第18話 NYスクランブル二十四時 リトル・イタリー

文字数 4,381文字



二〇二五年四月七日 月曜日

 リチャード・ヴァリスとは結局何者だったのか?
 エイジャックス・ブレイク刑事は、ロック市長暗殺犯ヴァリスを調べたが、捜査は暗礁に乗り上げていた。男の生前の正体が、靄に包まれている。捜査が進むうちに、エイジャックスは奇妙な感覚にとらわれていた。
 あの男には見覚えがある……。とはいえ、ギャングとしての彼自身では全くない。犯罪組織アイアンサイド・コネクションとは全く別の場所で知っていた。それは、奇妙な感覚だった。
 リチャード・ヴァリス不審死の当日、早朝、留置所で見回りをしていたのは同僚のライアン・レオン刑事だ。何度も何度も調べた。カメラは、ヴァリスの部屋へ向かう廊下のレオンを映していた。だが、当のヴァリスの部屋の近くにはカメラがない。そのため、ビデオに証拠は映っておらず、殺人事件とは断定できないが、その分不審な点は多い。
 エイジャックスは、一階の廊下でライアン・レオンに声をかけた。
「改めて聞くが、……リチャードを発見した朝、何か妙な点は? 今だから思い出すようなものは何かないか?」
 昼食代わりにドーナツを喰いながら、レオンは出かける予定らしく、一瞬立ち止まったが、足早に駐車場へ向かっていく。
「さぁな……ヤツを見かけたときにはもう床に転がって冷たくなってた。何があったのかは俺にも皆目分からん。お手上げさ」
 レオンはそう言って、トンファー警棒をクルクル回した。ずっしりとした身体を運転席に沈め、車を出した。
 結局彼を疑うことになるのは心苦しかったが、リチャード・ヴァリスの死に、当直の刑事ライアン・レオンが関わっている疑いが残されている以上、やむを得まい。同僚に悟られずに追う自信はある。エイジャックスはライアン・レオンの車を追うことにした。無駄足になるのかもしれないが、どこへ行くのか次第で、疑惑は高まるだろう。

 レオンの車は、リトル・イタリーへと向かった。車はイタリアン・レストランの老舗近くの路地で停まった。マフィアたちも良く通う店だ。ヤツめ……こんなところで一体何を? ロック・ヴァレリアン前市長の犯罪組織一掃作戦以来、今はすっかりナリを潜めたイタリア暗黒街だったが、それでも依然アイアンサイドのシマである。かつては、真昼の抗争で死者が出たことも珍しくない街だ。
 エイジャックスは二ブロック先に車を停めると、走ってレオンの車へと向かった。雨が降っていた。
「ここのところNYは本当に雨が多い。天の釜が抜けてるのかもな――?」
 エイジャックスは普段傘を差さない。
 レオンの後をつけていると、相手は雑踏の中を突き進んでいく。いくつか角を曲がってエイジャックスは見失った。慌てて、一ブロック走り回り、探した。
 日が暮れ始め、リトル・イタリーの街を照射しながら低空飛行している黒いヘリコプターの姿が見えた。こんな低空をヘリが飛ぶこと自体あり得ない。住宅街や繁華街では、航空機の最低高度は法律で定められているからだ。
 突如、銃声のような衝撃音が聞こえた。だが、プロペラ音が聞こえてこない。ヘリコプターのサーチライトは、市中の広い範囲に渡って目撃されたが、どこの所属のヘリコプターかは分からなかった。何せすべてが真っ黒である。エイジャックスは身を低くして隠れたが、ブラックヘリは監視するように低空飛行を続けて、やがて消えた。
 八百屋の脇道で、エイジャックスの首筋にスタンガンが押し当てられたと思った瞬間、強烈な電撃を喰らってブッ倒れた。気絶しかけたが――足を踏ん張り、正気を保った。エイジャックスは上体を起こすと、再度路地を走った。
 ちらつく影は、もう五十メートルも先を走っている。エイジャックスは銃を取り出すと、「頭を下げろ!!」と人込みに叫んで撃ち、再び走った。
 人ごみの中をかき分けて走る。悲鳴が上がった。銃を向けるが、相手は人込みに隠れた。狭い路地に入り、ひたすら追いかける。影は理髪店に入った。エイジャックスは先回りしようと、裏路地からトイレの出口を見張った。すぐに窓から出てきた。影は階段を駆け上がった。エイジャックスは後を追い、屋上を伝う。足場の悪いところで、銃撃戦になった。
 影は再び地上へ降りたところで、脚をひっかけて八百屋の野菜が吹っ飛んだ。ゴロンと転んで倒れる。こんな風に倒れる奴を、前にどこかで見たことがある。
 路上に仰向けになった犯人を見て、エイジャックスは叫んだ。
「どーいうことだレオン!!」
 あぁ――ゴミ箱にレオンか。エイジャックスはまだ信じられないという感情と、やっぱりという考えがないまぜになったまま、同僚を見つめていた。その顔は、ライアン・レオンだった。
「お……お前が余計な詮索をするから」
「何の詮索だって?」
「お前は目覚めてないときに――知るべきでない時に知ろうとした!」
「何!? レオン、オマエ、アイアンサイドとつながっていたのかッ?」
「いいか、よく聞け……お前が追ってるのは、ただのギャングなんかじゃない」
「この町に何がある? 集団失踪か? それとも連続誘拐事件か?」
「その件は俺は知らん――」
「何だと?」
「NYギャングは入口だが、事件の出口じゃない」
「じゃなんなんだ?」
「お前自身もそうだ。気の毒だな、お前が、お前自身のことを知らんというのは――」
 ビル上階からパッと光が見えて、とっさにエイジャックスはゴミ箱へ身体を突っ込んだ。エイジャックスは、ゴミ箱の蓋を半開きにすると、続く銃撃を避けた。レオンを見ると口から血を噴き出している。スナイパーに胸を撃たれたのだ。
「レオン、オイッ、レオン!!」
 いや……どうやら内臓の損傷は免れたか!?
「そんなに知りたきゃハンターに訊いてみるがいい、署長が一番詳しい」
「NYPDが……、絡んでいる……ってのか!?」
 レオンの眼はうっすらと閉じ、次第に声が小さくかすれていく。
「刑事(デカ)が撃たれた、至急応援頼む! それと救急車だ!」
 応援要請をすると、エイジャックスは追いかけた。
「待ってろ! レオン! クソッ」
 ゴミを払いのけて立ち上がると、エイジャックスはビル上階に向かって猛反撃しながら、再び走り始めた。狭い区画に建つ小さなビルだ。入り口を張っていると、どうやら非常階段側から路地に飛び降りた。
「ヤロウ……」
 足の速いギャングだったが、リトル・イタリーならこっちだって庭みたいによく知っている。逃がしはしない。つながる線を断ち切られる前に――。

