第13話 マジックモーメント NYのファティマ
文字数 5,664文字
二〇二五年三月三十一日 月曜日
自由の女神。ボォーッ。船の汽笛が鳴っている。
ハリエットは再び自由の女神の前に立っていた。白鳩ロッキーも一緒だ。腕時計を何度も見る。
父の形見の光十字を身に着けて、ハリエットは待っていた。あの日以来のNYのおかしさをかみしめながら。
自由の女神を観てから、マンハッタンの景色の違いを複雑な面持ちで見つめた。ハリエットが目線を上げると、白鳩はそのまま飛び上がって、目線の通りに飛んでいく。まるで生物ドローンみたいだ。そのまま、鳩の眼になって、下界を見下ろす。
これは……やっぱり鳩の視点だ。いや、よく考えると不思議だが、そうだとしか思えない。
次第にマンハッタンホーンが近づいてくる。
鳩の視点でマンハッタンホーンを観て、
「かをる、そうじゃないわ……。私、心にこんなもの映し出してない!」
かをるの言った、「世界は心の鏡」。どう考えても、これがハリエットの深層心理だとは思えない。
ハッとして目の前の視野に意識を戻す。
「ここを指定してくるなんてね」
エスメラルダは、神妙な顔つきで立っていた。ウェーブがかった長い黒髪。信念を体現した強い目線。背が高くグラマーで、ミニのスーツに高いヒールを履いている。
いつからいたのか。
「遅れてごめんなさい、私は命を狙われているの」
「いいえ、時間通りよ」
「あら、そう」
エスメラルダは細身の腕時計を見た。
「実はここに来るのも精いっぱいで……でも、覚悟を決めたの。会ってくれてありがとう。わざわざ呼び出して申し訳なかったわね」
目立つ場所であることはハリエットも自覚していた。
「いいえ、ここを指定したのは私です」
ハリエットは微笑んだ。人混みが多い方が安全かもしれない。
「常に違和感と戦いながら、眠れない夜を過ごしてきた」
と、エスメラルダは独り言のように言った。
「手短に話すわ。記事に書いた通り、クロード記者は暗殺された。捕まったリチャード・ヴァリスもおそらく口封じよ。ブログは、ネットからもう消されちゃったけど」
エスメラルダは命懸けでやってきた。
「何人も死んでいる――あなたも殺されそうなの?」
「まあね。詳しいことはまだ言えないけど、脅迫者に出くわすたびに思ったわ、上等じゃないのって。大丈夫、撒いたから――」
「私も追われてるんです」
と言いつつ、ハリエットは狙われようが狙われまいが、もうどうでもよくなっていた。どっちにしてもやる予定に変更はないからだ。
「私もここに来るまで不安だった。あなたに会うまで。あなたもそうじゃない?でも、不安という感覚もたまには悪くない」
エスメラルダは、ハティをじっと見つめた。
「こうしてあなたと会えたんだから。もう前の生活には二度と戻れないけれど、前の生活がいいかって言われたら、それも違う――」
「はい」
神は耐えられないような試練に遭わせることはない。試練とともにそれに耐えられるように、逃れる道も用意して下さる。そう、聖書のコリント人への手紙には記されている。
「ネットでもあの程度の文章しか載せられなくて……よく見つけてくれたわね。あなたに会えたのは、クロードのお陰なのよ。彼はあなたに会うようにって、ずっと言ってた。遺言になってしまったけどね。ようやく会うことができた」
エスメラルダは微笑んだ。
「すみません、あのとき……」
「いいえ、わたしもこの町のメディアの人間だもの。今のNYのメディアをあなたが信じられなくて当然だわ。ZZCは権力に迎合し、正しい報道は抹殺され、上に止められて、腐敗しきって、真のジャーナリズムは死んでいる。クロードこそ、ZZCの唯一の良心だった。その心臓みたいな人を、あの会社は失った」
