第32話 興世王失踪

文字数 6,474文字

 将門に謀叛の事実無しとの決定が成された日の夕刻、権中納言(ごんちゅうなごん)検非違使別当(けびいしのべっとう)を兼ねる次男の師輔(もろすけ)が忠平を訪ねていた。
「何か申したきこと有って参ったか?」
 居室で寛いでいた忠平が物憂気(ものうげ)に尋ねる。
「はい。(いささ)か申し上げたき儀が御座りまして」
「詮議のことか? 将門らに謀叛の意思など微塵も無かった。それは、常陸(ひたち)下総(しもうさ)下野(しもつけ)武蔵(むさし)上野(こうづけ)の国司らも認めておる。全て、あの小心者の経基(つねもと)の妄想じゃ。はっきりしておる。それがどうかしたと申すのか?」
 師輔(もろすけ)が、将門に肩入れすることに反対していることを、忠平は承知している。また、その事で何か言いに来たのかと思った。
「父上の御意向ゆえ、異議は挟まず決しましたが、少々()せぬところが御座ります」
 と師輔は静かに言った。
「何? 何が()せぬと申すのじゃ?」
「武蔵で起きたこと。己も疑われていることゆえ、武蔵権守(むさしのごんのかみ)がそう申し立てるのは当然として、なぜ、近隣四ヵ国の国司達まで将門に謀叛の意思は無かったと言い切っているのでしょう? 僅かの間にどう調べて、そう言い切れる程の自信を得たと言うのでしょうか?」
「国司達の添え状は信用出来ず、将門には謀叛の意思が有ったかも知れぬと?」
 忠平が師輔に問い返す。
「そうは申しません。ですが、父上のお力をしても、儘ならぬ坂東で、将門の依頼が有れば国司共が、慌ててその様なものを差し出すことが、少々気色(きしょく)悪うござりませぬか?」
 師輔(もろすけ)は鋭いところを突いて来た。忠平は、そんな師輔(もろすけ)を見て笑った。
「そのことか。国司共、恐らく将門を恐れているのであろう。じゃがな、物も人も使い様じゃ。都では役に立たぬと思っておったあの男が、坂東に帰り、水を得た魚のように勢いを付けおった。
 ならば、それを利用せぬ手は有るまい。将門をして面倒な坂東を治めさせれば良い。元々麿の従者(ずしゃ)だった男じゃ。伯父の良兼(よしかね)らを追って下野(しもつけ)に入った際も、くどくどと麿に言い訳の(ふみ)を送って来おった。
 あの男、麿を裏切るような真似はせぬ。と言うよりも、そんな策など練れぬ男じゃ。むしろ、適当な官職を与えてやれば、感激して励むであろう。今、それを考えているところじゃ」
 師輔(もろすけ)はが小さく頷く。
「父上のお考えとあらば異は唱えませぬが、いまひとつ気になることがございます」
「なんじや?」
「いま一人の当事者、興世王(おきよおう)と言う男のこと、ご存じでしょうか?」
 師輔が尋ねた。
「知らぬ。どのような男じゃ」
(はなは)だ評判が宜しく御座いませぬ。噂では御座いますが、盗賊と関わり合いが有るのではないかとの疑いも御座います」
 忠平の目が動き、師輔(もろすけ)(にら)んだ。
「その様な者、誰が推挙した!」
と忠平の鋭い言葉が響く。
 国司の補任(ぶにん)には、有力公卿(くぎょう)に寄る推挙が必要なのだ。盗賊と関わりが有るような者を、公卿(くぎょう)の中の誰が推挙したのか。忠平はそれを問題にしようとしている。
「証拠有ってのことでは御座りませぬ。申し上げましたように、今はまだ噂に過ぎませぬ。検非違使(けびいし)に探らせておるところで御座います」
 師輔はそう弁明した。
「したが、評判の悪い男ではあるのであろう。誰の推挙じゃ」 
 忠平は尚も拘っている。
「それは、余り追及されぬ方が……」
 と師輔(もろすけ)が困ったように答えた。
「藤原 ……それも、麿に近い者と言うことか?」
 察した忠平が尋ねる。
「だからと言うだけでは御座いませんが、その(あた)りを余り(つつ)きますと、推挙の制そのものが揺らぐことになります。公卿(くぎょう)達に取っては、それも貴重な実入りのひとつと成っておりますれば」
 荘園からの上がりばかりではなく、公卿(くぎょう)即ち上級貴族は、あらゆる事に関する利権を持っており、それが、(ぜい)を凝らした貴族の生活を支える為の収入になっている。つまり、違法でもなんでもなく、正々堂々と金品を受け取って官位を得る為の推薦をしているのだ。だから、その辺を余り(つつ)くと、貴族社会そのものが揺らいでしまうと師輔(もろすけ)は言っている。
「分かった ……じゃが、武蔵守に内定していた者が急死し、後の者がまだ決まっておらぬのであろう。おまけに(すけ)経基(つねもと)はあのような(さま)じゃ。興世王(おきよおう)ひとりに武蔵の(まつりごと)を任せて置くのは危うい。如何(いかが)するつもりか?」
と、忠平が師輔(もろすけ)に問うた。
「これから武蔵守を任じて、都から武蔵に赴任させるのでは、時が掛かり過ぎます。上総介(かずさのすけ)を努めおります百済王(くだらのこにきしの)貞連(さだつら)を、急遽、武蔵守に任じて任地に向かわせたいと思いますれば」
 師輔(もろすけ)がそう提案し、忠平も同意した。 

