第39話 市長逮捕に至る病2 ハはハリエットのハ おてんば注意報

文字数 4,415文字



二〇二五年五月十二日 月曜日

 ハンス・ギャラガー市長は市庁舎の中で、連日のデモに怯えていた。連日連夜のシュプレヒコールにノイローゼとなり、ハリエットではなく、市民を恐れていた。
 自分は監視されている。名うてのハッカー、「モナ・リザ」ことヴィッキー・スーに、いや、彼女だけではない……プロアマ問わず、世界中からハックされている。そうなのかもしれない。ギャラガーは、ノートパソコンの内臓カメラやスマホも気にし始め、ビニールテープで目隠しした。
 毎晩、ヨガをやってもアロマを焚いても眠れず、明け方の五時ごろにうつらうつらとする。ほとんど眠れずに朝を迎える。
 朝七時にダイニングテーブルの席に着くと、料理長が焼いた目玉焼きをのぞき込んだ。その途端、
「……や、やめろォ!! こっちを見るなぁっっ! アヒィィ!!」
 おびえて椅子から跳ね上がり、ダイニングテーブルを二メートル後ずさった。驚いたのは、料理長や秘書官たちである。ギャラガーは衆人監視されている恐怖が高じ、ついには目玉焼きに対して恐れをなしたのであった。
「スマン、つ……作り直してくれないか? 卵料理はいいのだが――、できれば目玉焼き以外に」
 取り繕うにはもはや手遅れだったので観念したように、ギャラガーはうつろな眼差しで料理長に頼んだ。
「畏まりました」
 手を付けられなかった皿はカートワゴンに戻され、ガラガラと走り去った後、料理長自身が朝食として美味しくいただいた。
 十分後、再び出された朝食の皿を、ギャラガーはのぞき込んだ。
「スクランブルエッグです」
 モシャモシャ。
「……う……うまい……うまいぞ、うまい……」
 両手をせわしなく動かし、パンとスープとともにがっついて口に運んでいく。そこで市長は初めて落ち着いた。
「ハ……ハハ……、ハハハハハ……」
 ギャラガーはナイフとフォークを固く握りしめ、病的なほどのテンションと疲れ切った笑顔で笑い出した。
「ハハハハハハハァーッッ!!」

