第1話 タイムズスクエア・クライシス 世界の交差点で

文字数 6,306文字



二〇二五年六月十一日 水曜日 夜八時

 NY解放への道――
 道は暗く、はるか先まで続いている。
 その先に光があるかどうかは、まだ何も見えない。
 光が差さないまま、真っ暗闇の中で、迷子になるかもしれない。
 けれど、もう後戻りはできない。
 このまま此処で、小さな安寧を必死で守って留まろうとも、
 いずれ、どこもかしこも闇に包まれる運命だ……

 …………

 「声」がする。

 闇の中から声が響く、
 苦悩に満ちた声が。

 大勢の声が――。

 ニューヨーカーの声なき声が、
 闇の中で耳元に、響き渡っていく。
 周りの人には聞こえていない。
 自分だけに聞こえる、
 助けを求める、魂の声が。
 みんなのために、
 前に進まなきゃ――
 私が立ち上がらなければ。

 ――走れ!
 走れ!
 ひたすら走れっ!

 ハングオン!

 闇のトンネルをバイクで駆け抜ける。
 声なき声は、やがて大声援となって、
 暗黒のロートリックス・シティに、
 無限にこだましていった。

 これからやるわ、
 観ててねパパ……
 私、戦うから……
 みんなのために、偽りのマンハッタンホーンを
 登攀(とうはん)する。
 そして、本当のオルレアンNYを解放する。
 命燃え尽きるまで、勝利を奪い取るその時まで。

 だから
 パパ……笑って観ててね。

 そしたら私――、
 頑張れるから!!

 ドドドドドドオオオオ――――――……ッッ……

「フォーメーションA!! まだ間に合う! 私がPMFで突破するからそれまで持ちこたえて!」
「マック隊急いで! シティへ集合! マドックス救出を手伝って!」
 ハリエットは、光十字のレイピアをかざして、戦闘バイクで疾走する。

 間に合って……今行くから……マドックス将軍……
 私がこの町を救うの。
 父に代わって……
 ロートリックス帝国財団の魔手から、
 NYを……取り返す!

二〇二五年三月五日 水曜日 十二時十分

 雨雲が去って、陽の光がリバティ島の自由の女神に差してきた。
 十六になったばかりのハリエット・ヴァレリアンは、リバティ島の自由の女神像の真下に立って、両手を合わせて祈る。赤いリボンシュシュでまとめた、腰まで達する長い金髪のポニーテールが風でもてあそばれる。ジーンズに赤いライダーブーツ、上はアプリコットホワイトでシースルーの、ローゲージのニットのロングカーディガン。腕の所が少しポンチョ風に広がっている。白のホットパンツに、ショートブーツ。アメリカの学生は男女ともカジュアルで動きやすい格好を好むが、ハリエットは友人が選んだ古着を好んで着ていた。
 ワールドトレードセンター街の青々とした摩天楼群がキラキラと陽を反射して輝く。遠くにブルックリン橋が見えている。
 腕にしたサーモンピンクの時計を見ると、一時四十分を回っていた。
 ハリエットはフェリーでロウワーマンハッタンへ上陸すると、漆黒のカワサキのバイクGPZ1100にまたがって、ダウンタウンのバッテリーパークからスミソニアン博物館、NY証券取引所、トリニティ教会、レッドキューブ、ワールドトレードセンター、市庁舎を通過していった。
 バイクでブロードウェイを北上、古い茶色い建物が、左右に立ち並ぶミッドタウンへ。イエローキャブが縦列渋滞し、配達自転車。信号、渋滞。車の間をバイクですり抜ける。
 南北を走るアベニューは信号だらけで、道幅三十メートル。左右に国旗がはためく歩道に、歩行者がひしめく。みんな忙しそうに、濡れた路上を往来していた。
 ハティは、人だかりができているタイムズスクエアへ駆け付けた。タイムズスクエア前で検問しているパトカーの車列の手前で、ハリエットはバイクを降りた。NYPD騎馬隊も警備に当たっている。
 TスクエアのY字路前のワン・タイムズスクエアの巨大ディスプレイ前には演台が設けられ、歩行者天国エリアは聴衆で埋め尽くされている。
 演台の上に、四十代半ばの紺のスーツ姿のロック・ヴァレリアン市長が副市長や秘書官、SPたちに囲まれて群衆を見渡していた。ロックは、神妙な顔つきで遠くを見つめていたが、ハリエットに気づくと顔をほころばせた。
 間に合った! 父が演説を始める時間に。