 承平(じょうへい)七年(九百三十七年)八月、下総(しもうさ)常陸(ひたち)国境(くにざかい)の子飼(小貝・蚕養(こかい))の渡しで、脚気(かっけ)を病んでいた将門を破り、豊田(とよだ)に侵入し火を放った際に、前上総介(さきのかずさのすけ)平良兼(たいらのよしかね)は、常羽(いくはの)御厨(みくりや)(神領)をも焼き払った。
 その件に付いて、将門が忠平に良兼(よしかね)の暴状を訴えた為、同年十二月、朝廷から良兼(よしかね)らの追捕の官符が発せられ、良兼はその地位を失い、百済王貞連(くだらのこにきしのさだつら)が後任の上総介(かずさのすけ)の職に就いていた。その貞連(さだつら)を武蔵守に転じさせ、武蔵に向かわせれば、速やかに対処出来ると言うことだ。
 混乱状態にあった上総(かずさ)を任されたと言うことは、貞連(さだつら)にはそれだけの力量と忠平の信頼が有ってのことだった(はず)だから、妙案に違いない。
「うむ。そう致せ。除目(じもく)を待つ必要は無い。その旨、()ぐにも貞連(さだつら)(しら)せよ。興世王(おきよおう)から武蔵の(まつりごと)を取り上げるのだ。興世王(おきよおう)は都に呼び戻して糾問致す」
 忠平はそう方針を決した。しかし、
「興世王の召喚と糾問に付いては暫しお待ち下さい」
師輔(もろすけ)が口を挟んだ。
「先程も申し上げました通り、まだ噂の段階で、なんら(あかし)となるものが有りません。五世とは言え王を名乗る者。それなりの(あかし)が必要です。
 検非違使(けびいし)を指揮して、武蔵権守の職を得る為に使った財貨の出所を含めて洗っているところで御座りますれば、いま少しのご猶予を。あの男を(まつりごと)に関わらせぬよう貞連(さだつら)には申し伝えて置きます」
「ならば、そう致せ」
と、忠平も了承した。
 五月十六日、坂東に関わる臨時の除目が行われ、百済王貞連(くだらのこにきしのさだつら)が正式に武蔵守に任じられた。その翌月には、前上総介(さきのかずさのすけ)平良兼(たいらのよしかね)が失意のうちに病没した。

 五月十六日の除目(じもく)百済王貞連(くだらのこにきしのさだつら)が武蔵守に任じられたが、その翌々日の十八日には、早くも貞連(さだつら)は武蔵の国府にその姿を現していた。
 事前に忠平からの内示が有り、正式決定後速やかに赴任するよう指示されていたのだ。

