第2話 プレスビテリアン病院 少女に何が起こったか?

文字数 5,139文字



二〇二五年三月五日 水曜日 午後一時四十分

 ハリエットは、バイクにまたがってエンジン音をふかすと、Tスクエアを飛び出した。救急車に記されていたプレスビテリアン病院に向かって突っ走る。なんで、私、さっき一緒に救急車に乗らなかったんだろ――。パパの娘なのに!
 各ストリート、各アベニューには規制線が張られ、どこも回転ランプを点灯したパトカーによる検問所が設けられ、ハティは迂回して迂回して――、遠回りを余儀なくされた。どこもかしこも道は大渋滞を起こしていたが、カワサキのバイクは間隙を縫うようにして怒涛の走りを見せ、その間ハリエットは必死で祈っていた。父が撃たれたのは、確か胸だったと思う。助かる可能性が、少しでもあるのか。頼む、頼む――。すがるように祈る気持ちと恐怖心でいっぱいで、ハリエットはそれ以外のことは全く考えられなかった。

 病院まで二十分、白い建物が見えたころには二時を過ぎていた。
 コーネル大学付属のプレスビテリアン医学センターの正門に到着すると、入り口に空になった救急車が停車している。灰色がかった白亜の摩天楼の玄関には、すでに多くの人だかりができていて、二~三十人あまりの警官たちが人の出入りを監視していた。ここは、NY有数の総合医療施設である。
 ハリエットはバイクを降りると、正門に立つ数人の警官たちに駆け寄った。
「ロック・ヴァレリアンの娘のハリエットです!」
 そう叫ぶと、ハリエットはハーバード大学の学生証をパッと差し出した。体重が百二十キロはありそうな巨漢の中年警官は、小さなブラウンカラーの眼で、ハーバードの学生証をじっと見ていたが、それから顔を上げ、辺りを見回すと、無言で手招きし、ハリエットを中へ招き入れた。

 受付によると、市長が担ぎ込まれたのは十四階らしい。
 エレベーターで目的階に降りると、廊下に、三人のSPに囲まれた副市長のハンス・ギャラガーが立っていた。右腕に三角巾をしていたが、どうやら無事だったらしい。――立っていて大丈夫なのか。素直に疑問に思ったが、応急処置を施した途端、病室を飛び出したようだ。手にスマホを持っている。指揮官として、この緊急事態に懸命に対処しようとしている様子が、ハリエットの眼にもうかがえた。彼に駆け寄ると、
「あ……あぁ、ハティか。こんなことになるとは――」
 副市長はスマホから目を離した。真っ青な顔で目に力が入っていない。
「ギャラガーさん……!」
 ハリエットはすがった。ギャラガーの表情は憔悴しきっていた。テカテカの七三分けは乱れ、口元が若干歪んだ印象のくたびれた副市長は、言葉を選んで少々黙ったが、
「お父さんは立派な方だった。私も残念だ――」
 そっとハリエットを抱きしめ、穏やかに慰めの言葉をかけた。
 マサカ……その言葉……、
「死んだ……殺されたんですね」
 ギャラガーは静かにうなずいた。
 ハリエットは自分で言った言葉を、ギャラガーに否定してほしかったのに!
「亡くなられた。たった今だ、私とアランで看取った」
 そうギャラガーは短く答え、額の汗をぬぐった。
 廊下の突き当りの集中治療室の扉が、半開きになって中野病室が見えていた。その中には、アラン・ダンティカ州知事たちと数人の高官の姿があった。
 ギャラガーは少しうつむいていたが、意を決したように顔を上げた。
「場所は胸部。心臓を撃たれ、弾は身体を貫通した。輸血をし、外科医が止血を試みたが出血多量で、もはや手遅れだった。心臓マッサージを施しても奇跡は起こらなかった。心電図は、一本線を描いていた。……二時、つい先ほどだ」
「四十六歳――四十六歳!! 暗殺されたラリー大統領と同じだなんてっ!? そんな! そんな……ことって……」
「…………」
「父はラリー・E・ヴァレリアン大統領を尊敬していたんです、ずっと。大統領を目指していたんです。それが、同じ年齢で……」
「あぁ君の言う通りだ。同じように立派な方だった」
「パ……パ――、パパ……!」
 ハリエットの頬にドッと涙があふれてきて、両手で顔を覆った。一気に全身の力が抜けていく。ハリエットはゆっくりと、廊下に崩れ落ちた。
「犯人は捕まった。NYファミリーのアイアンサイド一家の殺し屋のリチャード・ヴァリスという男だ。市長の犯罪取り締まりに苦しむギャングの一味の仕業――あるいは、テログループの関与だろう」
「そんな……ウウ……」
「私も言葉が浮かばない……こんなことになって……」
「…………」
「後のことは任せなさい。責任を持ってすべて私が手配する。君は何も心配することはないのだよ――」
 身寄りのない十六歳のハリエットは頭が混乱して、どうすればよいかこの先の展開が全く見えなかった。ギャラガーの、その言葉だけでも救われる。
「ありがとうございます」
「葬儀も私がやらせていただこう。君は安心しなさい」
 何もかも考えてくれているギャラガー副市長に、ハリエットは素直に感謝した。
 もうそれ以上ギャラガーに言葉はなさそうで、スマホで市庁舎と連絡を取り始めた。ゆっくり立ち上がったハリエットも言葉を失った。
 ハリエットが所在なく立ち尽くしていると、エレベーターから警官たちがゾロゾロと廊下を歩いてきた。ギャラガーが話しかけ、彼はハリエットに一礼するとすぐバタバタとせわしなく去った。その後も続々と、関係者たちが駆けつけてくる。エレクトラ社社長アーネスト・ハウエル、州軍のヘンリー・マドックス将軍、NYPDのハンター署長……。
 ハリエットはたった一人廊下に残された。