 ハンター署長は、市庁舎を装甲車と特殊部隊で固めて警備に当たっていた。ハンターはTスクエア分署長から、NYテロ事件の捜査本部長へと就任した。
 そこへ、ハリエットは市民の喝さいを受けながら現れた。デモの先頭に立って行進しながら、旗を振る! 市民たちは、「君に夢中♡」のTシャツで少女に応えている。エスメラルダが発注して作ったAURORAの旗を持ち、純白のスーツを着こなしたハリエットが、さっそうと笑顔で先頭を進み、その後に物々しい改革派のNYPDの捜査本部チームが続いた。現NY市長を、特別背任と暗殺容疑で告訴状を叩きつけ、逮捕へと向かう。ハティ・コールが沸き起こった。
 市民の中にはハティ・ファンクラブが出来上がり、あまりにも多くのグッズが作られていた。それは、アウローラ内でも問題視されていた。これまでの動画を編集したファンメイドのDVD―BOXも売り出され、広報担当のエスメラルダは慌てて規制に乗り出さざるをえなくなっていた。
 デモ隊は市庁舎だけでなく、MHをも取り囲んだ。もっともここは私企業の施設であり、MH保安部隊が警備する私道の規制線以上に近づくことはできない。
 市庁舎に立ち向かったハリエットの姿を見て、ビルというビルや路上の紙吹雪がまかれて、ビル風で舞い上がった。その水先案内人として白鳩が数十羽、飛んでいく。市民から再びワァーッという歓声が響き渡った。
 テレビ局のカメラが見守る中、市民に押し上げられたハリエットはひらりとコートを翻して、警察の装甲車の屋根に上がった。
「もし暗殺部隊スクランブラーがここで暗殺すれば、市民の怒りは爆発するぜ。だからあえてハティは顔を出して戦っているんだ。スナイパーが撃てないだろうと見越してな。ギリギリの戦いだが」
 父は殺されたが、ハリエットもまた明確にスクランブラーの存在を意識していた。もしここでアウローラのメンバーが死ねば、それは何者かが攻撃したことを証明するだろう。ギャラガーとて、そこまで馬鹿ではないはずだった。だから周りが止めてもハリエットは、自分が市民の前に姿を示すことに意味があると主張した。
「やぁ、ハティ! 俺からのプレゼントだ、応援してるぜ!!」
「えっ」
 ハリエットは市民の男から、コーラのペットボトルを受け取った。
「ありがとう。どこに売ってたの?」
 リーゼントの三十代の男からもらったコーラをまじまじと見つめる。
「フルトン・ストリートの裏路地に、ひっそりとしてるけど、自販機あるぜ。今度探してみな。俺も前の世界線じゃよく飲んでたよ!」
 ハリエットはハッとして、それから微笑んで、グイッと飲んだ。
 ジュワワワワァァ……!
 あぁ……これだ。つい懐かしい思い出がよみがえっていく。
 エスメラルダが作った旗には、光十字のトーチとAURORAの文字が書かれている。装甲車の上に立ったハリエットはそれを持って、拡声器を持った。
「私の父が殺された、あの日からすべてが変わってしまったのです。NYはギャラガーに乗っ取られました。平和な日常は暗黒の闇に包まれ、恐怖と独裁政治が街を包み込んでいます。ニューヨーカーの皆さん、今こそ私とともに本当のNYを取り返しましょう!! ハンス・ギャラガー市長、今から三十分だけ待ちます。おとなしく出てくれば自首とみなします。しかし一時までに投降しない場合は、強制捜査を開始します」
 それは、ハティの降伏勧告だった。

 ハンス・ギャラガー、現NYの風景を作り出した張本人は、市庁舎から見下ろす景色に、戦々恐々としていた。巨大権力に寄り添うことで身の安泰を保障されていたはずの男は今、所在なく孤立している。隣にアーガイル隊長が立って、スナイパーライフルをハリエットに向けた。
「ま、待て。今は撃つな――」
 白服の男を制したギャラガーの右手が震えていた。
「撃ちはしません。……今は」

 時計は午後一時を回った。
「時間になりました。今から強制捜査を開始します!」
 ハティはエイジャックスに機動隊に市役所へ向かうように指示を出すと同時に、トラックの屋根から飛び降りると、エイジャックス隊の前を走り出した。警官たちよりも速かった。続いて、NYPDがドッと市庁舎へ押し寄せていく。
「フォローミー!!」
 ハリエットの怒声が飛び交い、ハンターの守る敵陣中へと突入していく。二派の警察が市庁舎前で激突。警備隊の特殊部隊と激しい戦闘になった。アメリカ警察史上初めてとなる、警官隊同士の“戦争”だった。
 NYの乙女は光十字を掲げて警官隊を率い、屈強な警官たちが回りが固めている。ハリエット自身が銃を持って撃つわけではない。旗手として、警官の士気を鼓舞した。ハリエットが指揮官に立ってから、アウローラは無敵だった。ハリエットの姿に、沸き立つニューヨーカーたちは、誰もがロック市長を敬愛していた。その一人娘が、崇敬の念を一つに集めていた。
 特殊部隊同士の戦闘が膠着状態に陥ると、ハリエットは最前線でスラリと光十字を振り上げて走った。ドドドドドド――紅海を切り開いたモーゼのように、光十字のPMFで警官隊を吹っ飛ばしていった。
「ハリエットを守れ!」
 先に進んだハリエットを追う大人たちは、あっけに取られている。
「――なぜ彼女はいつもこんなに勇敢なんだ?」
 アイスターはかをるに訊いた。
「私にも、分かんない……こんなハリエット、初めて見た! ずっと驚きっぱなしだよ。もともと勝気ではあったけどね」
 かをるが戸惑いと驚愕が入り混じった顔で答えた。
「こんなキラキラしたハティ、観た事ないよ」
 かをるは、笑っていた。
「俺たちも行くぞッ!」
 マクファーレンはアウローラ隊を率いる。
「今ならギャラガーを逮捕できる。そうすればマンハッタンホーンもジェイドも終いだ!」
 エイジャックス本部長は叫んだ。
 ハリエットの予知の力……それを彼らは信じた。エレクトラタワーの屋上で見た、光十字の奇蹟を。民衆が拍手喝采している。
「俺たちに続けェ!! 行け行け、突撃――!!」
 エイジャックスは、NYPD本部の本隊を率いて市庁舎の中へ駈け込んでいった。
 ハリエットは勢いで、警備の砦を打ち破ると、一気に市庁舎の中へ入っていった。その直後、音もなくブラックヘリが地面から浮かび上がって、無音のプロペラで周囲を取り囲んだ警官隊やデモ隊を吹き飛ばした。ヘリはすぐに、摩天楼の蔭へと姿を消した。

