4-86 座礁の原因
文字数 4,967文字
シャインは壁に手を伸ばすと額をつけた。
こんなところにいれば艦長室から出てきたジャーヴィスにすぐ見つかるが、体調がすぐれないところに頭に血がのぼったせいで気分が悪い。
シャインはしばらく何も考えないように努めて目を閉じていた。
「グラヴェール艦長」
シャインははっとして目蓋を開いた。反射的に壁を背にして振り返る。
艦長室の扉を開けて、ジャーヴィスが左手後方に立っていた。
ジャーヴィスが足を一歩前に踏み出すと、シャインは同じ分だけ背中を壁に預けたまま距離を離した。
ジャーヴィスが口を開くのが怖い。
アドビスの事を聞かされるのが怖い。
そして怖さと同じくらい、腹立たしさもつのってくる。リオーネならまだしも、ジャーヴィスがアドビスの本心を知っているのはどういう意味だろう。
あの男はジャーヴィスには本心を話せても、実の息子である自分には何故、話そうとしないのだろうか。
直接言えないその言葉が、『本当』だとは思わない。
アドビスの口から語られない『本心』なんて、この場で聞かされるのは絶対に嫌だし、認めるつもりもない。
シャインは壁に背中を預け、貼り付くように立っていた。そうしなければ、今にもその場で膝が萎えて崩れ落ちそうだった。
自分でもアドビスの事で、これほどまで取り乱すのが信じられなかった。
左手は震えだすし、口の中は乾いて、唾もろくに飲み下すことができない。
シャインは喘ぐように空気を吸い込み、やっとの思いで口を開いた。
自分に言い聞かすように、かすれた声で言葉がとめどなく溢れ出す。
「ジャーヴィス副長。さっきは怒鳴ってすまなかった。君が悪いんじゃない。君は悪くない。だけど俺は、俺はあの人のことを考えると、今はたまらなく苦しいんだ。君の言う事がたとえ真実だったとしても、俺はそれを受け入れることなんてできない。信じる事もできない。だから今は、何も言わないでくれ!」
ジャーヴィスはシャインからほんの三リールの所で黙ったまま立っていた。
昇降用の階段から洩れる上からの陽光が、ジャーヴィスの茶色の髪を明るく照らし、そこに浮かべている表情まで見分けることができた。
「艦長。あなたの気持ちを慮らず……申し訳ありませんでした」
ジャーヴィスの顔は青ざめて、落ち窪んだ瞳に濃い影がまとわりついていた。
シャインに怒鳴られて傷ついたというよりも、取り乱した様子を見て、それにショックを受けたようだった。シャインは壁に背中を預けたまま、ゆっくりと首を振った。
「君の気持ちはわかるんだ。俺のために言ってくれたんだって、わかるけど」
シャインはうなだれ息を吐いた。
「俺の気持ちも分かって欲しい。君が俺の知らないあの人の心を知っていても、それを俺に押し付けないでくれ……すまない。本当にすまない……」
今度はジャーヴィスが理解したように、ゆっくりとうなずいた。
いつもは感情を大きく表さないジャーヴィスの鋭い瞳が、シャインに同情するように光ったような気がする。それを見てシャインは、さざ波が立った海面のような自分の心が、落ち着きを取り戻していくのを感じた。
ジャーヴィスは固い表情のまま目を伏せて、シャインに頭を垂れた。
そして、慎重に言葉を選びながら語り出したジャーヴィスの口調は、物静かで穏やかだった。
「あなたがそう心を決めてしまったのなら……仕方ありません。他人である私が、口をはさむべきことではありませんから。ですが、エアリエル号へ私も一緒に行く気持ちに変わりはありません。ヴィズルを助ける手助けもいたします。その代わり私は、あなたを無事にアスラトルへ連れて帰るという、
「……ジャーヴィス」
ジャーヴィスは固い決意を秘めた青い瞳をシャインへ向け、再び一礼した。
「甲板に上がって、接舷の準備にかかります」
シャインはうなずいた。
「ああ……頼む。俺も、すぐに行くから」
「はい」
ジャーヴィスは目の前の階段を急いで上がって行った。
