第4話 セント・パトリック大聖堂 ポニーテールは曲がり角
文字数 2,390文字
二〇二五年三月六日 木曜日午前十時
ミッドタウンの五十丁目と五番街の交差点に建つ、ネオ・ゴシック様式のカトリックの大聖堂。そこで、ロック・ヴァレリアン市長の葬儀が行われた。アメリカにおいてカトリックは少数派。カトリックの大統領は歴史上二人しかいない。政治において不利と言われていた。
早朝から小雨が降る中、アラン・ダンティカ州知事、アーネスト・ハウエル、エレクトラ社社長、ヘンリー・マドックス陸将。それに、ダンフォード大統領、政財界の関係者、要人たち、数百名が参列している。
ハリエットの隣には、かをる・バーソロミューが友人代表として寄り添う。
出席者の中に、ハリエットの親戚は居ない。かをるだけが唯一の関係者だ。ハーバードで、史上初の超飛び級のハリエットは年上の在学生に疎ましがられ、学内で浮いていた。その才能は中学時代から際立っており、かをる以外の同級生はハリエットに近寄りがたいものを感じて、距離を置いていた。結果として、同級生たちとも没交渉で今日にいたる。かをるは、今も昔も、ハリエットを一人の人間として分け隔てなく接してくれる。
教会の祭壇に棺が安置され、周囲を花が囲んでいる。州議会・市議会議員らによる追悼式が始まった。
アラン・ダンティカ知事の追悼の辞、ギャラガー副市長はうやうやしく献花をし、ハリエットは棺の前で参列者に頭を下げた。
少し遅れて、十人くらいの集団が中央廊下を歩いてきた。喪服を着ていても目立つのは、真っ赤な髪を持った先頭の背の高い若い男。
通りすがりに、ハリエットをチラッと見ると頭を下げた。ディープロイヤルブルーの瞳。だが、冷えた炎のような色。
『まるで、コークスを燃やしたような瞳……』
その直後、大統領以下、補佐官たちが一斉に青年に対して頭を下げた。ハリエットは異様な印象を覚えた。
青年はうやうやしく花を遺体に手向ると、直ぐに立ち去った。
『あの人って……そうだ、ロートリックス・グループの御曹司……』
男の名は、ジェイド・ロートリックス。
午後二時、葬儀が終わり、ハンス・ギャラガー副市長が、遺族側を代表して記者会見を行った。
「我々ニューヨーカーが、そしてすべてのアメリカ国民が悲しみの時に打ちひしがれています。この悲しみをすべての人々と分かち合うとともに、ロック市長の残した遺産は、永遠に残るでしょう。それを我々は、継いでいかなくてはいけません。いかなる妨害が起ころうとも、正義を必ず実現するのです」
厳重にSPに守られて、ハリエットもギャラガーには近寄れない。
「容疑者のリチャード・ヴァリスは、留置所で死亡しました。事故か、自殺か、まだ詳しいことは分っていません。しかし、決してこれで終わりではないと考えています。私は何か、巨大な悪の存在を感じます。凶悪なるテロとの戦いは始まったばかりです。我々の眼をごまかすことは、決してできません。私は市長の高潔なる遺志を引き継ぐとともに、テロ犯を送り込んだ者との戦いを宣言します――」
ギャラガーは、犯人が他に居ることに気づいているのだろうか……。
騒然とし始める中、ギャラガー副市長は事態に対応するためにNY市長へと就任し、ロック市長の残りの任期まで務めると宣言した。市長が死亡などで任期を務められないときは、自動的に副市長が市長となる。これから、テロ犯人の捜査が本格的に始まると言い、締めくくった。
「ギャラガーさん!」
「すまん、あ、あとで連絡する。今は急ぐんだ――」
ギャラガーは部下に後を済ませると、足早に立ち去った。ハリエットが相談する暇はなさそうだ。
式の後方に、ZZCのクロード記者と、エスメラルダ達が葬儀に参加していた。ハリエットにマイクを突きつけた。
