第30話 弁明
文字数 2,349文字
六月の初旬、首尾良く将門への召喚状を手にした貞盛 は坂東に帰った。
小次郎に召喚状が出ている旨を告げる文 を送ったが、間も無く、小次郎が激怒して自分を捕らえるよう下知 したとの情報が入って来た。下総 に入り、国府に召喚状を示し協力を依頼するつもりだったが、慌てて常陸 に引き返した。
まずは、上総介 を解任されたとは言え、まだそれなりの勢力を維持していると思われる伯父・良兼 を訪ねるつもりでいた。しかし、入って来たのは、良兼 は病 に倒れ、郎党達の多くが良兼を見限って離反したという噂だった。そして、常陸 から上総 に入ろうとする頃、良兼 死去との報に接した。
仕方無く石田に戻り、嘗 て、父・国香 が世話をした郷長 などを頼って、あちらこちらと潜伏先を変えながら策を練っていた貞盛 だが、段々と身の置き処が無くなって来た。
十月、陸奥守 を拝した、遠縁に当たる平維扶 が陸奥 に赴任途中、下野 の国府に滞在しているとの情報を得て、密かに訪ねることにした。
一旦、陸奥 に逃れて策を練ろうと思ったのだ。維扶 は同行を承諾してくれた。これに従って陸奥 に入ろうとしたが、このことは将門の知るところとなった。
郎党を率いて、小次郎は貞盛 を追撃する。陸奥守 の赴任に同行しているのだから、東山道 を駆ければすぐに追い付ける。追い付かれる直前に気付き、貞盛 は慌てて山中に身を隠した。
追い付いた将門は、維扶 を問い詰める。当然、維扶 は、『知らぬ存ぜぬ』と惚 けた。小次郎とすれば、確かな報 せが有って追って来たのだ。維扶 のいい加減な言い訳で納得したりはしない。
「それほど疑うなら、陸奥 まで付いて来るが良い。我等は急ぐゆえ、着いて来るも探すも、好きなようにされよ」
そう言い捨てると、維扶 はさっさと出発してしまった。
その様子を木陰から見ていた貞盛だが、
「遠くには行っておらぬ。辺りを探せ!」
との小次郎の声を聞いた途端、無我夢中で山奥を目指して、転げながら、這いずりながら我を忘れて逃げた。
将門にも見付からず、山中で行き先を見失うことも無く、その上、運良く野盗に襲われることも無く、十一月に入って貞盛 は再び常陸 に戻ることが出来た。
年が明け、天慶 二年(九百三十九年)三月二十五日になって、経基 の訴えを受けた忠平が動いた。
家司 に命じ、事の実否を糺 すべき御教書 を発し、中宮少進 ・多治真人 ・助真 を推問使 として下総 に派遣したのだ。
下総 の国衙 に呼び出され、推問使 ・多治助真 から恭 しく書状を受け取り一読した小次郎の表情が変わった。貞盛 からの訴えと思って読んだが、訴えの主 は経基 であり、しかも、興世王 、武芝 と相図 って謀叛を企てた疑いとある。
『そんな馬鹿な!』
と言う想いしか浮かばない。
「これは、何かの間違い。或いは、悪意を以 ての誣告 に御座います」
と訴えた。
「ならば、如何 に弁明致す? 仮にも謀叛との訴え。太政大臣 様も、事の真偽は糺 さねば成らぬと仰せじゃ。本来なら追討使 の派遣となるところ。そこのところを良く考えられよ」
そう言いながらも、多治助真 は小次郎に柔らかい視線を送っている。
「有難き仕合わせ。付きましては、自 らの証 を立てたいと存じますので、そのご猶予を頂けますよう、お願い申し上げます」
小次郎は、そう申し立てた。
「本来なら、即刻上洛を命ずべきところながら、自 ら疑いを晴らす証 を用意出来ると申すか?」
と助真 が尋ねる。
「はい。ご猶予、宜しくお願い致します」
「相分 かった」
