第49話 北山の戦い 1 将門着陣
文字数 3,450文字
幸島郡に有る北山は、南側が険阻な崖となっており、北側は緩やかな斜面となっている。
将門はこの山を決戦の場所と決め、秀郷軍の警戒を掻い潜り、深夜に軍を進めた。
早朝、北山に至ると山頂に登り、持っている限りの旗や幟を、目立つように廻り中に立てさせる。晴れているが、強い南風が背後から吹き付けている。
『天は麿を見放してはいない。逃げてもじりじりと追い詰められるだけ。敢えて戦いを挑み、勝つしか道は無い』
将門はそう確信した。山頂に無事、陣を敷けたことと、この南風が戦力不足の不利をかなり補ってくれるはずと思った。派手に幟や旗を立てれば、将門がここに陣を敷いたことは、直ぐにも秀郷の耳に入るだろう。秀郷は、袋の鼠にしたつもりで居たろうが、裏を掻かれて、こんな所に布陣されたことを知ったら、歯噛みするに違い無い。そんな秀郷の顔を想像すると愉快だった。
「何! 将門が北山に布陣しただと。一人や二人を逃した訳では無いのだぞ。包囲の者達は寝ていたのか! 人数に奢り、僅かな勝ちに奢った者達が、今まで何人、将門の前に膝を屈して来たか、見ているであろう!」
秀郷は、兵達にそう怒鳴ったのだが、惟幾を初めとする、正に、将門に膝を屈した内の一人である者達は、気まずそうに下を向いている。
『戦うには有利だが、麓を囲まれれば、山頂に居ては、退く道は無い。将門め、一か八かの賭けに出て来おったな』秀郷はそう思った。
『慌てずじっくり攻めるのが得策』
逸る兵達を落ち着かせて、秀郷はゆっくりと北山に向かった。
麓に着いてみると、冬の季節にも関わらず、強い南風が吹き付けている。生暖かい風だ。
兵の数では完全に将門を圧倒しているものの、山の上に陣取り、しかも強風が吹き降ろしていると言う状況は、将門に有利だった。
「風が変わるのを待った方が……」
貞盛が言った。秀郷も頷く。そして、
「将門に使いを出す。『まだ陣立てが整わぬゆえ、整うまで待って欲しい』と伝えさせる。上からの向かい風では矢が届かぬ。始末が悪い。風が変わるまで時を稼ぐ必要が有る」
「そんな口上で、将門は待ちましょうか?」
と貞盛は疑った。
「待つ。暫くはな。そう言う男であろう」
「はい。確かに」
このところ憎しみ合っている二人では有るが、秀郷に言われ思い出してみるに、小次郎・将門とは、本来、正にそんな男だと貞盛は思った。
「問題は風が変わるのと将門が痺れを切らすのと、どちらが先かだ」
秀郷はそう言って、
「誰ぞ」
と人を呼んだ、若い郎等が進み出る。
「『陣立てが整うまで、開戦を暫しお待ち頂きたい』と将門に伝えよ」
と命じる。
「はぁ?」
若い郎等は、思わずそう言ってしまった。
『それでなくとも、戦力的に圧倒的に不利な将門が、そんな虫の良い要求を聞く訳が無い』
と思い、余りに意外な秀郷の命に反応してしまったのだ。
秀郷はニヤリと笑った。
「本当に陣立てが整っていなければ、それこそ、攻めるに絶好の機会となる訳だが、そんな弱みを態々教えてやるほど麿が人が良いとは、敵は思っておらん。罠と思って用心するだろう。痛い目に遭ったばかりだからな。
一度罠に掛かった者は、疑心暗鬼となって、あれこれ迷う。迷えば判断を誤ることも有る。迷わせるのだ」
そう言う秀郷に、郎等は、
「はあ……」
と、理解したとは思えない返事を返す。
「行け!」
と秀郷が声を掛けると、郎等は、今度は
「はっ!」
と力強く返事して、駆け出して行った。
上から望見すると、四千を越える大軍が麓から複数の路まで、連なっている。こんな大軍と平場で対したら、如何に将門軍であろうと、あっと言う間に飲み込まれてしまう。どう考えても凡そ勝てる状況では無い。
余裕が有るのか、秀郷ら連合軍の兵達は慌てる様子も無く、麓を取り囲む為だらだらと移動している。
そんな、だれ切った軍を見れば、普通なら、伸び切った辺りを目掛けて突っ込み、一気に突破して囲みを逃れる方法を考えるだろう。
『秀郷め、又も罠に掛けようと、態と、だらだらした動きを見せ、誘っておるな』
将門は、そう思いながら、秀郷、貞盛らの連合軍の動きを眺めていた。
見ていると、一人の男が馬で賭け上がって来る。将門を始め、主な者達が居並ぶ数間先まで登って来ると、男は下馬し、左膝と右の拳を地に突いて頭を下げた。
