4-96 『幸せに』

文字数 4,970文字

「さんざん我々を巻き込んでおいて、この後に及んで『もう止めた』など……。冗談じゃないっ!」

 ウェルツは金茶色の髪を振り乱して、船縁に寄り掛かり体を支えているツヴァイスへ、ヒステリックに叫んだ。
 そして落ち窪んだ瞳を細めながら、ウインガード号の左舷側で雑用艇に乗り、立っているシャインへ銃口を向けた。

「余計な事をしやがって! いいか、お前達は

この海で死ぬんだ。本部には、我々が駆け付けた時には、海賊との交戦でエアリエル号は沈んだと報告する!」

 シャインは船縁で頭を伏せたツヴァイスが気になりながらも、雑用艇のマストを掴んでいた左手を離しウェルツを見上げた。

 ウインガード号の金色に輝くミズンマスト越しに見える空がとても青い。
 染料で染めたように色ムラがなく、目に痛いくらい真っ青な色だ。

 シャインは未だ優しくそよぐ南風に髪を遊ばせながら、見覚えのあるその

を、とても穏やかな心境で眺めていた。

「ウェルツ艦長。銃を下ろして戦闘配備を解除して下さい。そうして下さったら、ツヴァイス司令との約束は守ります。俺はこれ以上、無用な血を流したくないのです」

 ウェルツは唇を引きつらせ、大きく首を振った。

「黙れ! お前が、お前が叔父をたぶらかした。お前のせいで、すべてがお終いだッ!」

 シャインは軽く息をつき、ウェルツに向かって静かに微笑んだ。

「……そうですね。俺の役目はこれで終わりました」
「ならば消えろ」

 ウェルツは、シャインに狙いをつけた銃の引き金を引こうと指に力を入れた。
 パンッ! と乾いた音が響き渡る瞬間、船縁に顔を伏せていたツヴァイスがやおら起き直り、ウェルツの腕にしがみつくようにして身を預けた。

 ウェルツはバランスを崩し、ツヴァイス共々後方へ倒れる。振り上げた右手に握っていた銃が虚空に向かって再び銃声を響かせた。
 途端。
 ウインガード号の右舷側から雷を思わせる轟音がして、右舷甲板は次々と白い硝煙に包まれ、船縁の木材の破片が舞うのが見えた。

「降伏しろ! さもなければもう一回ぶっ放つぞ!!」

 空気を切り裂く鋭いヴィズルの声と、海の咆哮のような手下達のうなり声が上がった。空よりも鮮やかで、

い帆をはためかせたヴィズルのグローリアス号が、ウインガード号の右舷側に回り込んでいた。

 船の精霊グローリアの意志で動くかの船は、風の影響をまったく受けず、吸い寄せられるようにウインガード号へ接舷した。

 ウインガード号の水兵達は実質背後から砲撃を受けたので、完全に出鼻を挫かれ右往左往している。左舷側の大砲しか水兵達を配備させていないので反撃もできない。

「か、海賊が乗り込んできたぞ! 海兵隊船尾へ集まれ!」

 グラハムが色を失い隊員を召集する。副長のウインスレッドが困り果てたように、頭を振りながら体を起こしたウェルツの元へ転がり込んできた。

「艦長、た、大変です! 右舷側に砲撃を受け、海賊がっ……」

 ごつんと鈍い音を立てて、ウインスレッドが長身を甲板に沈ませた。
 ウェルツは膝をついたまま、自分の喉元につきつけられた剣先を見つめ、じわりと顔を上げた。ウインスレッドを殴り倒し、その場に立っていたのはヴィズルだった。
 その後ろには、腹の肉をゆらして息をつく料理番ナバルロの姿もある。
 ヴィズル達はウインガード号の後部甲板を瞬く間に押さえ、二重舵輪のそばにいた航海士も殴り倒していた。



「よくもやってくれたな、ウェルツ。お前の裏切りを俺は許さないぜ?」

 ヴィズルはふてぶてしい笑みを浮かべつつ、身もすくみあがるような冷徹さを帯びた目でウェルツを見下ろした。

「は! 海賊風情が。この船には200名を超す水兵が乗っている。お前達など反対に捕えてくれるわ」

 ヴィズルはぐいとウェルツの顎の下に長剣の先を差し入れ持ち上げた。

「その目玉を見開いて、船首方向を見たらどうだ。すでに勝敗は決している」
「な、に……?」

 ウェルツはヴィズルに言われた通り、ウインガード号の船首を眺めた。
 何時の間に近付いたのだろう。二百リールをきったくらいの距離にエアリエル号がいるのが見えた。

 エアリエル号は右舷側をこちらへと向け、ウインガード号より破壊力のある大砲が、上甲板と第二甲板からいつでも撃てるように押し出されている。
 その数20門。
 これらが火を吹けば、ウインガード号は船首から船尾甲板まで一斉縦射を喰らうことになり、被害が甚大なものになるのは明白だ。
 おまけにエアリエル号は大型の雑用艇を二隻すでに海面に浮かべ、海兵隊を乗せたそれがこちらへと近付いている。