「みんな口を塞いでいるのです。一見して市はテロとの戦いを宣言していますが、リチャート・ヴァリスの死は何も明らかになっていません! ギャラガー氏はこれ以上我々の詮索を受けたくないようです。御父上の無念を晴らすためにも、どうか娘さんから一言……」
クロードはNYに爆弾を投下するように特ダネを暴露したいなどと言い、ハリエットに意見を求めてきた。
「……放っておいてください!」
かをるが駆けつけてハリエットをかばい、二人は慌てて教会を退散した。
「今日、父の仲間を全員観てた。けど、その中で、あいつ……市長に就任したギャラガーだけは、絶対何かがおかしい」
ハリエットは葬儀中、ギャラガーにうさん臭さを感じていた。しんみりとした会場の中で、彼の顔つきだけが、目が煌々と暗く輝いていた。それは、ハリエットだけに分かる直観だった。
「リチャードが消されたって、彼、謀略の匂いをうかがわせていたけど、ギャラガーはあくまで、犯人はリチャード・ヴァリスだという原点を変えようとはしていない――メディアの言う通りだわ」
その上、市長に就任するなんて! そこに、謀略の匂いを感じないわけにはいないではないか。
「警察に行った方がいいんじゃない? 〝真犯人〟のコト――」
かをるはあくまでハリエットの味方だった。世界で、たった一人。
「うん、分かった――明日」
クロード記者の記事をざっと読むと、自分と同意見に希望を感じたけれど、意見を求められるのは避けたい。
ロック市長の葬儀の終了後、大聖堂は一般人の弔問であふれ、一晩中、その足が途切れることはなかった。どれほど、ロック・ヴァレリアンが市民に愛されてきたかを明確に示していた。“敵”はおそらく、その人気を恐れていたのだろう。
二〇二五年三月十日、NY中が喪に服した。
絶望の闇に包まれながら、ハリエットはホテルのベッドで目を瞑った。
「明日のことは、思いわずらうな。
明日のことは、明日の自分が思いわずらうだろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分だ」
マタイ伝
ミッドタウンの五十丁目と五番街の交差点に建つ、ネオ・ゴシック様式のカトリックの大聖堂。そこで、ロック・ヴァレリアン市長の葬儀が行われた。アメリカにおいてカトリックは少数派。カトリックの大統領は歴史上二人しかいない。政治において不利と言われていた。
早朝から小雨が降る中、アラン・ダンティカ州知事、アーネスト・ハウエル、エレクトラ社社長、ヘンリー・マドックス陸将。それに、ダンフォード大統領、政財界の関係者、要人たち、数百名が参列している。
ハリエットの隣には、かをる・バーソロミューが友人代表として寄り添う。
出席者の中に、ハリエットの親戚は居ない。かをるだけが唯一の関係者だ。ハーバードで、史上初の超飛び級のハリエットは年上の在学生に疎ましがられ、学内で浮いていた。その才能は中学時代から際立っており、かをる以外の同級生はハリエットに近寄りがたいものを感じて、距離を置いていた。結果として、同級生たちとも没交渉で今日にいたる。かをるは、今も昔も、ハリエットを一人の人間として分け隔てなく接してくれる。
教会の祭壇に棺が安置され、周囲を花が囲んでいる。州議会・市議会議員らによる追悼式が始まった。
アラン・ダンティカ知事の追悼の辞、ギャラガー副市長はうやうやしく献花をし、ハリエットは棺の前で参列者に頭を下げた。
少し遅れて、十人くらいの集団が中央廊下を歩いてきた。喪服を着ていても目立つのは、真っ赤な髪を持った先頭の背の高い若い男。
通りすがりに、ハリエットをチラッと見ると頭を下げた。ディープロイヤルブルーの瞳。だが、冷えた炎のような色。
『まるで、コークスを燃やしたような瞳……』
その直後、大統領以下、補佐官たちが一斉に青年に対して頭を下げた。ハリエットは異様な印象を覚えた。
青年はうやうやしく花を遺体に手向ると、直ぐに立ち去った。
