4-40 昔話(1)
文字数 2,223文字
ストームの口から出た話は、先程から本当に驚かされっぱなしだ。
胸の奥で呪文のようにそう繰り返し思いながら、シャインはふと耳をそば立てた。
灰色の冷たい石で組まれたこの牢屋は、牢屋の向側にある通路の天井に近い所に採光のための小さな窓がいくつも開いているため、ほんのり薄ら明るい。ちらりと通路の方へ視線をやったシャインを見て、ストームが相変わらず薄笑いをたたえたまま口を開く。
「大丈夫だよ。当分誰もここへは来ないから。今日の午後の見張りは、あたしが受け持ちだからね。さて、日没まで時間はたっぷりあるから、話をしようか」
シャインは立ち上がり、牢屋の錆びた鉄格子に近付くと、そこから左手の通路をのぞいた。スト-ムの言う通り人の気配はない。
シャインは再び腰を下ろして胡座をかいた。
「聞かせてくれ。あんたが知っている“話”ってやつを――」
ストームは承諾した証拠に、その分厚い唇をゆがめて目を伏せた。
◇◇◇
「昔、エルシーア国の北の山々からは、金や銀といった貴金属、そして術者が泣いて欲しがりそうな力を秘めた、魔鉱石を山師達が採掘していた。山師が集まれば小さかった集落もやがて都になり、今の王都ミレンディルアができた。山々から掘り出されたその貴金属は船に積み込まれ、エルドロイン川を下り海へ出る。
今から二十年前。そのお宝を頂こうと、世界のあちこちから海賊を生業とする者達が、たくさんこのエルシーア海へ集まり、まさに海賊の全盛期を迎えていた。
エルシーア海賊は大きく二つの勢力に分かれていてね、南のアスラトル近海を縄張りとする『月影のスカーヴィズ』派と、北のジェミナ・クラス一帯を支配していた『隻眼のロードウェル』派だよ。
ちなみにあたしはスカーヴィズの方に属してた。あんたのように若い二十代の娘だったねぇ。あの頃のあたしは。父親に借金のカタにたった15万リュールで娼館に売られてね、すごく悔しかったよ。死ぬ思いでそこから逃げて、アスラトルを出る船に密航した。ま、それがスカーヴィズの船ガグンラーズ号だったんだけどね」
「……俺はあんたの身の上話を聞きたいんじゃないんだが……」
シャインは少しうんざりとしてつぶやいた。
ストームが勢いづいて自分の事ばかり話されても困る。
だからすかさず釘をさしたのだ。
むっとするストーム。
「まったくせっかちな男だね。あんたは二十年前、どれだけエルシーア海賊が栄えていたか知らないくせに。まあ、いいさ。あたしはスカーヴィスの船に何時もいたわけじゃないからね。もっぱらこのアジトの島にいて、漁村の集落のふりをしながら、時にはその酒場にやってきた、海軍の連中を相手にしたこともあったよ」
ストームは昔日の栄光をその厚ぼったいまぶたの上に浮かべているのか、しばし目を細めて中空を見つめていた。
「……じゃ、前置きはこの辺にして、スカーヴィズの事を話そうかね。エルシーア海賊はさっき言ったように、南のスカーヴィズか、北のロードウェルか、そのどちらかを頭としていた。だがね、ロードウェルは実に強欲な男で海賊の『奪い取る』ってことしか頭になかった。商船が航路を通らない日があれば、白昼堂々と客船を捕まえ、乗客から金品を奪い、貴族の娘をさらってその身を奴隷船に売っぱらったり……まあ、後先考えずに好き勝手なことをやってたよ。
スカーヴィズはロードウェルを嫌ってた。奴のやり方のお陰でこっちは大迷惑をこうむったからね。ジェミナ・クラスから出て行く船をあれだけ襲えば、商船はおろか客船も、護衛船を同行させて船団を組むようになっちまった。
簡単に商船へ近付くことができなくなって、ロードウェル派の海賊船はどんどん南下してきた。アスラトルの近くで見るようになって、挙げ句の果てに目の前で、あたしたちの獲物をかっさらっていったこともあったよ。
流石に頭にきたスカーヴィズは何度かロードウェルに抗議したらしいが、あの男に何を言っても無駄だと、彼女はアジトの酒の席であたしに言った。
薄々みんなそれは思っていたよ。ロードウェルが隙あらば、スカーヴィズのアスラトル一帯の海賊船も自分の傘下に収めようとしているってことをね。
あの日……ちょうど彼女が殺される夜の一ヶ月前。
『ロードウェルもエルシーア海軍に片付けてもらうことに決めたよ』
アジトのスカーヴィズの私室には、酒を持ってくるよう命じられてそこにやってきたあたしと、スカーヴィズに付き従う副船長の『赤熊のティレグ』だけがいた。副船長は……ティレグは知ってるね」
シャインは「今更何を?」と呟き、皮肉を思いきりこめた視線でストームを見た。
「ティレグは……若い頃から酒に目がなくてね。けれど剣の扱いにかけては、スカーヴィズの次に強い使い手だった。今は酒の力で手下達を威張り倒す、ただの飲んだくれだがね」
ストームはふうっと大きく息を吐いた。なんだかとても気疲れしているような、そんな重苦しい雰囲気をシャインは感じた。
「今は、ってことは昔はそうじゃなかったのか?」
「……そうだね。酒は飲むが飲まれることはなかった。いつからだろうね? 酒が切れたティレグは、自分の影におびえる小さな子供みたいに、おどおどして人をそばに寄せつけないんだ。……と、話がそれちまったね」
シャインは気にしていないと首をふりながら、三日前、ヴィズルの船の甲板で、顎を二倍に腫らして自分をにらみつけるティレグの顔を思い出していた。
