第48話 罠

文字数 2,532文字

 時を移しては不利になると考えた将門は、二月一日を期して出撃した。農民兵を含めて、兵力は千にも足りない状態である。その上、索敵(さくてき)も出来ていない有り様。
 将門は、本隊を率いて下野(しもつけ)の国府へ向かう。だが、敵が国府に終結していると言う確認が出来ていなかった。小山(おやま)(現・栃木県小山市)に至り、念の為将門は、副将・玄茂(はるもち)に二百ばかりの兵を着けて、秀郷(ひでさと)軍の所在を探らせることにした。
『敵は大軍である。もし、移動していれば()ぐに分かる』
 玄茂(はるもち)は、更に隊を二つに分け、一隊を日光方面に、もう一隊を宮(現・宇都宮)方面に放ち、自分は小山(おやま)に待機して、軍を発見次第報せるよう指示を出した。

 宮方面に探索に出たのは、多治経明(たぢのつねあき)坂上遂高(さかのうえのかつたか)らであった。宮近くの山中を進んでいると、谷から立ち上る煙が見えた。少し降りて見ると、二百ばかりの兵達が見える。火を炊き鍋を吊るして食事の支度をしているようである。
 (よろい)を外して(くつろ)いでいる者さえ居る。
「あ奴らも物見の者達のようですな」
 遂高(かつたか)経明(つねあき)の耳に口を寄せて言う。
「しかし、何故反対方向のこんな所に…… 。それに、(よろい)を外すなど(たる)み切っておる」
「理由は分かりませんが、奴ら油断し切っております。あの人数なら、逆落(さかお)としを掛ければ一撃でやれます」
 遂高(かつたか)は、最初の手柄を立てる良い機会と勇み立っている。
「待て、我等の任務は物見じゃ。状況を報せて玄茂(はるもち)殿の判断を仰ぐ」
「報せに戻っていたりしたら、好機を失いますぞ。やるなら、油断している今しか無い。玄茂(はるもち)殿に遠慮し過ぎではないか?」
「お(やかた)が決めた副将だからな。しかし、お主の言う通り、絶好の機会ではあるな……」
経明(つねあき)は考え込んだ。
経明(つねあき)殿。今だから申すが、我等、副将は長年お(やかた)様に与力して来た経明(つねあき)殿とばかり思うておりました。それが、新参者の玄茂(はるもち)殿とはどうしたことかと皆で話しておりましたのじゃ。お(やかた)様、いや、新皇(しんのう)様の決定ゆえ、異は唱えられませぬが…… 
 郎等の中でも、引き立てられたのは好立(よしたつ)殿おひとり。このままでは我等、一生、興世王(おきよおう)殿や玄茂(はるもち)殿の下に着かねばならぬことになりますぞ。手柄を立てて、新皇(しんのう)様に、我等を見直して頂きましょう」
 経明(つねあき)は、(わず)かな手柄よりも軍律が大事と思っている。だが、ここで遂高(かつたか)の意見を退(しりぞ)け、玄茂(はるもち)に報告している間に機を逸すれば『やはりお(やかた)様は、経明(つねあき)殿の優柔不断さを見抜いて、副将としなかったのだ』
と言う見方が、郎等達の間に広まってしまうだろう』と経明(つねあき)は考えた。
「分かった。やろう」
 そう答える。
「それでこそ、経明(つねあき)殿。(はばか)りながら、吾も大将軍・坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)末裔(まつえい)。ここで手柄を立てて新皇(しんのう)様に認めて頂きとう御座います」
 腹を決めた経明(つねあき)が大きく頷く。
「よし、密かに近付き、一挙に(かた)を付けよう」
 経明(つねあき)は右手を挙げて、前進を指示した。
 ところが、これが秀郷の罠であった。経明(つねあき)隊が、山から駆け降りて来るのを見ると、休んでいた者達は一斉に逃げ出し、代わりに、沢から、森から、無数の完全武装の兵達が湧き出して来たのだ。
 将門方の兵達は四方に逃げ散り、逃げ遅れた者達は、秀郷(ひでさと)軍に(くだ)った。
 秀郷(ひでさと)軍は逃げた者達を追撃し、南に追った。

