第19話 白い影がいく スクランブルゾーン

文字数 6,993文字

二〇二五年四月十日 木曜日

 マディソンスクエアガーデン前は、無数のパトカーと消防車の列で埋め尽くされていた。野球の試合の最中、狙われたのは真横に立つ5Gの通信基地だった。ミッドタウン全域に、通信妨害が発生していた。NY市は、連続爆破・ハッキングで大混乱に陥っていた。それをギャラガー市長は、同時多発テロと称した。リチャード・ヴァリスが捕まって、それで事件は終わらなかったのである。
(こんなところにアジトが!?)
 テロ犯のアジトが近くにあるというガーデンに近づくと、ドームの上空に煙が上がっていた。逃げ遅れた犯人が、まだ中に籠城しているらしい。エイジャックス達より先に、最前線で黒スーツの二人組が陣取って、警官隊と何やら言い争っている。エイジャックスが間に入ると、
「我々が指揮を執る。君たちは後方支援を頼む」
「あんたらFBIか?」
「あぁそうだ。こちらの方で、対テロ特別捜査本部を立ち上げた」
 FBIが捜査本部を立ち上げたというが……エイジャックスは二人の男に不審な印象を抱いた。
「で俺たちは?」
「NYPDには、事件現場の市民の避難誘導、交通整理などを頼む」
 NYPDは駆り出されたものの、結局その指揮を現場で執るのはFBIだった。指揮権を奪われ、エイジャックス達はアゴで使われている。彼らは地元警察やスワットよりもずっと早く、現場に到着したらしい。
「交通整理? フザけるな。――で中は?」
 激しい爆音が鳴り響いている。
「テロリストと交戦中だ。この下のペンシルヴァニア駅のどこかに、奴らのアジトへの通路があるらしい。まだ不明だが。相手は自爆ドローン攻撃、街カメラの破壊、それに市庁舎のハッキングを仕掛けている。現在のところ、市民は巻き込んでいないが――いや通信妨害で、すでに巻き込んでいるとは言えるがな」
 話し半分で聞き流しながら、エイジャックスはFIBのもとを離れた。中で一体何が起こっているのか、この目で確かめなければ。エイジャックスは指示を無視して避難する人波と逆方向へ――、マディソンスクエアガーデンへと走っていった。中へ潜入すると、銃撃戦の真っただ中で、物陰に隠れながら様子をうかがう。視界の端に、白い影がチラついた。
「あれは――?」
 よく目を凝らしてみると、白服を着た連中がマシンガンを持ち、盛大にマズルフラッシュを吹いていた。だが、はっきりとは見えなかった。正体不明の特殊部隊――そいつらがテロリストを皆殺しにしている! どっちがテロ犯か分かりゃしない。さらにエイジャックスが目撃したのは、何人ものテロリストの死体の山だった。こいつら……一体どういう神経してるんだ!? あんな長モノのマシンガンを堂々とぶっ放して――。眺めているうちに彼らは、いつの間にか姿を消した。
「プロだ……何者なんだ?」
 おそらくは、ブラックヘリ同様の非公式の存在に違いなかった。
 エイジャックスは白服を追って、再び外へと出た。
 ウォォォォ――ンンン……。
 逃げた車を追う、白い戦闘バイクの群れから青白い光が数発撃ち込まれ、前方を走る車が発火した。横転し、炎上する車にバイクが迫った。ぶつかる――とエイジャックスが思った瞬間、バイクの姿が見えなくなった。
「消えた……?」
 エイジャックスは目を凝らしたが、路上には燃えている車が一台あるだけで、どこにもバイクの姿はない。バイクは一瞬ヘッドライトを輝かせ、その直後、亡霊のように姿を消した。文字通りのゴーストライダーだ。目の錯覚か。
 ステルスバイク――通常、ステルス戦闘機などに代表されるステルス技術は、素材や形状で電波や熱源を感知しづらくする技術で、たった今エイジャックスが目撃したように、視覚的に消える技術ではない。目の前で何が起こったのか判然としないまま、エイジャックスは件(くだん)のFBIに掴まった。
「――何をしてるんだ?」
「やつらのやり方はメチャクチャだ、これは戦争か何かなのか!? あいつら殺しが目的だ。捜査なんか鼻から眼中にない!」
「交通整理しろと言っただろう」
 抗議するも突っぱねられ、話しにならないと判断したエイジャックスは、再度ガーデンの中へ戻った。テロリストたちは死屍累々だったが、FBIは検死するなどと言って、一人一人ストレッチャーで専用トラックの中へと続々と運び去った。唖然とする手際の良さだ。結局、NYPDが捕まえたのは、リトル・イタリーでエイジャックスが捕らえたジャック・テイラーだけだった。
