第52話 ロートリックス・シティ THE KEEP

文字数 6,198文字



二〇二五年六月十一日 水曜日 夜八時二十分

 NY解放への道――
 道は暗く、はるか先まで続いている。
 その先に光があるかどうかは、まだ何も見えない。
 光が差さないまま、真っ暗闇の中で、迷子になるかもしれない。
 けれど、もう後戻りはできない。
 このまま此処で、小さな安寧を必死で守って留まろうとも、
 いずれ、どこもかしこも闇に包まれる運命だ……

 …………

 「声」がする。

 闇の中から声が響く、
 苦悩に満ちた声が。
 大勢の声が――。
 ニューヨーカーの声なき声が、
 闇の中で耳元に、響き渡っていく。
 周りの人には聞こえていない。
 自分だけに聞こえる、
 助けを求める、魂の声が。
 みんなのために、
 前に進まなきゃ――
 私が立ち上がらなければ。

 ――走れ!
 走れ!
 ひたすら走れっ!

 ハングオン!

 闇のトンネルをバイクで駆け抜ける。
 声なき声は、やがて大声援となって、
 暗黒のロートリックス・シティに、
 無限にこだましていった。

 これからやるわ、
 観ててねパパ……
 私、戦うから……
 みんなのために、偽りのマンハッタンホーンを
 登攀(とうはん)する。
 そして、本当のオルレアンNYを解放する。
 命燃え尽きるまで、勝利を奪い取るその時まで。

 だから
 パパ……笑って観ててね。

 そしたら私――、
 頑張れるから!!

 ウォンウォン、バルロロロロロオオオ――……ンン。

 ずらりと並んだ、サファイヤ色のマシン。
 ハティのロードスターを先頭に、ミッドタウンに林立する摩天楼の渓谷に爆音がこだまする。ハイブリットエンジン搭載。ハティとマクファーレン率いるアウローラ革命軍YESの青いロードスター、エイジャックス率いるNYPD捜査本部軍のパトカーと白バイク軍団(ハーレー)、そして、マドックス率いるNY州兵の軍用車と灰色の軍用バイク。三つの部隊で、各バイクのカラーリングが異なっていた。
 <Yankee Extreme Soldier>――唯一スクランブラーバイクに対抗できるバイク部隊、ハティのロードスターは、エレクトラ社オリジナルデザインの縦長の戦闘バイクだ。ハティはヒートブルーのバイク軍団を率いていた。
 戦車は遠距離からの攻撃が向いている。だが戦車のミサイルは口径が大きく破壊力が大きすぎる。近接戦闘ではどうしても、爆発が周囲のインフラに触れてしまう。広い公園や平野では戦車が有利だが、狭い道では機動力が劣り、バイクや小型車両に戦力を譲ることになる。
 市街戦では銃器類はビル群にさえぎられ、死角だらけで索敵が難しい。ビル上階からスナイパーに狙われる危険もある。大部隊を展開しようにもルートは限定され、待ち伏せする防御側に有利に働くため、計画通りにはいかない。その場その場の判断を細かく迫られる。よって作戦指揮は、中隊以上は困難になる。そこでアウローラ軍は、二百名の中隊サイズのバイク部隊を幾つも作った。
 NYPDレジスタンスを率いるエイジャックス隊は、白バイ、パトカー、特殊装甲車で構成される。
 マドックス部隊は軍用車、装甲車、バイクでNY州陸軍を率いる。
 マクファーレン隊はアウローラ軍を率いる。当初はツーリストバイクや乗用車だったが、ハティの所属するYES隊に進化した。
 各千人、総勢三千人。それぞれキーパー隊、東西サイドバック隊、センターバック隊、スイーパー隊、東西ウィンガー隊、ミッドフィルダー隊といったサッカー用語の役割を与え、ハリエット隊とマクファーレン隊はフォワード(ストライカー)として先頭に立つ。
 一方で、NYPD帝国軍と、それを統率するスクランブラーは、一番隊・アーガイル隊、二番隊・シカティック隊、三番隊・ミラージュ隊をメインに、およそ五千人でミッドタウン・エリア以南を固めていた。
 仲間への通信は、傍受されないようにスーが設定した暗号通信のインカムで連絡を取る。取れないときはハティの鳩が活躍する。
「Tスクエアへ!!」
 日没とともに、ハティは旗と光十字剣を振って、全軍に命じた。サイレント爆音をがなり立てて、戦闘バイク隊の先頭を切って突っ走る。
 マンハッタンは東西の道をクロスタウン・ストリート(丁目)、南北の道をアベニュー(番街)と称している。アベニューの道幅は三十メートル、ストリートは十八メートル。一部は三十メートルある。ストリート側のブロックは六十メートル、アベニュー側のブロックは二百四十メートルである。
 ブロードウェイはマンハッタン島の最南端から最北端まで斜めに貫く大通りで、元はアメリカン・インディアンの小道が発展したものだ。
 ロートリックス・シティはTスクエアより南側に位置している。
 ロウワーマンハッタンと並んで、高層建築が際立って多いエリアだ。堅牢なマンハッタン岩盤の上に摩天楼群が並び立つ。ここがシティ――「帝都」であるゆえんだった。上から撃たれることが必定な、頭上のスナイパー問題が重くのしかかる。同時に、これまでの戦場で出てこなかったブラックヘリやドローンにも警戒しなくてはいけない。敵は、空から機銃掃射しようと狙ってくるだろう。
 シティとは、「帝都」を意味する。MHにその座を奪われるまで、つい三年前までNYにおけるロートリックスの主城だった。マンハッタン・ネットワークの中継基地であり、同グループのMHエリア以外のNYの5Gをコントロールしている。セントラルパークとは別の意味で危険に満ちた戦場――。
 セントラルパークの戦車戦、エレクトラタワー奇襲戦、いずれも5G支配から解放し、いよいよハティはバイク中隊を束ねて、エレクトラタワーの解放区から、Tスクエアを挟んで、シティ・エリアを望む地点まで来た。エレクトラタワーを獲ったことで、エリア境界まで5G支配に迫れる余裕ができていた。

