第37話 決心

文字数 3,423文字

「皆、聞いてくれ! この将門、たった今、謀叛人(むほんにん)と成った。成ってしまったものは悔いてみても仕方が無い。もはや、この命捨てたも同然。だが、捨てた命なら己の思ったように使いたい。日頃、そう思いながらも、出来ぬと諦めていたことをやる為にこの命使いたいのだ。
 都から遣わされた受領(ずりょう)共が、坂東の(たみ)が汗と涙を流しながら生み出した米や布を、都に運び去って行く。それを、日頃、苦々しく思いながらもどうすることも出来なかった。いや、諦めていた。だが、命は捨てたと覚悟すると、出来ぬことは無いと思うに至った。
 麿がそれに値する者かどうか皆に問いたい。この坂東から受領(ずりょう)共を追い出し、坂東の地が生み出す富は、坂東の為、坂東の者達の為にのみ使う! そう言う(まつりごと)がやって見たくなったのだ。
 皆も知っての通り、麿は(みかど)の血を引いている身だ。一時坂東を支配し、誰もが喜ぶ(まつりごと)をこの坂東の地で行い、都の(みかど)に、そのような(まつりごと)が出来ることをお見せしたい。そして、日本(ひのもと)(すべ)てがそのようになるようお願いしたいと思う。
 例えこの身が謀叛人と呼ばれようとも、それまでは麿は死ぬ訳には行かぬ。捨てた命を生きる。この坂東を真に坂東の者達のものにする迄は死なぬつもりだ。
 だが、それは麿ひとりで出来ることでは無い。下総(しもうさ)の者、常陸(ひたち)の者。(たみ)であろうが官人(つかさびと)であろうが、国府軍として麿に対した者であっても構わぬ。麿と共に、この坂東を我等のものとする為に共に戦ってくれる者であれば拒まぬ。皆、麿に力を貸してはくれぬか! …… 
 もう一度言う。坂東の富を都から来た者には渡さぬと言う気概を持ち、この将門と共に戦ってくれる者有らば、声を挙げよ!」
 一瞬の静けさの後、将門軍から、
「うお~っ!」
と言うどよめきが上がっただけでなく、運良く国衙(こくが)に逃げ込めた常陸(ひたち)の農民兵や土豪達の中からも、賛同の雄叫(おたけ)びが上がった。常陸(ひたち)の在地官人の中にも、顔を紅潮させる者が多く見える。
 都から派遣された受領(ずりょう)である維幾(これちか)は、部下達までが将門の熱気に冒され、異様な雰囲気が作り上げられて行くのを肌身で感じ、正に失神寸前となっていた。突然、周り中が敵となってしまった恐怖。恐らく、革命やクーデターに(さら)された古今東西の王や独裁者が突然襲われる恐怖心に似たもので有っただろう。
 たった今まで、敵味方に分かれていた者達も、(ほとん)(すべ)てが、この坂東の地で生まれ育った者達なのだ。不満の大小、また、それを声高(こわだか)に叫ぶ者、じっと堪えて来た者、農夫と官人(つかさびと)、様々な違いを超えて『坂東の富を都から来た者には渡さぬ』と言う将門の主張が人々の心を捕らえた瞬間だった。

 この様子を、満足げでありながら、どこか(さめ)た表情を浮かべて見守っているのは興世王(おきよおう)である。しかし、その表情の奥に、(わず)かな嘲笑が入り混じっていることに気付いた者は居ない。
 興世王(おきよおう)は、将門にこれ程人の心を動かす才が有ったことに少し驚いていた。素直に見事と思った。人間、切羽詰まった時には意外な力が出るものだなと思った。
 己自身が都から遣わされた受領(ずりょう)であり、ついこの間、不法な搾取をしようとして、武蔵竹芝(むさしのたけしば)(いさか)いを起こしたことなどまるで忘れてしまったかの様である。将門の言葉ひとつで動かされた多くの者達に、ひたすら関心を寄せていた。
 だが、興世王の感覚からすれば、(げき)を飛ばすことは民心を操る為に必要なことではあるが、それは飽く迄、計算されたもので無くてはならない。ところが、将門は、己自身がそれに酔ってしまっている。将門の性格からすれば、発した言葉にいつ迄も引き()られるに違いない。それが少々面倒だなと思った。