それをシャインは目で追いながら、左手で右腕を掴むと、背中を壁に預けたままその場にしばし立ちつくしていた。
「……」
『艦長、あなたが中将閣下のことを嫌っているのは知っています。けれど、それは誤解なんです。中将閣下は、本当は、あなたのことを……』
まだアドビスの事を意識している自分自身に腹が立つ。
アドビスにまだ振り回されていることに苛立ちがつのる。
シャインはそれらを振り払うかのように、壁から離れて甲板へ上がる階段に近付いた。
「エアリエル号のミズンマストが倒されているぞ!」
「あの青い帆の船が海賊船か?」
「エアリエル号の右舷船首に接舷しようとしている」
ジャーヴィスと舵をとっている航海士の緊迫した声が聞こえる。
シャインはいてもたってもいられなくなり、じっとりと汗をかいている左手を握りしめると、目の前の階段を急いでかけ上がった。
「……なっ……」
ロワールハイネス号の甲板に出たシャインは、前方に広がった光景を目にして、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
右手にヴィズルのアジトがある島があるが、その白い砂浜がある北側には、元は2隻の、二本マストのスクーナー船が、真っ白い煙を青い空へ吐き出しながら炎上している。
島の東側から少し離れた海域は、周りのそれより緑っぽい海の色をしていて、珊瑚礁がある浅瀬があり、そこから二百リールばかり離れた所に、エアリエル号が船尾をこちらに向けて停船していた。
天に向かってそびえる三本の高いマストのうち、最後尾のミズンマストが、根元から十リールほどの所でへし折れて、左舷側の舷側の手すりの上に倒れ、その先端は海中に没している。もちろん帆を張っていた状態でマストが倒されたので、海面には帆桁や上げ綱が散乱し、白い帆が皮膜のように覆っている。
メインマストとフォアマストも、帆に砲弾を受けたのか、いくつもの穴が開いている。
ここからだと船体の方の損傷はわからない。だがシャインは、エアリエル号の右舷船首側に接舷した、青い帆を張った三本マストの武装船に視線を向けた。
おそらく海賊たちがエアリエル号に斬り込んできたのだ。
きらりと日光に抜き身の剣の刃が光るのが見える。
「グラヴェール艦長……ご覧になりましたか?」
ジャーヴィスの声にシャインは振り返った。舵輪の前に立つジャーヴィスが下にいるシャインを見下ろしている。そしてジャーヴィスの隣には、幾分表情の硬いロワールとリオーネの姿もあった。
「ああ」
シャインは短く返事をして、ジャーヴィスの所に行くため右手の階段を上がった。
「エアリエル号は海賊に火船をけしかけられ、それで島の東の方へ移動したものの、浅瀬に船体を座礁させたようですね」
「そうみたいだね」
「違うわ、シャイン」
ロワールの声にシャインとジャーヴィスは目を見開いた。
ロワールがシャインの服の裾を引っ張り、そのまま左舷側まで歩いて行く。
その後を、怪訝な顔をしたジャーヴィスとリオーネが続く。
「海の中をよく見ていて。もう少しエアリエル号に近付けば見えてくるわ」
シャインは舷側から身を乗り出して前方の海をながめた。確かに浅瀬はエアリエル号からずっと離れた右側に見える。エアリエル号の止まっている海は青色に近く、浅瀬がある海の色はそれより薄いので全く違う。だからそこに浅瀬がある事自体考えられない。
シャインは日にきらめく波間を目をこらして見つめた。
不意に背中がぞくぞくした。
誰かに見つめられているような、視線を感じた。
「シャイン、ロワールハイネス号をエアリエル号の左舷側に寄せるわ」
「ああ」
ロワールがエアリエル号の二百リール後方まで近付ける。
エアリエル号の浮かぶ海面の色は周囲のそれより暗くて、波の間にぽつぽつと何かが見えた気がした。まるで海から木でも生えているように、エアリエル号の船首の前方に、数本の黒くて長細いものがいくつも突き出ている。
「杭……?」
同じように海面をにらんでいたジャーヴィスがつぶやいた。
「違う。あれは
