第12話 ラリー・E・ヴァレリアン効果

文字数 3,956文字



二〇二五年三月二十七日 木曜日

「へぇ~、そのハトは? かわいい~~♪」
 かをるは白鳩を覗き込んだ。鳩は肩に乗って、ハリエットの白い首筋をつついている。
「父が銃撃を受けたとき、鳩が飛んだの。そのお陰で、私は犯人を目撃した。きっと父の魂が鳩になった。私に道を示してくれるヤタガラスよ」
 二人はソーホーのオープンカフェでBLTを食べていた。ヤタガラスは古事記神話に登場する道しるべ役の烏だ。
「コラ、やめなさいロッキー!」
 ハリエットは笑った。
「ロッキー?」
「そう」
「ロッキーかぁ……なんかイカついなぁ……鳩(ピジョン)は日本語で鳩(ハト)だから<ハティ>でいいんじゃない?」
「それあたしだから!」
 平和の象徴、白鳩は「創世記」のノアの方舟で、重要な役割を果たしている。人類の堕落に落胆した神は、世界を一度リセットすることを決断し、大洪水を起こした。その時、一部の純粋な心を持った種族だけ生き残らせるチャンスを与え、ノアは警告に従い、方舟を建設すると、動物たちと共に船に乗った。洪水が静まるのを見計らって、ノアは白鳩を放った。鳩はオリーブの葉を加えて戻り、洪水が終わったことを告げた。
「この店、ハンバーガーが美味しかったんだけどなぁ」
 ハリエットの記憶では、メニューの半分はハンバーガーだった。しかし、一つもない。
「ハンバーガー? 何それ」
「……う~んいや、別に」
 コーラに次いで、ハンバーガーもアメリカから消えたらしい。かをるとあまりにも記憶が違いすぎ……驚くことばかりだ。
「ねェこの間の話……調べてみたんだけどさ」
 かをるは半分食べたBLTを皿に置いて、ストローでひと口ブラッドオレンジジュースを飲んだ。
「うん……」
「あたしとハティの記憶が違ってること、ネットでは、ラリー・E・ヴァレリアン効果っていうらしいよ。略してLEV効果」
「BLTみたいね」
「LEV大統領だからね」
 かをるによれば、ハリエットのように、このNYに疑問を抱く人が街には他にも多く存在しているらしい。彼らはその「記憶の違い」を、「ヴァレリアン効果」と呼んでいた。
「ンーと、なんかぁ……ラリー・E・ヴァレリアン大統領が一九八五年に亡くなったって、ハティが言ってたのと、同じ記憶がある人が一定の数いるらしいのよね。それと……コロナ……? だっけ? これも、五年前に世界的なパンデミックがあったっていう記憶を持つ人がいるんだって!! その人たちは皆、NY大災害とマンハッタンホーンを知らない。だからあたしたち記憶も、食い違ってるんじゃないかって思う」
 なんてことだ、自分だけじゃなかったのか。そんな噂があったこと自体、ハリエットは知らなかった。考えもしなかったから、調べることもなかったのだ。しかし他にも、このNYに違和感を覚える人がいたという事実は、ハリエットを心底からホッとさせた。――その人たちと会ってみたい。
 ネットを検索すると、「ラリー・E・ヴァレリアンは八十五年に亡くなっている」、そんな噂がSNSを中心にあふれかえっていた。
「へェ――」
 もう、二人の記憶違いでは済まされない。
 夢じゃないんだ。このNYで、このアメリカ合衆国で、何か重大なことが起こっている。
「それってどうも、平行宇宙の記憶らしいんだ。一種のSNS都市伝説みたいだけどネ、無視できないでしょ?」
「うん……」
「たとえばコレ、ガラ・ガーラ。ハティの言う通り、コカ・コーラっていう商品名を知ってる人が、他にもいるみたい」
「ホント!?」
「ウン、あたしも、ガラ・ガーラ知らないって言ったときは、ハティ、何言っちゃってんのかなって、正直思ったけど。――本当にあったんだね?」
「そうよ、だってかをるんの好物だもの」
「そう……なの? あたし、そのコーラって知らないけど」
「うん」
 ハリエットは微笑んだ。
「成分はなんなの? ガーラはガラナの実だって分かるけどさ」
「カフェインと香料と……エート砂糖?」
「う~ん、それだけじゃチョットイメージ沸かないみたい」
「ゴメン」
「でも、飲んでみたいナ、ハティが言うコーラって飲み物」
 もう二人はコーラを飲むことはできない。ついでにクロレッツは、シロレッツという名称に代わっている。なぜか、日本語のダジャレだ。さらに有名なアニメ「シドニアンズ」の幻のエンディングや、キャラクターの色の違いなどが話題になっていた。
 誰もが知っているアメリカのシンボルが、ちょっとずつズレている。そして街の改変。NY全体が、ドンと建つマンハッタンホーンによって変わった。
 人間が、何度もパラレルワールド、「世界線」を行き来して、「存在するはずのない記憶」を持つ人が一定数存在することになった。ラリー大統領は一九八五年に亡くなったにも関わらず、なぜか二〇〇五年まで生きていたことになっていた。それは、前の世界線の記憶なのだ。
「そういえば太陽の位置、変なのよ……」
 今度はかをるが呟いた。
「これは、ヴァレリアン効果っていえるかどうかわからないけど」
 かをるによると、朝日が昇る場所が、毎年変化しているのだという。
「それで……ヴァレリアン効果の原因って?」
「うーん、そこまでは分からないのよネ。あたし、ハティに言われるまで何の疑問も持たなかったし、ずっとそうだって信じ込んでいた。だからハティに言われて、初めてヴァレリアン効果のこと調べて驚いたんだよ」
「何が起こってるのか、分からないけど……私には前の世界線の記憶があったの」
「ひょっとして、あれかな? UFO――。五年前の大災害以来、NYではUFOが頻繁に現れてる。それが原因かな?」
「そうなんだ、でもそのNY大災害を私は知らないし」
「あっそうか、あん時も、デッカイ真っ黒いUFOが現れたんだ。あたしはそれを観ちゃって……」
「小さいころから、かをるUFO見たって言ってたよね」
 そこのところの二人の記憶は変わらない。シチュエーションはだいぶ異なるみたいだけど。
「なんでかね。よくUFO見るんだ。だから、みんなも当たり前に見るもんだと、ずっと思ってた」
 昔から、かをるはUFO体験が多かった。
「なんで世界は変わっちゃったんだろ」
「この世界が幻想だからよ! ……真実は自分の心の中にある。だから、自分の心と向き合わない人間は世界を制することなんてできない」
「えっとぉ……」
 ハティはかをるの顔をじっと見た。
「仏教の唯識じゃ、世界は自分の鏡なのよ……心の鏡……そう、世界線は自ら選択したことなんだっていうのよ」
 かをるはそう言った。仏教の教義を……かをるは、日本人以上に、日本の精神を知っているに違いない。
「マンハッタンホーンも?」
「そう、きっと心の反映なのかもねー」
「えっでも……わたし、あんなモノ……」
「なら、ニューヨーカーの集合的無意識かな。それに、君が同意したというコト」