「くそっ! あの小僧と下らぬ話なんぞするから、エアリエル号に近付かれた。グラハムッ、船首だ。船首砲(バウチェイサー)を使って奴等を撃ち殺せ」
「艦長、駄目です」

 ウェルツがヴィズルに剣をつきつけられているのを目にした海兵隊隊長のグラハムは、肩で息をつきながら悔し気に叫ぶ。

「雑用艇を撃てば、エアリエル号の大砲が、我が方を狙い撃ちしてくる。すぐさまウインガード号の向きを変えて反撃して下さい!」
「ま、それは無理だな」
「ぐうっ!」

 ヴィズルはウェルツの顎から剣先を抜くと同時に、脳天めがけて右拳を振り下ろした。どさっとウェルツの体が甲板に崩れ落ちる。
 ヴィズルは長剣を握りしめ、総勢100名程になった手下達を背後に従えながら、海兵隊隊長グラハムが顔を赤黒くさせるのを冷静にながめた。

「どうする? やるかい? 俺達は斬りあっても構わないぜ。ただし」

 ヴィズルは長剣の先をグラハムへと向け、意味ありげに不敵な笑みをたたえてみせた。薄い唇を歪ませて、グラハムの後ろにいる水兵達へ特に聞かせるように、凄みを帯びた声で言った。

「俺達に勝つつもりなら、死ぬ気でかかってこいよ。皆殺しにしてやるから」

 ヴィズルの言葉を裏付けるように、後ろで曲刀や銃を構えた手下達が、肩をいからせてうなり声をあげた。

「……」

 グラハムはちらりと背後を振り返った。
 水兵達がうわずった声を上げて騒いでいる。
 一人の顎ヒゲを生やした体格のいい男が前に駆け出して叫んだ。

「やめてくれ! 俺達はツヴァイスに騙されてこの船に乗せられたんだ!」

 この男を先頭に、次々と水兵達はヴィズルの方を向いて訴えた。

「いい儲け話がある。金になる。だから、海軍の水兵として乗ったんだ」
「俺は関係ない。こんな所で死ぬのはご免だ」

 ぐっとグラハムは唇を噛みしめた。
 ヴィズルはその様子をみながら、にやりと唇に笑みを浮かべた。

 船を動かすには頭数がいる。それらをツヴァイスは独自に集めていたが、彼の目的を知っていた者はほとんどいなかっただろう。
 所詮、金で雇われている存在だから、彼等も命をかけてまでツヴァイスに従う忠誠心など、これっぽちも持ち合わせてはいないはずだ。

「くそっ、馬鹿共が……」

 グラハムがうなりながらがっくりと肩を落とした。手にしていた長銃をぽろりと落とす。エアリエル号から海兵隊を大勢載せた雑用艇が、ウインガード号の船首右舷側に接舷した。

「降伏するか?」

 ヴィズルが問う。グラハムは床に倒れているウェルツと副長のウインスレッドを恨めし気に眺めながら、渋々うなずいた。


 ◇


 ウインガード号のメインマスト(中央部)前には、降伏したツヴァイスの手の者達が集められて、武装したエアリエル号の海兵達が彼等を見張っている。

 シャインはヴィズルがグラハムを拘束したのを見ると、雑用艇の船尾に再び腰を下ろし、帆を張り直して風を捉え、ウインガード号の船尾左舷側へそれを寄せた。

「シャイン待ってろ。今、縄梯子を下ろしてやる」

 シャインはヴィズルの助けを借りて、なんとかウインガード号の甲板に上がった。同時に開口して訊ねる。

「ヴィズル、ツヴァイス司令は? 彼はウェルツに



 シャインは素早くウインガード号の後部甲板を見渡した。すると、すぐ近くの右手の指揮所へ上がる階段の手前の甲板に、ツヴァイスが体を横たえて倒れているのが見える。

「――シャイン!」

 ヴィズルが制止するように片手を上げたが、シャインはツヴァイスの所へ駆け寄っていた。

「ツヴァイス司令!」

 シャインはツヴァイスのかたわらに膝をついた。ツヴァイスは倒れた拍子に無くしたのか、帽子は被っておらず銀縁の眼鏡もかけていなかった。

 青ざめた面長の顔に濃い蜂蜜色の金髪を貼り付かせ、薄い胸が苦し気な呼吸と共に上下している。胸をつかむように押さえた左手からは、鮮血が絶えることなく溢れて、それは黒の将官服に吸いこまれていく。

