4-8 権利と義務
文字数 4,108文字
急に火照ってきた顔を俯かせ、シャインは右手で左腕を握りしめた。
そんな風に言われると、何もかもが知りたくなる。
知るべき事があるはずなのに、その権利はあるはずなのに、それらは今まで意図的に隠され続けてきた。
その問いをしてはいけない。答えは沈黙のみ。
あの男は肯定も否定もしない。
それが虚しいから、問う事を諦めていたのかもしれない。
「母の事をお聞きしたいのですが……」
あまり食べなかったので流し込んだワインが胃にもたれている。その不快感に眉をひそめながら、シャインは軽く息をついた。
「その前に率直にうかがいます。閣下がヴィズルに手を貸したのはあの人……グラヴェール中将を嫌っているからなのですね?」
一瞬ツヴァイスの金の眉がぴくりと動いた。驚いているという感じではなく、むしろアドビスに対する嫌気が増したように眉間を寄せたのだ。
「嫌っている、か。そういえば私も、君に聞いてみたいことがある」
「何でしょうか?」
ツヴァイスはしかめた眉間の緊張を解き、両手を膝の前で組むとじっとシャインの顔を見つめた。その表情はいつになく真剣で、どことなく自分を憐れんでいるようにすら見える。いくぶん押し殺したツヴァイスの滑らかな声が、そっとシャインの耳に響いた。
「どうして君はあの男の事を“父”と呼ばない? それほどまで嫌いなのか?」
「……」
しばしシャインは口元を引き締めたまま、こちらを静かに眺めるツヴァイスを黙って見返していた。
果たして『嫌い』という単純な感情で片付けていいのだろうか。アドビスに対する自分の気持ちは、実はもっともっと複雑だと思う。
「わかりません。でも……」
「でも?」
口ごもるシャインに、ツヴァイスが静かに聞き返す。
「あの人が俺を避けている事は確かなのです。そこにどんな理由があるか、俺には聞く事も許されない……」
無意識のうちに上げた右手で、シャインは首筋をさすった。もうひと月以上も前になるが、久方ぶりに実家の屋敷へ戻った時、アドビスと思わぬ所ではち合わせした事が脳裏をよぎった。あの樫の木のような、がっしりした手につかまれている感覚が生々しく蘇り、シャインは息を詰めた。
「育ててもらったことはありがたく思っています。しかし、俺の存在を否定するあの人を……父と呼ぶ事に意味が見出せません」
「――そうか」
物憂気に目を伏せていたツヴァイスは、組んでいた足を解いて、椅子から立ち上がった。シャインの耳にもドアをノックする低い音が聞こえた。
「レイフか?」
「はい。お茶の支度が出来ましたです」
給仕係のくぐもった声が答える。ツヴァイスがティーポットを受け取るためシャインの脇を通り過ぎた時、優美な声が侮蔑を込めて発せられた。
「罪深い男だ。一度のみならず二度までも」
その言葉の意味が何を指しているのか。シャインはアドビスという人間が、今までどんな事をしてきて、どれだけの人間を傷つけたのだろうかと考えた。
一切過去を語らず、その人生を海軍に捧げ、多くの敵を作りながらも、一部の輝かしい功績に、エルシーア国の海運業を営む人々から感謝されている男――。
「ありがとう。後は私がやる」
白い陶器のティーポットとカップがのった盆を受け取ったツヴァイスが、再び執務椅子の方へ戻って来た。部屋の中にほのかに甘酸っぱい香りが満ちてきた。机の上に盆を置き、ツヴァイスは早速紅茶をカップに注ぐ。
「君の口に合えば良いが」
「……ありがとうございます」
ツヴァイスが手渡してくれたカップを受け取り、シャインは立ち上る湯気と黄金色のシルヴァンティーに、高ぶった己の心が静まるのを感じた。黄色が強いのはリキュールの類いが入っているからだろう。そう思って口に含むと、実に濃厚で心地よい甘味が残る。頭の疲れをとってくれるような。
自分の敵になるかもしれないツヴァイスの前で、シャインは椅子に背中を預けたまま緊張感を忘れ、しばし特等級の茶葉で入れたシルヴァンティーのまろやかさに、うっとりとした笑みを浮かべた。
