第24話 滋野三家

文字数 2,627文字

「兄者。我等を見捨てて、ひとり都に逃げるつもりか?」
 京へ(のぼ)ると伝えると、弟の繁盛(しげもり)は、そう言って貞盛に詰め寄った。
「違う。小次郎を訴える為だ」
 貞盛は、そう答えた。いや、弁解したと書くべきか。
「訴状で済むではないか。それに、朝廷は小次郎に肩入れし、我らを追討しようとしているのだぞ」
「だからこそ、上洛せねばならんのだ。訴状だけで済むことではない。上洛して直接訴えなければ、我らの言い分は通らぬ。小次郎は太政大臣(だじょうだいじん)様の従者(ずさ)だったのだ。その(すじ)からの圧力が有る。普通に訴状を出しても、(まもる)殿の時のように(しばら)く放って置かれるのが関の山だ。だから、上洛して直接訴える」
 貞盛は上洛せねばならない理由をそう説明した。
「そんな事してみても決定は変わるまい。太政大臣(だじょうだいじん)の意向ではな」
 繁盛(しげもり)は、貞盛(さだもり)の本音を透かしているとばかり言い立てた。
「我が(あるじ)師輔(もろすけ)様は学問に優れ荒事(あらごと)を嫌うお方だ。父上である太政大臣(だじょうだいじん)様でさえ、その見識には一目(いちもく)置かれていると言う。(あるじ)に訴え、召喚状を出して頂けるよう取り計らって頂く積もりだ。武力を用いての争いが有れば、双方召喚して事情を聞くのは常道。我等に対する追討令も取り消して頂けないか探ってみるつもりだ」
 追討令まで取り消すとなれば、貞盛の言う通り訴状一通では済まないことは、繁盛(しげもり)も理解したようだ。
「そんな事、出来るのか?」
と念を押す。
「結果的に罰せられてはいないが、武を用いて勢力を拡大し続けている小次郎をこのまま放置すれば、やがて、朝廷に取っての脅威になり兼ねないと訴えれば、あのお方なら、理解して下さると思っておる」
 繁盛(しげもり)も納得したのか、頷いたが、
「兄者は目を掛けられているようだからな。だが、聞いてくれたとしても、太政大臣(だじょうだいじん)を説得出来るものかな」
と、一言付け加えた。
「出来る出来ないを案じるのは意味の無いことだ。やるだけのことをやってみるしか無い」
と貞盛が答える。
「分かった。確かに、このままでは、小次郎を(ほうむ)るどころか、こっちが葬られかねん。今は、兄者のその言葉を信じ、頼るしか無いな」

 繁盛(しげもり)らを説得し、承平(じょうへい)八年(九百三十八年)二月(なか)ば、貞盛(さだもり)は都に向けて出発した。
 従う郎等は十五人。一行は、下野(しもつけ)から東山道に入り、都に向かう。上野(こうづけ)から信濃(しなの)に入り、峠に差し掛かった時、貞盛が何気無く下を見ると、(つづ)れ折りの遥か下の方に連なって早足で登って来る騎馬の一団があった。視界に入る限り騎馬の一団は途切れない。何とも言えない戦慄が走った。
『小次郎だ。小次郎に気付かれた! しかも、あの人数は何だ! 何としても麿を討つつもりか? いや、殺さず生け捕りにしようとしているのだ。あ奴の父の、木像を掲げたことへの怒りか? それとも、提訴を恐れてのことなのか?』
 そう推察した。
「者共急げ! 小次郎に気付かれた」
 郎等逹も一瞬下を見てそれを確認し、馬の腹を蹴って一斉に駆け出す。急ぎ足となり駆け、駆けながら考えた。
 急ぎ足とは言っても全力疾走と言う訳には行かない。登り坂で全力疾走したりしたら、()ぐに馬を潰してしまうことになる。
『下り坂になるまでは抑えなければならない。だが、間も無く峠を越える。峠を越えれば小次郎を引き離すことが出来る』
 そう考えた。だが、小次郎が下りに掛かれば、逆に、差は縮まって来ることになる。『都までこのまま逃げ切るのは無理だろう』とすれば、差が開いた時を利用して策を講じなければならない。
 滋野(しげの)を頼るしか無いか』
 そう思い付いた。
他田(おさだ)他田三郎(おさだのさぶろう)。近う!」
 貞盛は駆けながら叫ぶ。間も無く、
他田三郎(おさだのさぶろう)ただ真樹(まき)()れに()ります」
と近付いて来た郎等が応じる。

