4-31 囚われの身
文字数 3,068文字
ドスドスドス……。
甲板を歩く複数の人間の足音が、最下層の船倉に閉じ込められているシャインの所まで、天井を通じ鈍く響いてくる。
先程までシャインの隣にいたグローリアス号の船の精霊――グローリアの気配はもうない。ヴィズルのアジトについたので、彼女は船を停泊させると言って姿を消した。
船足がだんだんと落ちていき、うねる波の影響を受けて船内が大きく横揺れを始めた。何か重い物――きっと錨だ――が、海中へ落ちる激しい水音が聞こえたその時、シャインは前の戸口に再び人の気配を感じた。
鍵を外す小さな金属音。ぎしぎしとしなりながら開く扉。
ランプの光が一瞬まぶしくきらめいたかと思うと、入口にはすらりとした体躯の人物が立っていた。シャインは目を細めた。
「ちょっと場所を移動してもらいますわよ」
この声色は。
忘れようもない。
黒髪を夜会巻きにひっつめたその人物は、シャインと目が合うと紅の紅を塗った唇に艶やかな笑みを浮かべた。
「ご無沙汰ですわね。グラヴェール艦長」
「――ティーナ」
それはかつてロワールハイネス号の水兵として乗り込んでいたティーナだった。
彼女――もとい彼は男性だが、化粧を施したその顔は女性以上に美しい。
「君も海賊スカーヴィズの一味、だったわけだ」
ティーナは手にしたランプを、出入口の梁に打ち付けられてある釘に引っ掛けて、
シャインの前にやってきた。
「こんな所で
「それは俺も一緒だ」
「まあ、積もる話があるかもしれませんが、ちょっと先にすることがございますの」
白いシャツに細身のズボン姿のティーナが、その場にしゃがみこんだ。
シャインの手首にはめられている枷についた鎖を持ち上げる。
そして自分の右手を腰の後ろに回したので、シャインは一瞬身を強ばらせた。
「手枷の鍵を外します。けれど、おかしな事はしない方が身の為よ」
青白いティーナの右手には小さな鍵が握られていた。
「……わかった」
安堵感と共に、額に嫌な汗が流れる。ティレグのように、また短剣でもちらつかされるのではないかと思ってしまったからだ。
ティーナが手枷の錠前に鍵を入れてそれを回す。シャインは痛めた右手に触れられて思わず唇を噛みしめた。シャインから手枷を外したティーナが立ち上がる。
「大人しくして下されば、こちらも手出しいたしません。さ、第二甲板まで行きますわよ」
「……」
シャインは立ち上がった。
自由になった左手で、そっと右手を庇う。
ねじれた右手首の感覚に嫌悪感を覚えながら。
ティーナはシャインを先頭に歩かせ、油断なく背後にぴたりとついた。
普段通りの穏やかな口調ではあるが、にこりともしないその表情は硬く、むしろ海賊として当然ともいえる、自分への冷たい敵意が感じられた。
ティーナの指示に従い、シャインは船内の梯子を昇った。黒光りする大砲がずらりと両舷に並んだ第三甲板をすぎ、普段海賊達が食事を取ったり寝起きする第二甲板の大船室まで上がって行く。
帆を畳む作業にヴィズルの手下達は追われているのか、大船室に人影はなかった。ぶらぶらと空になったハンモックが壁際ぞいの左右両舷端にぶら下がっている。
その下には個人の身の回りの品を入れる、木製の衣装箱が並べられていて、それらにはどれも、凝った装飾を施した鍵が取り付けられていた。
シャインはそれを一瞥して、この船では海賊達に個人の財産権いうものが保証されているのを感じた。
「こっちですわよ」
ティーナは相変わらず無表情のまま、シャインの背中を押して船首の方に歩かせる。備品をいくつか入れる棚が左舷側にあり、その隣――右舷側の小部屋に押し込まれるようにして連れて行かれた。