シャインは船縁を掴んで海の中を覗き込んだ。まだ、この辺りは大丈夫のようだ。シャインはジャーヴィスに叫んだ。
「ジャーヴィス、沈船だよ。小船を海中に沈めて、暗礁をあそこに作ったんだ!」
「何ですって……?」
「アドビス様……」
絶句するジャーヴィスの隣で、リオーネが不安げに顔を青ざめさせた。
「エアリエル号は火船を避けるために島の東側へ向かった。浅瀬から離れていたけれど、ひょっとしたら火船の煙で前方の視界が悪かったのかもしれない」
「それで沈船に気付かず、座礁してしまった……」
「多分ね。あの人はこの島を良く知っている。だから船が絶対に座礁する心配がない場所へ船を進めていたはずだ。それで気付くのに余計遅れたのだと思う」
シャインはそう言葉を続け、前方の見張りに向かって叫んだ。
「障害物があったらすぐに報告してくれ!」
ロワールハイネス号の中ほどと、舳先にいる水兵がシャインの声を聞いて、了解したといわんばかりに手を振った。
「ジャーヴィス、ロワールハイネス号は、水深1.5リールまでなら座礁せずに航行することができる。このままエアリエル号の左舷側に船を寄せるぞ」
「はい」
ジャーヴィスはうなずき、すぐさま後ろで舵を取る航海士の側へ行き、シャインの指示を伝えた後、急いで下の甲板に降りて行った。
船の速度が速すぎるので、減速のため帆の調節を水兵達に命じるのだ。
「シャイン、ちょっと来て。あなたのレイディの具合が良くないわ」
リオーネがシャインを呼んだ。
「シャイン。海に沈められた船には、敵意を持った邪悪な存在が閉じ込められている。それが、彼女を死ぬほど怯えさせてるわ」
ロワールが船の舷側にもたれて、じっと海の中を見つめている。
白い顔を一層青ざめさせて、唇がわなわなと震えている。
「ロワール、
シャインは左手を伸ばして、ロワールの肩を掴んだ。
「あっ……」
まるで白昼夢から醒めたようにロワールの水色の瞳が見開かれ、がたがたと震えながらシャインにぎゅっとしがみついた。
「嫌っ、あっちへ行って! 私に構わないで!」
「ロワール、大丈夫だよ。彼等の声に耳を貸すんじゃない。彼等は何もできないんだ。自分達を縛り付けた、ヴィズルの力がなければ……」
シャインは思い出していた。ロワールハイネス号を取り戻して島を離れる時に見た、無気味な数隻の船が海に浮かんでいた事を。
ロワールを抱きしめながら、シャインはヴィズルがアドビスに捕まっていて身動きできないことにほんの少しだけ安堵した。
きっとヴィズルは船の精霊を縛り付けた船を操って、アドビスの乗るエアリエル号の動きを封じるつもりだったのだろう。
ヴィズルが火船を操っていたら回避することは不可能だ。今頃エアリエル号は壮絶に燃え上がって、遠く離れた水平線の彼方からでも煙が見えただろう。
「シャイン、ごめんなさい……もう大丈夫……」
ロワールの声でシャインは我に返った。ロワールの肩から手を放して、その青ざめた顔をのぞきこむ。
「ごめんなさい。海を見ていたら、あの人達の声が聞こえてきて。あの人達の悲しみに、つい、引き込まれちゃって……。海に沈む事の恐ろしさに体が動かなくなって……」
シャインはロワールを再び引き寄せた。
「そんなこと誰がさせるものか。いいかい、もう彼女達の声を聞いちゃいけないよ。君は沈まない。俺と一緒に、これからもっといろんな海に行くんだから。だから、俺とジャーヴィス副長がエアリエル号に乗り込んだら、君はすぐこの海域から離れるんだ。必ず戻るから、戦闘に巻き込まれない海域で俺を待っててくれ。いいね、ロワール」
「わかったわ」
ロワールが自分を心配する不安な心が直に伝わってくる。
ロワールは自分からシャインの体を離した。
「グラヴェール艦長! 船をエアリエル号に寄せます。船首右舷側に来て下さい!」
ジャーヴィスがシャインを呼んだ。
その瞬間シャインの耳には、剣劇の音と破裂する銃の火薬の音。無数の人間があげるときの声が一斉に、唐突に聞こえてきた。