エスメラルダから無念そうな悲しみを、ハリエットは感じた。
「今や、この町ですべては白が黒に、黒が白に変わってしまった……」
二人は今、お互いがお互いを必要としていた。
「はい……これが、本当に自由の国USAの姿なのでしょうか、これが、NYの現実なのでしょうか? 女神は、どう思ってるのでしょう?」
二人は自由の女神を見上げた。
「認めてないわよ、きっと! 自由の国なんて、嘘っぱちね!」
女神を見上げるエスメラルダの美しい横顔が、急にキッと厳しい表情になった。
「忌々しく思っている、そうに決まってる。だって、自由の女神の自由は、『世界を照らす自由』(Liberty Enlightening the World)なんだから!」
自由の女神はフランスの方角を向いて建っている。フランス革命が起こって、その後フランスがアメリカの独立を支持した証として――。そのシンボルが、フランス政府から送られたのだ。
「私もそう思います。女神の足元の、引きちぎられた鎖と足かせは、この世の中の全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類がみんな自由で、平等であることを象徴しています――。女神がかぶっている冠にある七つの突起は、七つの大陸と七つの海に、自由が広がっていくことを意味している――」
ハリエットは女神の足元を見つめている。
「あなたみたいな若い人が……本当に、お父さんのことは、お悔やみ申し上げるわ。なんとていうか……私も、いいえニューヨーカーはみんな、あなたのお父さんを敬愛していた。私たちマスコミも……」
普段は政治家に対して、批判ばかりのNYメディアも、ロック市長に対しては別格の扱いだった。メディアはこぞって彼を“革命家”として受け入れ、支持した。
「ありがとう……そう言ってくださるだけで――父が浮かばれます」
ハリエットはゆっくりと目を瞑った。
「あなたも、たった一人でお気の毒ね。お母さまも五年前のNY大災害で行方不明のままで……。何でも言って、どんなことでも協力するから」
「…………」
ハリエットにその記憶はない。
母のリオ・ヴァレリアンは前の世界線で、パンデミックで亡くなったはずだからだ。この世界線では、母の遺体はまだ見つかっていないらしい。この世界でも、母には会えない。
「父はきっと母に誓ったんだと思います。この町の秘密を暴くって……」
「ええ……そうだと思うわ」
「これ」
エスメラルダは封筒を渡した。
ハリエットの胸が高鳴った。
「これは……」
「死んだクロード・クロック記者の資料よ」
エスメラルダは、電子タバコの煙をくゆらせる。
資料の入った封筒と、ネットに乗せていないUSBを手渡した。
「何度かUPしようとしたんだけど、すぐ消されるんで、持参したの」
「監視されてるのね」
「えぇ――、完全にね。相手は空を飛べるような連中よ。あなたも気を付けて」
ひょっとしてUFOの事だろうか。
「…………」
SNSをクロールする人工知能は、巷にあふれる流言飛語を取り締まっている。それでも、書く人間はたくさんいる。コピーされ、コピーされ、出回り続ける。その都度消されていく。イタチごっこだ。だが、今回は見事にコピーも完全抹消されてしまった。
「デジタル上では、ヤツらに狙われる。こうして会えただけ、やった価値はあったけど」
エスメラルダが微笑むと、やさしさの中にラテン美人の妖艶な美しさが浮かび上がる。
資料は“敵”に徹底的に奪われ、ハリエットも失った。
「内容は軍産複合体のコトよ」