天井に釣り下げられたランプの光が照らすその部屋は厨房だった。
水や野菜が入った、シャインの腰の高さほどある樽が並び、かまどのうえには大きな鍋が置かれて白い湯気を上げている。香草と肉が入ったスープの類いだろうか。美味しそうな臭いがする。
シャインは不意に空腹感を覚えた。その時、背後に人の気配を感じた。
殺気にも似た刺々しい気配に思わず振り返る。
「うわー、ホントにこいつ、ここにいたのね?」
そこには金髪の女――もとい、ティーナと共にロワールハイネス号で処女航海の妨害行為をしたラティが立っていた。自慢にしているのか肩口で切りそろえた金髪に手をやり、肉食獣のように鋭利な視線でシャインを見つめている。
彼は黒いシャツに黒いズボンという黒ずくめの格好をしていた。
シャインは一瞬身構えた。
するとラティが可笑しそうにぷっと笑い、右手を軽く振った。
「勘違いしないで。時間がないから、ちょっとその丸椅子に座ってよ」
「えっ」
「早くして」
シャインは何故厨房に連れてこられたのか訳がわからなかったが、一応大人しく言われた通りに、目の前に置かれた小さなそれに腰を下ろした。
ティーナが部屋の片隅で何やらごそごそしている。
「あったわ」
その手には白い布が握られていた。
「じゃ、はじめよっか」
ラティがシャインの隣に並んだかと思うと、やおらシャインの右腕をつかんだ。
「……うっ」
突然だったのと触れられたことで声が洩れた。
何をされるのか予測がつかない。
「アタシが一番上手いんだ」
目を見開いたシャインに、ラティがにひひと笑みを浮かべる。
何となく得意げにも見えたのは気のせいだろうか。
「上手いって……何を……?」
シャインは右腕を動かそうとしたが、意外にも筋力があるラティの手にしっかりとつかまれているので外す事ができない。
「動かないで。すぐに済むからさ」
耳元でラティのつぶやき声がした途端。
それは――早業だった。
ラティがシャインのねじれた手首を真っ直ぐに矯正したかと思うと、気がついた時にはすでに添え木代わりの角材を当てられ、用意していた白い布でぐるぐる巻かれている所だった。
「……あの……」
シャインは顔をしかめながら、布を巻くラティを見つめた。ラティは黙ったまま添え木を固定し終えると、肘を曲げたシャインの右腕をその首から下げた三角巾の中に入れた。
「よし、できた。無理に動かそうとするんじゃないよ。骨が曲がってくっつくことになるからね」
「……ありがとう」
シャインは戸惑いがちに礼を述べた。
確かに骨接ぎの腕はいいみたいだ。自分で上手いと豪語していた通り。
ラティは満足げに微笑して立ち上がった。
「勘違いしないで。これは船長に言われたから、治してやったんだ」
船長――つまり、ヴィズルの事だ。
シャインははっとした。
「ヴィズル、いや、君の船長はどうして俺の怪我の事を知って……」
ラティとティーナが顔を見合わせ、呆れたように肩をすくめた。
「グラヴェール艦長。あなた、あのティレグをお殴りになったそうですわね」
「全く無謀にもほどがあるぜ。アタシは海軍が嫌いだからあんたに同情する気は全くないけど、命が惜しかったら捕虜らしく大人しくしとけ。船長はあんたを当分は生かしておくみたいだからな」
「それはどういう……」
ラティはシャインの問いを無視して肩を強引につかんだ。
「そんなの知るか。さあ上陸するよ。もたもたしてるとアタシ達が船長に怒られちまう!」
一瞬ラティが見せた人懐っこそうな笑みは水の泡のように消え失せた。
ティーナも船倉で会った時のように、近寄りがたい雰囲気がその顔に漂っている。
「さあ立って下さい。行きますわよ」
シャインは再びティーナに背中を押されるようにして歩き始めた。