 驚いたのは興世王(おきよおう)である。しかし、貞連(さだつら)は、何故か正式な書類を持参していた。除目(じもく)を経て武蔵守に任じる旨の書類が届くまでの日数が早すぎるではないかと、興世王(おきよおう)は思ったのだが、現物が有る以上仕方が無い。官人(つかさびと)達を集め、貞連(さだつら)上座(かみざ)に据えて挨拶の儀を行った。
 ひと通りの挨拶が済み、興世王(おきよおう)下座(しまざ)から、貞連(さだつら)の横に席を移そうとすると、
興世王(おきよおう)殿、その場で良い。そこに()られよ」
貞連(さだつら)に制せられた。興世王(おきよおう)とすれば、着任の挨拶に付いては礼として下座(しもざ)に控えたが、部下の(すけ)(じょう)では無い。権官(ごんかん)とは言え、同じ武蔵守を拝する者。補佐的立場に()るのだから、横に並ばずとも斜めに控えて官人(つかさびと)達と対面するように座すのが筋だろうと思った。腹が立ったが、損得の計算は出来る男だ。
『ものを知らぬ男だが、後でゆっくりと()いてやれば良い』と自分を抑え、怒りを飲み込んだ。
(うたげ)の支度を致せ」
 振り向いてそう命じた。
 ところが、 
(うたげ)は後日で良い。全ての文書(もんじょ)をこれに持て、少しも早くこの武蔵のことを知るのが先じゃ」
貞連(さだつら)に制されてしまった。
 一旦、全ての者を持ち場に返し、交代で文書(もんじょ)を持参させた上で細かい所まで問い詰めて行く。そして、退庁の時刻を過ぎても、貞連(さだつら)は一向にやめようとしないのだ。
 それぞれの担当の者は代わる代わるでも、興世王(おきよおう)はずっと同席させられており、貞連(さだつら)の下問に担当の者が少しでも口籠(くちごも)ると、
興世王(おきよおう)殿。これはどういうことか?」
と問い詰めて来る。突かれたく無い所も幾つか有ったが、何とか言い逃れ出来たと、興世王(おきよおう)思っていた。
 興世王(おきよおう)という男、こんな時の言い訳はすらすらと出て来る性質(たち)なのだ。だが、さすがに疲れて来た。
長官(こうのとの)、退庁の時刻を過ぎておりますれば、後は明日にでも」
貞連(さだつら)に言って置いて、
「もう良い。下がって下庁するが良い」
と勝手に担当の者達を帰してしまった。貞連(さだつら)は黙ってその様子を見ていた。
「いやー。貞連(さだつら)殿のような有能な国守(くにのかみ)をお迎え出来て、この武蔵も安泰で御座います。その上、お役目熱心なのには感服仕った。しかしながら…… 下の者を(いた)わってやることも、国司として大事な努めと存じます。退庁の時刻は決められたもので御座います。仕事熱心なのは結構ですが、時刻を守らなければ不満が溜ります。不満を持てば、仕事が(はかど)りません。その辺をお分かり頂ければ、なお一層、名国守と成られるに違い有りませぬな」
 勝手に官人(つかさびと)たちを返してしまい、貞連(さだつら)を褒め殺しにして取り込んでしまおうとでもしたのか。饒舌に興世王は、心理的な立場の逆転を試みたのだ。貞連(さだつら)興世王(おきよおう)に鋭い視線を送った。
「麿に意見をしようと言うのか? 麿から見て一番お疲れなのは権守(ごんのかみ)殿と見える。遠慮は要らぬ、明日は休まれよ」
 貞連(さだつら)は、ゆっくりとした調子でそう言った。思わぬ切り返しに、興世王(おきよおう)は内心ギクリとした。
「何の……。麿は疲れてなどはおりませぬぞ。僭越ながら申し上げたかったのは、下の者の気持ちを(おもんばか)ってやることも必要と……」
 そう反論しようとする。
「ご意見承った。じゃが、麿の目から見て、(みこと)は明らかに疲れておる。(しばら)く休まれよ。これは、正任(しょうにん)の武蔵守としての(めい)じゃ。宜しいな」
 そう詰められて興世王(おきよおう)は、(はか)られたと悟った。
『嫌な奴には違い無いが、これは、貞連(さだつら)個人の考えでやっていることでは無い。恐らくは上の方の指示に基づいてやっていることだろう』
 そう思い至った。
『あ奴だ』
 そう思った。他でも無い、推問使(すいたいし)多治助真(たじのすけざね)である。
 何気無く立ち寄った振りをし、且つ、疑っていないと思わせ、その間に足立郡(あだちごおり)に人をやり、武芝(たけしば)との一件の経緯(いきさつ)を探らせていたに違い無いと思った。
『狙いは将門では無く自分だったのだ。しかし、あの程度のことをやる国司は腐るほど居る。何故狙われたのか分からない。調べるにしても、普通なら都へ召喚して取り調べる(はず)。なのに、何故こそこそと調べ、回りくどいやり方をして来るのか』
 そして気付いた。それは、興世王が貢物(みつぎもの)を贈り、猟官運動をした相手が、他ならぬ忠平の兄・仲平だからである。取り調べて、その名を表に出したく無いのだ。
 忠平は、経基(つねもと)の訴えの内、『謀叛』に付いては初めから信用していなかった。だから、そのことで将門を都に呼び付けたりはしていない。形だけ推問使(すいたいし)を派遣したに過ぎない。ただ、武芝(たけしば)との()め事に付いては関心を持った。だが、調べてみると、興世王(おきよおう)を推挙したのが、他ならぬ兄の左大臣・仲平(なかひら)であることが判明した。そこで、表沙汰にせずに自分を除くことを考えたのだろう』
 興世王(おきよおう)はそう考えた。
 仲平(なかひら)興世王(おきよおう)と面識が有る訳では無い。興世王(おきよおう)は、(つて)を頼って仲平の家司(けいし)に貢物を贈ったに過ぎない。だが、取り調べるとなると、仲平の名が、推挙者として出て来ることになる。忠平はそれを避けたかったのだ。