 シャインはツヴァイスを見て悟った。
 彼の傷は思った以上に深い。

「早く……手当を」

 シャインはやっとの思いでそう言うと、再び立ち上がろうとした。

「無用だ。やはり、天の裁きからは……逃れられない、な」

 ツヴァイスがうっすらと紫の瞳を見せて、シャインを見つめていた。
 すっかり色を失った唇を震わせて、細い息を吐きながら笑みを浮かべようとする。

「でも最後に、君の顔を見る事ができて……よかった」

 ツヴァイスは急に眉間をしかめて目を閉じた。傷口が痛むのか顔を背け、小さく何度も咳き込んだ。唇の端から鮮血が流れ落ちる。

「ツヴァイス司令」

 シャインはツヴァイスの肩に左手を置いて辺りを見回した。ツヴァイスの苦しみをやわらげる事ができないだろうかと、ただ周囲を見回した。少し離れた所にヴィズルが立っていたが、彼は唇を噛みしめたまま小さく首を振った。
 ツヴァイスの目からは生気が失われつつある。

「体に障ります。どうかもう、話さないで……」

 シャインはどうすることもできず、その無力感に狂おしいほど苛まれながら、ツヴァイスの側に座っているしかなかった。

「シャイン」

 ツヴァイスが荒い息をついて、体中の力をふりしぼって右手を上げた。
 シャインは黙ったままその手を取った。ツヴァイスの手はこんなにも温かいのに。死に瀕した彼の口からはもう、囁くほどの声しか出なかった。

「君は、

になりたまえ。リュイーシャの分まで、必ず」

 ツヴァイスの手に力がこもる。
 シャインの瞳を覗き込んだツヴァイスは、穏やかな口調の中にも力を込めて、さらに念を押した。


「……はい」

 シャインはツヴァイスを安心させるように、深くゆっくりとうなずいた。

「母もきっと……それを願ってくれていると思います」

 ツヴァイスはシャインの顔を見つめながら、心から安堵したように、苦悶の表情を緩めうっすらと微笑んだ。そしてその微笑は永遠のものとなった。

「……ツヴァイス司令?」

 力の無くなったツヴァイスの右手を握りしめ、シャインは呆然とツヴァイスに呼びかけた。頭の中ではわかっているが、行動が伴わない。

「……ツヴァイス司令!」

 シャインはツヴァイスの名を何度も呼んだ。彼が応えない事が分かっているのに名前を呼び続けた。

「ツヴァイス司令……」

 ツヴァイスは応えることなく、見開かれた紫の瞳はシャインを見つめたままだ。
 いや、違う。
 今際の(いまわ)際にツヴァイスが見ていたのは、きっと母リュイーシャの顔だ。
 愛する人の顔が見えたから、こんなにも穏やかに逝けたのだ。
 そう、思いたい――。

「シャイン、おい!」

 肩を揺さぶられてシャインは我に返った。誰かが顔を上から覗き込んでいる。
 ヴィズルだった。
 心配げに眉間をしかめ、必要ならシャインの頬を引っ叩いて放心状態に陥りかけるのを防ごうと、右手を胸の前で構えている。

「しっかりしろよ。大丈夫か?」
「……ヴィズル」

 シャインはヴィズルの顔を見て、やっとの思いでツヴァイスの右手を離した。
 そして、一度深呼吸してから、以前はとても冷たいと思っていたツヴァイスの目をそっと閉ざす。
 その穏やかな顔を見つめながら、シャインは彼が心からの平穏を得た事に、少しだけ救いを感じた。

 あなたもどうか、『幸せ』に――。


「ヴィズル、すまない。手を貸してくれないか」
「ああ、いいぜ」

 シャインはヴィズルの手を借りて、なんとか立ち上がった。
 左手で潤みかけた目をこすり、思い出したかのように、メインマストの方へ視線を向ける。拘束されたツヴァイスの仲間の数は200名近くに達して船首の方まで人で溢れている。
 そこにはエアリエル号からやってきたのか、艦長ブランニルの姿もあった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み