こんなところにいれば艦長室から出てきたジャーヴィスにすぐ見つかるが、体調がすぐれないところに頭に血がのぼったせいで気分が悪い。
シャインはしばらく何も考えないように努めて目を閉じていた。
「グラヴェール艦長」
シャインははっとして目蓋を開いた。反射的に壁を背にして振り返る。
艦長室の扉を開けて、ジャーヴィスが左手後方に立っていた。
ジャーヴィスが足を一歩前に踏み出すと、シャインは同じ分だけ背中を壁に預けたまま距離を離した。
ジャーヴィスが口を開くのが怖い。
アドビスの事を聞かされるのが怖い。
そして怖さと同じくらい、腹立たしさもつのってくる。リオーネならまだしも、ジャーヴィスがアドビスの本心を知っているのはどういう意味だろう。
あの男はジャーヴィスには本心を話せても、実の息子である自分には何故、話そうとしないのだろうか。
直接言えないその言葉が、『本当』だとは思わない。
アドビスの口から語られない『本心』なんて、この場で聞かされるのは絶対に嫌だし、認めるつもりもない。
シャインは壁に背中を預け、貼り付くように立っていた。そうしなければ、今にもその場で膝が萎えて崩れ落ちそうだった。
自分でもアドビスの事で、これほどまで取り乱すのが信じられなかった。
左手は震えだすし、口の中は乾いて、唾もろくに飲み下すことができない。
シャインは喘ぐように空気を吸い込み、やっとの思いで口を開いた。
自分に言い聞かすように、かすれた声で言葉がとめどなく溢れ出す。
「ジャーヴィス副長。さっきは怒鳴ってすまなかった。君が悪いんじゃない。君は悪くない。だけど俺は、俺はあの人のことを考えると、今はたまらなく苦しいんだ。君の言う事がたとえ真実だったとしても、俺はそれを受け入れることなんてできない。信じる事もできない。だから今は、何も言わないでくれ!」
ジャーヴィスはシャインからほんの三リールの所で黙ったまま立っていた。
昇降用の階段から洩れる上からの陽光が、ジャーヴィスの茶色の髪を明るく照らし、そこに浮かべている表情まで見分けることができた。
「艦長。あなたの気持ちを慮らず……申し訳ありませんでした」
ジャーヴィスの顔は青ざめて、落ち窪んだ瞳に濃い影がまとわりついていた。
シャインに怒鳴られて傷ついたというよりも、取り乱した様子を見て、それにショックを受けたようだった。シャインは壁に背中を預けたまま、ゆっくりと首を振った。
「君の気持ちはわかるんだ。俺のために言ってくれたんだって、わかるけど」
シャインはうなだれ息を吐いた。
「俺の気持ちも分かって欲しい。君が俺の知らないあの人の心を知っていても、それを俺に押し付けないでくれ……すまない。本当にすまない……」
今度はジャーヴィスが理解したように、ゆっくりとうなずいた。
いつもは感情を大きく表さないジャーヴィスの鋭い瞳が、シャインに同情するように光ったような気がする。それを見てシャインは、さざ波が立った海面のような自分の心が、落ち着きを取り戻していくのを感じた。
ジャーヴィスは固い表情のまま目を伏せて、シャインに頭を垂れた。
そして、慎重に言葉を選びながら語り出したジャーヴィスの口調は、物静かで穏やかだった。
「あなたがそう心を決めてしまったのなら……仕方ありません。他人である私が、口をはさむべきことではありませんから。ですが、エアリエル号へ私も一緒に行く気持ちに変わりはありません。ヴィズルを助ける手助けもいたします。その代わり私は、あなたを無事にアスラトルへ連れて帰るという、
約束
だけは果たします。これだけはあの方のために……許して下さい」「……ジャーヴィス」
ジャーヴィスは固い決意を秘めた青い瞳をシャインへ向け、再び一礼した。
「甲板に上がって、接舷の準備にかかります」
シャインはうなずいた。
「ああ……頼む。俺も、すぐに行くから」
「はい」
ジャーヴィスは目の前の階段を急いで上がって行った。
それをシャインは目で追いながら、左手で右腕を掴むと、背中を壁に預けたままその場にしばし立ちつくしていた。