「いないぞ――どこにもだ」
 エイジャックス隊は、館内を駆けまわった。
「いないわ――」
「さっきのブラックヘリで脱出したか」
「どこにヘリを隠しておける場所なんか?」
「地下駐車場だ! ヘリの格納庫だったんだ」
 羽をたたんで芝生広場の地下シャッターが開く仕組みである。そこは格納庫になっていた。
「マンハッタンホーンだ」
 ヘリが消えたのは、マンハッタン港の方角だった。同時に市民たちが囲む中、ハンター隊は一緒にMHへと撤退していった。ギャラガーから撤退命令が出たらしい。なんでマンハッタンホーンに逃げ込んだのか?
「奴は『ゴーストバスターズ』の市長みたいにビビッて逃げ出した」
 エイジャックスは、床に転がった市長デスクの椅子を見下ろす。
「あたしたちは<市長バスターズ>ね」
 エスメラルダはカメラを回した。
「皆さん、先程のヘリコプターを御覧になりましたか? 羽が全くの無音です! あれが軍産複合体・帝国財団の所有する極秘の、ブラックヘリなのです! ギャラガーはそれに乗ってMHへ逃げ去りました。同時にハンター署長も!」
 エスメラルダは空高く指差し、カメラに向かって叫んだ。
 ハリエットは市庁舎を乗っ取った。エイジャックスは警察署も制圧した。
 ハンス・ギャラガーは職務放棄により市長失職、アラン州知事は勝利宣言をした。NY市長のリコールは最速で達成したのであった。
 その日の夕刻、アイスターは、エレクトラの地下工場で製作したアクセラトロンの試作機二号機を配電盤に接続し、市庁舎の上空に、青い光十字が灯った。
「これでここもNYの5Gから、スタンドアローンになったはずだ。市庁舎もマンハッタンホーンから完全に切り離したぜ」
 アイスターは白い歯で笑う。
「エレクトラタワーの光十字現象を原理解明したのか?」
 ハウエル社長は腕を組んで青い光十字を見上げる。
「いや、まだ仮説だがな。コロンビア大の時に起きたのが最初だ。これがないとNYの町はマンハッタンホーンとバベルに支配されたままだ。遠隔操作や盗聴を受けてしまう」
「にしてもサイズが小さいな」
 白が黒になったこの町でのアウローラたちのテロ容疑の払しょくは、ギャラガー市長追放により無事なされた。市庁舎を強制捜査すれば、そこには証拠資料がドッサリ残っている……ハズだった。ところがギャラガーは、ハンターの部下に手伝わせたのか、あの短い時間で関係資料をすべて持ち去っていた。
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