 それは、前々からの疑問だった。
「警察より先に誰かが来て殺している……」
 近頃その繰り返しで、事件は迷宮入りだった。たとえNYPDが必死で捕まえても、後で検事がひっくり返す。NYの政治家の忖度で。今日、その何者かを初めて目撃した。
「……何かがおかしい。何かが! FBIが地元の我々より先に来ている? そして指揮を執るだと? 俺たちは蚊帳の外だ。あの白服は何者なんだ?」
 エイジャックスは、恐ろしく暴力的な不思議の国へと足を踏み入れた。

「ライアン・レオンは死後、汚職警官だと判明した。不動産投資のサイドビジネスに失敗。レオンは、多額の借金を抱えていた。ギャングにわいろをもらい、リチャード・ヴァリスの殺しを実行した。あいつは正義漢だったが、ロック市長暗殺犯相手なら、殺してもいいという程度の正義漢だった。……金のために」
 エイジャックスが捕まえたライアン・レオン殺人犯、ジャック・テイラーは、コンクリート打ちっぱなしの取調室で、薄笑いを浮かべて聞いていた。
「重ねて尋ねるが……、今回のマディソンスクエアガーデンのテロ事件も、お前たちが関与してるのか?」
 エイジャックスは、事件と直接関係のない質問を浴びせた。
「知るかよ! 鳩が白いのも烏が黒いのも全部俺のせいだっていうのか!? 俺はリチャード・ヴァリスを手配した。だが、連続爆弾とか、立てこもりなんざ知っちゃいねェ! 第一そんなことウチの組織がすると思うか? 何の得がある」
 容疑者のジャック・テイラーはヘラヘラしながらまくしたてた。
「ハハ、そんなんじゃあ、しょっ引く理由にはならねェぜ旦那~」
「警官殺しは第一級殺人だ」
「しかしレオンも真っ白という訳じゃない」
「そんなことはお前に関係ない」
 エイジャックスは煙草をくわえ、半眼で睨んだ。
「市長暗殺に関与した、お前の罪は重い。レオン殺害で終身刑にしてやる。だがここで知ってることを俺に話すことで、少なくとも司法取引で刑期を短縮させてやることができる。レオンのことも話してもらおう。お前は俺に協力するしか道はない!」
 エイジャックスは司法取引を持ち掛けた。アメリカの刑事裁判ではほとんど、司法取引が行われている。裁判時に、検察が裁判官へ配慮するのだ。さらには、捜査協力と引き換えに刑事裁判で答弁することがない取引もある。
「フン、どうかな。近頃はムショも安全じゃねぇからな」
「そうじゃない……ここの留置所だって安全じゃない。こっから先、お前が生き延びる唯一の道……それは俺だけだ。そのことをよくわきまえろ」
「……」
「ロック市長は敵が多かった。お前たちのような犯罪組織のほかにも、汚職警官や公共事業に群がる違法な業者、ピンハネ官僚、汚職政治家、いくらでも容疑者がいる。しかしそいつらは全て裏でつながっていた。それに、全米で勃発している集団失踪事件も関係がある。お前たちは手足にすぎん。黒幕がいるハズだ。暗殺の背後には巨大な陰謀がな……」
 エイジャックスは持論をぶつけた。
「だから俺たちゃ、目先の仕事内容しか知らネェーんだって!」
「だったら、すべてを知ってる連中がいるんだろ?」
「――そりゃ、社会の上の方にはいるだろうがね。雲の上の話でさ。別に俺にゃ関係ないね。マフィアだからって金で雇われてるだけだ。何でも全部俺たちがやってるワケじゃねェ」
「じゃ隠す必要ないじゃないか。お前は殺し屋として、敵対する者は組織だろうが堅気だろうが区別なく殺ってきた。俺が知らないと思ってるのか?」
「証拠もないクセに」
「ブロンクスの小学校では、鶏を飼ってたんだって?」
「――は?」
「生き物係だったんだろ。それからミドルスクールへ、一体、どこで道を誤ったのやら。今日、お前の生家の街を回ってきたんだ」
 エイジャックスはテイラーをじっと見据えた。まだ渋っている。
「あまり知らない方が身のためだ。刑事さんよ、生きていたいなら」
 同じセリフを、バーで見ず知らずの女から聞いた。
「お互いここが正念場ってか? ジャック! こっから先はな、ムショの方が安全だ。少なくとも足を洗うチャンスに――」
「バカらしい。黙秘権を行使するぜ」