 その頃将門は、国府に秀郷(ひでさと)軍は居ないとの情報を得て小山(おやま)まで引き返し、玄茂(はるもち)と合流していた。
 経明(つねあき)隊で最初に逃げ戻った者が、将門に仔細(しさい)を報告する。
「何? 秀郷(ひでさと)の罠に掛かったと。(たわ)けが!」
 そうしている内に、逃げ延びた者達が続々と姿を表し、経明(つねあき)遂高(かつたか)も戻った。
「申し訳有りません」
 二人は、将門の前に(ひざまづ)き、深く頭を下げる。
 もし、攻撃が成功していたとしても、将門は、経明(つねあき)らの軍律違反を追及していただろう。勝手な行動を許せば、軍律を保てず、戦略が大きく狂ってしまうことになるからだ。しかし、この状況で追及すれば、逆効果となる。そう判断した。
「やむを得ん。以後、勝手な行動は慎め」
とだけ言った。
 そうしている内に、ただならぬ数の馬蹄の響きが聞こえ、次第に大きくなって来た。秀郷(ひでさと)軍の追撃が迫っていた。
『敵は勝ち気分に乗って勢いが有る。この勢いをまともに受け止めたら持ち(こた)えることは出来ない』
 咄嗟(とっさ)にそう判断した将門は止むを得ず退却を命じた。

 逃げる将門軍は、下総国(しもうさのくに)・川口にて秀郷(ひでさと)軍に追い付かれ、そこで合戦となった。
 劣勢に立たされた将門軍は、一旦、この地に(こも)るも、包囲され、闇に紛れて脱出する始末となった。

 この手痛い敗戦により追い詰められた将門は、地の利の有る本拠地に敵を誘い込み起死回生の大勝負を仕掛ける為、幸島郡(さしまごおり)の広江に隠れる。
 しかし、二月十三日、秀郷(ひでさと)貞盛(さだもり)らは、将門の本拠・石井(いわい)に攻め寄せ、辺り一面を焼き払う焦土作戦に出たのだ。
 将門は身に甲冑(かっちゅう)を着けたまま探索を(かわ)しながら諸処を転々とし、反撃に向けて兵を召集しようとした。だが形勢が悪くて思うように兵は集まらない。その為、攻撃に転ずることもままならない状態となっていた。
好立(よしたつ)。以前にもこの様なこと、有ったなぁ」
 谷間に隠れ、人集めの為に放った者達の帰りを待ちながら、将門が呟いた。
「はい。お舘様が(やまい)を得。良兼(よしかね)貞盛(さだもり)らの汚い手に我等が引っ掛かって、追い詰められたことが御座いました」
「あの折も麿は復活し、勝った。今度も、きっとそうする!」
 将門は、己を鼓舞し周りの者達を安心させる為に、強くそう言った。
「はい、きっとそうなります」
 好立(よしたつ)も力の籠もったことばで応じた。
「余りに順調に行き過ぎていた為、我等の心に(ゆる)みが有ったのであろう。これは、天が与えた、心を引き締めよとの試練なのだ。この困難に打ち勝つ器量が麿に有るか、試されているのだ。それでも、吾は勝つ。勝って見せる!」
 数少なくなってしまっている周りの者達が、
「はっ」
と応じる。
「兵など集まらなくても、そなた達が居れば麿は勝てる。何千の兵が居ようと、破れる時は如何(いか)(もろ)いか、何度も見て来たであろう。経明(つねあき)遂高(かつたか)
「はっ」
「過ぎたことは忘れて、その分命懸けで働け」
しくじった経明(つねあき)遂高(かつたか)の心を癒し、前向きに変えさせる必要が有ると、将門は思っていた。
(かしこ)まりました」
 そう言って経明(つねあき)は将門の目を見詰め、遂高(かつたか)は深く頭を下げる。

 農民兵は散ってしまい、将門は、(わず)か、手勢四百を率いて幸島郡(さしまごおり)の北山に陣を敷いた。
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