4-50 攻防
文字数 4,476文字
ロワールの声は驚くほど小さかった。
彼女の身に何が起こっているのだろう。
今、どこにいるのだろう。
それを思うだけでシャインは自分の理性がたがを外し、高まる感情のままに身を任せたくなる衝動へ駆られた。
「ロワールに何をした。ヴィズル!」
すでに左手に携帯していたストームの銃を握りしめ、その銃口をヴィズルの体の中心へと狙いを定める。
「何で、お前がここにいる? シャイン」
ヴィズルは口元に笑みを浮かべながら、何か面白いものを見るような目つきでシャインをながめた。いつか対峙した時と同じように、落ち着き払った素振りで。
「聞いているのはこっちの方だ。答えろ、ヴィズル」
「……ティレグの奴。しっかり見張っておけと言っておいたのに」
ヴィズルは狙う銃口に怯みもせず、ただ左手に持った短剣を手持ちぶたさのあまり、宙へ放り投げては再び刃先をつまんで受け止めた。
それはひと月以上も前。
燃えるファスガード号の甲板で、ヴィズルが手にしていたのと同じものだった。
冴えた青色をした刀身で、東方連国風の美しい短剣――。
シャインは撃鉄を起こした。
カチリと響くその冷たい音に、ヴィズルがようやく望む答えを口にした。
「まだここにいるさ、安心しな。ロワールは『船鐘』の中で、しばしお休み中だ」
「休む……? ロワールの行動を封じてるんだな」
ヴィズルの口が歪んだ笑みをたたえる。
「ああ、そうだ。ロワールは俺に協力してもらうため、俺の船へと持ち帰る」
「……何だと?」
シャインはヴィズルに銃口を向けながら、彼の船にいた精霊、グローリアの言っていた事を思い出した。
『あの男はその力を持っているのです。精霊を魂の器――大抵は「船鐘」ですが。
それに封じ込めて新たな船に連れていき、あの男の力が込められた「血の縛り」で、船と私達――魂の固定をはかるのです』
シャインはゆっくりと頭を振った。乾いた喉から絞り出すように出たその声は、シャインの心の叫びと同じものであった。
「そんなこと、させるものか!」
ヴィズルの歪んだ笑みは、そんなシャインを嘲笑うように顔全体へと広がっていく。
「見ていられないんだよ、まったく」
「何だと?」
わざといら立たせて隙を突くつもりだろうか。挑発に乗る気はないが、回りくどいヴィズルの物言いには腹立たしさを覚える。シャインは油断なく銃を構えながら、落ち着くよう自分に言い聞かせた。
「ロワールの価値をお前は全くわかっていない。彼女は優秀な船のレイディだ。この広大な海を、素晴らしい速さでかける優れた能力を持っている。それなのに、たがだかエルシーアの狭い海を往くだけの、こんなちっぽけな船で遊ばせておくのは、非常にもったいない話だぜ」
「……」
ヴィズルはやおら隣の鐘楼に視線を向け、静かに優しくつぶやいた。
「俺なら彼女をどんな海へも連れていってやれる。俺のグローリアス号は、お前のロワールハイネス号と違い、何のしがらみも持たない自由な船だ。好きな時に海へ出て、好きなだけ海をかける。お前にはそんなことできないだろう? 軍人であるお前にはな、シャイン」
船は海を往くためのものである。
船にとって何が幸いなのか、そんなこと考えた事もなかった。
ロワールにとっての幸いを――。
「だからといって!」
シャインは眉間を寄せた。ヴィズルの言う事に納得できても、彼のやろうとしていることは理 を無視した邪道である。
「まるで船の部品を取り替えるように、船の精霊を付け替えるなんて事は、彼女の命を弄ぶのと同じ事だ。ロワールは、このロワールハイネス号の『船の精霊(レイディ)』であって、それ以外の何者でもない!」
ヴィズルが空いた右手を口元に添えて、低く笑い声をたてた。
「……確かに。俺の力をもってしても、未だに成功率は五分だ。どんなに優秀な船の精霊を捕らえてきても、体である船との相性が悪いと魂の定着が上手くいかない。何体か消失させたことは事実だ」
あまりにも生々しい告白。
シャインは声が震えるのを抑えられなかった。
「ヴィズル、君は本当に……術者なのか」
シャインの青ざめた顔を見て、ヴィズルがふんと鼻で笑った。
「ああ。俺の中にこんな力があったなんて、初めは信じられなかったがな。けれど、今は充分に使いこなしているぜ」