甲板を歩く複数の人間の足音が、最下層の船倉に閉じ込められているシャインの所まで、天井を通じ鈍く響いてくる。
先程までシャインの隣にいたグローリアス号の船の精霊――グローリアの気配はもうない。ヴィズルのアジトについたので、彼女は船を停泊させると言って姿を消した。
船足がだんだんと落ちていき、うねる波の影響を受けて船内が大きく横揺れを始めた。何か重い物――きっと錨だ――が、海中へ落ちる激しい水音が聞こえたその時、シャインは前の戸口に再び人の気配を感じた。
鍵を外す小さな金属音。ぎしぎしとしなりながら開く扉。
ランプの光が一瞬まぶしくきらめいたかと思うと、入口にはすらりとした体躯の人物が立っていた。シャインは目を細めた。
「ちょっと場所を移動してもらいますわよ」
この声色は。
忘れようもない。
黒髪を夜会巻きにひっつめたその人物は、シャインと目が合うと紅の紅を塗った唇に艶やかな笑みを浮かべた。
「ご無沙汰ですわね。グラヴェール艦長」
「――ティーナ」
それはかつてロワールハイネス号の水兵として乗り込んでいたティーナだった。
彼女――もとい彼は男性だが、化粧を施したその顔は女性以上に美しい。
「君も海賊スカーヴィズの一味、だったわけだ」
ティーナは手にしたランプを、出入口の梁に打ち付けられてある釘に引っ掛けて、
シャインの前にやってきた。
「こんな所で
また
あなたの顔を見る事になるとは、思いませんでしたけど」「それは俺も一緒だ」
「まあ、積もる話があるかもしれませんが、ちょっと先にすることがございますの」
白いシャツに細身のズボン姿のティーナが、その場にしゃがみこんだ。
シャインの手首にはめられている枷についた鎖を持ち上げる。
そして自分の右手を腰の後ろに回したので、シャインは一瞬身を強ばらせた。
「手枷の鍵を外します。けれど、おかしな事はしない方が身の為よ」
青白いティーナの右手には小さな鍵が握られていた。
「……わかった」
安堵感と共に、額に嫌な汗が流れる。ティレグのように、また短剣でもちらつかされるのではないかと思ってしまったからだ。
ティーナが手枷の錠前に鍵を入れてそれを回す。シャインは痛めた右手に触れられて思わず唇を噛みしめた。シャインから手枷を外したティーナが立ち上がる。
「大人しくして下されば、こちらも手出しいたしません。さ、第二甲板まで行きますわよ」
「……」
シャインは立ち上がった。
自由になった左手で、そっと右手を庇う。
ねじれた右手首の感覚に嫌悪感を覚えながら。
ティーナはシャインを先頭に歩かせ、油断なく背後にぴたりとついた。
普段通りの穏やかな口調ではあるが、にこりともしないその表情は硬く、むしろ海賊として当然ともいえる、自分への冷たい敵意が感じられた。
ティーナの指示に従い、シャインは船内の梯子を昇った。黒光りする大砲がずらりと両舷に並んだ第三甲板をすぎ、普段海賊達が食事を取ったり寝起きする第二甲板の大船室まで上がって行く。
帆を畳む作業にヴィズルの手下達は追われているのか、大船室に人影はなかった。ぶらぶらと空になったハンモックが壁際ぞいの左右両舷端にぶら下がっている。
その下には個人の身の回りの品を入れる、木製の衣装箱が並べられていて、それらにはどれも、凝った装飾を施した鍵が取り付けられていた。
シャインはそれを一瞥して、この船では海賊達に個人の財産権いうものが保証されているのを感じた。
「こっちですわよ」
ティーナは相変わらず無表情のまま、シャインの背中を押して船首の方に歩かせる。備品をいくつか入れる棚が左舷側にあり、その隣――右舷側の小部屋に押し込まれるようにして連れて行かれた。