 夜八時三十分、無人化したタイムズスクエアに、ハティはロードスターを止めた。エンジンを切ると、途端に静寂に包まれる。周囲の液晶ビジョンに、アリエータ・ミラーのファッションブランドの広告が、煌々と輝いて流れている。「ゲーム・オブ・マーズ」の映画主演女優だ。路上には、猫もネズミも、烏の姿さえも見当たらない。それ以外の灯りは落され、ヒュルルルル……と、上空でビル風の音だけが甲高く鳴り響いていた。あの時、父が暗殺されたTスクエアにハティは立っていた。
「静かだわ……」
 パンデミックの時のような無人の町――これはまるで、限定内戦NYという名の、もう一つの世界線の扉を開いたようだった。
「静かすぎる」
 と、その時マクファーレンのインカムが入った。
 Tスクエアが次の内戦のスターティンググリッドだ。赤い釣り下げ信号の「向こう側」の陣地にいるべき敵軍の姿が、まるで見当たらなかった。
『マンハッタンを五つの区域に分け、新エリアに入るときの戦闘開始は、その境の信号機が合図となります――』
 最初に安保理のレディ・シェードが、コロンビア大でそう告げた。事前説明により、信号機は何としても守らなければいけないレギュレーションだった。「このエリアは戦闘可能で、それ以外はダメ」という限定内戦ルールによって、国連安保理が厳重に管理しているのだ。
信号が変わるときが、戦闘開始の合図になる。
 それは、普段の信号機とは異なる意味を持っていた。新エリアに入るとき、戦場は改められ、第〇次ゲームと宣言される。いわば、限定内戦の交通整理だった。
 エレクトラタワー・エリアでは、セントラルパークとの連続エリアとして捉えられ、最初の戦車戦では、信号の代わりにレディ・シェードが戦闘開始を告げた。この第三次ゲームのシティ・エリアで、信号機は初の戦闘開始の合図となった。だが、向こう側は相変わらず無人のままだった。
 突然、Tスクエアの四方を囲む液晶ビジョンが一斉に切り替わって、画面の中の美女ミラーがウィスキーのグラスを手にした。
『名匠の美酒、勝利の一杯を――』
 ミラーの瞳の色が次第に琥珀色へと変化し、アップになっていく。
 釣り下げ信号が青に変わり、周囲の液晶ビジョンは、「第三次ゲーム開始」と表示した。