「あの、マンハッタンホーンですね!?」
「そう。ロートリックスはアメリカ一の軍事企業」
二人は摩天楼の“山”を見やった。
父が暴露しようとした資料だッ! きっと、間違いない。父から直接それについて聞いたことはなかった。だが、ハリエットは直感した。
「これで戦える」
エスメラルダに同情されつつも……
「マンハッタンホーン……そしてNYユグドラシル……すべては仕組まれている! この世界は。あれがNYのバベルの塔なのよ……」
あれが何なのか、その答えがこの中に――バベルの塔を阻止するための戦いが始まろうとしていた。
ハリエットは、自由の女神の前に立って戦慄を覚えた。その後ろに、エスメラルダが見守っている。ハリエットは今や、巨大な十字架を背負う覚悟ができていた。
この世界では、五年前にNY大災害があり、数年後、マンハッタンホーン開業。その一年後、ガバナーズ島にNYユグドラシル、一者の塔と呼ばれる高さ千メートルの塔が建った。時を同じくして、ならず者国家への戦争が始まった。
「ありがとうございます」
ハリエットは資料を抱きしめ、涙を浮かべる。
「すべてではないわ、憶測も多い……クロードと、私たちの取材の限界よ」
「父の資料は、きっとギャラガーが持っています」
マンションで奪われた資料だ。
「二人で取り返しましょう!」
「私……やります。協力してくれますか? あいつを告発し、逮捕することができれば……」
ハリエットはまっすぐな視線を投げかける。
「本当に? ありがたいわ」
「ええ……父の敵を討つ! 一緒に戦いましょう、あのマンハッタンホーン、ロートリックス、NYの伏魔殿と!」
二人は固い握手をした。
その瞬間、ハリエットの胸に輝く光十字のペンダントが、まばゆく閃光を放った。エスメラルダは、驚いて後ろに数歩下がって、ハリエットの胸元をまじまじと見つめた。
薄空がまばゆく光った。
夕焼けに輝く雲間が晴れると、太陽が姿を現した。
……日がリバティ島に差して……自由の女神を照らす。
ビカァァアアアアッ!!
暗雲の切れ間から、不透明で回転する円盤のような太陽が空に現れた。
色とりどりの光を放つ。黄色と紫色の光の輪に囲まれ、高速回転し、空から落ちてきた。光はさらにステンドグラスのような美しい青色へと変化した。
太陽光は雲をレンズ化して、虹色に輝かせている。だが、それだけではない。ハリエットたちが立っているリバティ島の気温が急激に上昇した。
太陽は目まぐるしく自転しはじめ、七色に染まって色とりどりの光のフラッシュを放ち、三回繰り返して十分間続いた。
太陽自体がグルグル回転し、威嚇するようにジグザグに降りてきて、摩天楼街に迫った。地上に向かって突進し、NYを脅かしてから、猛スピードでジグザグに動いて、元に戻った。
太陽のダンス、その大回転の結果、太陽のハローは太陽柱を成し、青白く観え、しばらくそのままだった。しかし、二人は目を傷めなかった。
太陽柱、サンピラーは空気がよく冷え、風が弱く、空気中の氷の結晶が多い時によくみられるというが、だが、今見ている光景は通常の太陽柱ではなかった。
二人は雨に濡れていたが、太陽が飛び回り、急降下、回転したお陰で、熱で乾いた。
リバティ島に居た他の観光客も、ポカンとして太陽を見守っている。
集団幻覚というには、あまりにもはっきりとした気象現象だった。NYの、何百万人という人が目撃したに違いなかった。
太陽は二十分後、安定した位置に戻り、穏やかになった。
雲が掛かって、太陽の光の輪に光る十字が合わさった、光十字のままに輝いている。かをるは 太陽の位置が変わった、と云った。でもこれはそのレベルじゃない!