 外に出ると病院前は報道陣でごった返していて、ニュースキャスターが警官隊と押し問答を演じていた。CCN、ZZC(ズーズーシー)、XTC他……NY五大ネットワークが来ていた。それに加えて、外国の特派員たち。スマホを掲げたインフルエンサーやU-TUBERの姿も集まり、正門前は騒然としていた。
 ヨれたYシャツ姿で、腕に三角巾をしたままのギャラガー副市長が、ハリエットの後ろから正門に現れて、ワッと取り囲まれる。ギャラガーはメディアを鎮めようと、早口にマスコミ向けの公式発表を行った。
「ロック・ヴァレリアン市長は、本日三月八日、午後二時に亡くなられました」
 脂汗を流し、顔面蒼白のギャラガーから市長の死が短く発表されると、無数の報道カメラがその様子を捉えた。
「死因は心臓への銃撃です、犯人はリチャード・ヴァリス、NYの地下組織の殺し屋です。後ほど、警察発表があるでしょう」
「犯人の動機は?」
 ZZCのニュースキャスター、エスメラルダ・ガルシア記者が聞いた。ヒスパニック系の浅黒い、とてもグラマーな二十代後半のベテラン記者である。
「ギャングの取り締まりのことなのか、詳細はまだ分からない。ひょっとすると大規模なテロの一貫かもしれない。いずれにせよ、ロック市長はNYの犯罪組織を厳しく取り締まってきた。我々は暴力を許さない。悪質なテロ行為に対し、NY市は断固宣戦布告する!!」
 それだけを言うと、ギャラガーは病院に引っ込んだ。わずか一分間だった。ギャラガーは負傷するも、SPの介添えを受けながら気丈に陣頭指揮を執っていた。
 今度はハリエットを見つけたマスコミが、ワッと取り囲んだ。最前に立つエスメラルダ・ガルシア記者が、ハリエットにマイクを突きつけた。
「ロック市長の娘さんですね――この度は……」
「…………」
「お父さんは最期に何を言おうとしたのでしょうか、今日の演説の目的は? 犯人のリチャード・ヴァリスの目的は、いったい何だと思いますか?」
 エスメラルダ記者は矢継ぎ早に質問した。
「ロック市長はUFOによる連れ去り事件の真相を探っていた、演説の冒頭でそうおっしゃっています。その後に、市長は一体何を言おうとしていたのでしょう?」
 エスメラルダは疑問を呈しながら、さらなる質問を投げかけようとする。
「はっ離して、――離してください!」
 振り払い、ハリエットはもまれて脱出すると、走って逃げた。
(私には何も分からない、何も知らない、こっちが聞きたいくらいだ!)
 ハリエットは取材班の大群に追われながらカワサキのバイクにまたがると、その場を離れた。風で、涙が勢いよく後ろへ飛び去っていく。ハリエットのバイクはロウワーマンハッタンへと再び南下していった。

