第36話 私闘から謀叛へ

文字数 5,649文字

 天慶(てんぎょう)二年(九百三十九年)十一月二十一日。千の兵を率いた将門が常陸(ひたち)に侵入した。

 将門出陣の報せを得ていた常陸介(ひたちのすけ)藤原維幾(ふじわらのこれちか)も、三千の兵を率いてこれを迎え撃つ。

 将門は(かつ)て、伯父・良兼(よしかね)の率いる三千の軍をあっさりと打ち破っている。自軍の三倍の数の常陸の国府軍を見ても何とも思わない。兵は数では無く質と士気の高さである事が良く分かっているのだ。 
「ふふ。数だけは良くも集めたものよ。あれだけおれば、目を瞑って引いても誰かに当たる。矢を無駄にせずとも済むというものだな」
 余裕が有るのか、小次郎はそんな軽口を叩いた。
鏑矢(かぶらや)など必要ありませぬ。いきなり射掛けて、少し脅かしてやりますか?」
 多治経明(たぢのつねあき)が言った。
「面白い。弓を構えよ! ……射よ!」
 将門の(めい)に従って、斜め四十五度に構えられた数百の弓から、矢が一斉に放たれた。

 一方国府側の兵達は、いきなり戦闘が始まるなどとは思ってもいなかった。三千の兵力を背景に、まずは、維幾(これちか)が将門に威圧を加え、あわよくば、戦わずに将門を屈服させる事が出来るのではないかと期待していた者が多いのだ。
 いきなり射られた数百の矢を見て誰もが唖然とした。放物線を描いて上から降り注いで来る矢を見て、農民兵の中に、頭を抱えて(うずくま)る者が続出する。しかし、そんな事で矢を避けることは出来ない。背中に矢を受ける事になる。
「ぎゃ~」
という叫び声がああちこちから上がり、早くも国府軍は浮足立ったのだ。 
「おのれ! (いくさ)の作法も知らぬ外道(げどう)め!」
 維幾(これちか)は歯噛みしたが、一旦浮足立った兵を叱咤(しった)してみても無駄な事。放って置けばばらばらになってしまう。
「一旦国府に引き揚げるぞ! 隊を乱すな! 引き揚げじゃ!」
 軍が崩壊するかも知れないと言う危険を感じ取った惟幾(これちか)は、撤収を決断した。

 小次郎にしてみれば、これは(いくさ)などでは無く喧嘩だ。個人の喧嘩に例えるなら、大男と対したら、胸倉を掴まれる前にいきなり股間か(すね)を蹴り上げるのが一番と言うことになる。軍としてそれを実践しただけだ。
「ふふ。(もろ)過ぎる。さて、ゆるりと追い込むとするか。急いではならぬぞ! 追い付いて無駄な血を流す事は無い! 進め!」
 将門軍は、時折矢を放ちながら、着かず離れず常陸の国府軍を追って行く。野本の戦いとは逆に、相手を叩き潰す意図は全く無く、脅して威圧を加えれば良いのだ。
 違いは将門の立場だ。その儘で手を引けば、源護(みなもとのまもる)の反撃を受け(たちま)ち潰されることになったであろう当時の小次郎と今の将門には天と地ほどの違いが有る。例え常陸介(ひたちのすけ)(いえど)も、今の将門を簡単に潰すことなど出来ないのだ。