銃口を突き付けられているにもかかわらず、ヴィズルはうっとりと瞳をすがめ、両手をゆっくりと広げると、シャインに向かって微笑みかけた。
「船の精霊は……本当にすごいんだぜ。彼女がいれば船を動かすための人間は不要だ。俺の命じるままに、彼女が自在に船を動かしてくれる。お前だってロワールハイネス号を動かしただろう? まあ、アレに魂を喰われるだけ疲れるがな。それなのに、ただの『話し相手』として使うお前の神経は理解できない。まさに宝の持ち腐れってやつだ」
シャインはゆっくりと後ずさって、ヴィズルが詰めた距離を再び離した。
「俺も君の言う事が理解できない。君は彼女達の事を何も考えていない。君にとって船の精霊は……ただの便利な道具にすぎないんだ」
自分でこんな酷い言葉を口にするのは辛かった。
ロワールが聞いていない事をシャインは切に願った。
ヴィズルは黙っているが、シャインの言う事に異論を唱える気はないらしい。
むしろ肯定ともいえる表情でこちらを見ている。
シャインは込み上げたヴィズルへの憤りを抑えて、さらに言葉を続けた。
「そんな君に誰がロワールを渡すものか。それに君のグローリアス号には、すでにグローリアがいるじゃないか! 彼女をどうするつもりだ!」
「売るさ」
まばたきするほどの間で返ってきた、素早い返事。
シャインは一瞬ヴィズルの言葉に耳を疑った。
驚きで何も言えないシャインをよそに、ヴィズルはのうのうと口を開く。
「地味な娘だが、従順でしかも堅牢な意志を持つ。だがいまいち力不足はいなめない。ま、彼女をつけた商船は、ちょっとやそっとの嵐でも沈まない根性をみせるぐらいにはなる。……ざっと2000万リュールぐらいが妥当か」
「……ヴィズル……」
シャインは唇を噛みしめた。
脳裏に寂しげな微笑を浮かべて自分を見つめる、精霊グローリアの姿がよぎった。彼女は生まれた船から引き離され、その時の記憶を失ったまま、今は、ヴィズルの傀儡として船を動かすためだけに、その存在を維持させられている。
「ヴィズル、君がどんな力を使うのか知らないが、ロワールは……ロワールは君の思い通りになどならない。いや、誰の思い通りにもならない!」
ヴィズルが一歩、また一歩と、シャインに向かって歩いてきた。
腰まで流した銀髪の一部が、その動きにあわせてなびき、月の光を受けて艶やかに輝く。
「その言葉、そっくり
シャインはヴィズルを見つめながら再び後退した。背中に左舷の船縁がぶつかった。手を伸ばせばシャインが構える銃口に届くくらいの距離で、ヴィズルが足を止めて首を傾げる。
「一生お前の慰みものとして過ごすロワールが哀れだ」
「……」
片眉を上げてヴィズルは、身を強ばらせたシャインの反応を楽しむように言葉を続ける。
「お前のロワールへの執着は一体なんだ? 船なんてその気になればいくらでも造れるし、手に入るんだろうが! アドビスに頼めば」
右手が使えれば、シャインはヴィズルの胸倉を掴んでいたかもしれない。
だがシャインは、ヴィズルの真意が見えない紺色の瞳の中に映る自分の姿を見る事で、かろうじて胸の憤りを抑え込んだ。
「俺を蔑むのは一向に構わない。だが俺は、君のように船の精霊を“道具”として見る事はできないんだ」
ヴィズルがまた一歩、足を進める。
「船は海を往くための道具にすぎないぜ」
シャインは束ねていない金髪を揺らして叫んだ。
「違う! 俺は……俺は、
こめかみの鼓動がずきずきと痛いほどまでに脈打っている。
ヴィズルに自分の言い分が通じただろうか。訝しむシャインの目の前で、ヴィズルは一瞬目を伏せて、小さく含み笑いを浮かべるのが見えた。
途端。
「だからといって、お前に俺が止められるのか!?」
ヴィズルの手袋をはめた右手が、ぐっと強い力で銃身をつかんだ。
「ヴィズル!」
感情のこもらない貼り付いた笑みを浮かべたヴィズルは、シャインが引き金に指をかけているその銃を、自分の胸元へ一気に引き寄せる。
ヴィズルの行動が理解できない。
思わず体をヴィズルから離そうとしたシャインは顔を上げた。月の光を帯のように集め、光っているようなヴィズルの銀髪が、シャインの肩の上に流れ落ちている。
「どうだ、俺を止められるか?」
