第31話 レディと呼ばれた女 シェード・フォークナー

文字数 4,867文字



二〇二五年五月一日 木曜日

 翌朝九時半。
 前夜の長い長い戦いに全員が疲れ果て、朝からアイスターのアパートメントのシャワーはフル回転していた。
 普段から毎日ベーグルを作っているエスメラルダは、アパートの大型キッチンを借りて、みんなに朝食をふるまった。ベーグルに目玉焼きを乗せている。
「そういえばハンバーガー食べたいって、ハティ言ってたよね」
 かをるが急に思い出して言った。
「ハンバーガーか……久しく食べてないな。張り込み時のバーガーなんか格別なんだが」
 エイジャックスはベーグルをほおばった。
「あたしも」
「ヘェ……皆知ってんのね」
 かをるは不思議そうに見まわした。
「エスメラルダさん、作れない?」
「ウーン」
「料理も科学実験と同じだ。レシピがあり、材料があって、分量とタイミング、つまり時間を測って作る。何も恐れることはない。レシピさえ分かりゃ後はトライ&エラー。けど多くの場合、経験がものをいう。つまりインスピレーションだな……」
 と、アイスターは自説を述べる。
「たとえば牛肉は表面だけしっかり焼けばOKだが、豚肉と鶏肉は中まで火を通さないとダメだろ?」
「はいはい……」
 アイスターは科学者であるが、料理が趣味で、科学の研究も料理も通じるところがあるのだという。
「料理にはすべて科学的根拠があるんだ。万人がうまいと感じる塩分の濃度は? 答えは約一パーセントだ。そこには生理科学的な理由があるのさ。涙を流さずに玉ねぎを刻むには? あらかじめ水に玉ねぎを浸しておく。あるいは、両腕を濡らしておく。単純な話、カレーを煮込む時にはただ具とルーを放り込むだけじゃダメだろ。常によくかき混ぜないと焦げた味になり、美少女に叱られる」
「美少女って誰ヨ?」
 スーが突っ込む。
「目玉焼きをこんな風にきれいに作るには?」
「低い位置からそっと、フライパンに落とす?」
 エスメラルダが答える。
「そう! そのためにあらかじめ容器に割って入れておく。蓋をせずにフライパンで焼く。黄身を中心に保ちたきゃ、指先数本で数秒間軽く固定する。この時、水を入れちゃいけない。水っぽくなるからな。それらの<法則>さえ押さえちまえば、未知の料理なんて怖いものなしだ。ましてエスメラルダはベーグルづくりの経験があるんだろ。誰もがうまいと納得するバーガーができるはずさ」
 朝っぱらから、アイスターのマシンガントークは絶好調だった。
「分かった……ちょっとやってみる」
 エスメラルダはバーガー再現に乗り出すことを確約した。
 ――が、それでアイスターのトークは止まらない。つづけて和・洋・中・エスニックの特徴について語り始めようとして……、
「アーもうウルサイウルサイウルサイッ!」
 スーがうんざりという感じで両手を振り上げた。
「俺たちは七人か……」
 テーブル席も七人が座れた。
 ハリエット・ヴァレリアン、かをる・バーソロミュー、エスメラルダ・ガルシア、エイジャックス・ブレイク、マクファーレン・ラグーン、ヴィッキー・スー、アイスター・ニューブライト。ロックの娘ハリエットの下へ集まってきた七人のメンバー。
「十人十色ね」
 メンバーを観て、エスメラルダが言った。白人男性二人、白人ケルト女性、ヒスパニック女性、日系ハーフ女性、それに黒人男性。彼らはハリエット・ヴァレリアンのもとに集まって、真相解明に立つことを誓った。存在しないはずの記憶、ラリー・E・ヴァレリアン効果。それを共有している者が集まり、ともに活動するのだ。
「敵はあまりにも巨大だ。全世界を支配するスケールだぜ。それに対してこちらは七人」
「俺はこっちの方がいい。少人数の方が精鋭になるからな」
 マックが銃の手入れをしながら言った。
「まさかの友こそ、真の友――」
 とアイスターが言うと、エイジャックスがジロッとマックを観た。
「友情は幸福を向上させ、悲惨さを和らげ、喜びを二倍にし、悲しみを半分にする!」
 ハリエットは、キケロの言葉を引用した。
「――分かったぁっ! これさ、このストーリー」
 かをるが素っ頓狂な声を上げた。
「うん?」
「七人の侍だよ! 黒澤映画の」
「ははぁなるほど――NYの七人」
「オレたち侍か?」
 ベーグルをもう一つ取りながら、エイジャックスは左手でオレンジジュースを口にする。