日輪がまばゆくNYを照らし、やがて一本のエンジェルラダーが、自由の女神に達すると、トーチにバシィッと純白の光十字が灯った。
「あれは……何かしら?」
太陽の十字光線と全く同じものが、真上の女神の手に――。ブロッケン現象、セントエルモの火……いやいや、何を持ってきても説明できない。
「あああ……これは……一体何!? か、神様……」
エスメラルダは必死に、スマホで撮影しながら叫んだ。エスメラルダはカトリックだ。プロテスタントはあまり奇蹟を信じない。カトリックは奇跡を信じる。
「光十字! ペンダントと同じものが――。自由の女神が私たちの問いに答えたに違いないわ! きっと……」
ハリエットも叫んだ。
『この世界は幻想だ……真実は自分の心の中にある。自分の心と向き合わない人間は世界を制することなんてできない』
という、かをるの言葉を思い出す。
父の形見の光十字ペンダントが、自由の女神の現象に映し出されたようにハリエットには感じられたのだ。そのペンダントが、熱い。胸がドキドキする。
「き……奇蹟ね! しばらく日曜教会には行ってなかったけど……、これは信じられる! 本物の奇蹟だって!」
エスメラルダは興奮気味に言った。
「ファティマの奇蹟みたい!! この現代のNYで」
「女神の奇蹟よきっとこれ。あなたのペンダントと同じ形の光が……。何が起こってるのか分からないけど、女神があなたを祝福した!」
太陽の光十字は、日没と共に消え去り、自由の女神のトーチカが光十字にまばゆく光り続けていた。その光は、光の柱となって天へ天へと上っていき、雲の中へ到達した。
「自由の女神が私を導いてくださる!!」
ハリエットは立ち上がる決心をした。
「女神様、私必ず本当のNYを取り戻す、だから見守ってて!」
ハリエットは自由の女神に、このNYの奪還を祈り、誓った。
「世界の終わりか……始まりか」
テロ警戒中のエイジャックス・ブレイク刑事は、ダウンタウンの方角が急に明るくなってふ頭で車を停めた。じっと観ていると、自由の女神から光十字が輝き、天に向かってその光が多くなっていった。
中国女性ヴィッキー・スーは中華街での買い物中に、その光を眺めた。陸軍大尉マクファーレン・ラグーンはバイクでハイウェイを走行中に目撃し、何かの予兆を感じた。アイスター・ニューブライト博士はコロンビア大で、エレクトラ・エレクトロニクス社主アーネスト・ハウエルは商談中に、そしてアラン・ダンティカ州知事は、ダウンタウンのウルフギャングステーキの店先で食事中に、NY上空の光十字を眺めた。
その日、何百万人が空の異変を目撃した。女神の光十字は、日が落ちた後も一晩中輝いていた。マスコミはNYに出現した光十字に食いつき、一斉に報道した。多くの人が撮影した映像はSNSで拡散された。
神のなされることは、みんなその時に叶って美しい
伝道書
自由の女神。ボォーッ。船の汽笛が鳴っている。
ハリエットは再び自由の女神の前に立っていた。白鳩ロッキーも一緒だ。腕時計を何度も見る。
父の形見の光十字を身に着けて、ハリエットは待っていた。あの日以来のNYのおかしさをかみしめながら。
自由の女神を観てから、マンハッタンの景色の違いを複雑な面持ちで見つめた。ハリエットが目線を上げると、白鳩はそのまま飛び上がって、目線の通りに飛んでいく。まるで生物ドローンみたいだ。そのまま、鳩の眼になって、下界を見下ろす。
これは……やっぱり鳩の視点だ。いや、よく考えると不思議だが、そうだとしか思えない。
次第にマンハッタンホーンが近づいてくる。
鳩の視点でマンハッタンホーンを観て、
「かをる、そうじゃないわ……。私、心にこんなもの映し出してない!」
かをるの言った、「世界は心の鏡」。どう考えても、これがハリエットの深層心理だとは思えない。
ハッとして目の前の視野に意識を戻す。
「ここを指定してくるなんてね」
エスメラルダは、神妙な顔つきで立っていた。ウェーブがかった長い黒髪。信念を体現した強い目線。背が高くグラマーで、ミニのスーツに高いヒールを履いている。
