第8話 スモーキーレイン リチャード・ヴァリスとは何者か?

文字数 6,349文字

二〇二五年三月二十日 日曜日

 エイジャックス・ブレイク刑事は、あごひげを撫でながら、NY州全体の誘拐・行方不明事件のリストの画面を見つめていた。最近一週間でも、マンハッタンだけで十数件の市民が行方不明になっている。
 被害者は長くても数日、早ければ数時間後には家族の下へ帰ってきた。健常者でアルコールや薬に無縁な人でも、まるで夢遊病のように失踪中の記憶があいまいで、その数日、数時間のことをすっぽりと忘れている。
 彼らの中には、自宅の屋根ギリギリを低空飛行する黒いヘリコプターを目撃した者が何人かいた。ヘリは住宅街を低飛行し、風で家が揺れた。それなのに音が全くしなかった。
 無音のヘリは機体、プロペラ、窓、翼がすべて真っ黒に塗りつぶされ、機体にあるはずの識別番号やマーク、文字類がないと、目撃者は口をそろえて言った。
 同時に、UFO目撃情報が多発している。戻ってきた一部の市民は、UFOにさらわれたと主張する者が多かった。記憶喪失の違和感に加え、ある時、奇妙な記憶がフラッシュバックするのである。
 アメリカ全土に視野を広げると、昔から各地で数多くのUFOによる誘拐事件が頻発していた。ロック市長の暗殺前の告発は、真実なのかもしれない。
 エイジャックスは連続失踪事件の捜査に追われていたが、それこそ市長が言った、UFOが関係しているのだ。UFOによるアブダクションがここNYで続いていた……。エイジャックスも、ハリエットのように疑問を感じていた。
「だが……いつからNYはこんな事件が頻発し始めたんだ?」
 ハンター署長は、記憶喪失で片付けたがっているように思える。エイジャックス自身、UFO問題はニガテだったが、UFOとの関連性を無視できないと考え、抗議した。NYPDとしては、UFOなどを公式に取り上げ合いにくいにせよ――。
 彼らは嘘をついていない。多くの共通点がある。それを「共同幻想」の一言で片づけるには、あまりにも不自然なほど証言が似通っていた。もはや、警察としても何らかの対策を講じるべき時に来ている。
 もっとも、行方不明事件に関しては、もっと不可解な事件が起こっていた。全米で何万人もの人が消えている。こっちは、二度と戻って来なかった。それは、UFO問題とはとても思えない代物だった。工場の工員や職場の社員たちが、丸ごと消ええてしまう。にわかに信じられないが、数十人、多い時で数百人単位で消失している。
 特にこのNYで、再開発中のイースト・ロウワーマンハッタン区の作業員が丸ごと消えるという事件が発生していた。ビルの多くが解体中で、立ち入ることができないエリアの中で、「何」が起こっても不思議ではないかもしれない。
「火星にでも行ったのかな」
 NYでは、不気味な現象は他にもあった。音のないブラックヘリの目撃の他、天候の異変、そして、MIBと称される黒服の男たちの出没。もしもUFO誘拐が事実なら、軍が出動するべき非常事態であろう。その場合はマンハッタンに迎撃ミサイルを配備し、近づく未確認飛行物体を撃ち落とすより他にない。NYPDでは到底、UFOは手に余る。
 そういえば、マンハッタンホーンへ夜間、UFOが吸い込まれていくように見える映像がいくつかネットに転がっていた。
「あの人工山には何か、UFOと関係があるのかもしれない」
 という、都市伝説がまことしやかに語られても、まったく不自然な話とはいえなかった。あのビルにはそれだけの魔力がある。一説には誘拐事件は、NYの秘密結社が関係しているという。伝説によると、NYは秘密結社の爆心地だ。アウローラやマイカ、そしてよみがえるシリウスの光団等々。
 じんわりと冷や汗が噴き出た。マンハッタンホーンは、ロートリックス帝国財団の本社だ。