「NYの志士だよ! 世界の状況は、日本の明治維新にも似てる」
 とかをるが言った比喩に、全員きょとんとした。
「うん、そう。百五十年前の徳川幕府時代、日本が三百年間ずっと鎖国してたんだ。そこに、アメリカから四つの黒船が来航して開港を迫った。幕府はペルー提督と“不平等条約”を結んだ」
「不平等条約か……つまりグレイとのだな」
 マクファーレンが頷く。
「そうそう。そっからが本当の始まりなんだ。不満を持った勢力――諸藩が立ち上がり、全国に倒幕運動が起こって、およそ十年後に、明治維新が達成されるのよ!」
「アメリカのこの状況も一緒か」
「まったく一緒」
「つまり全世界に、宇宙人との不平等条約の存在がバレるってことは、必然的に革命の流れが起こると?」
「そう、アメリカだけじゃなくて、地球自体が宇宙に対して鎖国をしている――ずっと鎖国してきたのよね。そこで一九四六年、アメリカ政府は宇宙人に開国を迫られて、一時的に不平等条約を結んだ」
「フム……世間に公表したら大騒ぎで確かに革命が起こるぜ!」
 アイスターは細長い指をパチンと鳴らした。
「そして革命をつぶそうと、白装束を羽織った新選組もやってくる……」
 UFO、宇宙人問題は、今日まで都市伝説と化して隠されてきた。もしすべてが事実だと分かったら、各派閥がいきり立ち、打倒政府などでは済まない、闇将軍、影の権力討伐運動が始まるだろう。この場合の「幕府」は影の政府、軍産複合体だ。
「黒船を目撃した長州藩の吉田松陰は、民衆蜂起を願った――そして松下村塾って私塾を作り、そこで革命家を育てた。でもわずか二年半後に処刑される。だけどそこで育った志士たちの倒幕運動で、十年後に明治維新が果たせた。マーク・トゥエインが伝記を書いている」
「革命家の教育機関……きっと、父はそれをするつもりだったのよ」
 軍人たちのディスクロージャーチームは、その反乱の意思だろう。
「今は私たち、七人の侍でね!」
 かをるが締めくくると、
「選ばれし者の恍惚と不安、ともに我にあり――ってか!?」
 アイスターが乗っかった。
「――七人の侍も結構だが、これからディスクロージャーするなら、何かチーム名が必要なんじゃないか?」
 アイスターは昨日と違って、戦いに対する意欲に満ちていた。
「チーム名か……」
「君が決めろよ、市長の一人娘だ」
 エイジャックスはハティをじっと見た。
「そう……ライト・クルセイダーズがいいわ! だって、光十字(ライトクロス)だもの!」
 ハリエットはコップを振りかざし、張り切って言った。
「オオ……」
 アイスターは目の色を変える。
「何かカッコイイぞ」
 NYライト・クルセイダーズ、七人の侍……いや、七人のニューヨーカーたちは、まずはネットで公表を試みる。それについて、ヴィッキーが懸念を示した。
「ここの設備からじゃディスクロージャーは無理! おそらく、三十分とかからない内にサイノックスのサイバーパトロールに検閲されて削除されるわね。あたしのアジトも破壊されちゃったし――ここじゃシステムを構築できない」
「そうか――協力者がいるな」
 マックはアイスターを観た。
「その接触に失敗した相手ってのは?」
 エイジャックスはアイスターに訊いた。
「正体はまだ明かせないんだが、……刑事さん、そう睨まないでくれよ」
「ディスクロージャーチームと接触するわ。彼らは確実な資料を持っているんだから。支配者から、かつてのオルレアンNYを取り返す!」
 ハティはアイスターの目をじっと見て言った。
「まぁ、分かったよ。そうなるって分かってた。どうなっても確約はできないが、娘さんよ、俺はあんたの鳩ビューイングを信じるぜ」
 アイスターは、鳩を操るハリエットと出会ってガツンと衝撃を受けたのだ。ヘーゲルの言った通り、天才は天才を知るのである。
「レディだ。――そう呼んでる」
 その人物は、レディという。だが、アイスターはもう連絡がつかないと言う。
「とにかく会ってみよう」
 ハリエットの結論で、アイスターを信頼することにした。
 エスメラルダとヴィッキーが共同で、レディへの連絡先を突き止めると、秘密の暗号メールでアクセスした。相手の身辺を調べたところ、そんなに怪しい所はないが、情報が少ない。
 慎重に車に乗り込む。席は三列あり、七人でも乗れた。追手の気配は去っていた。車は、スーが街カメラをハックしたルートを移動していく。