 ハリエットは、ポケットから木箱を取り出した。
「これ……パパの形見。部屋に……残されてたの。これだけは奴らも、持っていかなかったみたい」
 ハリエットは木箱をかをるに渡した。
「それ、日本の箱根の寄席細工の秘密箱だよ」
「知ってるの?」
 ハリエットから箱を受け取ったかをるはくるくる回して調べてから、
「開けるには、ちょっとした仕掛けがあるんだ――」
 幾つかの木組みを指でスライドさせていく。ガラの一部を引っ張ると、その面が右へスライドする。それから上ぶたを横に引く。箱は、カチャッと音を立てて開いた。
「もうパズルじゃん」
「そうだよ?」
 引き出しの中に、四センチ大の光十字のペンダントが現れた。真円の中に十字があり、円から十字が突き出ている。十字は先端にいくにしたがって細く尖っているが、先端は刺さらないように少し丸みを帯びている。
「この十字は? すっごくきれい……」
 まさに玉手箱だ。
「光十字じゃんっ!」
 ハリエットは手のひらに載せた。
 ペンダントヘッドは、黄金色にまばゆく輝いていた。チェーンも含めて、どうやら純金製らしかった。……いや、女神が言っていた。正確には、自由の女神に祈った時に言葉が浮かんだ。オリハルコンの光十字がなんだとか。オリハルコン、これはオリハルコン製なのか?
 ハリエットはペンダントの光十字をまじまじと見つめた。それ自体が発光しているような、不思議な輝きを放ったペンダントヘッドだった。父の形見だ。すぐ身に着ける。
「どんなに長くとも夜は必ず明ける、えぇ、そうだわ、夜は明けるのよ……」
 『マクベス』の一節が、ハリエットの口から自然に流れ出る。

 十六の少女にできることはわずかで、警察が頼りにならないなら、どうすれば……スマホでネット検索し、疑問を追及する女性ジャーナリスト・エスメラルダの記事を発見した。
 タイトルは「クロード・クロックは消された」。ハリエットが結論付けた陰謀のすべてがそこに書かれていた。
「クロード記者が……殺された?」
 エスメラルダがUPしたブログをまじまじと眺める。
 どうしてZZCは最初の報道を撤回してしまったのか? クロードが事故死したせいだという。エスメラルダ記者は、決して簡単に撤回した訳じゃない。もみ消されたらしい。NYのメディアは腐敗している。ZZCも、CCNも……。
「この事件に関係して、何人も死んでいる!!」
 エスメラルダ記者の決死の告白を、ハリエットは、食い入るように記事に目を通した。
「そうだ、エスメラルダ記者に会ってみよう――」
 メールで連絡を取る。果たして読んでくれるか。
 連絡した直後に、記事はWEB上から消えていた。
「まさか」
 ――何者かの手によって? いや、自分自身で? 彼女は狙われてるのかもしれない。
 すぐに連絡が来た。
 本当に、会って大丈夫なのか――。罠かもしれない。不安だった。
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