 出仕をとめられた四日目に、興世王(おきよおう)は強引に登庁した。だが、官人(つかさびと)達は、挨拶はするものの、よそよそしい。
 国守(くにのかみ)である貞連(さだつら)は『なぜ許しも無く登庁した』と言っては来なかったが、まるで興世王(おきよおう)が見えていないかのように振る舞っている。

 休職を命じられてから七日目、興世王(おきよおう)国司舘(こくしやかた)を抜け出した。

 五月の下旬。心地良い五月(さつき)の風に吹かれ、(えん)に立って小次郎が外の景色を眺めていると、郎等の一人が少し慌てた様子で近寄って来た。
「表に興世王(おきよおう)様が見えております」
 武蔵に同行した郎等達は興世王(おきよおう)の顔を知っている。
武蔵権守(むさしのごんのかみ)興世王(おきよおう)様か?」
 余りの意外さに、小次郎が(いぶか)しげに尋ねた。
「はい」
「何ぞ、前触(さきぶ)れは有ったのか?」
と、小次郎は当然の事を聞いた。
「いえ、聞いておりません。…… おひとりで突然のお越しです。供の者さえ連れておりません」
「さて、面妖(めんよう)なことじゃな。……」と思ったが、「ま、良い。お通し致せ」と命じた。
「はっ」
と返事して郎等が下がると、間も無く興世王(おきよおう)が現れた。衣服の(ほこり)は表で払ったのであろうが、顔が(すす)けている。
「おお、将門殿、その節は、いたく世話になり申した。あの(たわ)けの経基(つねもと)のせいで、ご面倒をお掛けし、ほんに申し訳無きことを致した」
 愛想良く、そんな事を言いながら、興世王(おきよおう)は入って来た。
「何の、あれしきのこと。朝廷にも認めて頂きましたゆえ、気にはしておりません。ささ、そちらへ」
 調停に際しては威圧的に接したが、今は、従五位下(じゅごいのげ)・武蔵権守としての扱いをし、上座を勧める。
(かたじけな)い。では、失礼致す」
 そう言って、興世王(おきよおう)は上座に着いた。
「これ、興世王様に白湯(さゆ)などお持ちせよ」
 小次郎が郎等に命ずる。運ばれて来た白湯(さゆ)を待ち兼ねたように(すす)ると、興世王(おきよおう)は、
「うん、美味(びみ)じゃ。下総(しもうさ)の水は美味であるな。水が良いと言うことは、そこに住まう者の心根(こころね)の清らかさとも通じるものが有るのかな。麿にはそう思える」
と、取って付けたような世辞を言った。
「時に、如何(いかが)したことで御座いますか、此度(こたび)の急なご来訪は …… 」
 小次郎が、そう聞いた。
「うん? いや何、一度訪れて見たかったのよ。将門殿の(やかた)をな ……」
 何やら白々しい言い訳のように、小次郎は感じた。
「それにしても、供も連れずおひとりで、かようなところまでお出ましとは」
「うん ……。実はこの(たび)正任(しょうにん)の武蔵守として赴任して来た百済王(くだらのこにきし)貞連(さだつら)という男。実に嫌な男でな ……」
 興世王(おきよおう)か本音を語り始めた。