いつからいたのか。
「遅れてごめんなさい、私は命を狙われているの」
「いいえ、時間通りよ」
「あら、そう」
エスメラルダは細身の腕時計を見た。
「実はここに来るのも精いっぱいで……でも、覚悟を決めたの。会ってくれてありがとう。わざわざ呼び出して申し訳なかったわね」
目立つ場所であることはハリエットも自覚していた。
「いいえ、ここを指定したのは私です」
ハリエットは微笑んだ。人混みが多い方が安全かもしれない。
「常に違和感と戦いながら、眠れない夜を過ごしてきた」
と、エスメラルダは独り言のように言った。
「手短に話すわ。記事に書いた通り、クロード記者は暗殺された。捕まったリチャード・ヴァリスもおそらく口封じよ。ブログは、ネットからもう消されちゃったけど」
エスメラルダは命懸けでやってきた。
「何人も死んでいる――あなたも殺されそうなの?」
「まあね。詳しいことはまだ言えないけど、脅迫者に出くわすたびに思ったわ、上等じゃないのって。大丈夫、撒いたから――」
「私も追われてるんです」
と言いつつ、ハリエットは狙われようが狙われまいが、もうどうでもよくなっていた。どっちにしてもやる予定に変更はないからだ。
「私もここに来るまで不安だった。あなたに会うまで。あなたもそうじゃない?でも、不安という感覚もたまには悪くない」
エスメラルダは、ハティをじっと見つめた。
「こうしてあなたと会えたんだから。もう前の生活には二度と戻れないけれど、前の生活がいいかって言われたら、それも違う――」
「はい」
神は耐えられないような試練に遭わせることはない。試練とともにそれに耐えられるように、逃れる道も用意して下さる。そう、聖書のコリント人への手紙には記されている。
「ネットでもあの程度の文章しか載せられなくて……よく見つけてくれたわね。あなたに会えたのは、クロードのお陰なのよ。彼はあなたに会うようにって、ずっと言ってた。遺言になってしまったけどね。ようやく会うことができた」
エスメラルダは微笑んだ。
「すみません、あのとき……」
「いいえ、わたしもこの町のメディアの人間だもの。今のNYのメディアをあなたが信じられなくて当然だわ。ZZCは権力に迎合し、正しい報道は抹殺され、上に止められて、腐敗しきって、真のジャーナリズムは死んでいる。クロードこそ、ZZCの唯一の良心だった。その心臓みたいな人を、あの会社は失った」
エスメラルダから無念そうな悲しみを、ハリエットは感じた。
「今や、この町ですべては白が黒に、黒が白に変わってしまった……」
二人は今、お互いがお互いを必要としていた。
「はい……これが、本当に自由の国USAの姿なのでしょうか、これが、NYの現実なのでしょうか? 女神は、どう思ってるのでしょう?」
二人は自由の女神を見上げた。
「認めてないわよ、きっと! 自由の国なんて、嘘っぱちね!」
女神を見上げるエスメラルダの美しい横顔が、急にキッと厳しい表情になった。
「忌々しく思っている、そうに決まってる。だって、自由の女神の自由は、『世界を照らす自由』(Liberty Enlightening the World)なんだから!」
自由の女神はフランスの方角を向いて建っている。フランス革命が起こって、その後フランスがアメリカの独立を支持した証として――。そのシンボルが、フランス政府から送られたのだ。
「私もそう思います。女神の足元の、引きちぎられた鎖と足かせは、この世の中の全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類がみんな自由で、平等であることを象徴しています――。女神がかぶっている冠にある七つの突起は、七つの大陸と七つの海に、自由が広がっていくことを意味している――」
ハリエットは女神の足元を見つめている。
「あなたみたいな若い人が……本当に、お父さんのことは、お悔やみ申し上げるわ。なんとていうか……私も、いいえニューヨーカーはみんな、あなたのお父さんを敬愛していた。私たちマスコミも……」
