第14話 NYバビロン 帝国財団の城

文字数 2,958文字



二〇二五年三月三十一日 水曜日 夜八時

 ロートリックス・シティは島の中心ミッドタウンに位置し、ダウンタウンと並んで、マンハッタンの中枢神経となっている。三十棟の超高層ビルが四方に立ち並び、低層階は一つのビルとしてつながっていた。
 テナントには、テレビ局のZZCなどのマスコミ、エンタメ産業(映画)の大企業が入り、広場の中心には、巨大な桜の木が立ち、夏場は巨大プールとカフェテラス、冬場はアイススケートリンクとなる。ここが、世界の支配者と言われるロートリックス帝国財団の旧シティだ。
 その中心は、シティで最も高いビル、黄金色に輝く冠を抱くメトロポリスタワーで、一九二七年のフリッツ・ラングの映画「メトロポリス」に登場するバベルの塔(バビロニアタワー)に模して建設された。八〇階建て、高さ四百メートル。通称NYバビロン城。金満ビルの屋上プールつきの黄金の摩天楼だ。かつて最も高かったビルには、百年の歴史がある。その展望台は「トップ・オブ・ザ・ワールド」と呼ばれている。入場料金四十ドルで、年中無休である。王冠のようなアーチ状の羽が計八枚ある。その、巨大な王冠の直下に位置する社主の間。
 闇に沈み始めたマンハッタンの夜景を見下ろすひとりの男が、紫色に金の襟の着いたバスローブを着て腕を組んで、巨大なガラス越しに、夕闇のマンハッタンに浮かび上がった光の十字架を見つめていた。それはマンハッタンホーンの方向、自由の女神の直下らしかった。足元はスリッパ。手元の円テーブルにワインが開いている。
「何っ、バベルの、一者の塔の実験ではないだと?」
 ジェイドがスマホでマンハッタンホーンに問い合わせると、NYユグドラシル、通称「一者の塔」の、塔コントロールセンターもマンハッタンホーンも正体を把握していないという。慌てて電磁エネルギーを検知したらしい。
 塔の計画で気象実験が行われることはあった。その中でもこれは……もちろん、タワーの力などでは作り出せない。ジェイドは一見して「ブルーレーザー計画」かと疑ったが、空中に映し出すホログラムの光などでは、ここまでのリアリティを表現することはできないことは明白で、あっさりと否定された。「最後の希望」も打ち砕かれた。いかなる科学的な説明も目の前の現象解明に、限界があった。
「ブルーレーザー計画でもない……」
 全ての科学的説明を超えた、純粋な、超常現象――奇蹟。
 かつてニコラ・テスラの命を奪い、ロートリックス社がその資産を入手して得た、独占開発の巨大テスラコイル、通称「世界システム」――。それがあのロートリックス・グループがNYに建てた一者の塔だ。プラズマを生み出すことで、気象兵器としての役割を果たすフリーエネルギー装置。……一者の塔はNYに建つバベルだった。
「一者の塔の実験でないとすると、宇宙人の仕業か?」
「いいえ。おそらくは日輪や太陽柱などの、気象現象の一種かと思われますが、まだ調査中です――」
「不吉な形の光だ」
 グランド・サンクロス。アラスカのテルミン・タワーの塔のプラズマ実験か、それとも東京スミドラシル天空楼のパフォーマンスかと、マンハッタンホーンからの情報は錯そうしていた。
 スマホを切って、
「そう……か、これなのか。世界が終わる――黙示録の徴は!」
 ジェイドは畏れを抱きながら、赤ワインを一杯煽った。
「正真正銘の奇蹟か……」
 ジェイドはただただ美しい光を見つめ続けていた。吸い込まれるように。光十字はこのNYに潜むレジスタンス・グループのシンボルであったが、あの連中にこんな現象を起こす力があるとは思えなかった。もちろん、AIをハッキングされた訳でもないし、彼らが何をしたところで到底、塔にこのような力がある訳ではないのだ。
「だんだん光が弱くなってきましたね」
 二時間も見つめ続けていたら、部屋に妹のエマが入ってきた。
「結局、何だったんですの?」
「まだ分からん……だが、普通の気象現象なんかではない」
「相談があるんだけど、お兄様」
 エマはまだパジャマに着替えていない。
「困ってるんです、私。ガーシュタイン様がゼレンヴァルト財団のエレン・ローゼンタール様との縁談を持ってきて……私イヤなの、ヨーロッパ行くの」
「あぁそのことか……」
「お願い、お兄様から何とか言って」
「今時政略結婚もない。中世の貴族でもあるまいし。お前が選んだ相手なら俺は応援する。相手の地位も関係ない。だからそんなヤツのことは気にするな。俺が追い払う」
「でも……、でもガーシュタイン様がなんというか!」
 エマは首をかしげて、唇をかみ、赤カーペットに視線を落とした。
 ゼレンヴァルトの御曹司、エレン・タイラント・ローゼンタールは、三十代前半で、ゼレンヴァルト帝国財団の次期総帥と目されていた。
「放っておけ、アイツは女性に困ってない。いずれ忘れるさ。お前は自由にしてればいい」
 ジェイドは誰に対しても火のような性格で当たっていたが、一方で正反対の穏やかな性格を持つ妹エマにだけは優しかった。事実上の政略結婚という、上流社会で現代まで続いてきたしきたりにも興味はない。エマには別に好きな男性がいて、詮索する気はなかったものの、ジェイドは陰ながら応援していた。
「明日は就任式ですね。お兄様も随分ご無理をなさって」
「先代は九十二で老衰死、オレは二十九だ。ちょうど数字をひっくり返した年齢だ。若すぎると批判する奴は多いが、言わせておく。世襲の王朝など、ナポレオン革命でとっくに終わっていたのに我々の世界では二十一世紀でも閨閥が当たり前。真の実力社会じゃない」
「じゃお兄様、影の王朝や貴族制を片っ端から破壊する現代のナポレオンになるおつもり?」
「エマ、俺に任せて今日は休め。俺はゴッドファーザーより力があるんだぞ。できんことはない」
「祝福するわ。で、お兄様もあずかり知らぬ、あの光は何かしら? お兄様の栄光を天が祝福して下さってるなら、いいんだけど」
「さぁな、もしそうでないなら――お前が祈って、祝福の光に変えてくれたらいい。――いや、何だろうといいさ。明日は早い。お休み」
 エマの額にキスして自室へ帰す。
 ジェイドには文字通り、世界に君臨するゴッドファーザーとして明日から多忙を極める生活が待っていた。
 ふと、丸テーブルのチェス盤に目を落とす。ジェイドはさっきまでネット相手のチェスをやっていた。画面上で駒が動くたび、チェス盤の駒を手で動かしている。
 相手は、欧州のゼレンヴァルト家の唯一の友人、Dr.カールだ。ゲームはジェイドがチェックメイトの手前まで追い詰められていた。
「すまないが勝負は中断する」
「NYでまた問題が?」
「そうだ。では――」
「明日は君にとって大事だからな」
 ジェイドは回線を切って、光十字の建つ女神の方向へ視線を映した。大事な明日という日を迎え、ジェイドは女神に祈っていたのだった。
「女神よ……私を導き、私に力をお与えくださったこと、感謝いたします。いよいよ、この世界を正しく導くための働きをする時が参りました……どのような敵が現れようとも私は怯みません。あなたが私のおそばにいる限り――私には無限の勇気が湧いてくるのです」
 この光十字が、エマの言う通り、自分にとって幸いであることを願うほかない。
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