自分の胸に銃口を突き付けるヴィズルの手は、がっしりと銃身を握りしめて微動だにしない。
「ヴィズル、手を放せ」
シャインを見下ろすヴィズルは、夜色の瞳をすっと細めた。月の光のせいか、暗い木々が落とす影のせいか。そのがっしりした精悍な顔は死人のように青ざめていて、額にはうっすらと汗をかいている。ヴィズルはシャインを軽蔑した眼差しでみると口を開いた。
「お前はそういう奴だ。中途半端に首をつっこみ、度胸もないのに出しゃばり、綺麗事ばっかり並べて、そのくせ自分では何もしようとはしない」
ヴィズルの銃身を握る指が、シャインの引き金にかかるそれへと伸びる。
「本当に欲しいものがあるのなら、相手を殺してでも奪い取れ。守りたいものがあるのなら、己の手を汚す事をためらうな! それができないくせに、生意気な口上を俺に叩くな!!」
シャインは引き金に力を加えようとする、ヴィズルの指に抗った。
それを低くあざ笑うヴィズルの声が聞こえる。
吐息と共に吐き出された言葉と共に。
「シャイン。大切なものを失ってからでは……遅いんだぜ」
「ヴィズル……やめろ……!」
シャインは自分の指を折らんばかりに力を込めるヴィズルのそれを、渾身の力を入れて払いのけた。銃を握る左手も放す。その時、ヴィズルが小さく呻いて、銃を持ったその手でシャインを突き飛ばした。
「つっ!」
シャインは後部甲板左舷側の船縁に肩をぶつけながら、なんとか体を支えた。
しかし銃はヴィズルに奪われたままだ。
意を決して振り返ると、シャインは思わず目の前の光景を凝視した。
甲板の鐘楼の下でヴィズルが横向きに倒れている。
銃は彼の手から離れ、シャインの足元近くに落ちている。
「ヴィズル、どうした?」
シャインはヴィズルの側に近寄り、そっとその様子をうかがった。
肩が大きく動いて荒い呼吸を繰り返している。褐色の肌でもその顔が青ざめて血の気がないのがはっきりとわかる。唇の色も悪い。
「ヴィズル!」
その場に膝をついて、シャインはヴィズルの肩に手をかけた。
彼女の身に何が起こっているのだろう。
今、どこにいるのだろう。
それを思うだけでシャインは自分の理性がたがを外し、高まる感情のままに身を任せたくなる衝動へ駆られた。
「ロワールに何をした。ヴィズル!」
すでに左手に携帯していたストームの銃を握りしめ、その銃口をヴィズルの体の中心へと狙いを定める。
「何で、お前がここにいる? シャイン」
ヴィズルは口元に笑みを浮かべながら、何か面白いものを見るような目つきでシャインをながめた。いつか対峙した時と同じように、落ち着き払った素振りで。
「聞いているのはこっちの方だ。答えろ、ヴィズル」
「……ティレグの奴。しっかり見張っておけと言っておいたのに」
ヴィズルは狙う銃口に怯みもせず、ただ左手に持った短剣を手持ちぶたさのあまり、宙へ放り投げては再び刃先をつまんで受け止めた。
それはひと月以上も前。
燃えるファスガード号の甲板で、ヴィズルが手にしていたのと同じものだった。
冴えた青色をした刀身で、東方連国風の美しい短剣――。
シャインは撃鉄を起こした。
カチリと響くその冷たい音に、ヴィズルがようやく望む答えを口にした。
「まだここにいるさ、安心しな。ロワールは『船鐘』の中で、しばしお休み中だ」
「休む……? ロワールの行動を封じてるんだな」
ヴィズルの口が歪んだ笑みをたたえる。
「ああ、そうだ。ロワールは俺に協力してもらうため、俺の船へと持ち帰る」
「……何だと?」
シャインはヴィズルに銃口を向けながら、彼の船にいた精霊、グローリアの言っていた事を思い出した。
『あの男はその力を持っているのです。精霊を魂の器――大抵は「船鐘」ですが。
それに封じ込めて新たな船に連れていき、あの男の力が込められた「血の縛り」で、船と私達――魂の固定をはかるのです』
シャインはゆっくりと頭を振った。乾いた喉から絞り出すように出たその声は、シャインの心の叫びと同じものであった。
「そんなこと、させるものか!」
ヴィズルの歪んだ笑みは、そんなシャインを嘲笑うように顔全体へと広がっていく。
「見ていられないんだよ、まったく」
「何だと?」
わざといら立たせて隙を突くつもりだろうか。挑発に乗る気はないが、回りくどいヴィズルの物言いには腹立たしさを覚える。シャインは油断なく銃を構えながら、落ち着くよう自分に言い聞かせた。