『あの人って……そうだ、ロートリックス・グループの御曹司……』
男の名は、ジェイド・ロートリックス。
午後二時、葬儀が終わり、ハンス・ギャラガー副市長が、遺族側を代表して記者会見を行った。
「我々ニューヨーカーが、そしてすべてのアメリカ国民が悲しみの時に打ちひしがれています。この悲しみをすべての人々と分かち合うとともに、ロック市長の残した遺産は、永遠に残るでしょう。それを我々は、継いでいかなくてはいけません。いかなる妨害が起ころうとも、正義を必ず実現するのです」
厳重にSPに守られて、ハリエットもギャラガーには近寄れない。
「容疑者のリチャード・ヴァリスは、留置所で死亡しました。事故か、自殺か、まだ詳しいことは分っていません。しかし、決してこれで終わりではないと考えています。私は何か、巨大な悪の存在を感じます。凶悪なるテロとの戦いは始まったばかりです。我々の眼をごまかすことは、決してできません。私は市長の高潔なる遺志を引き継ぐとともに、テロ犯を送り込んだ者との戦いを宣言します――」
ギャラガーは、犯人が他に居ることに気づいているのだろうか……。
騒然とし始める中、ギャラガー副市長は事態に対応するためにNY市長へと就任し、ロック市長の残りの任期まで務めると宣言した。市長が死亡などで任期を務められないときは、自動的に副市長が市長となる。これから、テロ犯人の捜査が本格的に始まると言い、締めくくった。
「ギャラガーさん!」
「すまん、あ、あとで連絡する。今は急ぐんだ――」
ギャラガーは部下に後を済ませると、足早に立ち去った。ハリエットが相談する暇はなさそうだ。
式の後方に、ZZCのクロード記者と、エスメラルダ達が葬儀に参加していた。ハリエットにマイクを突きつけた。
「みんな口を塞いでいるのです。一見して市はテロとの戦いを宣言していますが、リチャート・ヴァリスの死は何も明らかになっていません! ギャラガー氏はこれ以上我々の詮索を受けたくないようです。御父上の無念を晴らすためにも、どうか娘さんから一言……」
クロードはNYに爆弾を投下するように特ダネを暴露したいなどと言い、ハリエットに意見を求めてきた。
「……放っておいてください!」
かをるが駆けつけてハリエットをかばい、二人は慌てて教会を退散した。
「今日、父の仲間を全員観てた。けど、その中で、あいつ……市長に就任したギャラガーだけは、絶対何かがおかしい」
ハリエットは葬儀中、ギャラガーにうさん臭さを感じていた。しんみりとした会場の中で、彼の顔つきだけが、目が煌々と暗く輝いていた。それは、ハリエットだけに分かる直観だった。
「リチャードが消されたって、彼、謀略の匂いをうかがわせていたけど、ギャラガーはあくまで、犯人はリチャード・ヴァリスだという原点を変えようとはしていない――メディアの言う通りだわ」
その上、市長に就任するなんて! そこに、謀略の匂いを感じないわけにはいないではないか。
「警察に行った方がいいんじゃない? 〝真犯人〟のコト――」
かをるはあくまでハリエットの味方だった。世界で、たった一人。
「うん、分かった――明日」
クロード記者の記事をざっと読むと、自分と同意見に希望を感じたけれど、意見を求められるのは避けたい。
ロック市長の葬儀の終了後、大聖堂は一般人の弔問であふれ、一晩中、その足が途切れることはなかった。どれほど、ロック・ヴァレリアンが市民に愛されてきたかを明確に示していた。“敵”はおそらく、その人気を恐れていたのだろう。
二〇二五年三月十日、NY中が喪に服した。
絶望の闇に包まれながら、ハリエットはホテルのベッドで目を瞑った。
「明日のことは、思いわずらうな。
明日のことは、明日の自分が思いわずらうだろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分だ」
マタイ伝