 ドォオオオオオオ――…………!!

 バイク数百台のライトがまばゆく路上を照らし出す。
 ロートリックスの主城、黄金に輝く「メトロポリスタワー」の正門が開いていた。門前町はがら空きである。
「まさか不意打ちに成功したとは思えないが――」
 コロンバス・アベニューを固めるマクファーレンは、不審がる。彼らの前方もまた、無人だった。
「ストップ!! 全軍アイドリングストップ!!」
 ハティは全軍に命じた。
「もしやここを捨ててMHまで撤退したとか?」
 五番街のマドックスがそう言ったが、希望的観測だとハティは感じていた。
「今鳩を飛ばすわ……あなたたちは待機しててちょうだい」
 ハティの鳩ビューイングは、確実に敵の気配を察知していた。
 それから数十分後――。
「行きますか?」
「――まだよ! 四方八方のビルにスナイパーが隠れている。スクランブラーと恐ろしい数のNYPD帝国軍が……」
 鳩を飛ばした「眼」で語るハティの言葉に、隊員は上を見上げた。全軍、索敵は済ませてある。ホークアイには何も捉えられていない。州軍のウルトラスコープ<ホークアイ>は、遠方だけでなく、夜でも高性能の赤外線で探知可能だ。
「そこに六人、あっちに十九人……。それと、道路に地雷原みたいな罠が仕掛けられているッ……!!」
 ハティは数え上げていった。
 だが、各中隊が確認することはできない。スクランブラーはステルス機能に特化して、NYPD帝国軍は彼らの指示に従っているらしい。ハティのロッキーによる鳩ビューイングだけがそれらを語っているのだ。ここは、アーガイルたちが仕切る戦場だと!
「しかし、スクランブラーの姿が見当たらん。NYPD帝国軍も……そもそも人っ子一人見当たらんなんて」
 スチャ! 黒い小さな物体がうごめき、隊員が銃を構えた。アスファルトの上を、黒猫が通った。
「地上に居なくてもタイムズスクエアの四方は高層ビル、狙うところは地上だけじゃない。奴らのステルスは消えるだけじゃなく、擬態化もできるのよ」
 隊員たちはスコープを片手に見渡した。ビル群のどこをどう見ても動きがなかった。少しくらい気配があってもよさそうなものだ。たとえ少人数が残っていたとしても、力でごり押しできるのではないか、彼らはそう考え始めていた。
「やっぱりこれは罠だッ!」
 ハティはクルッと振り返り、怒鳴った。
「わずか二百メートル進んだだけでハチの巣よ、大軍が来たら……わざと城の門を開けておく策なのよ! センサーや暗視ゴーグルは建物にさえぎられて、制限されている。敵は上から見下ろして、私たちのことがよく見えてるけど。つまり相手が絶対的に優位に立っている」
 市街戦での戦いは、PMFレーダーは不可欠だ。けど現状、それが可能なのは彼女だけで、隊員たちはハティの支持を待つしかなかった。
「ハティ、もしも我々に残っているように思わせて、足止めを喰らっているなら、塔の再起動までの時間稼ぎをされるだけだぞ」
 マドックス陸将は換言した。
 敵が撤退しているのか、それとも擬態で守っているのか、ハティはマドックスとの間に議論となった。
「将軍、撤退ルートだって限定される! 常に見張られているし、もし包囲されれば上から一斉射撃を喰らう!」
「OKハティ、なら索敵に時間制限を設けてくれないか?」
 マクファーレンが割って入った。
「分かった、もう少し探るから待っててちょうだい」
「了解」
 しかし決まらない。この城塞都市は鉄壁だ。ものすごい。奴らは最初からここを決戦地として選んで、エレクトラタワーを捨てたのか。前回の敗因を踏まえ、こっちの戦略をじっくり見抜くために。塔再起動までの時間がじりじりと時間が過ぎていく。
「いつまで待たすつもりだ!?」
 十分後、マドックスからの通信が入った。
「もう少し……」
 必死で探る。三番街から一度南下してNY私立図書館へ斜めに北上……、西側からマディソン・スクエア・ガーデン辺りまで回り込んで背面へは? どこかに抜け道が、あるいは陽動に向いた方法は! さっきのエレクトラタワーの時みたいに!
 ミッドタウン・エリア解放のためには、ランドマークのメトロポリスタワーの配電盤に、PMFで5Gを遮断しなくてはいけない。エレクトラタワーは奇襲だから成功した。しかし……今回は敵も万全の態勢をとって、背面も側面も隙はなく、上から下から狙い撃ちにしてくる。
 この町では、アウローラ軍は圧倒的に不利。できれば避けて通りたい。でも迂回すれば、各ストリート、各アベニューのNYPD帝国軍の重層防御を超えるために消耗戦を闘わなくてはならなかった。
「分かりました、では私は部隊を一部率いてこの眼で調べます。あなた方は、まだ動かないでください――私の指示があるまで!」
 ハティは部隊の数名を動員して、自分で直接、索敵することにした。鳩の感覚をナビに使いながら、自分で動けば、より精度が上がるはずだ。
 ハティは恐るべきスクランブラーの罠を感じつつ、警備の二名を引き連れると、その場を離れ、狭い裏路地を中心にシティの様子を探りに行った。自分を含めて三名なら、ハティ自身の光十字のPMFでガードできる。すぐに逃げ戻ることも。シティを迂回しながら、安全と判断したルートのみを行き、さらに鳩を飛ばして……。自分がコマを進めて〝眼〟の索敵を確かなものとするために。
「フン……」
 安全か否かという根拠がハティの鳩<ロッキー>しかないことに、マドックス将軍はしらけ気味に待った。
「ハティのPMFを警戒して作戦を変えてきたな、ハティのPMFの射程距離の届かない場所にいる味方を攻撃するつもりなんだ」
 一方でマックは、ひたすらハティの報を待つ。

