第7話 ディープ・イン・NY 帝国を欺くモノ

文字数 4,967文字



二〇二五年三月十六日 日曜日

 季節外れの雷鳴が鳴り響き、その直後、ハーレムからミッドタウンに掛けて雹が降ってきた。このところNYでは、異常気象が頻発していた。
「ハリエット・ヴァレリアンは、市長の一人娘だ。絶対に何かヒントがある。ロック市長は娘に何か託しているかもしれない。唯一の身内だ!」
 クリーム色のくせ毛が湿気で、いつも以上にはねたクロード・クロックは記者としての冴え渡った直感を矜持として、冷ややかなZZCの局内で、ただ一人猛烈に取材を続けていた。
「君は彼女を追ってくれ――」
 そうクロードは言ったが、当のハリエットにエスメラルダは避けられていた。
「ライジンガー局長がもう辞めろって……」
 彼は、ニュース番組プロデューサーでもある。
「ほっとけあんな石頭、こっちが証拠を差し出せば奴(やっこ)さんだって黙るさ!」
 けれどイタリア系の上司の情熱を思うと、彼女は「できない」とは言えなかった。
「それであなたはどうするの?」
「俺はこれから――刑務所内の“暗殺事件”を追う。命懸けの取材になるだろうな」
「何か見つけたの?」
「……ギャラガー市長との接点を発見した。情報提供してくれた人物とこれから面会予定だ」
「誰なの? 先に教えて」
「まだはっきり言えない」
「いいじゃない」
「あぁ――そう、『アウローラ』だ」
「アウローラ?」
「帝国を欺くモノさ」
 そう言って、銀色のシガーレットケースから煙草を一本加えて火をつけた。
(クロード……すっかり煙草をやめてたのに。また吸うなんて……)
「何なのよそれ……」
 悪の帝国?
「だから、このNYの秘密結社だよ」
「秘密結社?」
「――そういや、ホピの予言って知ってるか?」
 クロードは足を止めた。
「二〇一二年に地球が滅びるとか、なんとか……」
「あぁ、それだ。彼らは口伝で数万年の歴史を受け継いでるんだが、部外秘だった予言が表に出るきっかけになったのが、大戦時の広島と長崎への原爆投下だった。ホピ族が住んでるアリゾナの土地には、大量のウランが眠っていた。それで彼らは土地を追われた。結果、原爆が投下された。予言では灰の詰まったひょうたんが白人によって開発され、川は沸騰し、不治の病を作り出し、草も生えない大地に変えてしまうという」
「きのこ雲のことかしら」
 クロードは、確認に満ちた鷹のような目でうなずく。
「そう、その写真を見てホピの長老は驚愕した。ホピ族はNYの国連本部に何度も足を運び、三度目にして予言を公表し、核兵器廃絶を訴えるスピーチを行った。一九七六年のことだ」
「それと、市長暗殺と何の関係があるのよ?」
「NYの国連ってところが関係あるんだよ。それをこれから確かめに行く」
 エスメラルダは軽く手を振って上司を見送りながら、大きな胸の下で腕を組んだ。

 それから二時間、エスメラルダはクロードが残した大量の資料の整理に追われていた。秘密結社やら「アウローラ」やらが何だか分からないが、クロードには数々の情報源があり、審議不確かなネタや、怪しい人物からのタレコミも多かった。彼は資材費をギリギリまで使い切り、時には身銭を削って、幅広いネットワークを形成していた。その全貌はエスメラルダも知らないのだ。「夜明けは近い」ともメモされている。
「夜明けか……何の?」
 クロードはホピ族の予言についても力説していた。予言の詳細は、ネットにいくらでも転がっていた。
「<大地の上で、石の川が互いに交差する>、フ~ン、これはハイウェイのことね……。<白人が大陸を占領する。我々を雷の棒で打つ>、つまり、白人が銃で先住民を撃つ……と。<巨大な蜘蛛の巣が地面をおおう、人々はこの蜘蛛の巣を通じて話を始める>、電話回線かインターネットね。<大声を出す糸車が現れる>、これは、車。<海が黒く色を変える。多くの海の生命が死ぬ>……原油流出事故かしら。<髪の長い若者が、原住民の生活様式を学びはじめる>、ヒッピー文化?」
 なるほど、これが本当なら確かにホピ族の予言の多くは当たっているようだ。今回の事件と何か関係があるのだろうか? そういえば、国連事務総長カリアン・ローガンシーは、確かアメリカ・インディアンの出身だった。
「フゥ……」
 肩をもんでコーヒーに口をつける。
「大変だッ!」
 ライジンガーが部屋に走り込んできた。
「えっクロードが……死んだ!?」
 エスメラルダは固まり、紙コップを床に落とした。ピクリとも動かず、局長の言葉を聴いていた。呆然とし、頭が真っ白になる。
 クロードは、自損事故を起こしたらしい。
「ちょっと待ってください、彼は無茶な運転はしないわよ。決して――」
「ああ、そうかもな。だが、かなり焦っていたようだ」
 エスメラルダは局長を一瞥し、椅子の背に掛けた上着をひっ掴んで、走り出した。