「……」
『艦長、あなたが中将閣下のことを嫌っているのは知っています。けれど、それは誤解なんです。中将閣下は、本当は、あなたのことを……』
まだアドビスの事を意識している自分自身に腹が立つ。
アドビスにまだ振り回されていることに苛立ちがつのる。
シャインはそれらを振り払うかのように、壁から離れて甲板へ上がる階段に近付いた。
「エアリエル号のミズンマストが倒されているぞ!」
「あの青い帆の船が海賊船か?」
「エアリエル号の右舷船首に接舷しようとしている」
ジャーヴィスと舵をとっている航海士の緊迫した声が聞こえる。
シャインはいてもたってもいられなくなり、じっとりと汗をかいている左手を握りしめると、目の前の階段を急いでかけ上がった。
「……なっ……」
ロワールハイネス号の甲板に出たシャインは、前方に広がった光景を目にして、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
右手にヴィズルのアジトがある島があるが、その白い砂浜がある北側には、元は2隻の、二本マストのスクーナー船が、真っ白い煙を青い空へ吐き出しながら炎上している。
島の東側から少し離れた海域は、周りのそれより緑っぽい海の色をしていて、珊瑚礁がある浅瀬があり、そこから二百リールばかり離れた所に、エアリエル号が船尾をこちらに向けて停船していた。
天に向かってそびえる三本の高いマストのうち、最後尾のミズンマストが、根元から十リールほどの所でへし折れて、左舷側の舷側の手すりの上に倒れ、その先端は海中に没している。もちろん帆を張っていた状態でマストが倒されたので、海面には帆桁や上げ綱が散乱し、白い帆が皮膜のように覆っている。
メインマストとフォアマストも、帆に砲弾を受けたのか、いくつもの穴が開いている。
ここからだと船体の方の損傷はわからない。だがシャインは、エアリエル号の右舷船首側に接舷した、青い帆を張った三本マストの武装船に視線を向けた。
おそらく海賊たちがエアリエル号に斬り込んできたのだ。
きらりと日光に抜き身の剣の刃が光るのが見える。
「グラヴェール艦長……ご覧になりましたか?」
ジャーヴィスの声にシャインは振り返った。舵輪の前に立つジャーヴィスが下にいるシャインを見下ろしている。そしてジャーヴィスの隣には、幾分表情の硬いロワールとリオーネの姿もあった。
「ああ」
シャインは短く返事をして、ジャーヴィスの所に行くため右手の階段を上がった。
「エアリエル号は海賊に火船をけしかけられ、それで島の東の方へ移動したものの、浅瀬に船体を座礁させたようですね」
「そうみたいだね」
「違うわ、シャイン」
ロワールの声にシャインとジャーヴィスは目を見開いた。
ロワールがシャインの服の裾を引っ張り、そのまま左舷側まで歩いて行く。
その後を、怪訝な顔をしたジャーヴィスとリオーネが続く。
「海の中をよく見ていて。もう少しエアリエル号に近付けば見えてくるわ」
シャインは舷側から身を乗り出して前方の海をながめた。確かに浅瀬はエアリエル号からずっと離れた右側に見える。エアリエル号の止まっている海は青色に近く、浅瀬がある海の色はそれより薄いので全く違う。だからそこに浅瀬がある事自体考えられない。
シャインは日にきらめく波間を目をこらして見つめた。
不意に背中がぞくぞくした。
誰かに見つめられているような、視線を感じた。
「シャイン、ロワールハイネス号をエアリエル号の左舷側に寄せるわ」
「ああ」
ロワールがエアリエル号の二百リール後方まで近付ける。
エアリエル号の浮かぶ海面の色は周囲のそれより暗くて、波の間にぽつぽつと何かが見えた気がした。まるで海から木でも生えているように、エアリエル号の船首の前方に、数本の黒くて長細いものがいくつも突き出ている。
「杭……?」
同じように海面をにらんでいたジャーヴィスがつぶやいた。
「違う。あれは
マストの先端