「なら勝手にしゃべらせてもらう。俺は、リチャード・ヴァリスという男がどうしても引っかかっている。あいつがアイアンサイドのギャングだった経歴が見当たらない。奴は本当にお前たちの一味だったのか?」
 テイラーは天井をじっと見上げている。
「なぁ、リチャードという男は何者なんだ、テイラー?」
「……やれやれ。なぁ――あんたさぁ、さっきから何しらばっくれてんだ? ――一番知ってるんじゃなかったのかヨ」
「……何を? 何をだよ」
 真顔のエイジャックスの返事に、テイラーはハッとして急に震え出した。さっきまでの余裕は一瞬で消え失せている。この男は、何かにおびえている。ともかく、この男はエイジャックスが、「知らない存在」であると気づいたらしい。
「何を知ってる?」
 重ねて問い詰めると、ジャック・テイラーはいよいよガタガタと震え出した。エイジャックスの人生で、今ほど目の前の男の命が、紙きれほどの重さしか感じられない瞬間はなかった。この男は悪人だ。だが悪人の世界というものは非情で、時に手下は使い捨てで、失敗を働けば消される。この男はなぜかエイジャックスを「仲間」だと勘違いして、さっきから演技を楽しんでいた「つもり」に違いない。だが、たとえどんな悪人だったとしても、こいつは俺が守ってやらねばならん。レオンを守れなかった代償として。
「――身の安全を保障できるか?」
 ジャック・テイラーはひどく恐れながらつぶやいた。
「お前は俺が守る。カメラの台数も多いところを知ってるし、ブロックチェーンAIによる監視、それに刑務官の見回りも増やせる。独立系の民間が運営してる安全なムショに送れる」
 エイジャックスの真剣さに根負けしたのか、ジャックは消されるという恐れを抱き、黙秘を諦めた。イタリア系の男は、司法取引の賭けに出た。
「命を保証してくれ」
「無論だ。だがお前次第ではある」
「分かった、司法取引に応じよう。上の方で全部つながってるのは事実だ……お偉方たち、むろんNYPDも例外じゃない」
「……」
「いいか、今回のテログループと、俺たちは違う。敵同士って訳さ。リチャード・ヴァリスはハンス・ギャラガーに雇われ、ロック・ヴァレリアンを暗殺した。だから、マディソンスクエアガーデンに集まっていたテロリストと俺たちは無関係なんだ」
「なるほどな」
「ま、本当にロック市長をヤったのは例のアイツらだがな」
「アイツら……? 上でつながってるというのは?」
「見ただろうマディソンスクエアガーデンで。白服だよ!」
 テイラーは声を潜めた。
「……」
「リチャードは、外した。よってごづめの白服が殺した。最初っからそういうシナリオだったんだ」
「あれは何者なんだ?」
「この世で一番やばい相手だ。あんたでも勝てるわけがねェ」
 おそらくヤツらがロック市長を暗殺した真犯人だ。娘から話を聴いたときは、そんな超人部隊がいるとは信じられなかったが。今となっては姿を見せない彼らこそがロックを殺したとしても不思議ではなかった。テイラーの言った通り、あんな、リチャード・ヴァリスみたいなのが、銃を扱える訳がないんだ。
「リチャード・ヴァリスはテロリスト集団を罠にはめるために活動していたんだ。ヴァリスはNYPDとつるんでいた、ギャラガーが黒幕だ」
 ジャック・テイラーの口から、ギャラガーとの接点が飛び出た。そしてギャラガーはマンハッタンホーンと関係を持っている、という。死んだクロード記者は正しかったのか。
「テロリストの目的は?」
「奴らは、本当はテロリストじゃないって俺たちの業界での噂だ。……レジスタンスなんだってよ、このNYの」
「何?」
 リチャード・ヴァリス、クロード・クロック記者、ライアン・レオンの死、連続テロ事件に、エイジャックスは決定的な不信感を抱いた。テロ事件を起こした一味の身辺を洗うと、NYの幾つかの企業が浮かび上がった。その中には、ロック市長を支持した者たちが多いのだ。
 つまり、こういう事だ。市長の葬儀に参加した者たちが、テロの一味として狙われている……。みんな、かつてのロック市長の戦友たちが。そんな中、唯一の例外がギャラガーだった。彼だけが一人で躍進を続け、なおかつかつての仲間たちを逮捕していた。テイラーの証言が本当かどうかはまだ分からない。だが、どうしたって、あの男に疑いの目を剥けない訳にいかない。