夕食が最悪だった故に、紅茶がとても美味しかったのだ。これで<西区>のフェメリア通りにあるスドール菓子店の、香ばしいスコーンがあれば申し分ない。
「お気に召してもらえたようだな。好きなだけ飲むといい」
「あ、はい……」
シャインは物思いから我に返った。
何を考えていたのだろう。一瞬気を緩めた自分を悔いた。
いや、子供じみた笑みをツヴァイスに見られたのが、正直恥ずかしかった。
ツヴァイスは自分の紅茶をすすっていた。そんなシャインを心持ち楽し気に見つめながら。
「シャイン、君の問いだが、答えるのが遅くなってすまないね」
「いえ」
シャインの空になったカップへ、ツヴァイスは再び紅茶を注ぐ。
「まずは君が、あの男をどう思っているか知りたかったのだよ。私は確かに奴が嫌いだ。……殺したいほどにね」
薄く口元をほころばせ、眼鏡の奥の鋭い瞳がひたとシャインを捉える。
ティーポットを執務机の上に置き、ツヴァイスは椅子に背を預けると、落ち着き払って両腕を組んだ。
「大して驚かないのだな?」
「ヴィズルと組んでいる以上、それが目的であることは察していました」
シャインは淡々と答えた。ツヴァイスは顔色一つ変えない。
「ヴィズルとはもう十年来の付き合いになる。私が海軍業務の片手間に海運事業を興して、東方連国にいた時彼の噂を聞いた。自在に複数の船を操る若き航海士の噂を。ヴィズルはまだ十代の少年だったな。だがその暗い瞳の奥で燃え盛る熾火のような、アドビスへの執念は凄まじいものがあった」
「その時、ヴィズルが海賊である事をご存知だったのですか?」
シャインは思わずツヴァイスに尋ねた。
「ああ。私の手足となる者達を集めるために起こした事業だったからね。過去アドビスに捕まり、彼への恨みを持つ者達を優先して声をかけた。ヴィズルもアドビスを憎む気持ちは余りあるが、現実問題として金に困っていた。金が無ければ船も買えないし、艤装や武器もそろえられない。ヴィズルは私と組む事で、かつてのエルシーア海賊を再び立ち上げる事ができたのだ」
「……」
両手でカップを包み込むように持ち、ウインガード号の揺れのせいで紅茶の表面に立つ小さなさざ波に、シャインは視線を落としたままだった。胸が締め付けられるような苦しさを感じながら。黄金色の紅茶は、あの夜へシャインの記憶を呼び戻していく。
てらてらと燃え上がるファスガード号の甲板で、じっと自分を見つめていたヴィズルの顔を思い出した。どんなに憎んでも、その思いが満たされない、暗い炎に身を焦がしているような……哀しい顔を。
他人の命を奪う権利は誰にもない。それが侵害されるからこそ、人は怒り、憎み、恨みを晴らそうとするのだと思う。
無意識のうちに言葉が出た。
「
波打つ紅茶から顔を上げたシャインは、ツヴァイスの落ち窪んだ鋭い瞳が、一瞬伏せられるの見た。余裕を見せる薄い唇が、ぐっと噛みしめられるのを見た。長細い指が、表情を見られるのを避けるように、そっと銀縁の眼鏡に添えられる。
「あの男の人格に嫌気がさしているが、一概に奴のせいにはできない部分もある」
「それは……」
ツヴァイスは伏し目がちにカップへ口をつけた。すでに冷めきってしまった紅茶に渋い顔をする。
「君はリュイーシャの事をどこまで知っている?」
「えっ……」
シャインはツヴァイスを凝視した。
母親の話をしてもらうはずだが、いきなり今出てきた事に戸惑ったのだ。
「名前と……リオーネさんの姉にあたる人だという事と……」
シャインはカップを持たない左手で、前髪をかき上げた。
「俺が一才の時に、あの人が死に追いやったということだけです」
シャインの言葉に、ツヴァイスが歯ぎしりしながら小さくため息をつく。
「何も知らないのと同じだ」
「母の事を問うと、罰として屋敷の地下にあるワイン蔵に閉じ込められました。一昼夜。けれど、どうしても納得いかなくて、一度リオーネさんに詰め寄り、これだけの事をやっと教えてもらったのです。そして……」
