第50話 北山の戦い 2 風よ変われ

文字数 3,547文字

 仕掛けた罠に、将門がまんまと(はま)ったことに満足すると言うより、将門に加担せず見切った自分の判断が正しかったことに、秀郷(ひでさと)は満足しているようであった。
「見栄を張りおって。過信か、新皇(しんのう)と名乗ったことに因る増長か、いずれにしろ愚かじゃな」
 秀郷(ひでさと)がそう呟いた。将門は仕掛けに(はま)ったかに見えたが、向かい風は一向にやむ気配も方向を変える気配も無い。風が変わらなければ、当然策も無駄になる。

 そうしている内にも、陣立ては進んで行く。突っ込んで来る将門軍を、鶴が翼を広げたように横に広げた陣形から押し包んで、袋の(ねずみ)とした上で討ち取る、所謂(いわゆる)鶴翼(かくよく)の陣である。これは、大軍で少数の敵を討つ場合の常道と言える布陣となる。
 本陣は、鶴翼(かくよく)の後方に置くことにした。本陣に置く兵は三百。
 鶴翼の陣の中央には、秀郷(ひでさと)の長男・千晴(ちはる)に千人の兵を預けて配した。突撃に際し騎射しやすいのは、当然、進行方向左側である。将門は、鶴翼の左側から右側に走り抜けようとするはずだ。将門から見て左側は当然、鶴翼の右翼と言うことになる。突撃の際、最初に将門の矢面(やおもて)となり(やす)い右翼には、三男・千国(ちくに)と四男・千種(ちたね)それに五男の千常(ちつね)にそれぞれ五百ずつの兵を与えて計千五百を配した。秀郷(ひでさと)は、右翼から中央に掛けて、信頼出来る戦力と考える己の子らを配した。そして、左翼には、貞盛(さだもり)の弟・繁盛(しげもり)率いる八百に二百の与力の兵を着けて配し、その外側に藤原為憲(ふじわらのためのり)率いる五百の兵を配している。
 将門軍が、右翼から中心部に向かっている間に打撃を与えて押し包んでしまおうと言うことなのだ。
 本陣の三百はただ後方に構えているだけでは無く、五十名ほどを残し、後は、破られそうな所に駆け付ける遊撃隊的な役割を負わせてある。
 秀郷(ひでさと)が恐れたのは、総崩れである。これだけ戦力に差が有れば、例え不利な向かい風であっても、犠牲は大きくなるが、しっかり戦い続けることによって、必ず勝利は得られるはずだ。そう思う。
 だが、当てになるのは家の子・郎等のみ。もし、将門に囲みの一角でも破られれば、充分な訓練をしているにも拘らず、農民兵達の殆どが逃げ去ってしまう可能性すら有るのだ。
 秀郷(ひでさと)は、わざと陣立てをもたつかせて時を稼いでいる。『風よ、変わってくれ!』そう祈っていた。だが、風は変わる様相を見せない。

 将門は、敵の陣立てが進む(さま)をじっと見ている。
「三郎」
将頼(まさより)に声を掛けた。そして、
(なれ)なら、あの陣立てを見てどう攻める」
と尋ねた。
「はっ。左翼を攻めます」
と答える将賴(まさより)
「何故か?」
と問い詰めた。
(のぼり)や旗をみる限り、中央から右翼には、秀郷(ひでさと)の子らが配されており、日頃から鍛練を積んだ兵達が多く含まれていると思われます。
 それに引き替え左翼は、貞盛(さだもり)為憲(ためのり)らの手勢、急遽集められた者、秀郷(ひでさと)から借りた兵など雑多に入り交じっていると思われますので、打ち破り(やす)いかと」
 将賴(まさより)は自信を持って、そう答えた。
「うん。正に、秀郷(ひでさと)もそこを狙わせたいのであろうな」
「は? 罠だとおっしゃるので?」
 驚いて将賴(まさより)が尋ねる。
「左翼を目掛けて突っ込んで行ってみろ。中央に陣取る、恐らく一番強力と思われる嫡男・千晴(ちはる)の隊が補強に入り、本陣からも応援が入って壁を厚くする。そこでもたついている間に、右翼の隊が我等の後ろに回り込んで来れば(しま)いじゃ。完全に取り囲まれてしまう」
「はあ。では、どうすれば?」
「正面突破だ」
 笑みを浮かべて将門が言い切る。
「一番強力な正面と当たれば、両翼(りょうよく)()り上がって来て、やはり、押し包まれるのでは?」
「そう思わせることが肝要じゃ。策が有る。それに、何よりの援軍は、この風だ」
「はい?」
 将賴(まさより)には将門の言おうとすることが、理解できていない。
「右翼から左翼へ()めると見せてまず正面を()く。但し、それも本命では無い。狙いは、そなたの言う通り、貞盛(さだもり)為憲(ためのり)らの守る左翼じゃ。しかし、最初からそこを目掛けて突進したのでは、中央から応援が入り、もたつく間に、右翼が後ろに回り込んでしまうことになる。我らは圧倒的に少ない人数で戦わなければならんのだ。色々と策を弄さなければ勝てぬ。分かったか? 玄茂(はるもち)、どう考える」
と将門が玄茂に話を振った。
「はい。風を味方にし、右翼、正面を十分に牽制した上で、やはり、三郎(将賴)殿の言われる通り、左翼を崩す。お見事な策と思います」
「三郎、狙いは同じでも、工夫が無ければ勝てぬと言うことだ」
 将門は将賴(まさより)に、優しくそう言った。
「は、はい。分かりました」
将賴(まさより)が頷く。
「行くぞ、者共! 命惜しむな、名をこそ惜しめ!」
 そう声を張り上げて、将門軍の怒涛の攻撃は始まった。