普段は政治家に対して、批判ばかりのNYメディアも、ロック市長に対しては別格の扱いだった。メディアはこぞって彼を“革命家”として受け入れ、支持した。
「ありがとう……そう言ってくださるだけで――父が浮かばれます」
ハリエットはゆっくりと目を瞑った。
「あなたも、たった一人でお気の毒ね。お母さまも五年前のNY大災害で行方不明のままで……。何でも言って、どんなことでも協力するから」
「…………」
ハリエットにその記憶はない。
母のリオ・ヴァレリアンは前の世界線で、パンデミックで亡くなったはずだからだ。この世界線では、母の遺体はまだ見つかっていないらしい。この世界でも、母には会えない。
「父はきっと母に誓ったんだと思います。この町の秘密を暴くって……」
「ええ……そうだと思うわ」
「これ」
エスメラルダは封筒を渡した。
ハリエットの胸が高鳴った。
「これは……」
「死んだクロード・クロック記者の資料よ」
エスメラルダは、電子タバコの煙をくゆらせる。
資料の入った封筒と、ネットに乗せていないUSBを手渡した。
「何度かUPしようとしたんだけど、すぐ消されるんで、持参したの」
「監視されてるのね」
「えぇ――、完全にね。相手は空を飛べるような連中よ。あなたも気を付けて」
ひょっとしてUFOの事だろうか。
「…………」
SNSをクロールする人工知能は、巷にあふれる流言飛語を取り締まっている。それでも、書く人間はたくさんいる。コピーされ、コピーされ、出回り続ける。その都度消されていく。イタチごっこだ。だが、今回は見事にコピーも完全抹消されてしまった。
「デジタル上では、ヤツらに狙われる。こうして会えただけ、やった価値はあったけど」
エスメラルダが微笑むと、やさしさの中にラテン美人の妖艶な美しさが浮かび上がる。
資料は“敵”に徹底的に奪われ、ハリエットも失った。
「内容は軍産複合体のコトよ」
「あの、マンハッタンホーンですね!?」
「そう。ロートリックスはアメリカ一の軍事企業」
二人は摩天楼の“山”を見やった。
父が暴露しようとした資料だッ! きっと、間違いない。父から直接それについて聞いたことはなかった。だが、ハリエットは直感した。
「これで戦える」
エスメラルダに同情されつつも……
「マンハッタンホーン……そしてNYユグドラシル……すべては仕組まれている! この世界は。あれがNYのバベルの塔なのよ……」
あれが何なのか、その答えがこの中に――バベルの塔を阻止するための戦いが始まろうとしていた。
ハリエットは、自由の女神の前に立って戦慄を覚えた。その後ろに、エスメラルダが見守っている。ハリエットは今や、巨大な十字架を背負う覚悟ができていた。
この世界では、五年前にNY大災害があり、数年後、マンハッタンホーン開業。その一年後、ガバナーズ島にNYユグドラシル、一者の塔と呼ばれる高さ千メートルの塔が建った。時を同じくして、ならず者国家への戦争が始まった。
「ありがとうございます」
ハリエットは資料を抱きしめ、涙を浮かべる。
「すべてではないわ、憶測も多い……クロードと、私たちの取材の限界よ」
「父の資料は、きっとギャラガーが持っています」
マンションで奪われた資料だ。
「二人で取り返しましょう!」
「私……やります。協力してくれますか? あいつを告発し、逮捕することができれば……」
ハリエットはまっすぐな視線を投げかける。
「本当に? ありがたいわ」
「ええ……父の敵を討つ! 一緒に戦いましょう、あのマンハッタンホーン、ロートリックス、NYの伏魔殿と!」
二人は固い握手をした。
その瞬間、ハリエットの胸に輝く光十字のペンダントが、まばゆく閃光を放った。エスメラルダは、驚いて後ろに数歩下がって、ハリエットの胸元をまじまじと見つめた。
薄空がまばゆく光った。
夕焼けに輝く雲間が晴れると、太陽が姿を現した。
……日がリバティ島に差して……自由の女神を照らす。
ビカァァアアアアッ!!
