(9)シャインの占い
文字数 3,053文字
「いやー、シャインのお陰で昔の債権の事を思い出した。それにジャーヴィス艦長。あんたにも迷惑かけたなぁ~」
800万リュールをマダム・ポンパディエから返還してもらい、懐が暖かいヴィズルは上機嫌だ。
しかしグラヴェール船長の表情は暗い。
マダム・ポンパディエの店を出て、彼はその場に立ち止まった。
「二人とも、本当に迷惑かけてすまなかった」
「――あ?」
私は足を止めた。先頭を行くヴィズルも立ち止まる。
「気にするな、シャイン。ストームは本当は話がわかる女なんだが、金が絡むとちょっとしつこいのさ」
「いや、その……立て替えてもらった金の件だけど……」
「ああ。それは債権者があの女から俺に変わっただけの話だ。俺は気長に待ってやるよ。その代わり、今回の仕事の報酬から、いくらか返済に充ててもらうけどな」
グラヴェール船長の表情が、少しだけ明るくなった。
「ヴィズル、ありがとう。そして……」
彼がきまり悪そうに私の顔を見た。
「私はただ、ヴィズルに頼まれたから、ロワールハイネス号を探していただけですよ。だからあなたが無事で安心しました。もっとも、あの店であなたを見た時は本当に驚きましたけどね」
「うん……ありがとう、ジャーヴィス艦長」
彼は顔の緊張を緩めて、うっすらと口元に微笑を浮かべた。
心配させた私を気遣って、何とか笑ってみせたのだとわかる。
彼とロワールハイネス号で過ごした期間は長いものではなかったが、レイディの次に近い距離で、私は彼の事を見てきたのだ。彼を支える副長として――。
だから、わかる。
「どうだ、これからカンパルシータに三人で行かないか? 綺麗どころを揃えて優しくて、料理が上手い店を知ってるんだ。今夜は俺がおごるぜ?」
すっかり御機嫌なヴィズルが鼻歌を歌いながらそう言った。
私は懐中時計をみやった。
まずい。22時をちょうど回った所だ。
今頃船ではリーザがやきもきしながら、私の帰りを待っているだろう。
それに歓楽街で有名なカンパルシータなんかに行ってみろ。
それこそあらぬ誤解を彼女がすることになる。
「折角の誘いだが、私は明日も仕事なのだ。悪いがこれにて帰らせてもらう」
そう言うと、ヴィズルはつまらなさそうに舌打ちした。
「相変わらずカタいんだな。俺が誰かにおごるっていうのは、本当に珍しい事だっていうのに。それを断るなんて、付き合い悪いな、ジャーヴィス艦長?」
私は思わずむっとした。
そもそも誰のせいで夜遅くまで、こんな治安の悪い町中を歩く羽目になったのか。
しかも夕食抜きで!