「NY市長ロック・ヴァレリアンは三月八日午後二時に亡くなられました……」
 ZZCはプレスビテリアン病院前から、ニュースキャスターのエスメラルダがレポートする。
『NY市長撃たれる。ロック・ヴァレリアン死亡(46)』
 テレビ、スマホ・PCのネットニュース、街頭映像……すべてがロック市長暗殺の特報ニュースに切り替わった。
 ニューヨーカーたちはスマホや街頭ビジョンを棒立ちで見つめ、新聞の号外が配布されると、通行人の手という手が群がってきて、次々と引ったくっていった。嗚咽する人、叫ぶ人。抱き合う人、呆然と動かなくなる人――。
 タイムズスクエアはNYPDによって一時閉鎖され、それから六時間後に解除された。
 街頭ビジョンから広告は消え、涙をこぼす人、インタビューに答える人、路上で、自宅で、教会で、祈りをささげる人、タイムズスクエアに続々と花を手向けに多くの人が集まってきた。
 ブロードウェイでの作品上映は全て中止になり、商店街は臨時閉店、NY中の学生が緊急下校させられ、一斉に休校となった。
 演説中にNY市長が暗殺された悲報は、テレビ、ネット、ラジオ、新聞で一斉に伝えられ、アメリカ全土、さらに海外を駆け巡った。

 カワサキのバイクを駆って、ハリエットは虚しさを吹っ飛ばすようにしてダウンタウンへとたどり着いた。すがりたい、女神にすがりたい――。さっき行ったばかりだけれど。
 目前に、何か異様な、壁のようなものがある――。正確には、「山」だ。青い、ガラス張りの“山”がハリエットの碧眼に、飛び込んできたのだった。ワールドトレードセンター街の奥に、頂点にいくつかの峰を持つ巨大な――、人工物としては不規則な射線を多く持つ複雑な山。それはビルだった。高さはおよそ八百メートル級、横幅もとても大きく、一キロくらいはあるだろうか。ハリエットはそれを観て一瞬、パッと浮かんだモノがあった。人工物としてはやや非対称的なピラミッド型――いや、これは「マッターホルン」だ。観た事がある形状――スイスのアルプス山脈にそそり立つ、マッターホルンに酷似した山の……形のビル。
 確かそこは、バッデリー公園だったはずなのに!
「な――何……これ」
 街往く人は誰も気にしていなかった。この、巨大な山のようなビルを――。ついさっきまで、こんなモノはなかったハズだ!
 ハリエットはバイクを路肩に停めて、急いでスマホで確認する。
「マンハッタンホーン?」
 なるほど、マンハッタンにあるから「マンハッタンホーン」、という訳だ。幅一キロメートル、高さ八百メートル。ビルは二段に分かれ、下部は五百メートル、上部のピラミッド部分だけで三百メートルもある。
 調べてみると、ロートリックス社の本社らしい。アメリカ最大にして世界有数の、多国籍企業ロートリックス・グループは、当然、ハリエットも知っている。
 ゆっくりとバイクで近づいてみると、その圧倒的な迫力と美しさ! みるみる圧迫感を伴って迫ってきた。世界中に、おそらく二つとない建築物に違いなかった。ピラミッドよりも万里の長城よりも、いや、インドのタージ・マハルよりも、日本の大仙古墳よりも……歴史上のどんな建物よりも存在感が際立っている。いや、現代に七不思議があるとしたら、その一つに数えられるであろう、NYのマンハッタンホーン。
 マンハッタンホーンの敷地に沿って、島の外周にう回路が整備されていた。
「バッテリーパークがない! ……無くなってる!」
 バッテリーパーク消滅と共に、その周辺のビル群も区画ごと消えていた。リバティ島へは、バッテリーパークからフェリーが運航されていたが、ハドソン川の北の方にフェリー乗り場が変わっていた。
 ハリエットは港を観にバイクで進んだ。そこに現れたものを見て、さらなる衝撃が走った。海上にまた別の異様なモノが出現したのだ。
 マンハッタンホーンの真横に位置するガバナーズ島に、高さ一キロメートルはありそうな巨大な白い塔が聳え立っていたのである。それは、マンハッタンホーンと橋でつながっているのだった。ロウワーマンハッタンの景色がすっかり変わってしまった。パパが殺されるまで――……こんなモノはなかった。……気持ちの整理がつかない。自由の女神は、遠くに小さく見えている。

 ――あぁ、良かった。女神はまだそこにあった。

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