 国府軍は少しも早く国衙(こくが)に駆け込もうとするのみで、踏み(とど)まって迎え討とうとする者など居ない。それどころか、徴発された農民兵を中心に列から離れて逃げ散る者が増えて行く。
 もちろん小次郎は、そんな者達を追ったり狙ったりはしない。郎等達を率いて集団で離脱する土豪も出て来る。それも無視する。飽く迄追い詰めるのは主力のみで良いのだ。
 やがて国府に到着し、兵達が駆け込むと門が閉ざされた。
 ところが、門が閉ざされる前に左に()れて塀沿いに進んで行く、三十人ほどの騎馬の一団が有った。
「はて、あの者達は?」
 距離を取って追っていた小次郎が、それに気付いて言った。
「麿が郎等を率いて討ち取って参りましょう。お任せあれ」 
 弟の御厨(みくりやの)三郎・将頼(まさより)がそう申し出た。
「いや、待て。麿に(くだ)ろうとしている者かも知れぬ」
 そう言って、将門が将頼を制した。少しすると、国衙(こくが)に逃げ込まず迂回した者達の、姿と(のぼり)がはっきりと見えるようになった。
 一団はこちらに向き直り、弓などは構えず太刀も(さや)に収めたままゆっくりと進み始めた。
「伯父御! 我が伯父で御座います」
 後方から駆け上がって来た玄明(はるあき)が叫んだ。片手を上げ、将門が自軍を制した。
 双方が声の届く距離に近寄った。
常陸掾(ひたちのじょう)藤原玄茂(ふじわらのはるもち)と申す。平将門殿には初めてお目に掛かるが、不肖の甥・玄明(はるあき)が、いたくお世話をお掛けしており、真に申し訳ありません。
 また、こたびのことも、玄明(はるあき)をお(かくま)い頂いたことにより生じたこと。立場上、国府軍に加わっておりましたが、今を以て将門殿に従い、恩返しの万分の一なりともしたいと、心に決めまして御座います」
 なんと、常陸介(ひたちのすけ)惟幾(これちか)の直属の部下である常陸掾(ひたちのじょう)玄茂(はるもち)が寝返ったのだ。馬上で体を前に倒し、少し頭を下げた。 
「伯父上、済まぬ。恩に着る」
 (かぶと)の下から覗く五十年配の玄茂(はるもち)の顔は、玄明(はるあき)とは違って思慮深げに見えた。
「それ程のご覚悟なれば、喜んでお迎え致す」
 将門も少し頭を下げた。しかし、このことで状況が全く変わってしまった事に、将門は全く気付いていなかった。
 玄茂(はるもち)にも、興世王(おきよおう)同様、惟幾(これちか)に我慢がならないものが、普段から有ったに違いない。で無ければ、甥を(かくま)ってもらったと言うだけで、公職にあるものが、いきなり反旗を(ひるがえ)したり出来る訳が無い。
 太政大臣(だじよまうだいじん)藤原忠平(ふじわらのただひら)をしても統治が難しいと師輔(もろすけ)が言った通り、坂東とは、無秩序が常態となっている世界だった。

 玄茂(はるもち)らが玄明(はるあき)と共に軍の後ろの方に回ると、
国衙(こくが)を取り囲め!」
と、将門の下知(げじ)が響き渡った。多くの者が逃げ散ったことは、維幾(これちか)に取っても幸いであった。三千人も国衙(こくが)の敷地内に収容することは出来ない。かと言って、主力だけを中に入れて門を閉ざせば、維幾(これちか)の悪評は常陸(ひたち)中に広まってしまうだろう。

 破れて逃げ込んで来る国府軍を見ながら貞盛(さだもり)は、案じていたことがやはり現実になってしまったかと思った。将門の強さは、貞盛が一番良く知っている。やはり、ほとんど戦闘経験の無い維幾(これちか)などが勝てる相手では無かったのだ。下野(しもつけ)との国境(くにざかい)での敗戦が、胃の()から込み上げて来る苦い水のように蘇って来た。