シャインは左手にカップを持ち替え、空いた右手の甲をツヴァイスへ向けた。
長年帆船の操船の為のロープワークにいそしんだ結果、シャインの手のひらは厚くなっているが、整った形ゆえに無骨さがまったくない。人差し指に、青い微光を放つブルーエイジの指輪がはまっている。
「リュイーシャのものだな。見た事がある」
「はい……あの人が自ら俺にくれたのです。その日以来、俺はあの人に母の事を聞くのをあきらめました」
シャインは寂し気に微笑した。いつかきっと、アドビスが自ら話してくれる日が来る。密かにそう信じていた、幼い頃の自分を思い出して。
「リュイーシャの死の真相を、なぜ実子である君に話さないのか……やはり、あの男の考えはわからないな」
シャインは黙りこくったまま、目を伏せて思案するツヴァイスを眺めていた。
「本当に、彼女の事を話していいのだな?」
何故か念を押すツヴァイスの言葉に、シャインは一抹の不安を覚えた。そこにこめられた意味はなんであろう。アドビスが何があっても、語ろうとしなかったのは、よっぽど自分に知られたくない内容だと推測するが。
「お願いします。どんなに後ろ暗いことを知ることになっても構いません」
チャンスだと思う。これを逃せば二度と、母親の事を知る事はできないと、胸の奥で感じる。それに、アドビスの考えが読めるかもしれない。
母親から受け継いだ青緑の瞳に、その決意を秘めたシャインの真っすぐな視線を受け止め、ツヴァイスは満足げに微笑した。
「わかった……よく聞きたまえ。君には知る義務がある。あの男の血を引いた者として、あの男の罪深さを」
まるで、審判を下す天神を思わせる厳かな声。その厳しさに身を固くした時、ツヴァイスの唇から発せられたそれは、別人の様に、穏やかであたたかいものへと変わっていた。
「そして君は、知る権利がある。あの人の気高い魂を、その身に宿した唯一の存在として、遺した真実の想いを――」
そんな風に言われると、何もかもが知りたくなる。
知るべき事があるはずなのに、その権利はあるはずなのに、それらは今まで意図的に隠され続けてきた。
その問いをしてはいけない。答えは沈黙のみ。
あの男は肯定も否定もしない。
それが虚しいから、問う事を諦めていたのかもしれない。
「母の事をお聞きしたいのですが……」
あまり食べなかったので流し込んだワインが胃にもたれている。その不快感に眉をひそめながら、シャインは軽く息をついた。
「その前に率直にうかがいます。閣下がヴィズルに手を貸したのはあの人……グラヴェール中将を嫌っているからなのですね?」
一瞬ツヴァイスの金の眉がぴくりと動いた。驚いているという感じではなく、むしろアドビスに対する嫌気が増したように眉間を寄せたのだ。
「嫌っている、か。そういえば私も、君に聞いてみたいことがある」
「何でしょうか?」
ツヴァイスはしかめた眉間の緊張を解き、両手を膝の前で組むとじっとシャインの顔を見つめた。その表情はいつになく真剣で、どことなく自分を憐れんでいるようにすら見える。いくぶん押し殺したツヴァイスの滑らかな声が、そっとシャインの耳に響いた。
「どうして君はあの男の事を“父”と呼ばない? それほどまで嫌いなのか?」
「……」
しばしシャインは口元を引き締めたまま、こちらを静かに眺めるツヴァイスを黙って見返していた。
果たして『嫌い』という単純な感情で片付けていいのだろうか。アドビスに対する自分の気持ちは、実はもっともっと複雑だと思う。
「わかりません。でも……」
「でも?」
口ごもるシャインに、ツヴァイスが静かに聞き返す。
「あの人が俺を避けている事は確かなのです。そこにどんな理由があるか、俺には聞く事も許されない……」
無意識のうちに上げた右手で、シャインは首筋をさすった。もうひと月以上も前になるが、久方ぶりに実家の屋敷へ戻った時、アドビスと思わぬ所ではち合わせした事が脳裏をよぎった。あの樫の木のような、がっしりした手につかまれている感覚が生々しく蘇り、シャインは息を詰めた。