暗雲の切れ間から、不透明で回転する円盤のような太陽が空に現れた。
色とりどりの光を放つ。黄色と紫色の光の輪に囲まれ、高速回転し、空から落ちてきた。光はさらにステンドグラスのような美しい青色へと変化した。
太陽光は雲をレンズ化して、虹色に輝かせている。だが、それだけではない。ハリエットたちが立っているリバティ島の気温が急激に上昇した。
太陽は目まぐるしく自転しはじめ、七色に染まって色とりどりの光のフラッシュを放ち、三回繰り返して十分間続いた。
太陽自体がグルグル回転し、威嚇するようにジグザグに降りてきて、摩天楼街に迫った。地上に向かって突進し、NYを脅かしてから、猛スピードでジグザグに動いて、元に戻った。
太陽のダンス、その大回転の結果、太陽のハローは太陽柱を成し、青白く観え、しばらくそのままだった。しかし、二人は目を傷めなかった。
太陽柱、サンピラーは空気がよく冷え、風が弱く、空気中の氷の結晶が多い時によくみられるというが、だが、今見ている光景は通常の太陽柱ではなかった。
二人は雨に濡れていたが、太陽が飛び回り、急降下、回転したお陰で、熱で乾いた。
リバティ島に居た他の観光客も、ポカンとして太陽を見守っている。
集団幻覚というには、あまりにもはっきりとした気象現象だった。NYの、何百万人という人が目撃したに違いなかった。
太陽は二十分後、安定した位置に戻り、穏やかになった。
雲が掛かって、太陽の光の輪に光る十字が合わさった、光十字のままに輝いている。かをるは 太陽の位置が変わった、と云った。でもこれはそのレベルじゃない!
日輪がまばゆくNYを照らし、やがて一本のエンジェルラダーが、自由の女神に達すると、トーチにバシィッと純白の光十字が灯った。
「あれは……何かしら?」
太陽の十字光線と全く同じものが、真上の女神の手に――。ブロッケン現象、セントエルモの火……いやいや、何を持ってきても説明できない。
「あああ……これは……一体何!? か、神様……」
エスメラルダは必死に、スマホで撮影しながら叫んだ。エスメラルダはカトリックだ。プロテスタントはあまり奇蹟を信じない。カトリックは奇跡を信じる。
「光十字! ペンダントと同じものが――。自由の女神が私たちの問いに答えたに違いないわ! きっと……」
ハリエットも叫んだ。
『この世界は幻想だ……真実は自分の心の中にある。自分の心と向き合わない人間は世界を制することなんてできない』
という、かをるの言葉を思い出す。
父の形見の光十字ペンダントが、自由の女神の現象に映し出されたようにハリエットには感じられたのだ。そのペンダントが、熱い。胸がドキドキする。
「き……奇蹟ね! しばらく日曜教会には行ってなかったけど……、これは信じられる! 本物の奇蹟だって!」
エスメラルダは興奮気味に言った。
「ファティマの奇蹟みたい!! この現代のNYで」
「女神の奇蹟よきっとこれ。あなたのペンダントと同じ形の光が……。何が起こってるのか分からないけど、女神があなたを祝福した!」
太陽の光十字は、日没と共に消え去り、自由の女神のトーチカが光十字にまばゆく光り続けていた。その光は、光の柱となって天へ天へと上っていき、雲の中へ到達した。
「自由の女神が私を導いてくださる!!」
ハリエットは立ち上がる決心をした。
「女神様、私必ず本当のNYを取り戻す、だから見守ってて!」
ハリエットは自由の女神に、このNYの奪還を祈り、誓った。
「世界の終わりか……始まりか」
テロ警戒中のエイジャックス・ブレイク刑事は、ダウンタウンの方角が急に明るくなってふ頭で車を停めた。じっと観ていると、自由の女神から光十字が輝き、天に向かってその光が多くなっていった。
中国女性ヴィッキー・スーは中華街での買い物中に、その光を眺めた。陸軍大尉マクファーレン・ラグーンはバイクでハイウェイを走行中に目撃し、何かの予兆を感じた。アイスター・ニューブライト博士はコロンビア大で、エレクトラ・エレクトロニクス社主アーネスト・ハウエルは商談中に、そしてアラン・ダンティカ州知事は、ダウンタウンのウルフギャングステーキの店先で食事中に、NY上空の光十字を眺めた。
その日、何百万人が空の異変を目撃した。女神の光十字は、日が落ちた後も一晩中輝いていた。マスコミはNYに出現した光十字に食いつき、一斉に報道した。多くの人が撮影した映像はSNSで拡散された。
神のなされることは、みんなその時に叶って美しい
伝道書