 夕刻近くなっても、尚、興奮は続いていた。日毎(ひごと)に寒さが増して来ている季節である。篝火(かがりび)、そして()き火を炊かせ、兵達には夜営を命じた。そして、
員経(かずつね)
と、(そば)に控えている伊和員経(いわのかずつね)に将門が声を掛ける。
「はっ」
和経(かずつね)が返事をすると、
貞盛(さだもり)維幾(これちか)為則(ためのり)ら、逃がすでないぞ」
と将門が念を押した。
「牢に閉じ込め、抜かり無く見張らせます」
「うん、そうか。後で、主立(おもだ)った者達を広間に集めよ。その前に、興世王(おきよおう)を呼べ。維幾(これちか)の居室を使う」
「はっ」
と答えてその場を離れたが、員経(かずつね)は首を(ひね)った。小次郎が興世王(おきよおう)を呼び捨てにするのを、初めて聞いたからである。
 興世王(おきよおう)が居室の前に立つと、上座に座した将門が目を閉じている。
「お(やかた)、お呼びと聞いて参りました」
と声を掛けた。
「座られよ」
 将門が、目を閉じたまま言った。暫し、二人は無言のままの対座となる。
 何時(いつ)もなら、興世王(おきよおう)の方から色々と話し掛けるところだが、そんな雰囲気では無いと察した。
 将門が静かに目を開いた。
「お見事な(げき)で御座いましたな」
 将門の言葉を待たず、興世王(おきよおう)はそう言った。
「皆の前で狼狽(うろた)える訳には行かぬ。そう思って腹を決めたら、すらすらと言葉が口を突いて出て来た」
「口には出さずとも、日頃、腹に有った事だからで御座いましょう」
「かも知れぬ。だが、その後で一つ気付いた事が有る」
「何で御座りましょう」
興世王(おきよおう)は問うた。
玄明(はるあき)をけしかけたのは(みこと)であろう」
 そう言うと、将門は立ち上がって興世王(おきよおう)(そば)まで進み、すらりと太刀を抜いて、それを興世王の首に当てた。
『ひぇ~!』
と声を上げ、腰を抜かすと思っていた将門の予想は外れた。
「お斬りなさるか?」
と、興世王は静かに言った。
「いや、殺しはせぬ。だが、麿を(たばか)った事は許し難い。心根(こころね)の良からぬ者は置いて置けぬ。追放する」
 将門はそう静かに言った。
「追放されれば、最早(もはや)、行き場の無い身で御座る。いっそ、お斬り下され。お(やかた)が坂東を制し、良き(まつりごと)を行う夢を見ながら、あの世とやらに旅立ちとう御座る」
「良き(まつりこまと)?」
と将門は聞き返した。
「はい。それを願う一心にてしたことに御座る。お(やかた)の心の中に、日頃、その想いが有ればこそ、あの(げき)となったのでは御座りませぬかな」
 将門を(たぶらか)かした分けではなく、日頃心中に有ったものを引き出しただけと言いたいのだ。 
「それで、麿を謀叛人に仕立てたと申すか?」
 興世王(おきよおう)がなんと抗弁しようと、”謀反人に成ってしまった“と言う、将門の悔悟の念を消す事は出来ない。
「謀叛? 誰に対する謀叛で御座りまするか?」
 開き直ったように興世王(おきよおう)が尋ねた。
「朝廷、(みかど)に対するものに決まっておろうが!」
 怒りの気持ちが将門の言葉に(にじ)んでいる。
「今、日本(ひのもと)の実質的な(あるじ)(みかど)では御座いません。お(やかた)(はばか)っておられるのは、そのお方では御座いませぬか? しかしながら、天が地となり地が天となっては世が乱れます。本来、臣であるべき者が(あるじ)となり、(あるじ)の血を引くものが、その下で使われる。それこそが、世の乱れの元に御座います。
 麿に限らず、受領(ずりょう)となる者、公卿(くぎょう)達に多額の(まいない)を送らなければその地位を得る事が出来ません。それを取り返そうと、武芝(たけしば)との間に、あの様な問題を引き起こしてしまいました。悪には違い御座いません。悪には違いありませんが、そうしなければ、公家(くげ)として生きられぬ事も事実です
 受領(ずりょう)と地元の者達は争い。最終的に利を手にするのは、藤原を中心とする都の公卿(くぎょう)達。長年、都に居らして、お(やかた)もお気付きだったはず。だからこそ、あの様な(げき)を飛ばすことが出来たのではないかと思います」
 興世王(おきよおう)の言葉を聞きながら、将門は考えていた。興世王(おきよおう)は更に言葉を続けた。
「先程、藤原は臣下の身と申し上げたが、光明皇后(こうみょうこうごう)以来、多くの(みかど)の母系を辿れば、母后は藤原では御座らぬか?」
 ここで興世王(おきよおう)はニヤリとした。
「お(やかた)。皇統とは言うまでも無く、(みかど)の血で御座る。もし、母方の血を(もっ)て皇統とするならば、我が(ちょう)は、間違い無く藤原王朝と言うことになってしまいます。
 何故、藤原の氏長者(うじのちょうじゃ)(みかど)となれぬのか? 正に、皇統とは、男系を指すからに他ならぬからです。だから、例え何十人の(みかど)の母が藤原であったとしても、藤原は臣下に過ぎぬのです。
 臣下が、実質的に(まつりごと)を司っている。それが、世の乱れの元とは思われませぬか? もう一度申し上げる。天が地となり地が天となっては、世は乱れます。(みかど)の血を引くお(やかた)に良き(まつりごと)をして頂きたく図った事。なれど、お舘を(たばか)った罪は逃れられません。行くべき所とて無いこの身。どうぞ、お斬り下され」
 そう言うと、興世王(おきよおう)(こうべ)を垂れて、首筋を将門の前に見せた。
「う~ん」
と将門は唸った。
「分かった。(たばか)られた事は忘れよう。(たばか)られついでに、坂東を変える事に命を懸けてみるとするか」
 そう言って、将門が笑い、興世王も笑った。
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