「さっき、俺が知っているんじゃないか、と言ったのは?」
「俺は本当のあんたが……いやいや、このNYのエリア53、マンハッタンホーンを調べりゃ分かる。もしもできるのならな」
 ジャック・テイラーはそれだけを言った。
 エイジャックスは、ジャック・テイラーの司法手続きを早急に進め、州の安全な刑務所へ収監させることにした。

「ギャラガー市長になってから、彼は、『ロック市長弔いのNY対テロ戦争』を宣言した。テロ戦争という名の白色テロの始まりだ」
 二〇二五年三月六日の土曜日にNY市長に就任したギャラガーは、テロ問題を盾に諸問題の解決を一気に図った。市政に反対する者は、テロリストとの関係をでっち上げられて、強制捜査を受けた。
「テロ組織をあぶり出す――。まずはテロリストの手先共を捕えろ! それから立ち寄り先の洗い出しだ。最終的にテロの首謀者を逮捕する」
 ハンター署長はその手先だった。そしてエイジャックスの見立て通り、ギャングたちはそのさらなる手先だった。
「こんなに捜査令状が発行されるなんて、これじゃ、俺たちは全体主義国家の秘密警察じゃないか!」
「時には止むをえん、戦場じゃ生きるか死ぬかだ」
 NYPDの特殊部隊は、テロリストと目された関連企業を次々と逮捕していった。反対しているのはエイジャックスだけだった。ハンター署長にくぎを刺されたにもかかわらず、生返事で答えると、一人独自捜査を続ける。
「ギャラガーの恐怖政治だ。まったく同じか、二〇〇五年のラリー・E・ヴァレリアン暗殺と」
 当時も大規模なテロ狩りが行われたが、その大部分が結果的に未解決と言われていた。そして二〇二五年、ロック市長の暗殺事件を機に、大規模なテロとの戦いがNYで続いていた。同時に宇宙人の連続誘拐事件も――。
「あの日以来、ここNYは何もかもオカシイ。中世魔女狩りかナチスの秘密警察の時代に逆戻りだ。あの娘の言っていることが真実なのか? ――やはり、この市全体を包み込んだ陰謀の存在があるっていうのは……、間違いないだろう」
 事件には白服の男たちが暗躍し、我々を操っている。テロを自作自演している連中がいて、NYPDはその手先となり、上から証拠もみ消しの指示が来る。白服たちは、事件が終わるとさっさと消える。あんな目立つ格好なのに、連中の正体がつかめない。政府筋の殺し屋どもは、我が物顔で、このビッグアップルを闊歩していた。
「白服の男たちによる粛清だ。対象はロック市長だけじゃない」
 FBIの特別捜査チームだという黒服連中にしても、本物かどうかさえ疑わしい。
「今このNYでは、全てが、白が黒になっている」

 だが、ついにその時が来た。
 エイジャックスはチェルシーの「ドーナッツ・プラネット」付近の小規模アジト捜索現場で白服を見かけた直後、白服が分署に出入りし、署長ハンターと話しているところを目撃した。この機を逃すわけにはいかない。
 奴らは白いマシンに乗っている。エイジャックスは事前に路肩に停めた車に乗り込むと、彼らのバイクは、目前でかき消えた。しかし、微弱なエンジン音がダウンタウンに向かって続いていた。これまでは消えたことに驚いて見逃した。だが、今は違う。
「ステルスバイク――目視で姿が消える分、ステルス戦闘機より高性能だな。下手すりゃ事故を起こしてあの世行きだが。運転手の高い技能が要求される……」
 エイジャックスは神出鬼没の白服の男たちを追う覚悟を決めた。ギャラガーと軍産複合体の関係を探らねばならない。ロウワーマンハッタンへ向けて車を発進した。
「このNYに暗躍するすべての首謀者は、あのマンハッタンホーンの中で共謀している」
 車を停め、夜のマンハッタンホーンを見上げて、
「そうだ――やっぱり錯覚なんかではない。あの娘の言った通り、こんなド派手な、目立つ建物がNYに建っていたなんて記憶は俺にもない。噂じゃここはエリア53。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。とうとう調べる時が来たな」
 従業員ゲート前の緑道の木陰で張っていると、予想通り白服たちのバイクがいきなり私道に入ってきて、そのまま滑るようにゲートの中へと吸い込まれていった。
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