4-7 夕食の席で
文字数 3,603文字
その30分後。夕食の支度が整えられた円卓には、ツヴァイスを始めウインガード号艦長のウェルツ、副長のウインスレッド、航海長ヘイガー、海兵隊長グラハム、先任士官候補生リーフ、それにシャインの合わせて七名が席に着いていた。
一般水兵達は船の中央にある大船室で、非番になり次第交替で食事を取る。
一般士官達(副長やそのナンバー2以下の尉官、士官候補生、航海士など)は、その隣にある士官用の食堂を使う。
艦長室では毎日夕食だけ、艦長が士官を招待という形で会食が行われる。だが今夜の人選は、ウェルツではなくツヴァイスが決めたものだった。
ウインガード号には艦長ウェルツが個人的に雇っている専属の給仕係がいて、あぶった鳥肉のメイン料理をいそいそと個々へ取り分けている。
名前はレイフ。頭髪が薄くなった茶髪の小男で(これでも三十六才で、ウェルツと同い年だ)左足を少しひきずっている。以前は水兵として軍艦に乗っていたのだが、展帆中にマストから落ちて命はとりとめたものの、折れた左足は内側に曲ったままになってしまったのだった。
ほのかに卓上を照らすランプの光の中、ツヴァイス達は陽気に世間話をしながら料理をつまみ、よく冷えた赤ワインのビンを次々とあけていく。
特にシャインの左隣の席に座っている海兵隊長のグラハムは、椅子からはみださんとする巨体をゆすりながら、誰よりも早いペースでグラスを干しては再び真紅の酒を満たす。
シャインは以前ウインガード号に乗っていた時、今日の面々と夕食を共にしたことがあるので、特に緊張はしていなかった。だが、グラハムの豪快な飲みっぷりを見ていると、食欲がまったく湧かずかえって胃が締め付けられるのを感じていた。
皿に盛られたチーズの一片をフォークで突きながら、シャインはいつまでも口に入れようとせず、この後ツヴァイスが話してくれる内容の事を考えていた。
彼に聞きたい事はまだ他にいくつもある。
ヴィズルとはどういう関係で、何故その計略に手を貸したのか。
アドビスを嫌うその理由。それ故にヴィズルと組んだのだろうか。
ジェミナ・クラス地方司令官の地位を失い、監獄行きになるリスクを犯してまで――。
「そのチーズは口に合わないかね? グラヴェール君」
穏やかな口調だが、いかにもトゲが含まれた低い声。我に返り顔を上げると、艦長ウェルツが金茶色の眉をしかめながら、真紅のワインを片手に、自分の皿に取ったそれをつまんでいるところだった。
「いえ、ちょっと考え事をしていました。ウェルツ艦長」
斜め右に座っているウェルツへそう返事をして、シャインはフォークを皿の上に置くと、乾いてきた唇を湿らすためにグラスを取りワインを口に含んだ。
航海中はもちろん、普段酒を飲まないので一瞬むせそうになる。ツヴァイス達が飲んでいるものだから、このワインは驚く程上等かもしれないが、飲み慣れないシャインにはただの酸っぱい液体でしかない。
やっとの思いでそれを飲み下し息をつくと、ウェルツがワインのビンを手にしてこちらへ差し出している。気難しい顔の中に、唇だけゆがめた笑みを浮かべながら。
シャインは仕方なく半分以上酒が残っているグラスを持ち上げ、ウェルツの酌を受けた。
「考え事か。しかし今は食事の時間だ。だから食べる事に集中したまえ」
「は……」
そういう雰囲気ならいくらでも食べてやるものを。口の中に残ったワインの酸っぱさと、あけすけなウェルツの嫌味に不快を覚え、シャインは冷めかかった鳥肉を口にするとそれをひたすら噛みしめた。だが元々食欲がないせいか、今いち何の味も感じられない。
「そういえば叔父から聞いたが、ノーブルブルーへ転属が決まったそうだな。さてはファスガード号で指揮を取った手腕が買われたか」
ウェルツがそういうと、副長のウインスレッドが驚いたように、長細い顔をシャインへ向けた。
「ほほう。やはり海軍将校を輩出しているグラヴェール家の血筋は争えませんな。ファスガード号のイストリア大尉から聞きましたが、とても海戦が初めてとは思えないくらいの、落ち着きぶりだったそうですね」
シャインは目を伏せてかぶりを振った。
ファスガード号の副長だったイストリアを恨めしく思いながら。