 変わらぬ風にじりじりしながら秀郷(ひでさと)は待っていた。そして、将門が遂に痺れを切らし、逆落(さかおと)としに討って出て来た。
 秀郷(ひでさと)(かね)を叩かせ、急いで最終的な陣形を整えさせる。元々わざと遅らせていたのだから、陣形はすぐに整った。横に広がって鶴が翼を広げた形を表す鶴翼(かくよく)の陣である。

 矢頃(やごろ)まで降りて来ると、将門は、まず作法通り鏑矢(かぶらや)を放った。この辺は常陸(はたち)で、惟幾(これちか)率いる国府軍と戦った時とは、随分と違う。将門も喧嘩ではなく、戦いと認識しているのだ。
 追い風に乗って唸りを上げて飛んで来た鏑矢(かぶらや)は陣に届き、兵が頭の上に持ち上げた楯に激しく当たって、大きな打撃音を発した。
 秀聡(ひでさと)側の放った鏑矢は、風に阻まれて、遥か手前に落ちた。
 続いて、一斉に射られた将門軍が射た数百本の矢が、放物線を描いて連合軍の陣に上から降り注いで来る。陣の前の方に並べた楯など殆ど役に立たない。
 騎馬武者の大鎧(おおよろい)に矢が突き刺さり、一方兵達は、胴丸では防御しきれない部分に矢を受けた者が倒れる。
 そして、二の矢の雨。射返しても連合軍の矢は風に吹き戻されて届かない。将門軍からの三の矢が降り注いで、連合軍は、また多くの兵が倒れる。

 暫く矢を射かけていた将門軍が突撃に移った。鋒矢(ほうし)の陣形を組んで一直線に攻め寄せて来る。全体が一本の矢の形となり、鶴翼(かくよく)の陣を突き破る戦法だ。
 将が最後尾に居て采配を振るう通常の鋒矢(ほうし)の陣とは違って、先頭を切るのは将門自身である。陣を一本の矢と見ると、(やじり)の肩に相当する両脇には屈強な郎等を配し、射掛けながら進んで来る。
 将門の戦い振りはいつも、最初、射ながら疾駆し、近付くと(かたわら)の郎等に持たせた手斧に持ち替えて、それを振り回し相手を薙ぎ倒して行くと言うものだ。
 後に続く兵達は将門の勇ましい姿を目の前に見るだけで、その凄さに酔い痴れ、己も無敵となった心持となり、一体となって突進して来るのだ。

 鋒矢(ほうし)の陣に寄る鶴翼(かくよく)の陣に対する突撃は、いかに素早く突破するかに掛かっている。弱い所を突き破り、反転して後ろからまた襲い掛かる。そうすることに寄って、敵の陣形を崩し混乱を生じさせるのだ。しかし、第一の突破にもたつけば、すぐに包囲されてしまう。
『将門ひとりを倒せば良い。それに寄って兵達の暗示は解け、現実の恐怖に晒されることになる。そうなれば、多勢に無勢(ぶぜい)。あっと言う間に勝敗は決まる』 
 秀郷(ひでさと)はそう思っていた。

 将門の弓の勢いは強く、驚くほど正確に射込んで来る。対する秀郷陣営は、矢が風に吹き戻されて届かないばかりでなく、近付くに連れて、将門軍の馬の蹴上げる砂埃が目潰(めつぶ)しのように吹き付けてくる為、まともに目を開けていられない状態になってしまった。この事態になって、連合軍の陣に恐怖と動揺が走った。
「恐れるな。射よ! 射よ!」
 秀郷(ひでさと)は懸命に叫んだ。前軍の将達も同じように叫び続けている。このままでは中央を突破されると思った。
 しかし、逆風とは言え、将門は疾駆してどんどん近付いて来ているのだ。しかも、先頭を切って突っ込んで来る。射続ければ、突っ込まれる前に必ず当たる。大鎧(おおよろい)の上から何本かの矢を受けても致命傷にはならないが、勢いを殺すことは出来る。後は打ち合うのみだ。秀郷(ひでさと)はそう思っている。その時、
「ここは一旦、退()くべきでは」
 狼狽(うろた)えた様子で、藤原維幾(ふじわらのこれちか)秀郷(ひでさと)に言った。
(たわ)けたことを申されるな! 今退()けば総崩れじゃ!」 
 相手の身分も構わず、秀郷(ひでさと)は怒鳴った。
繁盛(しげもり)だけに任せてはおけん。麿も前に出る」
 その時、貞盛(さだもり)が申し出て来た。(おび)えてはいなかった。
 将門に負け続け『父の仇も討てぬ都かぶれの臆病者』との(そし)りを受けながら生き延びて来た。ここで逃げれば、もう永久に汚名を返上し名誉回復をすることは出来ないと思っていた。
 征東将軍の朝廷軍が到着して将門を討ってしまえば、一生臆病者と(あざけ)られて過すことになる。例えここで討死しても、それよりは、ましだと思っている。
「それでこそ、坂東平氏の嫡流(ちゃくりゅう)貞盛(さだもり)殿。行かれるが良い」
と、秀郷(ひでさと)は言った。

 二十人ほどの郎等を従えて、貞盛(さだもり)は、本陣から左翼に向けて駆け出して行く。
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