午後一時


 白鳩の群れが三十羽あまり、NYタイムズスクエアの摩天楼の渓谷を旋回して飛んでいた。ハリエットが見上げていると、四方の高層ビルがグングン圧迫感を持って迫ってくる。
 世界の交差点といわれるスクランブル交差点、タイムズスクエアは、ミッドタウンの42丁目と7番街、ブロードウェイの交差点である。周囲には各劇場が集まり、巨大液晶ディスプレイが所狭しと設置され、先ほどからコカ・コーラの広告を表示していた。
 近年まで風俗店が集まる危険地帯だったが、それらは一掃され、世界的な観光地として有名である。南側はオフィス街で、高層ビルが立ち並ぶ。中でもひときわ巨大な、ロートリックス・シティのメトロポリスタワーが突き出て観えていた。黄金職に輝く摩天楼は、頂点にまるで蓮の花が開いたような王冠を載せている。
 この交差点におよそ、三千人の聴衆が集まっていた。毎年年末のカウントダウンと同じくらいの人込みだ。
 NY市長ロック・ヴァレリアンが四十六歳の誕生日から数日経った今日、再選を目指しての演説を行う。
 ハリエット・ヴァレリアンは舞台の袖で、白髪交じりの父の姿を見上げていた。わずか十六歳でハーバード大に在籍する、市長の一人娘には、久々のNYだった。
 市長の隣にはアラン・ダンティカNY州知事、エレクトラ社社長にしてNY市特別顧問アーネスト・ハウエル、巨漢のヘンリー・マドックス州軍陸将、そしてNYPD(ニューヨーク市警)Tスクエア分署のハンター署長が並んで立つ。
 原稿を手に、ロックは演説を始めた。
「近年多発しているNYでの連続誘拐事件は、深刻な状況に陥っています。NYばかりではありません。不可解な行方不明者の問題は、全米に広がっています。さて……奇妙なことですが、この場で次の問題にも触れない訳にはいきません。NYでこのところ、UFOが多数目撃情報されているのです。この二つには関連があります。つまり……宇宙人によるアブダクションの可能性です。多くの証言が語られています。これまでは人口がまばらな地方での誘拐が多かったのですが、このところはこのNYで増えているのです。NY市長として、アブダクション、宇宙人による市民の連れ去りが無視できない状況になったと考えています」
 聴衆がざわつき始め、ハティも困惑した。これは選挙演説のはずだった。ところが市長の話は初っ端から奇妙な方向へと突っ走っていった。
「人類の幼年期が終わり、新たな時代に入ろうとしています。我々地球人は決して孤独な存在でなく、高度な文明を持った知的生命体が、宇宙中の星々に広がっているのです。そして彼らは過去から未来から、この現在の地球へやってきています。UFOは宇宙船であると同時に、タイムマシンでもあるのです。アメリカ軍は一九四七年にニューメキシコの砂漠でUFOを回収し、宇宙人三体を回収しました。終戦直後に起こったこのロズウェル事件を皮切りに、ローガン・マッキンダー大統領の時代に、アメリカ政府は宇宙人と秘密裏にコンタクトを行いました」
 ロックはゆっくりとページをめくった。
「政府は宇宙人を秘密にし、宇宙人から技術提供を受けると同時に、牛や国民の誘拐を許可しました。そのことを、これまでワシントンDCは否定してきました。ですが、宇宙人とアメリカ政府との間で結ばれた密約は、事実であり、その内容は、不平等条約というべきものです。この陰謀を実現するために、大統領をもコントロールするグループが存在するのです――」
 聴衆は沈黙して耳を傾ける。いったい市長が何を言おうとしているのか、この演説はどこへ向かおうとしているのか。受け入れるにせよ、拒否するにせよ、まずはそれを確認せねばならないからだ。
「政府もすべてを把握してはいません。彼らの正体は一致団結して、はるか以前からこの国に根付いています。恐るべきことに、アメリカ建国からその支配構造は変わっておりません。我が国の、負の遺産といえる権力の正体を明かし、自由と民主主義に形作られたこの国を愛する真の愛国者として、私は軍産複合体の罪を告発し、彼らが守ろうとしている秘密の全てを白日の下にさらしたいと思います」
 白い鳩が地上に降りて、アスファルトをつついていた。
 演説は核心的な部分に差し掛かった。ロックは眼光鋭く、さらにパラッとページをめくった。