アスラトルに着いてから、ファスガード号の生き残りを外部の人間と接触させなくても、彼等はすでにウインガード号の者達にあの夜の出来事を話してしまっているのだ。
シャインは葬儀の場で自分の腕をつかんだ、若い中尉の顔を思い出した。恐らくウインガード号の士官の誰かから、エルガード号を砲撃した状況を聞いたのだろう。
だからシャインがファスガード号で指揮をとっていたのを知っていたのだ。
「彼は非常に有望だよ。私でも既に海賊に乗っ取られているならば、エルガード号を沈める事を選ぶ」
ツヴァイスが白いナプキンで口元を押さえながら、毅然とした口調で言った。
シャインの考えを見通しているかのように、薄い紫の瞳が穏やかにきらめく。
「……たとえ、味方が海賊に抵抗していたとしても、ですか?」
僅かに声が震えてしまった。
シャインはそれを周りの士官達に気付かれない事を願った。
「我々は神ではない。多くを望むとすべてを失う」
すでに一人で三本もの酒ビンを空にした海兵隊長のグラハムが、大きく息つきながらつぶやいた。
「そりゃあ、助けられるものなら助けるべきだがな」
今までじっと皆の話を聞いていた、若き航海長ヘイガーが続いて口を開く。
「誰しも、一度は嫌な経験をするものだ。こんな所にいればな」
副長のウインスレッドが、眉間をしかめてチーズを口に放り込む。
まだ十八才の士官候補生リーフは食べる事に夢中だったが、ウインスレッドの言葉を聞きながら神妙な顔をしている。
「……そういうことだ。いちいち気に病んでいたら身がもたない。最も、君の働きはこれから見させてもらうがね。グラヴェール君」
ウェルツが薄く笑ってグラスを手に取った。ツヴァイスもにこやかに笑みをたたえてそれにならうと、シャインを含め、士官達は同じように自分のグラスを持ち上げた。
「我々に等しく青の女王の御加護があらんことを」
ウェルツがテーブルに着いている一人ひとりの顔を見つめてつぶやいた。
「……御加護があらんことを」
グラスを合わせるかん高い音が響き、めいめい自分のワインを飲み下す。流石にシャインは一口しか飲まなかった。
艦長室の天井の方から、規則正しく船鐘の音が聞こえて来た。料理の皿はあらかた片付けられ、ウェルツやグラハムは食後のパイプをくゆらせている。
「三点鐘(19時30分)だ。そろそろ持ち場へ戻りたまえ」
ツヴァイスがそう言うと、ウェルツとシャインをのぞいた士官達は、めいめい軽く頭を下げて艦長室から退出していった。
「ウェルツ、すまないな。もう少しお前の部屋を使わせてもらう」
戸口に向かったウェルツのやや丸まった背中へツヴァイスは声をかけた。
「結構ですよ。海図室で針路の確認をしておりますから。叔父上」
シャインは戸口で部屋から出ていくウェルツへ頭を下げた。少し嫌味な所があるが、ノーブルブルーの一員として自分の存在を認めてくれたのはうれしかった。
「レイフ、そういえばシルヴァンティーを手に入れたって言っていたな」
片付けを終え、足をひきずりながら部屋を出ようとした給仕係を、ツヴァイスが引き止めている。
「はい。特等級の茶葉です。ツヴァイス様」
「ならティーポットに作って、ここへ持って来てくれ。彼の好きな紅茶なのでね」
「かしこまりました」
レイフが出ていってから、シャインはその場に立ったまま、ツヴァイスを凝視していた。その視線に気付いて、ツヴァイスはおどけたように肩をすくめた。
「なに、口直しが欲しいんじゃないかと思ってね」
「どうして……俺が好きなお茶だとご存知なのです?」
ツヴァイスは楽し気に両手を組み目を細めた。
「私は何だって知ってるのさ。ま、種明かしをすればリオーネが良く飲んでいるのを見た事があるし、実は彼女から教えてもらったのさ。さ、かけたまえ」
シャインはツヴァイスに促されるまま、再び左舷側の執務席に近い所に置かれた、肘当てのある応接椅子へ腰を下ろした。ツヴァイスの紫の瞳の色を模したようなベルベットが張られた、ふかふかで座り心地の良い椅子だ。
夕食時に使った七脚の椅子と黒い円卓は、邪魔になるので艦長室を出た右舷側の小さな小部屋に片付けられている。それらが無くなっているので、艦長室が随分とだだっ広く感じる。
「閣下はリオーネさんとも親しいのですか?」
シャインを左ななめ前に見るように執務椅子を動かし、ツヴァイスはその細身を椅子に沈めた。