 ドドドドォォォォォ――ッッッッ……!!
 雷のような爆音と、稲光のようなライトが闇を切り裂く。エレクトラ社製戦闘バイク「ロードスター」を駆るハティは、光十字PMFを掲げてガードを張りつつ、索敵の感度を上げていった。街中をサーチして、頭上のビル群もPMFで調べながら、アベニューとストリートを渡り歩いていく。ビル群はすっかり灯りが落ちて、相変わらず人気はない。ミッドタウン周辺に人影なし。なぜ、こんなにわざとらしいくらいに静かなのか。ハティは攻撃を受けなかった。大軍が通れば、上から一斉射撃が開始されるに決まっていた。エリア全体の建物という建物に視線を感じながら、ハティはできるだけ危険なルートを避けていった。
「ダメね。ここから先は赤信号だ。行けない」
 エリア全体は広いものの、戦闘区画に制限があった。管理委員会のレディに、
『赤信号のエリアは戦場にしてはならない。青信号のエリアは戦ってよし』
 と、言明されていた。むろん、ミッドタウンイーストにある国連本部周辺は、戦闘区画に入っていない。
 行くとするなら、シティ背面のただ一か所に限る。シティの外周路は、どこもかしこもNYPD帝国軍が陣を張っていたものの、抜けられるルートも存在した。どのルートから入ればいいかも、大体めぼしはついた。だが……迂回しすぎて隊列が伸びれば、上から狙われる恐れがある。
「大廻りね……」
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