 良兼(よしかね)と同じように維幾(これちか)も、三千の兵力を背景に自信満々の出陣をした。
貞盛(さだもり)、良いものを持って来てくれた。この召喚状は、身内の争いに勝ったくらいで増長しておる将門を叩く為の大義名分を麿に与えてくれた。
 玄明(はるあき)(かくま)っていることが明白でありながら、他国に住まいおる者ゆえ、力を以て捕縛するには下総守(しもうさのかみ)に対する遠慮が有った。だが今はこの召喚状が有る。
 玄明共々将門をも捕らえ、将門は、人を付けて(つか)わすゆえ、そなたが都に引き立てれば良い。麿は、あの無頼者の玄明(はるあき)を罰することが出来る。その上、そなたも麿も、朝廷からお褒めにあずかることになろう。そうなれば、八方、万万歳ではないか。楽しみに待っておれ。麿に任せよ」
 自信満々にそう語る惟幾(これちか)貞盛(さだもり)は不安を覚えていた。
「有難う御座います。ですが、くれぐれも将門を甘く見ないようになされませ。将門の強さは麿が良く知っております。三千の兵力が有るとは言え、くれぐれも油断なさいますな。敵ながら、あの男の強さは尋常では無いと思っております」
 そう忠告したのだが、惟幾(これちか)は、
「ふっはっはっはっは。そなたの立場からすれば、そう思うのも無理の無いことだが、その懸念(けねん)も今日までじゃ」
 そう豪快に笑い飛ばしていた維幾(これちか)が、転げ落ちるように馬から降り、よろけながら入って来た。
「ふ~っ、はっ、はっ。あの外道(げどう)め!」
 維幾(これちか)は、息を切らせながらそう言うと両足を投げ出して座り込んだ。
「 ……どう為さるおつもりか?」
 己の身が危なくなっていることを自覚した貞盛(さだもり)が尋ねる。
「う? う~ん」
 後で将門の無法を朝廷に訴える道は有るにしても、この場は将門に屈服するしか無いと、維幾(これちか)が判断するのではないかと貞盛(さだもり)は案じた。
 そうなれば将門は、条件として、玄明(はるあき)の捕縛を諦めることと自分の引き渡しを要求して来るに違いない。
 国衙(こくが)を砦として、飽く迄抵抗する意志が維幾(これちか)に有れば、将門とてまさか、塀を乗り越えて入ったり、国衙(こくが)を焼き討ちするような真似までは出来まい。侵入されないように門の防御を固め、じっと辛抱するしかない。そして、将門が諦めるのを待つ。それしか無いと貞盛は思った。
「今は門の防御を固め、将門を一歩も国衙(こくが)に入れぬようにするしか御座いますまい。将門とて、余り無謀な真似は出来ないはずです」
 維幾(これちか)に近寄ってそう言った時、貞盛(さだもり)は、維幾(これちか)の目が(うつ)ろになっていることと、指の先が微かに震えていることに気付いた。
 目を見れば、怒りのため身を震わせている訳では無いことは分かる。
維幾(これちか)様!」
 気合を入れるつもりで大声を出した。一瞬ギクリとした維幾(これちか)が、立ち上がってふらふらと前庭の方に歩き出して行く。 
「門を開けよ! 門を開けるのじゃ!」 
 維幾(これちか)が叫ぶように言うのが聞こえ、貞盛(さだもり)自身、体中の力が抜けて行くのを感じた。
「お待ち下さい! 父上お待ちを!」
 そう叫んでいる息子の為憲(ためのり)の声が、惟幾(これちか)には遠い世界からのもののように感じられる。

 開かれた門から、小次郎は乗馬のままゆっくりと国衙(こくが)に入った。まず、睨み付ける為憲(ためのり)と目が合った。将門が睨み返すと、為憲はあっさりと視線を外した。
(あらが)わぬ者に手を出してはならん。維幾(これちか)為憲(ためのり)を捕らえよ。貞盛(さだもり)()るはず。探し出して捕らえよ」
 馬から飛び降りた郎等達が為憲(ためのり)を捕らえ、維幾(これちか)も捕らえようとすると、維幾はへなへなと座り込んだ。
 別の郎等達が国衙(こくが)の建物の中に侵入し、貞盛(さだもり)を捕らえて引き出して来た。
 目が合うと、貞盛(さだもり)は視線を逸らさず将門を睨んだ。将門も視線を逸らさずじっと貞盛(さだもり)の目を見ている。
 その時、興世王(おきよおう)が手招きし、玄明(はるあき)を呼んだ。  
玄明(はるあき)。そなた国倉(こくそう)から奪った物は、いずれ常陸(ひたち)(たみ)に返すとお(やかた)に約束したな」
「このような時に、いきなり何で御座るか?」
 興世王(おきよおう)にいきなりそんな事を言われ、玄明(はるあき)はムッとした。
「お(やかた)と約束したことは守らずばなるまい。国衙(こくが)の倉を開いて(たみ)に分け与えれば良い。さすれば、己の(ふところ)(いた)めずとも済むかも知れぬぞ」
 そう言って、興世王はニヤリと笑う。
「な~るほど。では打ち壊すとしますか」
 納得した玄明(はるあき)がやる気を見せたのだが、
(たわ)け。そんな乱暴な真似をしたらお(やかた)に止められる。麿を誰と思うておる。武蔵の国司じゃぞ。どこも同じ。鍵の有り場は分かるわ。耳を貸せ」
興世王(おきよおう)に言われた。耳を貸し、
「ふんふん。分かり申した」
と応じ、国衙(こくが)に入ろうとすると、
「待て、鍵と一緒に国守(くにのかみ)の印が有る。それも持ち出せ。何かの役に立つ」
興世王(おきよおう)が言う。
 玄明(はるあき)は、印の使い道に付いて『この(たび)の騒ぎに付いての朝廷への報告を、将門側に都合が良い様に維幾(これちか)に書かせ、その際に押させる為』と解釈した。
「さすが興世王(おきよおう)様。先を読んでおられますな」
と応じる。