胸の奥で呪文のようにそう繰り返し思いながら、シャインはふと耳をそば立てた。
灰色の冷たい石で組まれたこの牢屋は、牢屋の向側にある通路の天井に近い所に採光のための小さな窓がいくつも開いているため、ほんのり薄ら明るい。ちらりと通路の方へ視線をやったシャインを見て、ストームが相変わらず薄笑いをたたえたまま口を開く。
「大丈夫だよ。当分誰もここへは来ないから。今日の午後の見張りは、あたしが受け持ちだからね。さて、日没まで時間はたっぷりあるから、話をしようか」
シャインは立ち上がり、牢屋の錆びた鉄格子に近付くと、そこから左手の通路をのぞいた。スト-ムの言う通り人の気配はない。
シャインは再び腰を下ろして胡座をかいた。
「聞かせてくれ。あんたが知っている“話”ってやつを――」
ストームは承諾した証拠に、その分厚い唇をゆがめて目を伏せた。
◇◇◇
「昔、エルシーア国の北の山々からは、金や銀といった貴金属、そして術者が泣いて欲しがりそうな力を秘めた、魔鉱石を山師達が採掘していた。山師が集まれば小さかった集落もやがて都になり、今の王都ミレンディルアができた。山々から掘り出されたその貴金属は船に積み込まれ、エルドロイン川を下り海へ出る。
今から二十年前。そのお宝を頂こうと、世界のあちこちから海賊を生業とする者達が、たくさんこのエルシーア海へ集まり、まさに海賊の全盛期を迎えていた。
エルシーア海賊は大きく二つの勢力に分かれていてね、南のアスラトル近海を縄張りとする『月影のスカーヴィズ』派と、北のジェミナ・クラス一帯を支配していた『隻眼のロードウェル』派だよ。
ちなみにあたしはスカーヴィズの方に属してた。あんたのように若い二十代の娘だったねぇ。あの頃のあたしは。父親に借金のカタにたった15万リュールで娼館に売られてね、すごく悔しかったよ。死ぬ思いでそこから逃げて、アスラトルを出る船に密航した。ま、それがスカーヴィズの船ガグンラーズ号だったんだけどね」
「……俺はあんたの身の上話を聞きたいんじゃないんだが……」
シャインは少しうんざりとしてつぶやいた。
ストームが勢いづいて自分の事ばかり話されても困る。
だからすかさず釘をさしたのだ。
むっとするストーム。
「まったくせっかちな男だね。あんたは二十年前、どれだけエルシーア海賊が栄えていたか知らないくせに。まあ、いいさ。あたしはスカーヴィスの船に何時もいたわけじゃないからね。もっぱらこのアジトの島にいて、漁村の集落のふりをしながら、時にはその酒場にやってきた、海軍の連中を相手にしたこともあったよ」
ストームは昔日の栄光をその厚ぼったいまぶたの上に浮かべているのか、しばし目を細めて中空を見つめていた。
「……じゃ、前置きはこの辺にして、スカーヴィズの事を話そうかね。エルシーア海賊はさっき言ったように、南のスカーヴィズか、北のロードウェルか、そのどちらかを頭としていた。だがね、ロードウェルは実に強欲な男で海賊の『奪い取る』ってことしか頭になかった。商船が航路を通らない日があれば、白昼堂々と客船を捕まえ、乗客から金品を奪い、貴族の娘をさらってその身を奴隷船に売っぱらったり……まあ、後先考えずに好き勝手なことをやってたよ。
スカーヴィズはロードウェルを嫌ってた。奴のやり方のお陰でこっちは大迷惑をこうむったからね。ジェミナ・クラスから出て行く船をあれだけ襲えば、商船はおろか客船も、護衛船を同行させて船団を組むようになっちまった。
簡単に商船へ近付くことができなくなって、ロードウェル派の海賊船はどんどん南下してきた。アスラトルの近くで見るようになって、挙げ句の果てに目の前で、あたしたちの獲物をかっさらっていったこともあったよ。
流石に頭にきたスカーヴィズは何度かロードウェルに抗議したらしいが、あの男に何を言っても無駄だと、彼女はアジトの酒の席であたしに言った。
薄々みんなそれは思っていたよ。ロードウェルが隙あらば、スカーヴィズのアスラトル一帯の海賊船も自分の傘下に収めようとしているってことをね。
あの日……ちょうど彼女が殺される夜の一ヶ月前。
『ロードウェルもエルシーア海軍に片付けてもらうことに決めたよ』
アジトのスカーヴィズの私室には、酒を持ってくるよう命じられてそこにやってきたあたしと、スカーヴィズに付き従う副船長の『赤熊のティレグ』だけがいた。副船長は……ティレグは知ってるね」
シャインは「今更何を?」と呟き、皮肉を思いきりこめた視線でストームを見た。
「ティレグは……若い頃から酒に目がなくてね。けれど剣の扱いにかけては、スカーヴィズの次に強い使い手だった。今は酒の力で手下達を威張り倒す、ただの飲んだくれだがね」
ストームはふうっと大きく息を吐いた。なんだかとても気疲れしているような、そんな重苦しい雰囲気をシャインは感じた。
「今は、ってことは昔はそうじゃなかったのか?」
「……そうだね。酒は飲むが飲まれることはなかった。いつからだろうね? 酒が切れたティレグは、自分の影におびえる小さな子供みたいに、おどおどして人をそばに寄せつけないんだ。……と、話がそれちまったね」
シャインは気にしていないと首をふりながら、三日前、ヴィズルの船の甲板で、顎を二倍に腫らして自分をにらみつけるティレグの顔を思い出していた。