レディと呼ばれた女

 グランド・セントラル駅近くにある巨大レストランカフェのVIPルーム“ザ・ガーデン”。昼間、緑に包まれた屋上テラス席で会う。その方が安全だ。アイスターはレディの下へと案内した。派手な外見の女性が紺のスーツを着て待っていた。
「やぁレディ」
 百八十くらいの高身長、スラリとした、モデルと見まごう、エキゾチックな黒人美女だ。ブロンズのように美しく輝くきめ細かな黒い肌に、直毛にしたアシメヘア。そして、目の色が青かった。
「彼女だ」
「ワォ!」
「初めまして。連絡したエスメラルダ・ガルシアよ」
 エスメラルダは手を差し伸べ、しっかりと握手する。
「クロード記者は、残念だったわ、本当に」
 レディはエスメラルダに言った。レディは、クロードと会う予定の人物だったようだ。この時エスメラルダは、初めて二人の接点を知った。
「ハリエット、皆さん、私もあなた方の身辺を調べました。敵でないことを」
 レディはハリエットに向いた。
「あんたはこの町のレジスタンスを知っているのか?」
 エイジャックスは単刀直入に訊く。
「ええ……」
 レディはアールグレイの紅茶を飲みながら、頷いた。
「今、“彼ら”のグループは仲間が逮捕され、次々と拠点をスクランブラーに攻め込まれている。極めて難しい状況に置かれているの。果たしてあなた方が思っているような展開になれるかどうか――私は保証はできません」
 レディは不安を口にした。
「あなたは伝手を持ってるの?」
「えぇ、接触することは可能です」
 レディは確約したが、相手は秘密結社だ。NYPDやスクランブラーに追い回され、現在、NYの地下深くに潜っている。
「まぁつっても、かなり用心深いのも当然だろうな」
 マックは辺りの客や支給係の様子をうかがっている。エイジャックスも同様に。
「会わせて欲しいのレディ、レジスタンスに! 大丈夫、後は私が説得する」
「……」
「きっと私が言えば、分かってくれる。求めよ、さすれば与えられん! 探せ、さすれば見い出す! 門を叩け、さすれば開くって、マタイ伝に書いてあるわ」
 ハリエットは、自由の女神の前に立って祈った時、女神のトーチが光十字に輝き、彼女にNYを解放しろと言ったのだと主張した。果たしてレディは、ハリエットの顔をじっと見て、うなずいた。
「相当な自信があるのね。分かったわ。今週の土曜日に結社の会合があるから、そこへ参加させてあげる。あなたのペンダントの形、そのものね」
 光十字はハリエット自身だった。レディもあの時、自由の女神の奇跡を見たのだ。
「ありがとう」
 光十字がカギとなって、自分をどこかへと導いている。それは父からのメッセージであり、遺産(レガシー)だった。そして、レジスタンスへの道しるべとなっていた。
 なぜ彼らは、光十字の入った木箱をアパートに置いていったのだろう? 大事なものを見落とす――それが、ギャラガーの人となりを示しているのだろうと、ハリエットはぼんやり考えていた。父が、あえて何気ない土産物の中に、大切なものを忍ばせていたことも理由に挙げられるだろう。
「シェード・フォークナーよ。よろしくね」
 レディはゆっくり席から立って、あいさつした。この彼女の微笑こそ、<モナ・リザ>だった。
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