だ。そうか、そうだったのか」シャインは船縁を掴んで海の中を覗き込んだ。まだ、この辺りは大丈夫のようだ。シャインはジャーヴィスに叫んだ。
「ジャーヴィス、沈船だよ。小船を海中に沈めて、暗礁をあそこに作ったんだ!」
「何ですって……?」
「アドビス様……」
絶句するジャーヴィスの隣で、リオーネが不安げに顔を青ざめさせた。
「エアリエル号は火船を避けるために島の東側へ向かった。浅瀬から離れていたけれど、ひょっとしたら火船の煙で前方の視界が悪かったのかもしれない」
「それで沈船に気付かず、座礁してしまった……」
「多分ね。あの人はこの島を良く知っている。だから船が絶対に座礁する心配がない場所へ船を進めていたはずだ。それで気付くのに余計遅れたのだと思う」
シャインはそう言葉を続け、前方の見張りに向かって叫んだ。
「障害物があったらすぐに報告してくれ!」
ロワールハイネス号の中ほどと、舳先にいる水兵がシャインの声を聞いて、了解したといわんばかりに手を振った。
「ジャーヴィス、ロワールハイネス号は、水深1.5リールまでなら座礁せずに航行することができる。このままエアリエル号の左舷側に船を寄せるぞ」
「はい」
ジャーヴィスはうなずき、すぐさま後ろで舵を取る航海士の側へ行き、シャインの指示を伝えた後、急いで下の甲板に降りて行った。
船の速度が速すぎるので、減速のため帆の調節を水兵達に命じるのだ。
「シャイン、ちょっと来て。あなたのレイディの具合が良くないわ」
リオーネがシャインを呼んだ。
「シャイン。海に沈められた船には、敵意を持った邪悪な存在が閉じ込められている。それが、彼女を死ぬほど怯えさせてるわ」
ロワールが船の舷側にもたれて、じっと海の中を見つめている。
白い顔を一層青ざめさせて、唇がわなわなと震えている。
「ロワール、
駄目だ
。こっちへ来るんだ」シャインは左手を伸ばして、ロワールの肩を掴んだ。
「あっ……」
まるで白昼夢から醒めたようにロワールの水色の瞳が見開かれ、がたがたと震えながらシャインにぎゅっとしがみついた。
「嫌っ、あっちへ行って! 私に構わないで!」
「ロワール、大丈夫だよ。彼等の声に耳を貸すんじゃない。彼等は何もできないんだ。自分達を縛り付けた、ヴィズルの力がなければ……」
シャインは思い出していた。ロワールハイネス号を取り戻して島を離れる時に見た、無気味な数隻の船が海に浮かんでいた事を。
ロワールを抱きしめながら、シャインはヴィズルがアドビスに捕まっていて身動きできないことにほんの少しだけ安堵した。
きっとヴィズルは船の精霊を縛り付けた船を操って、アドビスの乗るエアリエル号の動きを封じるつもりだったのだろう。
ヴィズルが火船を操っていたら回避することは不可能だ。今頃エアリエル号は壮絶に燃え上がって、遠く離れた水平線の彼方からでも煙が見えただろう。
「シャイン、ごめんなさい……もう大丈夫……」
ロワールの声でシャインは我に返った。ロワールの肩から手を放して、その青ざめた顔をのぞきこむ。
「ごめんなさい。海を見ていたら、あの人達の声が聞こえてきて。あの人達の悲しみに、つい、引き込まれちゃって……。海に沈む事の恐ろしさに体が動かなくなって……」
シャインはロワールを再び引き寄せた。
「そんなこと誰がさせるものか。いいかい、もう彼女達の声を聞いちゃいけないよ。君は沈まない。俺と一緒に、これからもっといろんな海に行くんだから。だから、俺とジャーヴィス副長がエアリエル号に乗り込んだら、君はすぐこの海域から離れるんだ。必ず戻るから、戦闘に巻き込まれない海域で俺を待っててくれ。いいね、ロワール」
「わかったわ」
ロワールが自分を心配する不安な心が直に伝わってくる。
ロワールは自分からシャインの体を離した。
「グラヴェール艦長! 船をエアリエル号に寄せます。船首右舷側に来て下さい!」
ジャーヴィスがシャインを呼んだ。
その瞬間シャインの耳には、剣劇の音と破裂する銃の火薬の音。無数の人間があげるときの声が一斉に、唐突に聞こえてきた。