天井に釣り下げられたランプの光が照らすその部屋は厨房だった。
水や野菜が入った、シャインの腰の高さほどある樽が並び、かまどのうえには大きな鍋が置かれて白い湯気を上げている。香草と肉が入ったスープの類いだろうか。美味しそうな臭いがする。
シャインは不意に空腹感を覚えた。その時、背後に人の気配を感じた。
殺気にも似た刺々しい気配に思わず振り返る。
「うわー、ホントにこいつ、ここにいたのね?」
そこには金髪の女――もとい、ティーナと共にロワールハイネス号で処女航海の妨害行為をしたラティが立っていた。自慢にしているのか肩口で切りそろえた金髪に手をやり、肉食獣のように鋭利な視線でシャインを見つめている。
彼は黒いシャツに黒いズボンという黒ずくめの格好をしていた。
シャインは一瞬身構えた。
するとラティが可笑しそうにぷっと笑い、右手を軽く振った。
「勘違いしないで。時間がないから、ちょっとその丸椅子に座ってよ」
「えっ」
「早くして」
シャインは何故厨房に連れてこられたのか訳がわからなかったが、一応大人しく言われた通りに、目の前に置かれた小さなそれに腰を下ろした。
ティーナが部屋の片隅で何やらごそごそしている。
「あったわ」
その手には白い布が握られていた。
「じゃ、はじめよっか」
ラティがシャインの隣に並んだかと思うと、やおらシャインの右腕をつかんだ。
「……うっ」
突然だったのと触れられたことで声が洩れた。
何をされるのか予測がつかない。
「アタシが一番上手いんだ」
目を見開いたシャインに、ラティがにひひと笑みを浮かべる。
何となく得意げにも見えたのは気のせいだろうか。
「上手いって……何を……?」
シャインは右腕を動かそうとしたが、意外にも筋力があるラティの手にしっかりとつかまれているので外す事ができない。
「動かないで。すぐに済むからさ」
耳元でラティのつぶやき声がした途端。
それは――早業だった。
ラティがシャインのねじれた手首を真っ直ぐに矯正したかと思うと、気がついた時にはすでに添え木代わりの角材を当てられ、用意していた白い布でぐるぐる巻かれている所だった。
「……あの……」
シャインは顔をしかめながら、布を巻くラティを見つめた。ラティは黙ったまま添え木を固定し終えると、肘を曲げたシャインの右腕をその首から下げた三角巾の中に入れた。
「よし、できた。無理に動かそうとするんじゃないよ。骨が曲がってくっつくことになるからね」
「……ありがとう」
シャインは戸惑いがちに礼を述べた。
確かに骨接ぎの腕はいいみたいだ。自分で上手いと豪語していた通り。
ラティは満足げに微笑して立ち上がった。
「勘違いしないで。これは船長に言われたから、治してやったんだ」
船長――つまり、ヴィズルの事だ。
シャインははっとした。
「ヴィズル、いや、君の船長はどうして俺の怪我の事を知って……」
ラティとティーナが顔を見合わせ、呆れたように肩をすくめた。
「グラヴェール艦長。あなた、あのティレグをお殴りになったそうですわね」
「全く無謀にもほどがあるぜ。アタシは海軍が嫌いだからあんたに同情する気は全くないけど、命が惜しかったら捕虜らしく大人しくしとけ。船長はあんたを当分は生かしておくみたいだからな」
「それはどういう……」
ラティはシャインの問いを無視して肩を強引につかんだ。
「そんなの知るか。さあ上陸するよ。もたもたしてるとアタシ達が船長に怒られちまう!」
一瞬ラティが見せた人懐っこそうな笑みは水の泡のように消え失せた。
ティーナも船倉で会った時のように、近寄りがたい雰囲気がその顔に漂っている。
「さあ立って下さい。行きますわよ」
シャインは再びティーナに背中を押されるようにして歩き始めた。