「じゃあ、折角の誘いだから、今回の件でかかった
私の脳裏に、やたら赤い色をした塩辛の瓶を持つシルフィードの顔が浮かんだ。
「必要経費? なんだよ、それ」
ヴィズルが顔をしかめる。
私は腕組みをして、彼の顔をじっとみつめた。
「ストームの店の場所を知るために、5万リュールかかったんだ。それを、私への謝礼として支払って欲しい」
ヴィズルはしばし考え込んでいたが、大きくうなずくと、ジャケットの内ポケットを探り、札束を取り出した。例の800万リュールだ。ヴィズルは用心深くその中から5枚抜き出した。
「じゃあ、これはあんたに返すぜ」
「ありがとう」
私はヴィズルから金を受け取った。
小遣いが戻ったささやかな幸せを喜びながら。
「それで――シャイン、お前はどうする? どうせすぐ、ロワールハイネス号の所へ行きたいんだろうと思うけどよ」
ヴィズルの誘いに、グラヴェール船長は小さく首を振った。
「食事をしたら、悪いが帰らせてもらうよ。何しろ昨日からマダムにずっとこき使われて、ロクに寝てないんだ」
ひゅーっとヴィズルが口笛を吹いた。
「けっ、お前はマダムの所で散々楽しんだってことか。そりゃご苦労だったな」
「ヴィズル。勘違いしないでくれ。俺は……」
グラヴェール船長の白い頬が朱に染まる。
「いいっていいって。まとまった金が欲しかったら、水商売の方が確かに稼げるからな」
しかしヴィズルの下卑た冗談に、彼は気分を害したようだった。
「勝手にそう思いたければ思えばいいさ。そうだ……」
グラヴェール船長は、やおらズボンのポケットを探って、何かを取り出した。
街灯の明かりでそれがきらりと銀色に光る。
「俺はこの間の航海で、カードを使った占いを覚えたんだ。俺は酒が飲めないから、客の相手ができなくて、この占いで場を繋いでいたら、結構当たって好評だったんだ。どうだい、二人共?」
グラヴェール船長は、掌に収まるくらいの小さなカードを裏向きにして、片手で扇形に広げてみせた。
「君達の
「――けっ、そんなもの、どうせ当たらねえよ」
小馬鹿にした様子で、ヴィズルがつぶやく。
「じゃあ、先に私が選ぶぞ」
「ご勝手に」
私は興味を覚え、グラヴェール船長の持つカードへ手を伸ばした。
「こいつにしよう」
私は一番真ん中のそれを引き抜いた。
「――ちっ。当たるなんて思わないが、試してみるか」
ヴィズルが両手を摺り合わせた。
素直じゃないやつだ。本当はやりたくてたまらないくせに。
「ほらよ」
ヴィズルが向かって一番右端のカードをつまむ。
「じゃ、表に返してくれ」
私とヴィズルは、言われるまま自分の引いたカードを表に向けた。
「何だ……? 俺のカード、『炎に包まれる船』の絵が描いてあるぜ。…不吉な」
ヴィズルが眉間をしかめる。
グラヴェール船長が意味ありげな微笑を浮かべた。
「――今夜はカンパルシータへ行くのはよしたほうがいい。それは散財のカードだ。折角返してもらった金を浪費するかもね」
「へっ。そんなの占いなんかしなくったって、誰でも予想がつくさ。馬鹿馬鹿しい。それで、ジャーヴィスのカードは一体なんだよ?」
ヴィズルが私のカードをのぞきこむ。
まったく、本当に落ち着きのないやつだ。
「私のは……『海に沈んだ廃船』のようだな。でも、壊れた船体が白い光を放っているのが見える」
どういう意味のカードだろう。
絵に描かれている船は本当にぼろぼろで、今にもばらばらになってしまいそうなくらい悲惨な状態だ。ヴィズルより不吉な結果だったらどうしよう。
「……」
グラヴェール船長が首をひねり、小さくため息をついた。
「あまり自信がないんだけどね。……近い未来、『古きもの』が『新たな姿』をまとって、君を助けてくれる。俺にはそんな風に読めた」
「はあ……」
何か謎めいていて今一つ意味がわからない。
「ジャーヴィス、そう深く考えるなよ。どうせシャインの占いなんて、当たりっこないんだからさ」
やけに馴れ馴れしくヴィズルが肩を叩いた。
「ま、お前の方は確実に当たりそうだぞ。折角の金を好きなように使うがいいさ」
