第26話 ヴィッキー・スー(徐慧) 中華街のハッカー トップレス八極拳

文字数 3,744文字



二〇二五年四月二十五日 金曜日夜十時

 間接照明の薄暗い部屋の壁面に、モニターがずらりと並んでいる。
 リビングルームに二寝室、キッチン、バスルームの間取り。観葉植物のアレカヤシ、白壁にはNFTアートの新星による、浮世絵とNYの都市がマッシュアップされた巨大なファインアートのリトグラフがデカデカと飾られている。もう一つのリトグラフは、タイルモザイクのダ・ヴィンチ原作「モナ・リザ」。
 北欧家具の椅子に、部屋の主の姿はなく、大小五台あるモニターの画面に映し出されたグラフや地図、グラフィックが、青白い光で部屋を照らしている。
 ハッキング目標は、ロウワーマンハッタンの最南端に建つマンハッタンホーンだ。
 ハッキングをAIプログラム、スパイラルドッグ・シーケンサーに自動で任せた部屋の主は今、シャワールームにいた。アヴァロン・オーガニスクス・シャンプー、さらにコンディショナーで、ショートヘアの黒髪を洗う。すぐにザッと湯で流した。
 ボーイッシュでスレンダーな若々しい身体。スベスベのきめ細かな白い肌、丸く膨らんだ胸、引き締まった平らな腹部、スラリと長い手足。
 ピタッと、シャワーを止める。ゆっくりと、戸の方へ顔を向け、耳をそばだてる。水音に、何か別の音が混ざっている。――部屋の中からだ。コンピュータ音ではなかった。
 カタ……。
 また音がした。部屋に人の気配がする。
 ヴィッキー・スーは脱衣所の籠の下から、黒光りする銃・S&W M&P9シールドを、そっと手に収めた。服をさらおうとして……ホットパンツしかない!
(しまった……)
 いつものクセで上着とブラは部屋に脱ぎ捨てて、着替えも脱衣所に置いていなかった。
 コツコツと二人組の足音が、部屋の中で響いている。革靴……足音から歩幅を推測するに、二人とも百八十センチを優に超える。スーツ姿の男たちだ。
 スーは左手は手ブラで胸元を押さえ、右手に銃を構えて、明かりを消してゆっくり戸を開け……猫のように素早く移動する。うまく切り抜けた。やはりMIBだな……彼らの後ろ姿を目視して、脱出しようとスーは玄関へ向かった。
 ドガッシャン。
 一斉に窓という窓が破られ、玄関からも特殊部隊がドアを蹴破って侵入してきた。数は七~八人。NYPDのスワット、ESU(緊急出動部隊)だ。
 スーは、右手に銃を構え、左手で胸を押さえた手ブラのままで、ガガガンと三発撃った。相手がひるんだ隙に玄関の靴をひっかけると、背後に追ってきたMIBと、目前に近づいてきた特殊部隊に肘撃ちを喰らわす。大柄の隊員が、ドミノ倒しで倒れた。猫のような姿勢で、ドアをすり抜け、スーは廊下へと駆け出した。相変わらず手ブラのままに――。
 ヴィッキー・スーは、赤と白のストライプのレンガ造りの五階建てアパートに住んでいる。外はパトカーと特殊装甲車両で埋め尽くされていた。いつの間に、こんなに。シャワーのせいで、外の異変に気づかなかったなんて。
 パトカーの上をハイジャンプして三メートル近く飛び、非常線を突破すると、素早く中華街を走り抜けていく。
 トップレスの若い女に、通行人たちはギョッとし、一歩二歩と身を引いた。その間隙を縫うように、スーは走る。後ろから猛烈に撃ってくる。スーは狭い裏路地に走り込むと、一対一に持ち込んで倒す。武装した大男たちは、不思議と吹っ飛ばされていった。
 路地を抜けると、前方に警察車両が五台現れ、待ち伏せされた。スーはとっさに横のアパートを見上げた。剽悍な動きで、非常階段をカンカンカン!と駆け上がる。屋上へ出ると、無音のブラックヘリが浮かんでいた。上からロープを伝って、特殊部隊がスルスルと降りてくる。計十人だ。スーは銃弾を撃ち尽くし、十人に取り囲まれた。相手は、じわじわと包囲を狭めてくる。
「ハッカー『モナ・リザ』ことヴィッキー・スー(徐慧)だな、お前を不正ハッキング容疑で逮捕する!!」
 若い、濡れた黒髪のトップレスの若い東洋女性をゴーグル越しに見つめ、隊員たちは目くばせして、ニヤリとする。銃を構えて、手ぶらのヴィッキーに慎重に近づいていく。
(しゃくだわね……)
「両手を上げろッ!!」
「――上着くらい着させてくれる? でないと手を上げられない」
 スーはニコッとして、小首をかしげ、手ブラの左手を少し持ち上げる――フリをした。
「分かった。だがここにはない。おとなしくしてろよ。おかしな行動をしたら直ちに撃つ……」
 右から三人、左から二人の隊員が一斉に飛び掛かった。
 スーは俊敏な肘撃ちで、ドドドドッと右から順に倒していった。大きなバストが左右にプルンプルン揺れて、もはや、手ブラでもなんでもないが。