 エスメラルダの緑色のビートルがチャイナタウンの事故現場に駆け付けると、捜査中の警官の中に、エイジャックス刑事の姿があった。
「まるで電子レンジだ」
 エイジャックスはつぶやいた。不審な点があった。車はボンネットがつぶれ、車内で、人体だけが激しく燃え、墨と化していた。だが、遺体の損傷が激しかった。只の事故ではない。
「こんな……車は燃えてないのに」
「被害者だけ雷に打たれたようだ……」
「彼はロック市長暗殺の真犯人を追うと言ってました……重要な証拠を見つけたんです、きっと」
 エスメラルダはエイジャックスにしがみつき、必死で訴えた。
「そのタイミングで殺されたんです! 奴らに!」
「自損事故だ。遺体はこれから検死するが」
「おかしいですよ! どう見ても普通の事故じゃない」
 エスメラルダは抗議した。
「人体発火現象では? きっと何者かに追われていたのよ! そして特殊な方法で殺された。そうでなきゃ……クロードは飲酒運転も居眠りもしたことはないんです!」
 タバコは吸っていたが、まさかそれで人体発火現象が起こる訳でもない。
「まぁまぁ、タバコの不始末にしちゃ不自然だが、無関係かどうかはこれから調べる。人体を燃焼させるには、少なくとも千度を超える高温が必要だ。そんな温度は簡単に発生しない」
「最後に私に、秘密結社に会うと言ってましたわ」
「秘密結社だって? ヤレヤレ……そいつは都市伝説か何かでしょうな。クロード記者は陰謀論をTVで騙っていた。だが……陰謀論者は後出しじゃんけんでの辻褄合わせばかり。予想するのは結構だが、外れたらちゃんと責任を取らんと」
「そんなんじゃないわ!」
 とはいえ、エスメラルダも「そうでない」とは断言できない。クロードが妙な都市伝説にはまり出したのは事実だったから。しかし、このままでは、クロードの死は事故と断定されかねない。この頭の固い刑事によって。
 クロードは取材中、何かを掴んだと確かにエスメラルダに言った。アウローラがなんだか分からないが、その直後に、自損事故を起こした。人体発火現象という超常現象を引き起こして。その真実が、書類一つで片付けられようとしている。
 エスメラルダは、現場から追い出され、ゆっくりと歩き出す。
「何者かかがこのNYで動いている……。彼らはプロの暗殺部隊! 市長の関係者が次々と消されている。アウローラ――いったい……この先、何人殺されるのよ、この先も事件は続くわ!! 次は――私か。このまま取材を続ければね。でも――やめない」