「そうする」
にっと白い歯を見せてヴィズルが笑った。
グラヴェール船長もカードをポケットにしまいながら肩をすくめている。
「じゃ、気をつけて帰れよ。まあ、あんたなら大丈夫だろうけどな。ジャーヴィス」
「ああ」
「ジャーヴィス艦長。また……時間があったら、話をしに行くよ。リーザさんにも会いたいしね」
私はゆっくりとうなずいた。
乗る船は違えど、彼は私の数少ない友人の一人である事には違いない。
「お待ちしています。私はジェミナ・クラスに常駐してますから、いつでも船にお越し下さい」
私はカンパルシータの方へ歩いていく、グラヴェール船長とヴィズルに向かって手を振った。なんとも、いろんなことがあった一日だった。
800万リュールをマダム・ポンパディエから返還してもらい、懐が暖かいヴィズルは上機嫌だ。
しかしグラヴェール船長の表情は暗い。
マダム・ポンパディエの店を出て、彼はその場に立ち止まった。
「二人とも、本当に迷惑かけてすまなかった」
「――あ?」
私は足を止めた。先頭を行くヴィズルも立ち止まる。
「気にするな、シャイン。ストームは本当は話がわかる女なんだが、金が絡むとちょっとしつこいのさ」
「いや、その……立て替えてもらった金の件だけど……」
「ああ。それは債権者があの女から俺に変わっただけの話だ。俺は気長に待ってやるよ。その代わり、今回の仕事の報酬から、いくらか返済に充ててもらうけどな」
グラヴェール船長の表情が、少しだけ明るくなった。
「ヴィズル、ありがとう。そして……」
彼がきまり悪そうに私の顔を見た。
「私はただ、ヴィズルに頼まれたから、ロワールハイネス号を探していただけですよ。だからあなたが無事で安心しました。もっとも、あの店であなたを見た時は本当に驚きましたけどね」
「うん……ありがとう、ジャーヴィス艦長」
彼は顔の緊張を緩めて、うっすらと口元に微笑を浮かべた。
心配させた私を気遣って、何とか笑ってみせたのだとわかる。
彼とロワールハイネス号で過ごした期間は長いものではなかったが、レイディの次に近い距離で、私は彼の事を見てきたのだ。彼を支える副長として――。
だから、わかる。
「どうだ、これからカンパルシータに三人で行かないか? 綺麗どころを揃えて優しくて、料理が上手い店を知ってるんだ。今夜は俺がおごるぜ?」
すっかり御機嫌なヴィズルが鼻歌を歌いながらそう言った。
私は懐中時計をみやった。
まずい。22時をちょうど回った所だ。
今頃船ではリーザがやきもきしながら、私の帰りを待っているだろう。
それに歓楽街で有名なカンパルシータなんかに行ってみろ。
それこそあらぬ誤解を彼女がすることになる。
「折角の誘いだが、私は明日も仕事なのだ。悪いがこれにて帰らせてもらう」
そう言うと、ヴィズルはつまらなさそうに舌打ちした。
「相変わらずカタいんだな。俺が誰かにおごるっていうのは、本当に珍しい事だっていうのに。それを断るなんて、付き合い悪いな、ジャーヴィス艦長?」
私は思わずむっとした。
そもそも誰のせいで夜遅くまで、こんな治安の悪い町中を歩く羽目になったのか。
しかも夕食抜きで!
「じゃあ、折角の誘いだから、今回の件でかかった
必要経費
を払ってもらおうか」私の脳裏に、やたら赤い色をした塩辛の瓶を持つシルフィードの顔が浮かんだ。
「必要経費? なんだよ、それ」
ヴィズルが顔をしかめる。
私は腕組みをして、彼の顔をじっとみつめた。
「ストームの店の場所を知るために、5万リュールかかったんだ。それを、私への謝礼として支払って欲しい」
ヴィズルはしばし考え込んでいたが、大きくうなずくと、ジャケットの内ポケットを探り、札束を取り出した。例の800万リュールだ。ヴィズルは用心深くその中から5枚抜き出した。
「じゃあ、これはあんたに返すぜ」
「ありがとう」
私はヴィズルから金を受け取った。
小遣いが戻ったささやかな幸せを喜びながら。
「それで――シャイン、お前はどうする? どうせすぐ、ロワールハイネス号の所へ行きたいんだろうと思うけどよ」