「親しい時も……あったな。二十年も前の話だが。さて、君は何を知りたい?」
両手の指の先を突き合わせ、ツヴァイスは意味ありげにつぶやいた。
一般水兵達は船の中央にある大船室で、非番になり次第交替で食事を取る。
一般士官達(副長やそのナンバー2以下の尉官、士官候補生、航海士など)は、その隣にある士官用の食堂を使う。
艦長室では毎日夕食だけ、艦長が士官を招待という形で会食が行われる。だが今夜の人選は、ウェルツではなくツヴァイスが決めたものだった。
ウインガード号には艦長ウェルツが個人的に雇っている専属の給仕係がいて、あぶった鳥肉のメイン料理をいそいそと個々へ取り分けている。
名前はレイフ。頭髪が薄くなった茶髪の小男で(これでも三十六才で、ウェルツと同い年だ)左足を少しひきずっている。以前は水兵として軍艦に乗っていたのだが、展帆中にマストから落ちて命はとりとめたものの、折れた左足は内側に曲ったままになってしまったのだった。
ほのかに卓上を照らすランプの光の中、ツヴァイス達は陽気に世間話をしながら料理をつまみ、よく冷えた赤ワインのビンを次々とあけていく。
特にシャインの左隣の席に座っている海兵隊長のグラハムは、椅子からはみださんとする巨体をゆすりながら、誰よりも早いペースでグラスを干しては再び真紅の酒を満たす。
シャインは以前ウインガード号に乗っていた時、今日の面々と夕食を共にしたことがあるので、特に緊張はしていなかった。だが、グラハムの豪快な飲みっぷりを見ていると、食欲がまったく湧かずかえって胃が締め付けられるのを感じていた。
皿に盛られたチーズの一片をフォークで突きながら、シャインはいつまでも口に入れようとせず、この後ツヴァイスが話してくれる内容の事を考えていた。
彼に聞きたい事はまだ他にいくつもある。
ヴィズルとはどういう関係で、何故その計略に手を貸したのか。
アドビスを嫌うその理由。それ故にヴィズルと組んだのだろうか。
ジェミナ・クラス地方司令官の地位を失い、監獄行きになるリスクを犯してまで――。
「そのチーズは口に合わないかね? グラヴェール君」
穏やかな口調だが、いかにもトゲが含まれた低い声。我に返り顔を上げると、艦長ウェルツが金茶色の眉をしかめながら、真紅のワインを片手に、自分の皿に取ったそれをつまんでいるところだった。
「いえ、ちょっと考え事をしていました。ウェルツ艦長」
斜め右に座っているウェルツへそう返事をして、シャインはフォークを皿の上に置くと、乾いてきた唇を湿らすためにグラスを取りワインを口に含んだ。
航海中はもちろん、普段酒を飲まないので一瞬むせそうになる。ツヴァイス達が飲んでいるものだから、このワインは驚く程上等かもしれないが、飲み慣れないシャインにはただの酸っぱい液体でしかない。
やっとの思いでそれを飲み下し息をつくと、ウェルツがワインのビンを手にしてこちらへ差し出している。気難しい顔の中に、唇だけゆがめた笑みを浮かべながら。
シャインは仕方なく半分以上酒が残っているグラスを持ち上げ、ウェルツの酌を受けた。
「考え事か。しかし今は食事の時間だ。だから食べる事に集中したまえ」
「は……」
そういう雰囲気ならいくらでも食べてやるものを。口の中に残ったワインの酸っぱさと、あけすけなウェルツの嫌味に不快を覚え、シャインは冷めかかった鳥肉を口にするとそれをひたすら噛みしめた。だが元々食欲がないせいか、今いち何の味も感じられない。
「そういえば叔父から聞いたが、ノーブルブルーへ転属が決まったそうだな。さてはファスガード号で指揮を取った手腕が買われたか」
ウェルツがそういうと、副長のウインスレッドが驚いたように、長細い顔をシャインへ向けた。
「ほほう。やはり海軍将校を輩出しているグラヴェール家の血筋は争えませんな。ファスガード号のイストリア大尉から聞きましたが、とても海戦が初めてとは思えないくらいの、落ち着きぶりだったそうですね」
シャインは目を伏せてかぶりを振った。
ファスガード号の副長だったイストリアを恨めしく思いながら。
アスラトルに着いてから、ファスガード号の生き残りを外部の人間と接触させなくても、彼等はすでにウインガード号の者達にあの夜の出来事を話してしまっているのだ。