 視点を変えてみよう。タイムズスクエアの狙撃事件だ。
 ロック・ヴァレリアン市長暗殺の後、連続で二人の関係者が死んでいる。犯人のリチャード・ヴァリスと、事件を追っていたクロード・クロック記者。二人の死は不可解だ。果たして署内に暗殺犯が存在したのか?
 エイジャックスは音響鑑識室に入ると、VTRや街中の監視カメラ、動画類を集めて調べ始めた。音声異同識別で、その音声が同一人物の声が別人か、声紋を鑑定する。裁判でも証拠として使用できる。
 また背景音で、どこで、どのような状況で録音されたかを解析する。そこに何かヒントが隠されているからだ。さらに、音響分析で編集されたものかどうかも解析することができる。
 音響分析官の手ほどきを受けていたエイジャックスは、音声をコンピュータで周波数分析を行った。
 まずはTスクウェアのロケーション情報。集めたVTRを、順に動画再生する。
 ハリエットは言っていた。ビルの上階から撃ってきたと。どの方向から弾が飛んできたのか? ハリエットに云わなかったことがある。弾丸はまだ見つかっていなかった。
 エイジャックスは、淹れたてのブラックコーヒーを片手に、映像を丹念に調べた。Tスクエア広場に集まった三千人近い聴衆の中で、ハリエット・ヴァレリアンが、確かに一人だけ上を見上げていた。長い金髪のポニーテールの少女は、何かをじっと見つめていた。
 ハリエットは騒音の中で、上を指さし、確かにその口元は「スナイパー!」と叫んでいるらしい。でも周りにかき消されて、誰も気づいていない。彼女は確かに上空で「何か」を観たのだろう。
 次に、エイジャックスは音を分析することにした。音声自動識別システムで、発生した同一人物のスペクトル波形をじっと眺める。やはり、ハリエットは何度か“スナイパー”と言っているようだ。
 調べると幾つか不審な点が見つかった。まずは銃撃音の直後に、甲高い金属音が響いている。正体は分からない。あまりに唐突だ。
 次に倒れ方。ロック市長はSPの盾に隠れたが、リチャード・ヴァリスが撃った前方からとは、わずかに違った方向に倒れているように見える。
 まさか、跳弾?
 ハリエットは、メトロポリスタワーの展望台、トップ・オブ・ザ・ワールドからスナイパーが跳弾で殺したと主張する。
 そんなことが可能な訳がない。だが、弾は見つかっていない。確かに不可解な弾の痕はある。現場で弾丸の捜索時に、奇妙な凹みが見つかったのだ。ただし、いつのものかは分からず、無視された。
 エイジャックスはその証言を仮説として、コンピュータ・シュミレーションで再現した。確かに、跳弾だとすれば、ちょうどその凹みで弾は跳ね返り、市長の胸に当たったことになる。
当日上空はビル風の突風が強く、それも弾道計算に入れると一人ずつ、二発のみ撃った。しかも跳弾を利用して、弾道を変えて、捜査をかく乱している。
 スマホがたくさん向けられ、検証はされている。SPの動きにもエイジャックスは疑問を抱いた。せっせと路上の原稿を拾っている。それどころじゃないはずなのに、なぜだ?
 我々NYPDは、地上ばかり見ていたのかもしれない……。ライブカメラの映像もすべて地上のリチャードを映していた。誰もビルを見上げず、音は四方にこだまして方向が分からない。同時に複数発鳴っていたのか? リチャード・ヴァリスが二発銃弾を撃った際、一発目に別の銃声が重なっていた――? 彼女は、唯一の目撃者なのか?
「ハリエット・ヴァレリアン。ロック市長の一人娘の言ったコト、もう一人の殺し屋の存在――か」
 ハリエットの言い分だと、神業的なスナイパーが居たことになる。カメラでも映らないような、かなり上階の角度。ライフルの最大射程距離は2.5キロメートルだが、隙間のようなビルの渓谷で、当日、上空は雨模様、ビル風もあった。たとえ真犯人を捕え、起訴できたとしても、刑事裁判ではおよそ不可能とされ、罪に問うことは適わないだろう。だから、検察もしり込みして起訴しない。
 音を何度も分析すると、わずかに最初の一発に二発の銃声が重なっている証拠が出た。かなり小さな音だが、重なっている。これが真実なら、真犯人は別にいるのかもしれない。だがそれもビルのこだまとか、録音の誤差で片付けられそうだ。確証までは至らない。同僚たちは否定するだろう。