との助真 の返事を受け、小次郎はほっと胸をなで下ろした。推問使 の対応から、忠平が本気で疑ってはいない事が読めたからである。本気で疑っていれば、有無を言わさず捕縛して、都に護送しようとするはずだ。推問使 は兵すら連れていない。
「経明 は居 るか?」
国衙 から戻ると小次郎は多治経明 を呼んだ。
「お呼びで御座いますか」
と表れた経明 に、
「済まぬ。急いで武蔵の国衙 に行ってくれ。あの折、逃げ出した武蔵介 ・経基 が、何と、麿を謀叛の咎 で訴え出居 った」
「何ですと、謀叛でございますか?」
思わず経明 の顔に笑いが浮かんだ。
「流石 、太政大臣様も呆 れて暫 く様子を見られたようだが、他からその様な報告は一向に上がって来ない。当然だ。だが、謀叛の訴えとなると放ったままで置く訳にも行かず、この度 推問使 を送って来られた。推問使 の方でもその辺は分かって居るから、こうして麿は捕縛もされず、証 を立てる猶予も貰えた。
坂東五ヵ国の国司の証明を添えて誣告 である旨申し開くつもりじゃ。下総守 殿は既に承知しておるし、常陸 、下野 、上野 は麿自身が参って頼むことにするので、武蔵に行って興世王 殿の書状を貰って来てくれ。何、問題は無い。興世王 殿と武芝 殿も共犯と言うことになっているし、興世王 殿は、既にこの件存じておる。自 らの証 でもあるのだから直 ぐに書いてくれる筈 だ」
「他の三ヵ国の国司で、渋る者はおりませんのか? 」
と経明 が聞いた。
「だから、麿、自 ら行くのじゃ」
経明 は頷いたが、
「真 、謀叛ならとっくに大騒ぎになっている筈 だし、誣告 と認めるのは問題無いと思っても、後に残る文書を書くのを嫌がりませぬかな」
と尋ねた。
「だから、睨 み合いに行くのじゃ。麿と国司達と、どちらが肝 が座っているかを見に行って来る」
小次郎は、そう言って愉快そうに笑う。
「郎党はどれほどお連れになるおつもりで? 」
「十人も居 れば良い。多いと却 って反発を買う」
小次郎は、上書 を認 め、天慶 二年(九百三十九年)五月二日付けで、坂東五カ国の国守の『謀叛は事実無根』との証明書を添えて、弁明書を朝廷に送った。
これにより朝廷は将門らへの疑いを解き、逆に経基 は誣告 の罪で罰せられることとなった。
実際に、この時は謀叛の事実は無く、経基 の思い込みだけだったのだから、当然のことではある。
小次郎に召喚状が出ている旨を告げる
まずは、
仕方無く石田に戻り、
十月、
一旦、
郎党を率いて、小次郎は
追い付いた将門は、
「それほど疑うなら、
そう言い捨てると、
その様子を木陰から見ていた貞盛だが、
「遠くには行っておらぬ。辺りを探せ!」
との小次郎の声を聞いた途端、無我夢中で山奥を目指して、転げながら、這いずりながら我を忘れて逃げた。
将門にも見付からず、山中で行き先を見失うことも無く、その上、運良く野盗に襲われることも無く、十一月に入って
年が明け、
『そんな馬鹿な!』
と言う想いしか浮かばない。
「これは、何かの間違い。或いは、悪意を
と訴えた。
「ならば、
そう言いながらも、
「有難き仕合わせ。付きましては、
小次郎は、そう申し立てた。
「本来なら、即刻上洛を命ずべきところながら、
と
「はい。ご猶予、宜しくお願い致します」
「
との
「
「お呼びで御座いますか」
と表れた
「済まぬ。急いで武蔵の
「何ですと、謀叛でございますか?」
思わず
「
坂東五ヵ国の国司の証明を添えて
「他の三ヵ国の国司で、渋る者はおりませんのか? 」
と
「だから、麿、
「
と尋ねた。
「だから、
小次郎は、そう言って愉快そうに笑う。
「郎党はどれほどお連れになるおつもりで? 」
「十人も
小次郎は、
これにより朝廷は将門らへの疑いを解き、逆に
実際に、この時は謀叛の事実は無く、