「ロワールの価値をお前は全くわかっていない。彼女は優秀な船のレイディだ。この広大な海を、素晴らしい速さでかける優れた能力を持っている。それなのに、たがだかエルシーアの狭い海を往くだけの、こんなちっぽけな船で遊ばせておくのは、非常にもったいない話だぜ」
「……」
ヴィズルはやおら隣の鐘楼に視線を向け、静かに優しくつぶやいた。
「俺なら彼女をどんな海へも連れていってやれる。俺のグローリアス号は、お前のロワールハイネス号と違い、何のしがらみも持たない自由な船だ。好きな時に海へ出て、好きなだけ海をかける。お前にはそんなことできないだろう? 軍人であるお前にはな、シャイン」
船は海を往くためのものである。
船にとって何が幸いなのか、そんなこと考えた事もなかった。
ロワールにとっての幸いを――。
「だからといって!」
シャインは眉間を寄せた。ヴィズルの言う事に納得できても、彼のやろうとしていることは
「まるで船の部品を取り替えるように、船の精霊を付け替えるなんて事は、彼女の命を弄ぶのと同じ事だ。ロワールは、このロワールハイネス号の『船の精霊(レイディ)』であって、それ以外の何者でもない!」
ヴィズルが空いた右手を口元に添えて、低く笑い声をたてた。
「……確かに。俺の力をもってしても、未だに成功率は五分だ。どんなに優秀な船の精霊を捕らえてきても、体である船との相性が悪いと魂の定着が上手くいかない。何体か消失させたことは事実だ」
あまりにも生々しい告白。
シャインは声が震えるのを抑えられなかった。
「ヴィズル、君は本当に……術者なのか」
シャインの青ざめた顔を見て、ヴィズルがふんと鼻で笑った。
「ああ。俺の中にこんな力があったなんて、初めは信じられなかったがな。けれど、今は充分に使いこなしているぜ」
銃口を突き付けられているにもかかわらず、ヴィズルはうっとりと瞳をすがめ、両手をゆっくりと広げると、シャインに向かって微笑みかけた。
「船の精霊は……本当にすごいんだぜ。彼女がいれば船を動かすための人間は不要だ。俺の命じるままに、彼女が自在に船を動かしてくれる。お前だってロワールハイネス号を動かしただろう? まあ、アレに魂を喰われるだけ疲れるがな。それなのに、ただの『話し相手』として使うお前の神経は理解できない。まさに宝の持ち腐れってやつだ」
シャインはゆっくりと後ずさって、ヴィズルが詰めた距離を再び離した。
「俺も君の言う事が理解できない。君は彼女達の事を何も考えていない。君にとって船の精霊は……ただの便利な道具にすぎないんだ」
自分でこんな酷い言葉を口にするのは辛かった。
ロワールが聞いていない事をシャインは切に願った。
ヴィズルは黙っているが、シャインの言う事に異論を唱える気はないらしい。
むしろ肯定ともいえる表情でこちらを見ている。
シャインは込み上げたヴィズルへの憤りを抑えて、さらに言葉を続けた。
「そんな君に誰がロワールを渡すものか。それに君のグローリアス号には、すでにグローリアがいるじゃないか! 彼女をどうするつもりだ!」
「売るさ」
まばたきするほどの間で返ってきた、素早い返事。
シャインは一瞬ヴィズルの言葉に耳を疑った。
驚きで何も言えないシャインをよそに、ヴィズルはのうのうと口を開く。
「地味な娘だが、従順でしかも堅牢な意志を持つ。だがいまいち力不足はいなめない。ま、彼女をつけた商船は、ちょっとやそっとの嵐でも沈まない根性をみせるぐらいにはなる。……ざっと2000万リュールぐらいが妥当か」
「……ヴィズル……」
シャインは唇を噛みしめた。
脳裏に寂しげな微笑を浮かべて自分を見つめる、精霊グローリアの姿がよぎった。彼女は生まれた船から引き離され、その時の記憶を失ったまま、今は、ヴィズルの傀儡として船を動かすためだけに、その存在を維持させられている。
「ヴィズル、君がどんな力を使うのか知らないが、ロワールは……ロワールは君の思い通りになどならない。いや、誰の思い通りにもならない!」
ヴィズルが一歩、また一歩と、シャインに向かって歩いてきた。
腰まで流した銀髪の一部が、その動きにあわせてなびき、月の光を受けて艶やかに輝く。