 ハンター署長はエイジャックスのひげ面をじっと見つめて、その主張に耳を傾けていた。
「もしもそうなら……犯人はプロの軍人か、特殊な訓練を受けた者ってことだな。とてもギャングの類ではないだろう。しかしだ……ここはNYだ。野山の射撃場とは違う。ビルの谷間で視界も狭いし、そんな上等な腕を持った殺し屋を雇えるギャングはこのNYにはおらんよ! もし居たら軍が率先して雇うべきだろうね」
 署長はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓へと向かった。
「コレはどうするんです? 捜査する必要があるのでは?」
 エイジャックスは音響捜査のUSBメモリをデスクに置いた。
「このことは黙っていろ」
 署長はUSBメモリを一瞥すると、かん口令を敷いた。
「何でです?」
「そんなに重要な証拠とも思えない。無駄な捜査は中断しろ。我々はテロ事件の方で忙しいんだ。今はそっちに集中しろ」
 ハンターはエイジャックスと向き合うと、眉をひそめて命令した。

 お次はZZCのクロード・クロック記者の事故死。
 車は幅寄せされ、奇妙なスリップで、自損事故を起こした。
 人体発火現象――黒焦げ死体だったのに、検死結果は改ざんされている。……車ごと燃えたことになり、車はすでにスクラップ行きでこの世に存在しないことに、エイジャックスは気づいた。エスメラルダには申し訳ないことをした。
 捜査するな……だと? 何様だ。普段からもう少し現場に出て捜査していれば、こんなに後手後手にならずに済んだんだ。ロック市長を葬ったテロだって、人員を割いて、事前にテロ情報をもっと分析しておけば防げたかもしれない。マスコミや全国の専門家連中の言う通り、タイムズスクエアのあの場の警備体制に不備があったのは確かだ。その責任は全部このNYPDにある!
 署内で腐っていても時間の無駄だった。エイジャックスは捜査に出かけることにした。充てはなかった。
 リチャード・ヴァリス。
 NYギャング・アイアンサイド一家の中堅幹部の殺し屋だが、経歴に謎があり、一切過去が分からない。突如、ギャングのリーダーとして最近浮上した。下っ端のチンピラとしての過去はない。それに、幹部後もよく分からない。ロック暗殺で唐突に出てきた名前の印象が濃厚だ。本当に謎の多い人物。
 いや、端的に言って……、
<――そんなヤツいたのか?>
 それが、エイジャックスの率直な感想だった。NYPDに二十年間勤務するエイジャックスでさえ、NYギャングとしての彼の存在を聞いたことがない。貼り付けられたような、殺し屋としての肩書。
 ただし……別の人物としてのリチャード・ヴァリスなら、知っている――はずだ。「知っているはず」というのは、不可解なことにエイジャックス自身、はっきりとした確証がないにも関わらず、その感覚だけに取り付かれていたからである。
 同姓同名とも、他人の空似とも違う。あの男には見覚えがある。別の顔がある。そのはずだ! だが、よく思い出せない。――どこで見た?