百済王貞連(くだらのこにきしのさだつら)と言えば、確か、伯父・良兼(よしかね)の後を受けて上総介(かずさのすけ)を努めていた男で御座いますな」
「ご存じか?」
興世王(おきよおう)が反応した。
「いえ、会ったことは御座いません」
と、小次郎が返事する。
「色々有って、我慢はしておったのだが、つくづく嫌になってしもうてな。急に(みこと)に会いとうなった」
 烏帽子(えぼし)結紐(ゆいひも)を指でいじりながら、興世王(おきよおう)は言った。
「それは光栄で御座いますが、大丈夫で御座いますか? こんなことをして」
 当然の疑問である。
 興世王(おきよおう)は、少し口を曲げて考えるような仕種(しぐさ)をした。
「もう良いわ。…… 国司などと言うつまらぬ職に未練は無い。退任願いを都にへ送ろうかと思う」
()ねた(わらべ)のような事をいいだした。
「一時のお腹立ちでそのようなことをすれば、後で後悔されるのでは? (しば)しお考えに成ってから決められるが宜しいかと」 
 結構、面倒そうな男だなと思いながら、小次郎がそう言った。
「…… それもそうじゃな。のう将門殿、麿を暫くここに置いてはくれぬか?」
 小次郎は驚いた。興世王(おきよおう)は現職の武蔵権守(むさしのごんのかみ)なのだから、仕事もせず、将門のところへ居候(いそうろう)するなど、凡そ考えられない事である。
「はっ?」
と、思わず口を突いて言葉が出た。
「いや、あの貞連(さだつら)が近くに()るかと思うと腹が立って、武蔵におっては落ち着いて考えることもできぬのじゃ。それに比べ、ここならば、(みこと)と言う良き相談相手もおるしのう。迷惑で無ければ、(しばら)く居させてはくれぬか」
 それは小次郎に取っては留めの一言となる。迷惑で無ければなどと下手に出られると断れないのが、小次郎と言う人間なのだ。正直、面倒なことに成るのではないかとは思ったのだが、
『迷惑でなければ……』
と言われては断れない。
 こうして、武蔵を出奔した興世王は、強引に将門の居候(いそうろう)になってしまった。

 興世王(おきよおう)が失踪したことは、早馬を(もっ)貞連(さだつら)から師輔(もろすけ)に報された。
 そして後日、将門の(やかた)に逗留しているという噂も入って来る。

 落ち着いて考えたいとの理由で将門の(やかた)に逗留したはずの興世王(おきよおう)だったが、そんなことは忘れてしまったかのように、将門の(やかた)で、毎日、機嫌良く過ごしている。
 偉振(えらぶ)るでも無く郎等達にも気さくに話し掛け、ひと月もすると、すっかり将門一門に溶け込んでしまった。

 一方、仮にも一国の權守(ごんのかみ)が失踪したと言うのに、武蔵の国府が興世王(おきよおう)を探しているという様子は全く無く、噂が流れているはずなのに、将門の(もと)への問い合わせも無かった。
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