ヴィズルの誘いに、グラヴェール船長は小さく首を振った。
「食事をしたら、悪いが帰らせてもらうよ。何しろ昨日からマダムにずっとこき使われて、ロクに寝てないんだ」
ひゅーっとヴィズルが口笛を吹いた。
「けっ、お前はマダムの所で散々楽しんだってことか。そりゃご苦労だったな」
「ヴィズル。勘違いしないでくれ。俺は……」
グラヴェール船長の白い頬が朱に染まる。
「いいっていいって。まとまった金が欲しかったら、水商売の方が確かに稼げるからな」
しかしヴィズルの下卑た冗談に、彼は気分を害したようだった。
「勝手にそう思いたければ思えばいいさ。そうだ……」
グラヴェール船長は、やおらズボンのポケットを探って、何かを取り出した。
街灯の明かりでそれがきらりと銀色に光る。
「俺はこの間の航海で、カードを使った占いを覚えたんだ。俺は酒が飲めないから、客の相手ができなくて、この占いで場を繋いでいたら、結構当たって好評だったんだ。どうだい、二人共?」
グラヴェール船長は、掌に収まるくらいの小さなカードを裏向きにして、片手で扇形に広げてみせた。
「君達の
近い未来
を占ってあげよう。どれか一枚選んでくれ」「――けっ、そんなもの、どうせ当たらねえよ」
小馬鹿にした様子で、ヴィズルがつぶやく。
「じゃあ、先に私が選ぶぞ」
「ご勝手に」
私は興味を覚え、グラヴェール船長の持つカードへ手を伸ばした。
「こいつにしよう」
私は一番真ん中のそれを引き抜いた。
「――ちっ。当たるなんて思わないが、試してみるか」
ヴィズルが両手を摺り合わせた。
素直じゃないやつだ。本当はやりたくてたまらないくせに。
「ほらよ」
ヴィズルが向かって一番右端のカードをつまむ。
「じゃ、表に返してくれ」
私とヴィズルは、言われるまま自分の引いたカードを表に向けた。
「何だ……? 俺のカード、『炎に包まれる船』の絵が描いてあるぜ。…不吉な」
ヴィズルが眉間をしかめる。
グラヴェール船長が意味ありげな微笑を浮かべた。
「――今夜はカンパルシータへ行くのはよしたほうがいい。それは散財のカードだ。折角返してもらった金を浪費するかもね」
「へっ。そんなの占いなんかしなくったって、誰でも予想がつくさ。馬鹿馬鹿しい。それで、ジャーヴィスのカードは一体なんだよ?」
ヴィズルが私のカードをのぞきこむ。
まったく、本当に落ち着きのないやつだ。
「私のは……『海に沈んだ廃船』のようだな。でも、壊れた船体が白い光を放っているのが見える」
どういう意味のカードだろう。
絵に描かれている船は本当にぼろぼろで、今にもばらばらになってしまいそうなくらい悲惨な状態だ。ヴィズルより不吉な結果だったらどうしよう。
「……」
グラヴェール船長が首をひねり、小さくため息をついた。
「あまり自信がないんだけどね。……近い未来、『古きもの』が『新たな姿』をまとって、君を助けてくれる。俺にはそんな風に読めた」
「はあ……」
何か謎めいていて今一つ意味がわからない。
「ジャーヴィス、そう深く考えるなよ。どうせシャインの占いなんて、当たりっこないんだからさ」
やけに馴れ馴れしくヴィズルが肩を叩いた。
「ま、お前の方は確実に当たりそうだぞ。折角の金を好きなように使うがいいさ」
「そうする」
にっと白い歯を見せてヴィズルが笑った。
グラヴェール船長もカードをポケットにしまいながら肩をすくめている。
「じゃ、気をつけて帰れよ。まあ、あんたなら大丈夫だろうけどな。ジャーヴィス」
「ああ」
「ジャーヴィス艦長。また……時間があったら、話をしに行くよ。リーザさんにも会いたいしね」
私はゆっくりとうなずいた。
乗る船は違えど、彼は私の数少ない友人の一人である事には違いない。
「お待ちしています。私はジェミナ・クラスに常駐してますから、いつでも船にお越し下さい」
私はカンパルシータの方へ歩いていく、グラヴェール船長とヴィズルに向かって手を振った。なんとも、いろんなことがあった一日だった。