 貞盛(さだもり)を捕らえる為に将門の郎等達が国庁内に入った時、玄明(はるあき)も自らの郎等を伴って国庁に入った。そして、貞盛(さだもり)を発見し捕らえようとする者達の横を擦り抜けて奥へ進む。
 すると五、六人の健児(こんでい)(おぼ)しき若者達が物陰から飛び出して来て争いになった。健児(こんでい)の中にも気概の有る者達が居たと見える。
 争いは郎等達に任せて、玄明(はるあき)興世王(おきよおう)から聞いた鍵の置き場に向かう。そして見付けた。
 若者達は意外と手強く、騒ぎが大きく成って、聞き付けた将門の郎等達が飛び込んで来た。それを期に、整然としていた前庭も騒がしくなる。

 国府の兵達が門から逃げ出そうとして、将門の郎等と争い取り押えられる者。我を忘れて討ちかかって斬り倒される者など騒然となる。
 その(すき)を突いて国衙(こくが)に侵入した土豪の郎等達や農民兵が調度品の略奪を始めた。彼等には国府に対する怨念が有る。(いくさ)に勝った者の略奪は、この時代当たり前のことである。将門とて、簡単に止めることは出来ない。
 しかし、ここは土豪の(やかた)ではない。国衙なのだ。目の前の略奪に躍起になっている者達に、そんな風に大局を見られるものはいなかった。  
『まずいぞ』
と将門は思った。
 そんな時、玄明(はるあき)が蔵を開いた。農民兵達がどっと押し寄せる。
「これは常陸(ひたち)の者達に返すものだ。多少は良いが、あまり持ち去るなよ!」
 玄明(はるあき)は、訳の分からないことを叫んでいる。
「おのれ! 印鎰(いんやく)を奪いおったな。謀叛だ! これは謀叛だ!」
 為憲(ためのり)がそう叫び、その途端将門の郎等に蹴倒された。
玄明(はるあき)! 玄明(はるあき)を呼べ!」
 将門が叫んだ。郎等に声を掛けられ、玄明(はるあき)が将門の前に来た。印鎰(いんやく)を手にしている。
玄明(はるあき)! それが何か分かっておるのか?」
 将門が厳しい顔で言った。
「蔵の鍵と国守(くにのかみ)の印で御座います」
 玄明(はるあき)に深い考えは無かった。
「それを奪うことが何を意味するか分かっておるのか? 麿は謀叛人と成ってしまったのだ」
 そう指摘され、玄明(はるあき)は驚いた。
「え? そんな ……」
 そう言って、玄明(はるあき)興世王(おきよおう)の顔を見た。
「起きてしまった事を、今更どうこう言ってみても始まりません。それに、これだけの者が見ている。もはや消すことの出来ぬ事実となってしまいました。
 常陸(ひたち)を奪ったということです。玄明(はるあき)を斬ってみても、何の解決にもなりません。お覚悟なさいませ」
 さらっと言い捨てる興世王(おきよおう)の言葉に、将門は目を閉じた。
「謀叛人として罰せられる覚悟をせよとのことか?」
と強い調子で、興世王(おきよおう)に尋ねる。
「状況を考えれば、一国を奪ったことになりますが、一国といえども侵せば罪は軽くは御座いません。こうなった以上、どうせなら坂東を制した上で様子を見ては、いかがで御座いますか?』そんな事を言う興世王(おきよおう)
 何を言っているのかと思う一方、将門の中で、もうこの事実を消す事は出来ないのだと言う想いが湧き上がって来ていた。
「何?」
 意味無く口を突いて出た言葉はそれだった。
「お(やかた)の力を(もっ)てすれば、坂東を制するくらい不可能とは思いません。
 その上で様子を見ていれば、朝廷もお(やかた)の力に恐れを為し、歩み寄って来るかも知れませぬ。このまま退()いて、むざむざ首討たれる事は御座いますまい」
 何かを覚悟しているのか、興世王(おきよおう)は自信たっぷりに、そう言う。将門は、思わず目を閉じた。
 起きてしまった事態を急に受け止めることが出来ない。かと言って、興世王(おきよおう)の言う通り、もはや消す事も出来ない。その上、大勢の者達が今、将門の反応を注視しているのだ。
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