「どうしてですかッ!」
 四時間後、エスメラルダが社に戻ると、ジャン・ライジンガー局長は会議室でZZCの幹部会議に出席していた。
 クロード・クロック記者は事故死した。すると、クロードの書いた記事は、誤報だったとして社から正式に撤回され、ZZCは謝罪した。
「まだ取材は終わってません! 続けさせてください!!」
 エスメラルダは金切り声を上げ、クロードのさらなる記事を出そうとして、幹部たちの見ている前で、ライジンガー局長と大喧嘩になった。
「クロードの記事は、裏が取れないネタばかりだ! 法務局のチェックもごまかしで通していた。その上、経営陣の判断だ、我々にはどうしようもないだろ」
 その上事件をクロードは、UFO問題と絡めて捉えた。批判するデバンカーたちにとって、それは根拠のない言説で、論理に飛躍があった。
「消されたんですよ! クロードはロック市長を殺した真犯人に!! きっと、うちの社にも圧力があったんですね、政治屋たちの……」
「また憶測でバカなことを――こんな会議の最中に! 君が勝手に発言を許されてる場じゃあないッ!」
「バカはZZCですわ!」
 会議室がシンと静まり返った。
「オイ正気か? 大きい声を出さんでくれたまえ、こっちは寝不足なんだ。頭に響く……記事の取り消しであちこちに頭を下げに行くハメになった。ま、そういうことだ!」
 会議は休憩となり、ライジンガーはドリップコーヒーを淹れ終わると、紙コップを口に運んだ。
「そんなことより、クリスティアン・カラベルの記事はどうした? 火星有人探査の記事はもう書いたのか?」
「えぇ、書きましたとも。ウィキペディア丸写しだけど。残りはAIチャットでチャチャチャッとね!」
 エスメラルダは口から出まかせで言い返す。こんな男には微塵の尊敬も感じない。
 NASAのアルテミス計画は、二〇二五年七月に、女性宇宙飛行士カラベルによる初の月面着陸を実現し、月の南極にある氷や資源を使って、月を回る宇宙ステーション『天の川ゲートウェイ』を建設予定。火星への拠点を作り、二〇三〇年代に、火星の有人探査を実現する。月や火星にある、金属やレアアースが狙いだ。
「馬鹿にしてるのか? ……いや、馬鹿なのか?」
 ライジンガーは睨んだ。
 そんなことよりクロードが追及してきたNYのUFO問題の方がはるかに重要だ。どんなに荒唐無稽でも。
「……言論封殺です! あれだけクロードが命懸けで証拠を積み重ねていたのに! 最初に当社(ウチ)が出した報道を、信じられないなんて!」
 エスメラルダの主張は、暗黙の壁に跳ね返された。そしてライジンガーは、
「だから不十分だと言ってる! 何もかも、根拠(ソース)が!」
 両手を振り上げて、眼を見開いた。
「ですから彼は追跡取材をしてたのよ、このワカラズヤさん! ――結構です。私が続けますから」
 すでに取締役員たちは一人残らず部屋を出ていた。会議はこのまま終了だろう。
「なら君はここを離れて、どっか別の所から記事を出すんだな。もっとも、NYでは今後、ジャーナリストとして信用されるかどうかは別の話になるが!!」
 エスメラルダに向き直ったライジンガーは、険しい表情で言い放った。役員たちの前でメンツをつぶされたということだろう。だが、メンツなどクロードの死と、このNYの「真実」の前にどれほどの価値があるというのだ?
「ジャーナリズムの先輩としての忠告ですか?」
「…………そうだ」
 そうして局長は、暗い目つきで押し黙る。
「恐竜だって滅んだわ。ローマ帝国もね。なんで自分たちだけ永遠だって思えるのよ? バカらしい。変化以外に永久なものはない。クロードの無念は私が晴らします。……だから、安心して下さい。あなたはこの件に関して何一つしなくていい。出世に響くでしょうからネ。そうですね――そこで、ずっと味気ないコーヒー飲んで座ってて!」
「フン……」
 ZZCは味方してくれない。これがお別れのあいさつになることを、エスメラルダは予感した。
「一つ言わせてくれる? あなたってイケ好かない。前から思ってたんだけど、まるで蛇みたいな冷血漢だワ!」
 メディアを首になりかけ、クロードは死に、エスメラルダにはもう手がなかった。取材を続ければ、これから「何者」かに追われるだろう。もう、誰かを巻き込むわけにはいかない。だったら、自分一人でやるしかない。
 ギャラガーは、ロック市長が暴露しようとした情報を黙殺し、一人娘ハリエットが何か知っているのではないかとクロードは考えていた。もし一人だけ協力者を求めるとすれば、彼女しかいない。エスメラルダはその意思を引き継ぎ、どんなに危険でも真実を暴き出すつもりだった。
 クロードの遺言通り、ロックの娘が、一連の事件に関するヒントなら、ハリエット・ヴァレリアンに会わなくちゃ――。

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