 ドギュオオオォ……―― オオオ……ンン……ン……

 一時十五分ごろ、マンハッタンの摩天楼の渓谷に、一発の銃声がこだました。
 その直後、カキィイインと甲高い音が鳴り響いて、ロック市長は崩れ落ちた。原稿は両手を離れ、アスファルトの濡れた路上にバラまかれていった。
 いっせいに群衆が頭を下げ、白い鳩の群れがパッと飛び立った。
 十数人のSPがバタバタッと人の壁を作って市長を取り囲み、一斉に盾を広げたので、市長の姿が見えなくなった。警官たちが散開し、周囲を警戒する。
 ハリエットの白っぽい金髪のロング・ポニーテールがブワッと乱れた。
「パ……、パパ……パパ……!」
 ハリエットは両眼を大きく見開いて、ロック市長の身体を支えて立ちはだかる、十数人の大柄なSPたち、警官隊を見つめて凍り付く。衝撃で一瞬周囲の音が消え、景色がスローモーションに見えた。一瞬で、液晶画面のコカ・コーラが、Guara―Gala(ガラ・ガーラ)という清涼飲料水の広告に変わっていた。聞いたこともない、新商品なのかどうかは知らない。
 頭がグラッとして、めまいがハティを襲った。SPは、散った原稿を素早く回収している様が、スローモーションのように見えている。
(一体、いったい彼らは何を――、こんな時に!?)
 時間感覚が元に戻り、ハリエットは、崩れ落ちた父を見つめながら、一斉に飛び上がった白い鳩の群れを目で追うと、そのまま四方のビルのあちこちを見上げた。次の瞬間、二発目の銃声がビルにこだました。

 バァアアアアアッ……ギャォオオオオンンン……、、、、

 今度は斜め後ろに立っていた人物が崩れ落ちた。倒れたのは副市長――のハンス・ギャラガーだ。テカテカの七三分けの黒髪が乱れ、ドッと膝を屈した。ハリエットの碧眼はひたすら白い鳩を追った。四方の摩天楼にこだましているが、音がした方向は地上ではなかった。
 ハリエットは振り返った。およそ一・五キロ先の黄金の冠を抱いた、メトロポリスタワーの展望台の窓が開いていて、キラッとレンズの光が一瞬視え、ライフルの銃身のような細いモノがすぐにスッと消えた。
「あそこっ!」
 ハリエットは指さしたが、間近の警官に手を引っ張られ、肩を押されて地面に伏せた。周囲は阿鼻叫喚の怒号と悲鳴の洪水に変わった。
 犯人はビルの谷間のほんの隙間から狙い、風もあった。音源を特定することは困難だったが、ハリエットの碧眼は確かに目撃した。そう、鳩が飛び上がったからだ。
「スナイパーだ!」
 ハリエットの声は、再び周囲の悲鳴と怒声にかき消された。
 警官隊が群衆を強制的にTスクエアから避難誘導し、近くで事前に待機していた救急車が駆けつけ、タイムズスクエアは騒然となった。ハリエットの主張する声はあっさりかき消される。四方八方、人々がありとあらゆるベクトルに走り回り、恐慌状態に陥っている。ハリエットは何度か指で上を指して主張したが、警官の怒号には勝てなかった。ハリエットは群衆に飲み込まれていった。もう父の下へ駆け寄ることはできない。
「――わ、私は大丈夫だ!」
 ギャラガー副市長が壇上で脂汗を流しながら、必死の形相で叫んでいるのが見えた。その姿を、ハリエットは怪訝な顔つきで眺めた。抑えている右腕から血が滴る。ギャラガーはフラッと立ち上がると、数人のSPと救急隊に支えられて、ストレッチャーに載せられ、ロック市長の次に、流れるように救急車の中に運ばれていく。
 SP隊は早々に撤収し、路上に散らばった演説原稿は一つもなくなっている。
 背後で悲鳴があがって振り返ると、群衆の中から唐突に黒い影が飛び出していった。グレーの上着を着た、背の高い中年の男だった。手に光るものを握っている。銃だ。警官たちが叫び声を上げ、男の後を二人の警官が追っていった。
「ライアン! ――ライアン・レオンッッ」
 がっしりした体躯の、レオンと呼ばれた刑事が男にタックルを仕掛けるも、相手は体をひねり、近くにあったゴミ箱を放り投げた。足にゴミ箱が当たって、レオンはスッ転んだ。
「エイジャックスッ!」
 ずっこけたレオン刑事は、後ろから追ってきた長髪の刑事に追跡を任せ、自分も立ち上がって、後を追い、ストリートに入った。