シャインは葬儀の場で自分の腕をつかんだ、若い中尉の顔を思い出した。恐らくウインガード号の士官の誰かから、エルガード号を砲撃した状況を聞いたのだろう。
だからシャインがファスガード号で指揮をとっていたのを知っていたのだ。
「彼は非常に有望だよ。私でも既に海賊に乗っ取られているならば、エルガード号を沈める事を選ぶ」
ツヴァイスが白いナプキンで口元を押さえながら、毅然とした口調で言った。
シャインの考えを見通しているかのように、薄い紫の瞳が穏やかにきらめく。
「……たとえ、味方が海賊に抵抗していたとしても、ですか?」
僅かに声が震えてしまった。
シャインはそれを周りの士官達に気付かれない事を願った。
「我々は神ではない。多くを望むとすべてを失う」
すでに一人で三本もの酒ビンを空にした海兵隊長のグラハムが、大きく息つきながらつぶやいた。
「そりゃあ、助けられるものなら助けるべきだがな」
今までじっと皆の話を聞いていた、若き航海長ヘイガーが続いて口を開く。
「誰しも、一度は嫌な経験をするものだ。こんな所にいればな」
副長のウインスレッドが、眉間をしかめてチーズを口に放り込む。
まだ十八才の士官候補生リーフは食べる事に夢中だったが、ウインスレッドの言葉を聞きながら神妙な顔をしている。
「……そういうことだ。いちいち気に病んでいたら身がもたない。最も、君の働きはこれから見させてもらうがね。グラヴェール君」
ウェルツが薄く笑ってグラスを手に取った。ツヴァイスもにこやかに笑みをたたえてそれにならうと、シャインを含め、士官達は同じように自分のグラスを持ち上げた。
「我々に等しく青の女王の御加護があらんことを」
ウェルツがテーブルに着いている一人ひとりの顔を見つめてつぶやいた。
「……御加護があらんことを」
グラスを合わせるかん高い音が響き、めいめい自分のワインを飲み下す。流石にシャインは一口しか飲まなかった。
艦長室の天井の方から、規則正しく船鐘の音が聞こえて来た。料理の皿はあらかた片付けられ、ウェルツやグラハムは食後のパイプをくゆらせている。
「三点鐘(19時30分)だ。そろそろ持ち場へ戻りたまえ」
ツヴァイスがそう言うと、ウェルツとシャインをのぞいた士官達は、めいめい軽く頭を下げて艦長室から退出していった。
「ウェルツ、すまないな。もう少しお前の部屋を使わせてもらう」
戸口に向かったウェルツのやや丸まった背中へツヴァイスは声をかけた。
「結構ですよ。海図室で針路の確認をしておりますから。叔父上」
シャインは戸口で部屋から出ていくウェルツへ頭を下げた。少し嫌味な所があるが、ノーブルブルーの一員として自分の存在を認めてくれたのはうれしかった。
「レイフ、そういえばシルヴァンティーを手に入れたって言っていたな」
片付けを終え、足をひきずりながら部屋を出ようとした給仕係を、ツヴァイスが引き止めている。
「はい。特等級の茶葉です。ツヴァイス様」
「ならティーポットに作って、ここへ持って来てくれ。彼の好きな紅茶なのでね」
「かしこまりました」
レイフが出ていってから、シャインはその場に立ったまま、ツヴァイスを凝視していた。その視線に気付いて、ツヴァイスはおどけたように肩をすくめた。
「なに、口直しが欲しいんじゃないかと思ってね」
「どうして……俺が好きなお茶だとご存知なのです?」
ツヴァイスは楽し気に両手を組み目を細めた。
「私は何だって知ってるのさ。ま、種明かしをすればリオーネが良く飲んでいるのを見た事があるし、実は彼女から教えてもらったのさ。さ、かけたまえ」
シャインはツヴァイスに促されるまま、再び左舷側の執務席に近い所に置かれた、肘当てのある応接椅子へ腰を下ろした。ツヴァイスの紫の瞳の色を模したようなベルベットが張られた、ふかふかで座り心地の良い椅子だ。
夕食時に使った七脚の椅子と黒い円卓は、邪魔になるので艦長室を出た右舷側の小さな小部屋に片付けられている。それらが無くなっているので、艦長室が随分とだだっ広く感じる。
「閣下はリオーネさんとも親しいのですか?」
シャインを左ななめ前に見るように執務椅子を動かし、ツヴァイスはその細身を椅子に沈めた。
「親しい時も……あったな。二十年も前の話だが。さて、君は何を知りたい?」
両手の指の先を突き合わせ、ツヴァイスは意味ありげにつぶやいた。