、その辺は誤ることは無いかと思っておりますが……」
と
「ところで四郎。一度聞きたいと思うておったところだが、あの大唐が何故滅びたのか?」
「はい。もう三十年ほどにもなるそうです。唐が滅びて。権臣の
そう説明する
「我が国に置き換えれば、
本朝では有り得ぬ事だ。
「はい。麿もそう思います。我が国と
小次郎が頷く。
「天の理に
「ただ、
小次郎の目が動いた。
「
「はい、円恵師は、我が国ではあり得ぬ事と仰せでした」
と、
「
「景行師は、それも怪しいと仰せでした」
と言う
「万世一系は書紀(日本書紀)が目指したもので、その編纂者は
その
「ふん。父上である
……ところで、皇統が変わったと言われる根拠は何じゃ?」
「はい。師が言われるには、第一に、
第二に、最初に同じ五世の
第三に、
これらの記述が作為的であり、極めて不自然だと師は仰っています」
小次郎は、
「ふ~ん。良く分からんが、皇統の一系を説明する事に苦心したのであれば、
「それに付いては、名を捨て実を取ったのであろうと仰せでした」
「
小次郎が
「兄上!
四郎・
「いや、済まぬ。謀叛の疑いはまずい。もう、御免じゃ」
そう言って小次郎は大笑いをする。
「お気を付け下さい」
と、
「案ずるな。
「ならば、宜しゅう御座いますが……」
「四郎。今ふと思ったのだが、
小次郎は、沸いた疑問を率直に
「さて、その点に付いては分かり兼ねます。今度、師に伺ってみることと致しましょう」
久し振りに四郎と時を忘れて話し、小次郎は疲れが