 ボサボサの長い黒髪に、顎ひげを蓄えたエイジャックス刑事は、銃を構えてTスクエアの裏に逃げた男を追いかける。パニックと化した、人込みの中をかき分けるようにして「ドケッ、どいてくれッ!!」と叫び、銃を二発撃った。
 男は量販店に駆け込んで、通用口からトイレに入り、エイジャックス刑事は追いかけていく。そこから裏路地に出たとたん、男は振り返ると、猛反撃で銃撃した。エイジャックスが身を屈めると、男は左右からの車を避けながら、無理やり道を渡った。
 エイジャックスは道路越しに相手と撃ち合いとなり、追いついてきたライアン・レオンも銃撃戦に参加した。
 男は待機した車に乗って逃げようとし、エイジャックスが銃撃して車の後部座席のガラスが崩れ、荷台が爆発した。男は転がり落ちるようにして、路上に倒れ込んだ。車は、ボンネットから火を噴きながら走り去っていった。起き上がった男はエイジャックス刑事と乱闘になりかけるも、すぐに取り押さえられた。

一時二十分

 銃撃から数分経過し、タイムズスクエアに、犯人の男を取り押さえたエイジャックス刑事が戻ってきた。ハリエットが観たところ、その犯人はNYのビジネスマンと見まごう品の良いスーツを着ていた。この男が……犯人、なのだろうか? 違和感を覚えながら見ていると、刑事たちは犯人をパトカーの中に押し込んだ。
 タイムズスクエアを数十台のパトカーが埋め尽くし、聴衆の悲鳴や怒声が続く中、父が倒れた演台から救急車へとハリエットは駆け寄ったが、大柄な警官隊に取り囲まれた。救急車は応急処置を済ませると、動き出した。
「ま、待ってェ!」
 ハリエットはエイジャックスに叫んだ。
「君はこの場を離れるんだッ!」
 振りむいたエイジャックス刑事はハリエットの前にパッと手をかざすと、鋭い視線で周囲を一瞥し、自分も一緒にパトカーに乗り込んだ。後部座席に押し込まれた犯人は沈黙している。曇りガラスに阻まれて、顔はよく見えない。
 父は――? 犯人は――? 上にスナイパーが……、さっき観た事、刑事に伝えなくちゃ……。ハリエットの頭の中でくる場がグルグルと渦巻いていたが、状況はもうずっと先を進んでいた。
 救急車は猛スピードで発進した。集まった群衆に警官たちが笛を鳴らして強制的に解散させ、タイムズスクエアには交通規制と、黄色いバリケードテープが張られた。
 呆然自失となったまま、ハリエットはごみの散乱するタイムズスクエアをゆっくりと歩き出した。今朝まで降っていた雨のせいで、地面が濡れている。ブロードウェイのチラシだけがフワリフワリと舞い上がり、ビルの谷間を飛んでいく。

 パパが死んだ。
 パパが死んだ。
 パパが……
 鳩が飛び立った。

 父の魂が……
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