 信濃国(しなののくに)小県郡(ちいさがたごおり)の郡司の家系の生まれだが、若い頃、常陸(ひたち)に移り、貞盛の父・国香(くにか)の郎等となっていた。平高望(たいらのたかもち)が、勅命(ちょくめい)を受け坂東に下る際、滋野(しげの)一族が持て成し、良馬を献上したのが縁の始まりである。他田(おさだ)は、同じく小県郡を拠点とする滋野三家筆頭の海野(うんの)と深い縁を持っている。その後、高望(たかもち)ばかりでなく、国香(くにか)の代になっても、滋野(しげの)一族を通じて良馬を求めるなど縁は続いていた。海野古城(うんのこじょう)を拠点とする滋野(しげの)氏は、信濃(しなの)国内の御牧(みまき)全体を統括する牧監(ぼっかん)でもあった。

「先に行き、海野(うんの)殿に会って、滋野(しげの)一族の助力を頼んでくれ。この人数では、追い付かれればひと溜まりも無い。辿り着くまで持てば良いのだ。馬を潰すぎりぎりまで駆けさせろ。我等も()ぐに行く」
 貞盛が他田三郎(おさだのさぶろう)に命じる。
(かしこ)まって(そうろう)
 他田三郎(おさださぶろう)がそう返事をする。そして、
「はいっ!」
(むち)を当て、先を急いだ。

他田真樹(おさだのまき)、火急のお願いあって(まか)り越しました。お舘様にお取り次ぎを!」
 下馬すると、他田(おさだ)はよろめきながら(やかた)に走り込んだ。郎等がひのり奥に走って行き、間も無く、当主・海野義治(うんのよしはる)が表れる。
如何(いかが)した、三郎」
「火急のことゆえ、挨拶抜きで率直に申し上げます。我が(あるじ)が、百を越える将門の軍に追われております。我等・手勢、(わず)かにて、とても太刀打ち出来ません。どうかご助力を。
 (あるじ)も間も無く此方(こちら)へ参りますので、子細は後程(のちほど)。時が有りません」
 息切れしながら、そう言うと。郎等が差し出した水を一気に飲み干した。
「分かった。(たれ)ぞ、望月と根津に走れ。今居る人数だけで良いから、郎等を引き連れて()ぐにも駆け付けて欲しいと伝えよ。
 郡司殿にも使いを出せ。後の者は急いで戦支度(いくさじたく)致せ!」

 普通、こんな風には行かない。まずは説明を求められるだろうし、一族の他家へ使いを出すにしても、事情を説明する為に、事の詳細を確かめる必要が有るだろう。それが普通だ。だが、滋野三家の場合は違う。
 そこには、滋野一族の特殊性がある。滋野三家は非常に緊密な一体感を持っており、様々な時代の流れの中でも一族が分かれ戦うことが非常に少なかったことでも知られる一族なのである。三家の(いず)れかが戦う時は、他の二家は、事の是非を問う迄も無く参戦するのが前提となっているからこそ、こんなやり取りが出来るのだ。
 それに、義治は、噂の範囲では無く、正確に坂東の状況を把握してもいた。

 海野(うんの)氏は、信濃国(しなののくに)小県郡(ちいさがたごおり)海野荘(うんのしょう)(現・長野県東御市本海野)が発祥の地とされ、滋野則重(しげののりしげ)の嫡子・重道(しげみち)から始まる。三家の中でも滋野(しげの)氏嫡流を名乗る東信濃(ひがししなの)の有力豪族である。

 多田(おさだ)真樹(まき)は、海野義治が二つ返事で引き受けてくれたことで、ひとまずほっとした。後は、将門が現れる前に、どれだけの応戦体制が取れるかということである。

 間も無く、貞盛と他の郎等逹が海野(うんの)(やかた)に辿り着いた。
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