 相手は少し長い髪に顎ひげ、ブラウンスーツ。男は振り向いて何発撃って来た。階段を駆け上がる。小柄な犯人はひらりと手すりを飛び越えた。
 雨の中、袋小路に追い詰めると、犯人はなんとか柵をよじ登って逃げた。超人などではないが、すばしこい奴だ。
「クソッ」
 柵をよじ登って追いかける。エイジャックスは体力には自信があるものの、体重は相手より断然重かった。
 二百メートル先を行く犯人は、劇場の入口に入っていった。エイジャックスは犯人がすぐさま、また裏から出たことに気づいた。
「学習能力のない奴だ――と!」
 見上げると、塀の上を器用に走っている。その下道を、エイジャックスは追いかけた。犯人が時々振り向いては、銃撃戦になった。レオンを殺った犯人だ。エイジャックスとしては殺してもいいくらいだが、ここで線を断ち切る訳にはいかない。
「何としても生かして捕らえる!」
 パトカーのサイレンが街に集まる中、エイジャックスは五階建ての古いアパートの屋上で銃を突き付けて、捕まえた。
「現行犯逮捕する。お前には黙秘権がある――」
 逮捕した男の名は、ジャック・テイラー。ロック市長の暗殺犯、リチャード・ヴァリスの手配師だ。事件当日、車の運転手をしていたお目付け役のチンピラ。いや、アイアンサイドのギャングだ。エイジャックスとレオンがTスクエアで逃した相手だ。ようやく捕まえた。
 救急車を手配したが、レオンはあの後すぐに亡くなったらしい。エイジャックスの見立てでは、銃撃は致命傷ではなかったはずだ。
 レオンが消されたのは、自分が追ったせいかもしれないと、エイジャックスは思った。ライアン・レオンは犯罪に加担していたのかもしれない。だが、たとえ容疑者だったとしても彼を守れなかったのは悔やまれる。また関係者が死んだ。

「レオンは言っていたッ! 我々の予想を上回る、バカでかい――とにかくスケールの大きな勢力なんです。真犯人はおそらく、政府関係か、あるいはそれを操る大物です。ギャングはその手先でしかない。相当大掛かりな力が働いているに違いないんです」
 レオンの言った通り、NYPDが市長暗殺に関与しているかどうかは分からない。だとしたら大事件だが、レオン一人の問題であってほしい、という希望的観測もあった。この署長が関係しているかどうかは分からない。エイジャックスには、まだ自分の職場を信じたいという気持ちがあった。なら、はっきり対決すればいい。
「――おい、あの娘に感化されたのか? それともSNSの陰謀論か何かでも読んだか? 我々はプロだぞ、しっかりしてくれ」
 ハンター署長はあきれた声を出したが、その顔は窓辺を向いている。
「大規模誘拐の件はどうなんです?」
「UFOのか?」
「UFO誘拐とは別件です。あるいは関係があるかもしれませんが」
「話にならんね。都市伝説なんか」
「俺たちも宮使いの役人ですからね、政治家の判断にゃ口出しできません、あなたも」
「んな、何を言い出す?」
「偽旗作戦ですよ、リチャード・ヴァリスはスケープゴートです」
「お前の見立ては何もかも頓珍漢だ!」
 と、危ない刑事扱いである。まぁ、それは前々からの事だったが。
「バカバカしい……はっきり言っておくが、一部マスコミが騒ぎ立ててるような、ギャラガー市長を貶めるような言説と我々警察は無縁なんだぞ! そのことをよくわきまえろ!」
 電話が鳴った。しばらくしてエイジャックスの方を振り向いたハンター署長の目つきが変わった。
「あるいはお前の言う通りかもな」
 口髭がムスッと結ばれている。
「マディソンスクエアガーデンで爆弾テロだ。リチャード・ヴァリスの留置所での死、ジャーナリストのクロードの事故死、今回のライアン・レオンに加え、ロック市長暗殺以後、これで五件目の事件だ! ギャラガー市長より、うちにテロ警戒指令が出た。すぐ行ってくれ!」
「市長命令ですか?」
「……ギャングは話題だけだ。お前の言った通り、実際はテロリストを追っている」
 と、署長はエイジャックスに簡素に答えた。
「ギャングではないと?」
 エイジャックスは念押しする。
「あぁそうだ! 相手は、反政府テロリズムと認定された。極秘捜査本部を立ち上げる。市民にはまだ発表しない」
 それを機に、NYはおかしな方向へ転がり出したのだ。
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