「その言葉、そっくり
お前
に返すぜ」シャインはヴィズルを見つめながら再び後退した。背中に左舷の船縁がぶつかった。手を伸ばせばシャインが構える銃口に届くくらいの距離で、ヴィズルが足を止めて首を傾げる。
「一生お前の慰みものとして過ごすロワールが哀れだ」
「……」
片眉を上げてヴィズルは、身を強ばらせたシャインの反応を楽しむように言葉を続ける。
「お前のロワールへの執着は一体なんだ? 船なんてその気になればいくらでも造れるし、手に入るんだろうが! アドビスに頼めば」
右手が使えれば、シャインはヴィズルの胸倉を掴んでいたかもしれない。
だがシャインは、ヴィズルの真意が見えない紺色の瞳の中に映る自分の姿を見る事で、かろうじて胸の憤りを抑え込んだ。
「俺を蔑むのは一向に構わない。だが俺は、君のように船の精霊を“道具”として見る事はできないんだ」
ヴィズルがまた一歩、足を進める。
「船は海を往くための道具にすぎないぜ」
シャインは束ねていない金髪を揺らして叫んだ。
「違う! 俺は……俺は、
知っている
。彼女達は俺達と変わらない。人の心の痛みを理解し、気遣い、励ましてくれる。乗員が全員退避するまで、船が沈まないよう「がんばる」と言ってくれたレイディもいた。物は、「がんばる」なんて言いはしない! 彼女達は生命を与えられた存在だ。だからその命を軽々しく扱う事だけは絶対に許さない」こめかみの鼓動がずきずきと痛いほどまでに脈打っている。
ヴィズルに自分の言い分が通じただろうか。訝しむシャインの目の前で、ヴィズルは一瞬目を伏せて、小さく含み笑いを浮かべるのが見えた。
途端。
「だからといって、お前に俺が止められるのか!?」
ヴィズルの手袋をはめた右手が、ぐっと強い力で銃身をつかんだ。
「ヴィズル!」
感情のこもらない貼り付いた笑みを浮かべたヴィズルは、シャインが引き金に指をかけているその銃を、自分の胸元へ一気に引き寄せる。
ヴィズルの行動が理解できない。
思わず体をヴィズルから離そうとしたシャインは顔を上げた。月の光を帯のように集め、光っているようなヴィズルの銀髪が、シャインの肩の上に流れ落ちている。
「どうだ、俺を止められるか?」
自分の胸に銃口を突き付けるヴィズルの手は、がっしりと銃身を握りしめて微動だにしない。
「ヴィズル、手を放せ」
シャインを見下ろすヴィズルは、夜色の瞳をすっと細めた。月の光のせいか、暗い木々が落とす影のせいか。そのがっしりした精悍な顔は死人のように青ざめていて、額にはうっすらと汗をかいている。ヴィズルはシャインを軽蔑した眼差しでみると口を開いた。
「お前はそういう奴だ。中途半端に首をつっこみ、度胸もないのに出しゃばり、綺麗事ばっかり並べて、そのくせ自分では何もしようとはしない」
ヴィズルの銃身を握る指が、シャインの引き金にかかるそれへと伸びる。
「本当に欲しいものがあるのなら、相手を殺してでも奪い取れ。守りたいものがあるのなら、己の手を汚す事をためらうな! それができないくせに、生意気な口上を俺に叩くな!!」
シャインは引き金に力を加えようとする、ヴィズルの指に抗った。
それを低くあざ笑うヴィズルの声が聞こえる。
吐息と共に吐き出された言葉と共に。
「シャイン。大切なものを失ってからでは……遅いんだぜ」
「ヴィズル……やめろ……!」
シャインは自分の指を折らんばかりに力を込めるヴィズルのそれを、渾身の力を入れて払いのけた。銃を握る左手も放す。その時、ヴィズルが小さく呻いて、銃を持ったその手でシャインを突き飛ばした。
「つっ!」
シャインは後部甲板左舷側の船縁に肩をぶつけながら、なんとか体を支えた。
しかし銃はヴィズルに奪われたままだ。
意を決して振り返ると、シャインは思わず目の前の光景を凝視した。
甲板の鐘楼の下でヴィズルが横向きに倒れている。
銃は彼の手から離れ、シャインの足元近くに落ちている。
「ヴィズル、どうした?」
シャインはヴィズルの側に近寄り、そっとその様子をうかがった。
肩が大きく動いて荒い呼吸を繰り返している。褐色の肌でもその顔が青ざめて血の気がないのがはっきりとわかる。唇の色も悪い。
「ヴィズル!」
その場に膝をついて、シャインはヴィズルの肩に手をかけた。