(完)エピローグ

文字数 1,817文字

 私がアマランス号へ帰艦したのは、23時を少しすぎた頃だった。
 案の定、(リーザ)はまだ起きていて、なんと艦長室の扉の前で私の帰りを待っていた。

「お帰りなさい、ヴィラード。約束の時間には遅れたけど、首尾は……どうだった?」

「ロワールハイネス号は大丈夫だった。グラヴェール船長とも会ってきたよ。だから、ちょっと帰りが遅くなった」

「そう……」

 私はリーザの返事を意外に思った。
 もっと詮索されると思ったのにしてこない。

「さ、中へ入ろう。詳しい話をするから」
「あ、ヴィラード……!」

 リーザが咎めるような、引っ掛かる口調で私の名を呼んだが、私は構わず艦長室の扉を開けた。

「なっ……!?」

 私は部屋の中に入ってしばし驚きに目を丸くした。
 私の執務机一杯に、赤い瓶詰めの物体が所狭しと置かれているのだ。

「ど、どうして、

がこんな所に――!」

 それは今日の夕方。
 ロワールハイネス号の手がかりを得るため、私がシルフィードから買った、あの50個の腐りかけた塩辛だ。

「あのね、ヴィラード。今日の夕方、シルフィード航海長がここへきて、あなたに頼まれたからって、これを届けにきたの」

「なっ……なんだと!?」

 私はシルフィードに対して、怒りが腹の底から満ちていくのを感じた。
 私は

するよう頼んだのだ。
 断じて船に

とは言っていない!

「……」

 私は突如、部屋の中の生臭いそれに辟易した。屋外ではあまり意識しなかったが、確実にあの塩辛から鼻が曲がりそうな臭気が漏れている。

「すまない。私は処分するように言ったんだが、シルフィードが勘違いしたんだ。それにしても臭うな。これを甲板に持っていってすぐに処分する」

 私がそういって、瓶に手をかけたときだった。

「何いってるの? ヴィラード。処分だなんて


「は……?」

 私は強烈な生臭さに、涙目になるのをこらえながらつぶやいた。

「私、この塩辛の事をすっかり忘れてたのよ。シルフィード航海長が持ってきた時、

だって、すぐに思い出したわ。ほら、食べ物の中には、長期発酵させることで旨味が増すものがあるでしょう? 私、アスラトルで食べたこのオウル貝の塩辛の味が忘れられなくて。それで、ファラグレール号に備蓄してたの」

「し、しかしリーザ。この塩辛は半年前のもので……」

 すると彼女は目をきらきらさせながら、私に向かって抱きついてきた。

「そうよ~。私が食べたのは半年寝かせた『超』レアもの! 塩辛が紅玉みたいに真っ赤でしょ~。きっと激ウマに違いないわー」

 リーザは手近なひと瓶を手にとると、まるで宝石でもながめるようにうっとりと見つめた。

「ヴィラード、あなた食事は? グラヴェール船長と一緒だったんなら、もう済ませちゃったわよね」

 リーザはあの塩辛をどうしても今、食べたいようだ。

「君がどんな料理でこの塩辛を食べたのか、興味がないわけじゃない」
「じゃ、今私が作って来るわ」
「あ、リーザ……」

 今、夜中の23時なのだが……。
 かまどの火はとっくの昔に消えてるぞ。
 だが彼女はうれしそうに塩辛の瓶を抱えて、第二甲板の中ほどにある厨房へ駆けていってしまった。

 これでよかったのだろうか。
 私は執務席のそばの長椅子に腰を下ろした。
 目の前にはあの49個の塩辛が、独特の強烈な臭いを周囲にまき散らしている。
 でもこいつのおかげで、リ-ザの機嫌は上々だ。
 今日の事もあまり詮索されなかったし。

『古きもの』が『新しき姿』をまとって君を助ける。
 
 …………。

 腐っていると思っていた塩辛が、実は発酵させることにより、レアな食材へと変化した。
 
 グラヴェール船長の占いは当たったのだろうか?

 私はリーザの料理を待ちながら、いつしかまぶたを閉じた事も気付かずに、深い眠りへと落ちていった。
 結局一時間後、例の塩辛入り激辛スープを飲まされるため、私はリーザに叩き起こされるのだが。

 これが……予想外に旨かった!
 さすが『食べ歩きのプチ旅行』を趣味にしている彼女だ。
 その舌は感心するくらい肥えている。

 水兵達にも食わせてみたら旨いと大受けで、50個あったあの塩辛は、たった1週間で無くなってしまった。

 今アマランス号の船倉には、個人的にリーザが買い込んだ、オウル貝の塩辛の瓶がしまってある。ただ気掛かりなのは、多分、彼女はまたその存在を忘れるのではないかということだ。



【第4話・後日談】
ジャーヴィス艦長の長い一日(完)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み