「御大将・平将門殿に申し上げます」
男はそう言った。
『何を言いに来たのか?』
と将門が思っていると、
「下郎、新皇様に直々もの申すこと相成らん。許す。麿に申すが良い」
興世王である。
『こんな時に何を場違いなことを言っているのか』
と思いながら将門は、昔、初めて忠平に目通りした時のことを思い出した。
『あの時、滑稽と思った遣り取りを、興世王は、此方側でやろうとしているのか』
そう思うと、すっかりその気になっている興世王の態度が可笑しかった。しかし、仮にも己が新皇を名乗ってしまった以上、それを否定したり、笑い飛ばす訳には行かないのだ。
言われた男の方は『下郎』と言われて腹が立ったのみで『では、お側の衆にまで申し上げます』などと、言い直す訳も無い。
「主・秀郷が申しますには、陣形が未だ整わぬゆえ、整うまで、開戦を暫しお待ち頂きたいとのことで御座います」
そう一気に言った。
「うぉっほっほっほっ。陣形が整わぬだと。秀郷、無様よな」
興世王は愉快そうに笑った。
「陣形が整わぬとあれば、これ幸い。こ奴を血祭りに上げ、今直ぐ攻撃しましょう」
文屋好立がそう進言する。使いの男はしゃがんだまま一歩飛び退き、太刀の柄に手を掛けた。
「待たれよ。陣形が整わぬなどと態々報せて来るなど、秀郷の罠に決まっておろう」
そう制したのは、副将・藤原玄茂である。
「良い。待つと秀郷に伝えよ。但し、何時までも待てぬ。さっさと致せとな」
隙を見せる秀郷の罠と思ったのか、或いは、正々堂々の戦と主張したかったのか分からないが、将門は迷わずそう答えた。
「はっ。有り難き仕合せ」
そう言うなり、使いの男は馬に飛び乗り、山を駆け下りて行った。
「新皇様、何故待ってやる必要が有るのですか?」
興世王が尋ねる。
「敵は今動いておる。突撃すれば、何処を衝こうと、あの動きの中で忽ち取り囲まれてしまうであろう。
玄明。雑兵の十人や二十人、斬り倒す自信はあろう」
突然、無関係とも思われる質問を、将門が玄明に投げた。
「元より、造作も無きこと」
後ろの方に居た玄明が進み出て、自信満々に答える。将門はニヤリと笑った。
「順番に掛かって来ればな。……だが、囲まれて同時に槍を突き出されたら、どう防ぐ。防げまい」
「はあ」
と玄明は言葉に詰った。
「敵が格好を付けて陣形を固めた方が、動きが鈍くなる場合もある。陣形を組んでくれれば、何処が強固で何処が脆いかも見分けられる。言って置くが、十倍の軍に勝つことは出来ぬ」
将門のその言葉に、皆、怪訝な表情となった。将門が何を言おうとしているのか読めないのだ。『例え空元気でも、皆を奮い起たせなければならない時のはずなのに』と思う。
「我等には、八幡大菩薩のご加護が有りますし、新皇様は、今までにも度々不可能を可能とされて来たお方では御座いませんか」
今は、皆を高揚させる必要が有ると感じた玄茂が言った。
「智恵を働かせぬ者に八幡大菩薩のご加護などは無い。何と無く勝てるなどと思うな。それが命取りとなる。勝つべき算段が無ければ決して勝てぬと肝に命じて置け」
誰もが、将門の算段とは何なのか、それを聞きたいと思った。
「算段とはどの様な?」
と玄茂が聞く。
「敵の雑兵を味方に着けるのだ」
「そんなことが、出来るのですか?」
と聞く玄茂に、
「稲を狩り、田を耕しているだけの者に命を捨てる覚悟は無い。何とか無事に帰ることしか考えておらぬであろう。今敵は、数で圧倒的に勝っていると思っているから落ち着いている。だが、突然恐怖に襲われれば、吾を忘れて取り乱すことになる。それが、五人十人、いや、百二百と伝播して行けば、その動きは我等には向かわず、向こうの武者達の動きを邪魔することになるのだ。つまりは、味方にするも同じこと。分かるか?」
「分かりました。敵の雑兵共を震え上がらせて見せましょう」
どうやら、玄茂にも、将門が描く絵図が見えたようだった。
「良いか。決して一人になってはいかん。一人離れれば、忽ち取り囲まれて、命は無くなるぞ。全体が纏まり、恰も一本の矢のようになって、敵を突き崩して行くのだ」
鋒矢の陣と呼ばれる攻め方を将門が指示した。
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