4-47 『月影』の最後(2)

文字数 2,376文字

「ありがてえ! ああ……」

 目にも止まらぬ早さで酒ビンにとりついたティレグは栓を抜くと、それを一気にあおる。太い日焼けした喉が上下に大きく動き、針金のような無精髭に、あふれた酒の雫が滴る。

「はぁ……はぁ……まだだ……まだ、酒がたりねぇ……」
「続きを」

 ティレグの願いを打ち砕くほどの冷酷さでシャインが言い放つ。
 それを肌で感じたのかティレグは、ううと熊のように唸った。小さくため息を一つついて、嫌々ながら口を再び開く。

「とにかく、スカーヴィズが薬の入った酒を、いくらか飲んでいたのは確かだった。足元はおぼつかなく、真っすぐ歩けなかったし、その声……。
 俺を一緒に地獄へ連れていくんじゃないかと思うほど、しゃがれた声だった。

スカーヴィズはよろめきながら、俺に短剣で斬り付けてきた。代々、頭の証とされているブルーエイジの短剣でな。
 この俺が死にかけた女に負けるわけがねえ。俺はスカーヴィズから短剣を奪ってその胸に突き刺した。
 あんな苦しげな表情を、いつまでもさせたくなかったからよ……。
 中途半端な所で酒に毒が入っていることに気付いたから、あの女は余計苦しむことになっちまった」

 青ざめたティレグは空になった酒のビンの口を傾けて、残った酒の雫が落ちてこないかと眺めた。

「その後……あの人……アドビス・グラヴェールが船に乗り込んで来たんだな」

 シャインの言葉にティレグはうなずいた。

「ああ。まったくアドビスには驚いた。奴が来るなんて思ってもいなかったからよ。部屋に入ってきたアドビスは、床に倒れているスカーヴィズを見たかと思うと、いきなり俺に斬り付けてきた。奴が剣を抜いたかと思った途端、俺は右手に熱いものを感じたが、その時はここから逃げることで頭が一杯で、まさか小指を切り落されたとは思っても見なかった。

 その一撃をかわした俺は船長室から逃げた。アドビスがすぐ追ってくるだろうと思ったが、奴は追ってこなかった。

 俺はすぐさまボートに乗って島へ戻った。ロードウェルに忠誠を誓う条件は、スカーヴィズを殺すことだったが、アジトに戻るころには大方の筋書きはできていた。
 アドビスがスカーヴィズを殺した。そういう風にしておけば、何もかもが上手くいく。俺がスカーヴィズを殺したことがバレれば、手下共が俺の寝首をかきに毎晩やってくるからな……」

 ティレグは酒の酔いが体に回ってきたのか、先程よりかは落ち着きを取り戻した様子でシャインを見上げた。歪んだ唇の間から、下の歯が何本か欠けた黒い空洞をのぞかせて笑う。

「だがこんな話ヴィズルに聞かせたって奴は信じねえぜ。なんせ今まで奴を守り、育ててやったのは、この俺だからな」

 ティレグの笑いは自信に満ちていた。
 その理由はわかっている。
 ヴィズルは何も知らないのだ。
 ただ盲目的にティレグの言葉を受け入れ、それが真実だと思っているだけ。
 二十年もの間、彼に欺かれていたことを今の瞬間も知らずにいる。

「それはどうかな」
 シャインは目を細めた。

「これからヴィズルの所へ行って、お前の口から同じ話をもう一度してみるのはどうだ」

 ティレグはへへへと薄笑いを浮かべて、首を振った。

「ヴィズルの邪魔をするわけにはいかねぇ。奴は今、とても忙しいんだ。アドビスと戦う準備のためにな」
「それではなおのこと、ヴィズルの所へ案内してもらおうか」
「嫌だね」

 重く風を切る音がかすかに聞こえたかと思うと、シャインは顔面に向かって投げ付けられた空の酒ビンを、身をよじってかわした。
 同時にしゃがんでいたティレグが立ち上がり、熊のようにシャインに覆いかぶさる勢いで突進してくる。

 ――駄目だ。
 シャインは引き金を引くことを、やっとの思いで自制した。

 駄目だ。
 ティレグを今殺すわけにはいかない。

 スカーヴィズを殺したのは自分だと、あの男自身の口から言わせないと、ヴィズルの誤解を解くことはできない。一生。

 不意打ちの心構えはできていたし、元々酒を飲んで足元がふらついているティレグの拳を見切るのは容易かった。

 昔は剣の腕を買われていたであろうティレグは、今は悲しいかな、ストームの言う通り、ただの飲んだくれと化している。

 シャインは手首をひねって銃身を回転させると銃の筒の部分を握った。突っ込んできたティレグを、まるでダンスの足さばきをとるようにやりすごし、空をかいて前のめりになった彼の背後に回りこむ。そして、針山のような髪が生えている後頭部へ、銃の台座で殴りつけた。

「ああ……ああ……」

 ティレグはしばし動きを止めて大きくうめいた。緩慢とした動作でシャインの方へ振り向いたかと思うと、充血した目を見開いて敵意も露に睨み付けてきた。

 何かの執念に憑かれているとしかいえないほどの凄まじさに、今度はシャインがゆっくりと後ろへ後ずさる。ストームが教えてくれた、外へ出る勝手口の扉まで静かに後退した。

 近付いてくるティレグから視線を外すことができず、シャインは震える手で銃をポケットにねじこみ、扉の握りを探した。

「絶対……殺してやる……小僧……」

 血まみれの、手のひらに空洞が空いたティレグの左手が伸びてくる。
 シャインは勝手口の扉を外に向かって押し開けた。

 ごおっと耳障りな音と共に、潮の臭いが混じった風が中へ入り込み、シャインの束ねていない髪を荒々しく乱す。一瞬それに視界を遮られたシャインは、払おうと左手を顔の前にかざした。

「……!」

 赤い塗料の缶の中へ突っ込んだようなティレグの手が、シャインの手首を掴んでいる。ティレグはひきつった顔を、酒臭い息がかかるほど近くシャインに寄せたかと思うと、にたりと凄絶な笑みを浮かべた。

 次の瞬間、ティレグの血走った目がぐるりと裏返って白目になり、大きな体がどさりと床にくずおれていくのを、シャインは呆然と見つめていた。

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