 地面を蹴ったエネルギーを肘撃ちに集めて、全力で体当たりした。アーマー装甲をつけた状態で撃たれた相手は内臓を破壊され、大男がフッ飛んでいった。
 肘だけで相手を打倒する――それは、超近接戦闘を得意とする「八極拳」と呼ばれる中国武術だった。「中国拳法最強」とうたわれる李書文(りしょぶん)が伝えた暗殺拳。李書文は小柄だったが、“技術”で力を圧倒する。肘撃ち、近接での体当たりや突き、頭突きの近接短打だ。八極拳は人が死ぬため、武道・格闘大会に出たことが一度もない。そして台湾のSPは、全員八極拳が使えるとも云われている。
 スーは足をドシンと踏み込んで、急激な重心移動を肘に集中させる。「震脚」である。踏み込みで、コンクリートがボロボロになる。すべて、一撃のみで倒す。そうしてスーが肘撃ちすると、屈強な大男が十メートル以上吹っ飛んだ。ボディアーマーの上から内臓にダメージを受けた武装スワットたちは、次々転がった。
「チクショー!! 見せたくないのに!!」
 トップレス八極拳で、細身のEカップをブンブンふりまわしながら――暗いのでまだ助かるけど――。一刻も早く屋上から降りないと、敵がここにどんどん上がってくる。
 次第に、特殊部隊の隊員たちの顔に驚愕の二文字が浮かんだ。相手は素手の細身の女性なのに、武装警官が束になって掛かって逮捕できないなんて!? 一瞬、特殊部隊がひるんだ隙に、ヴィッキーは倒した相手が落した銃を素早く掴むと、面先に突きつけながら移動し、ヒョイッと階段を駆け下りた。狭いビル間に走り込む。
 モットストリートに出て、スーは手ブラで中国系の住民たちの中に紛れた。肉や魚、漢方薬やタピオカの屋台など、夜中でもストリートには食べ物が売っている。
 今度は警官隊に囲まれた。トップレスの若い中国女だと思って警棒を握って近づいてくる。彼らはスーが特殊部隊を倒したことを知らない。NYPDの警棒はトンファーの先端が伸縮自在で、最大一メートル二十センチまで伸びる。またはマグライトで強烈な光で相手をひるませ、長さ八十センチあるライトで殴る。いずれもNYPDの警官の威圧的なシンボルとして市民から恐れられている。
 プルプル、バチバチ、ズダン!
 わずか十秒で四方の敵をスーが八極拳で打倒すると、周囲に拍手が起こった。フト、我に返る。
「いっいやっ……恥ずかしいっ」
 街灯の真下ぢゃないか! 追手が集まる中、スーは屋根の上まで登ったように見せかけ、元来たアジトの方向へと走り抜けた。
「フゥ……見えちゃったじゃないのッ!」
 洗濯物のTシャツを盗み、着る。すばやくホットパンツのポケットからスマホを取り出して起動する。自動運転バイクを呼び出すと、転がるようにして飛び乗った。エンジンをかけ、急発進――。
「今日は命拾いした。白服がいなくて、ホント、ラッキーだッ! ヤツら、忙しいんだな? だからNYPDの手下共にやらせたんだ……」
 NYPDの特殊部隊相手なら、ハッカーのヴィッキーでも倒せた。
 赤いバイクを運転しながらスマホで、スーはアジトを爆破した。ドワン!! 中に居た特殊部隊が何人か爆破に巻き込まれただろう。同時に、SWATの車両も撃ち、爆破する。スーは自身の研究室を爆破し、資料を奪われることを防いだのだった。
「リトグラフ焼けちゃった。またプリントアウトし直さなくちゃ、面倒だな。ン……?」
 ヴィッキーはスマホに、記者のエスメラルダから連絡が来たことに気づいた。

     *

「お前たちができると言ったからだ!! ……モナ・リザ逮捕を任せたのに何てザマだ!! この大間抜けがッ!!」
 ギャラガー市長は面罵した。
 ヴィッキー・スー逮捕に特殊部隊が向かったのは、NYPD内で論争が起こり、ハンター署長がギャラガー市長に直訴したからである。
「……申し訳ありません」
 ハンターは、しおらしく頭を下げた。
「なぜスクランブラーに任せなかったんだ? ロック市長だって彼らだから殺せたようなものだぞ!」
「それは、特殊部隊に任せたのは、女一人、確保できると確信していたからです――」
「もういい、今後一切、テロ犯狩りはすべてスクランブラーに任せる! NYPDの異論は聞かん」
 ハンター署長としては、スクランブラーのナンバー2のレナードだって、エイジャックス・ブレイクを捕まえられてないではないかと抗弁したかったが、そんなことを言って、NYの恐怖の象徴・“白服”を敵に回すことは絶対に避けたい。結局黙るほかになかった。
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