4-102 あなたという光

文字数 2,468文字

「ロワール。君は本当の意味で、魂の半身だ。俺には君なしの世界なんて考えられない」

 シャインは徐に寝台から降りると、ロワールの前で片膝をついた。
 シャインの手の中にすっぽり収まってしまうほど、小さな小さなロワールの手。
 それを両手で握り締めて彼女だけを見つめた。

「何があっても、俺の心が帰るのは君の所だ。だから俺の側にいて欲しい。レイディ・ロワール」
「……」
「ここまで願っても君が『船鐘(シップベル)』を外せと言うのなら、俺は鐘を抱いて海に飛び込む」
「シャイン」

 すっとロワールが立ち上がった。窓から差しこむ朝日がロワールの茜色の髪を艶やかに輝かせる。

「馬鹿……。それじゃあシャインが死んじゃうじゃない!」
「ああ。君は俺の命の一部なんだ。それを君が捨てるのなら望むまでだ」

「もう! そういうことじゃないのに! 私がそんなことを、本気で望むと思っているの? 私がどれだけあなたの存在に救われたか……言葉じゃ言い尽くせないのに……」

 ロワールはやおらシャインの首に両手を回して抱きついた。

「私はずっとひとりぼっちだった。でも、私に気付いたのはあなただけだったのよ、シャイン。そのあなたを失うなんて、私が耐えられるわけないじゃない! どうしてそんな意地悪な事を言うのよ。私にはあなたしかいないの。あなたがいてくれるから、ブルーエイジを抑えるっていう孤独な役割にも耐えられる……」
「ロワール……」

 シャインはそっと左手をロワールの頭に伸ばした。壊れ物を扱うように優しく髪を撫ぜる。
 抱きついたロワールの手から徐々に力が抜けていく。
 やがて彼女は自分から体を離してシャインを見上げた。
 顔を上げたロワールの水色の瞳にシャインの顔が映っている。
 それを見つめながらシャインは静かに微笑んだ。

「一緒に生きてくれるね、ロワール」
「当たり前じゃない。それ以外の選択をしたら、私はあなたを許さない」

 強い光を瞳に輝かせてロワールが言った。

「誓って、シャイン。私を絶対に置いて行かないって」
「命名式の時にそれは誓ったはず」
「命名式は

したのよ。ブルーエイジのせいで。だからもう一度やり直さなくちゃ!」

 シャインはふっと微笑した。
 そうだった。
 誓いの言葉を述べた後、ブルーエイジの邪魔が入って、祝酒のビンを割り損ねてしまったのだ。

「でもやり直すのなら、もう一度祝酒のビンが必要かな。皆を集めて船首でやるべきかい?」

 ふるふるとロワールが首を横に振った。

「あんな儀式は不要よ。私達がお互いに誓句を言えばいいの。今、ここで」
「わかった」
「じゃあ始めましょ。シャイン、手を出してくれる?」

 シャインは片膝をついて、目の前に伸ばされたロワールの右手を自らの左手に受けた。柔らかな黄昏色の長い髪を揺らして、ロワールが透き通った水色の瞳を細める。
 ロワールの薄桃色の唇が軽く開かれ、シャインへ厳かに誓句を告げる。


「私は船の精霊(レイディ)として、いかなる時も、船と乗員と、あなたを守ることを誓います。シャイン・グラヴェール……私の艦長に」

 神々しさに溢れる彼女の姿に、シャインは身が引き締まるような緊張感が満ちていくのを感じた。

「願わくは、貴女の力が共にあらんことを。いかなる時も、貴女と船を守ることを誓います。俺のレイディ・ロワールに……」

 互いに合わせた手と手をしっかりと握り締める。
 背後の窓から差す光に照らされながら微笑むロワールの姿は、陳腐な表現だが、自分にとっては空から舞い降りた天使のように思えた。


 コンコン!


 静寂を破る不躾なノックの音。
 それを聞いたロワールの顔が見る間にしかめられ、小ぶりな唇がふるふると震えた。

「あの……すみません、グラヴェール艦長」

 艦長室と寝室を仕切っている水色のカーテンから咳払いと共に、気まずそうに言うジャーヴィスの声が聞こえた。

「ああ、起きてるよ」
「……うう……」

 ロワールが渋々シャインから手を離した。
 カーテンを引く鋭い音がして、きっちりと航海服を着込んだジャーヴィスが、ほっとしたように部屋をのぞき込んでいる。

「お早うございます。気分はいかがですか」
「やっと良くなったよ。すまない、ずっと君に船内の事をやらせてしまって」

 ジャーヴィスは眉間をしかめて首を振った。
 そしてシャインの寝台を意味ありげに見つめて肩をすくめた。

「レイディ……すぐ出ていきますから、怖い顔で睨むのは止めて下さい」

 シャインは思わず吹き出した。
 ロワールはジャーヴィスにその姿を見えるようにしていたらしい。
 確かに彼女は威嚇する子猫のように、ジャーヴィスをキッと睨んでいた。

「久しぶりに二人っきりになれたのよ。どうしてあなたは、いつも私とシャインの邪魔をするの!」

「わ、私は……ただ。アスラトルが見えてきたので、それを報告しに来ただけなんですよ。あなたがたの邪魔だなんて……そんなつもりは、まったく」

「とにかく、シャインの側には私がついてるから大丈夫よ!」

 ジャーヴィスが困りきった目をシャインに向けた。ロワールの機嫌を損ねれば、彼女は勝手にロワールハイネス号を動かして、それこそ処女航海の時のようなトラブルを起こしかねない。ジャーヴィスの瞳の中にシャインはそれらの恐れを即座に読み取った。

「甲板に出たいな。君だって、アスラトルを見るのは久しぶりだろ? ロワール」
「えっ。そ、そうねー。随分久しぶりで忘れてたわ」

 この隙にジャーヴィスは「先に行ってます」とつぶやいて部屋を出て行った。
 彼には申し訳ないが、確かに間が悪い時があると思う。
 ロワールと過ごしている時に限って。

「シャイン、待って。上着を着ないと甲板は少し風が冷たいわ」
「そうかい。じゃ、ちょっと待っててくれ」

 シャインは寝台の足元に畳んで置いてあった航海服に両手を通した。
 執務室へと歩き、クローゼットから薄紫の襟飾りを出して首に巻く。
 右手が使えないので、髪は相変わらず束ねず背中に流したままだ。

「さ、行こうか」
「うん」

 シャインは艦長室を出て、ロワールハイネス号の後部甲板に出る正面の階段を昇って行った。
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