 近頃、NYの天気は雨だらけだった。雨季でもあるまいに。確かに、春は天気の急変が多い。でも、こんな長雨……。エイジャックスはブルックリンのグリーンウッド墓地にある真新しい墓に向かった。共同墓地の一角に、リチャード・ヴァリスの墓があった。
 死んだリチャードの墓に、先客がいた。
「あなたは?」
 女が向き合って、あいさつした。
「刑事のエイジャックスです」
「そうですか……」
「ヴァリスの関係者ですか?」
「……いいえ。我々は――」
 というと、女は言いよどんだ。
「刑事さん、聞いてもらいたいことがあるんです」
「どうぞ」
「私たちは市長を殺したこのリチャード・ヴァリスという人物とは無関係です。でも、彼を知っているような気がしてならない。ここ数日、気になって気になって、答えが……何かヒントがあるのかと思って、墓へやってきたんです。市長を殺した凶悪犯です。関連なんてあるはずはない。でも、彼を知ってるような気がしてならない。いやそうなんです。彼は、私の夫だった記憶があるんです」
「それは――……」
「私たちの家族みんながです」
「どういうことでしょう?」
「我々にも分かりません。どういうことなのか」
 その家族はリチャードと一緒だった記憶がある、という。当人は別の男と結婚しているのだが。本人たちも何が起こったのか分からず……当惑しながら、答えを探そうと墓参りに来たのだという。まるで訳が分かってない実際の夫を連れて。
「刑事さん、あなたならリチャード・ヴァリスについて何かご存じではないですか? 一体私たちの記憶は、どこから来たんでしょうか?」
「いいえ……そのような話は初めて聞きましたが……、まぁ、何か分かったらお伝えしましょう」
 エイジャックスは連絡先を交換し、“家族”たちと別れた。
「あの家族は……なんだ?」
 身なりや話し方から、およそ、ギャングの関係者とは思えない。しかしそれはエイジャックス自身、リチャードに感じていた違和感でもあった。逮捕や取り調べの際、リチャードからは、ギャングがまとう独特の暗い成分がみじんも感じられなかったのだ。単に刑事の勘のレベルでは済ませられない感覚が、エイジャックスを包み込んでいた。
「どっちが本当の彼なんだ」
 確証はないが、リチャードには別の経歴が、別の人生があったはずだ。そいつがなぜかギャングに――。

 草むらにうずくまってた男が、じいっとこちらを見上げている。
 おもむろに立ち上がったのは若いホームレスだった。エイジャックスの顔を見ると、指をさした。
「アレ……あんた……」
 男は三十代くらいで、短い無精ひげで、ニヤッとして声を駆けてきた。
「俺だよ、ポールだよ、エイジャックス!」
 異様にギラギラと目だけが光っている。
「――は?」
「相棒の顔も忘れちまったのかヨ? また一緒に奴らを追い詰めようぜ、なぁ兄弟!」
「お前のことなど知らん」
 エイジャックスは話を続けようとする若いホームレスを振り払い、雨の墓地を立ち去った。
なぜ、俺の名を――?
 さっきの話題を聴いていただけなのか。それとも――。
 振り返ると浮浪者はまだこっちを見ていた。

 こんな妙な日は久しぶりだ。
 エイジャックスは車で署に戻ると、徒歩でビル屋上にあるルーフトップバーに寄り、二・三杯ひっかけてから帰宅することにした。
 雨は上がっていた。
 夜風に当たり、ラムをベースとするダイキリのグラスを傾けて夜景を眺めていると、白い光沢のあるキャミソールを着た長い白髪の女が、カウンターの隣に立っている。ぼんやり考え事をしていたエイジャックスは、いつから彼女がそこに居たのか全く記憶がなかった。そんなに飲んだわけでもない。単に、気が付かなかっただけかもしれない。
 彼女はクルッとこちらに顔を向けると、
「あなた、見たことある。この町の刑事さん、でしょ?」
 うりざね顔に切れ長の目でじっと見つけた。背中に、腰まである白い髪が垂れている。
「……一応言っとくが」
 なんだ、この女。
 エイジャックスは露骨に怪訝な顔を向けた。さっきの墓場での出来事の直後で無理もない。
「言わなくていい。誰もが知っている」
「何を?」
「今に分かるわ。――今のわずかな幸せを失いたくなければ、無茶は禁物よ」
 エイジャックスのグラスを傾けた手がピタッと止まった。
「…………」
「エイジャックス・ブレイク」
 ハッと女を見ると、忽然と消えた。バーの人ごみを見回しても、女はどこにもいない。
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