4-24 ファラグレール号での再会(2)

文字数 2,712文字

 リーザの前を黒い影が横切った。
 ――ジャーヴィス。
 彼の広い背中を追いながら、リーザは慌てて甲板へ出た。
 ファラグレール号は三本のマストに張ったすべての帆から風を抜いて、ゆらゆらと波間を漂っている。

 自分の命令なく船を止めた事に腹が立ったが、そのいら立ちは甲板の騒ぎをみてすぐさま吹き飛んだ。白いシャツ姿の水兵達が、手に手にカンテラを掲げて右舷の船縁から海を見ている。

「もう少しだ!」
「おい! ロープをよこせ!」

 リーザはジャーヴィスの隣へ立った。ファラグレール号の船縁によく日に焼けた手がぬっと伸びて、続いて同じく褐色の肌をした男の顔が見えた。

 小柄な男はファラグレール号の甲板に立ち、きょろきょろと辺りを見回した。
 水兵の白いシャツは薄汚れて灰色になり、擦り切れ、濃青のズボンも膝上の所でずたずたに裂けている。茶色の髪もヒゲもむさ苦しくて、取りあえず若い男としかわからない。

 しかし隣に居たジャーヴィスが、はっと息を飲む音が聞こえた。

「エリック! お前……」

 ファラグレール号の水兵達の影から、ぬっと姿を現わしたジャーヴィスが、小柄な男の側に近寄っていた。

「ジャーヴィス副長? えっ! 嘘だろ!?」

 ジャーヴィスがエリックと呼んだ小柄な男は、よろよろとジャーヴィスの元へ歩を進めた。

「そこにいるのは、シルフィードじゃねぇか?」

 シルフィードとたいして身長が変わらない大柄な男が続いて姿を見せた。

「あっ。エルマか! あんたも無事だったんだ!」

 途切れることなく、続々と男達がファラグレール号の甲板に上がってくる。

「……これは……どういうこと?」

 リーザの目は驚きに見開かれたままだった。
 彼女のそばへ副長のイリューズがやってきた。

「艦長。見張りから事情を聞いて参りました。当直中、海に灯りが見えたので誰何した所、行方不明と言われていたロワールハイネス号の乗組員が、ボートに乗って漂流中であることがわかりましたので、船を止めた次第です……」
「そうみたいね」

 両腕を組んで、リーザはファラグレール号に乗り移る、お世辞にもあまり綺麗ではない男達の姿を見た。その数17名。

 シルフィードとジャーヴィスは彼等にすっかり囲まれて、陽気な笑い声を上げている。不意にその輪が大きく崩れた。最後に甲板に上がってきたのは、ほっそりした少年だった。

「クラウスー! お前、大丈夫かぁー!?」

 シルフィードがクラウスの元へ駆け寄った。マストに吊された停泊灯の灯りに目をしょぼつかせながら、クラウスはハッと顔を上げて大きく体を震わせた。

「マスターだ……嘘みたいだ……僕……ぼく……」

 シルフィードがクラウスの肩に太い両腕を回し、それでは物足りなくて、軽々とその小さな体を持ち上げた。


 ◇◇◇


 ファラグレール号の甲板では、救助されたロワールハイネス号の水兵達に、温かな食事が振る舞われていた。
 彼等の世話をイリューズに任せ、リーザは自室に戻った。そこにはひと足先に艦長室に行くように言った、ジャーヴィスとシルフィードがいて、クラウスを食卓につかせた所だった。

「この海老は俺が茹でたんだぜ。さ、あったかいうちに食べな」

 クラウスの傍らで、シルフィードが海老の白身を切り分ける。ジャーヴィスも今ばかりは優しい表情で、ゆっくりとシルフィードの言葉にうなずいている。

「詳しい話はこれを食べてから聞こう。さ、クラウス」
「あ、ありがとう……ございます」

 静かに扉を後ろ手で閉めて、リーザはクラウスの痛々しい姿に胸が痛んだ。
 暗い甲板ではよくわからなかったが、クラウスの白い顔は潮焼けで真っ赤になっており、濃い金髪もくせっ毛がうずまいて鳥の巣のようにくしゃくしゃだ。

 鮮やかな青色の士官候補生の制服も、ボートに乗っていた時波しぶきを浴びたせいか黒々と水を含み、そで口がすっかり擦り切れている。

 リーザは傍らのクローゼットから乾いたタオルを出して、クラウスに濡れた上着を脱ぐように言った。

「風邪をひくわ」
「ありがとうございます……うっ」

 クラウスは上着を脱いでリーザに渡した後、がっくりと顔をうつむかせると、日焼けで赤く腫れた手で目をこすった。

「どうした? クラウス」

 小さくすすり泣きだしたクラウスに、おどおどとシルフィードが声をかける。

「すみません、マスター……。僕……うれしいんですけれど……急がないと」
「急ぐ?」

 ジャーヴィスが不審感たっぷりに聞き返す。リーザも嫌な予感を胸に覚えた。

「そうです、ジャーヴィス副長。そうだ! 早くアスラトルへ戻らないといけないんです!! でないと僕……僕……」

 両手を握りしめ、がたがたと震え出したクラウスの肩を、ジャーヴィスがしっかりと握りしめた。

「落ち着け、クラウス。順を追って話してくれないとわからない」
「そうよ。クラウス士官候補生。あなたはもう大丈夫なんだから、安心して」

 リーザはクラウスの青い目の中に、確かに不安があるのを感じ取った。何かに駆られるように、怯えが見て取れる。

 クラウスは目を閉じて、ゆっくり息を吐くと、やおら緑のベストのポケットをまさぐった。次の瞬間、安堵したかのように目を細めると、そっと何かを取り出した。

 手に握られているのは、黒いベルベットの光沢をした布に包まれた円筒形の小さな包み。クラウスの手の中にすっぽり入ってしまうくらいの大きさだ。
 クラウスはそれを感慨深気に見つめると、再び大きなため息をもらした。

「ジャーヴィス副長。シルフィード航海長の代わりだったヴィズルは海賊だったんです!」
「――何?」

 喉の奥から絞り出すような、ざらざらしたジャーヴィスの声。リーザはジャーヴィスが動揺しているのを察知した。

「ジャーヴィス副長。詳しい事はこれから話します。ですが、早くアスラトルへ戻って下さい!」

 ひたとジャーヴィスを見据え、クラウスははっきりした口調で訴えた。

「僕、ヴィズルに命令されたんです。これをグラヴェール中将閣下に届けるようにって! だから僕らは解放されたんです!」

 ジャーヴィスは声を失って、ただクラウスの顔を凝視するばかりだった。唇の色がすっかり青ざめている。やがてそれがぐっと噛みしめられた。動揺していたジャーヴィスの青い瞳が、憑かれたような熱っぽい光を帯びて細くなる。

「リーザ、戻ろう。今なら一日でアスラトルへ帰れる」
「……そうね。グラヴェール中将の命令に反するけれど、そんなこと言ってられないわね」

 リーザも迷いがなかった。むしろヴィズルという海賊が、アドビスに宛てた包みをいち早く届けなければならないと思った。
 リーザは艦長室の扉を開け、声高に副長のイリューズを呼んだ。
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