「育ててもらったことはありがたく思っています。しかし、俺の存在を否定するあの人を……父と呼ぶ事に意味が見出せません」
「――そうか」
物憂気に目を伏せていたツヴァイスは、組んでいた足を解いて、椅子から立ち上がった。シャインの耳にもドアをノックする低い音が聞こえた。
「レイフか?」
「はい。お茶の支度が出来ましたです」
給仕係のくぐもった声が答える。ツヴァイスがティーポットを受け取るためシャインの脇を通り過ぎた時、優美な声が侮蔑を込めて発せられた。
「罪深い男だ。一度のみならず二度までも」
その言葉の意味が何を指しているのか。シャインはアドビスという人間が、今までどんな事をしてきて、どれだけの人間を傷つけたのだろうかと考えた。
一切過去を語らず、その人生を海軍に捧げ、多くの敵を作りながらも、一部の輝かしい功績に、エルシーア国の海運業を営む人々から感謝されている男――。
「ありがとう。後は私がやる」
白い陶器のティーポットとカップがのった盆を受け取ったツヴァイスが、再び執務椅子の方へ戻って来た。部屋の中にほのかに甘酸っぱい香りが満ちてきた。机の上に盆を置き、ツヴァイスは早速紅茶をカップに注ぐ。
「君の口に合えば良いが」
「……ありがとうございます」
ツヴァイスが手渡してくれたカップを受け取り、シャインは立ち上る湯気と黄金色のシルヴァンティーに、高ぶった己の心が静まるのを感じた。黄色が強いのはリキュールの類いが入っているからだろう。そう思って口に含むと、実に濃厚で心地よい甘味が残る。頭の疲れをとってくれるような。
自分の敵になるかもしれないツヴァイスの前で、シャインは椅子に背中を預けたまま緊張感を忘れ、しばし特等級の茶葉で入れたシルヴァンティーのまろやかさに、うっとりとした笑みを浮かべた。
夕食が最悪だった故に、紅茶がとても美味しかったのだ。これで<西区>のフェメリア通りにあるスドール菓子店の、香ばしいスコーンがあれば申し分ない。
「お気に召してもらえたようだな。好きなだけ飲むといい」
「あ、はい……」
シャインは物思いから我に返った。
何を考えていたのだろう。一瞬気を緩めた自分を悔いた。
いや、子供じみた笑みをツヴァイスに見られたのが、正直恥ずかしかった。
ツヴァイスは自分の紅茶をすすっていた。そんなシャインを心持ち楽し気に見つめながら。
「シャイン、君の問いだが、答えるのが遅くなってすまないね」
「いえ」
シャインの空になったカップへ、ツヴァイスは再び紅茶を注ぐ。
「まずは君が、あの男をどう思っているか知りたかったのだよ。私は確かに奴が嫌いだ。……殺したいほどにね」
薄く口元をほころばせ、眼鏡の奥の鋭い瞳がひたとシャインを捉える。
ティーポットを執務机の上に置き、ツヴァイスは椅子に背を預けると、落ち着き払って両腕を組んだ。
「大して驚かないのだな?」
「ヴィズルと組んでいる以上、それが目的であることは察していました」
シャインは淡々と答えた。ツヴァイスは顔色一つ変えない。
「ヴィズルとはもう十年来の付き合いになる。私が海軍業務の片手間に海運事業を興して、東方連国にいた時彼の噂を聞いた。自在に複数の船を操る若き航海士の噂を。ヴィズルはまだ十代の少年だったな。だがその暗い瞳の奥で燃え盛る熾火のような、アドビスへの執念は凄まじいものがあった」
「その時、ヴィズルが海賊である事をご存知だったのですか?」
シャインは思わずツヴァイスに尋ねた。
「ああ。私の手足となる者達を集めるために起こした事業だったからね。過去アドビスに捕まり、彼への恨みを持つ者達を優先して声をかけた。ヴィズルもアドビスを憎む気持ちは余りあるが、現実問題として金に困っていた。金が無ければ船も買えないし、艤装や武器もそろえられない。ヴィズルは私と組む事で、かつてのエルシーア海賊を再び立ち上げる事ができたのだ」
「……」
両手でカップを包み込むように持ち、ウインガード号の揺れのせいで紅茶の表面に立つ小さなさざ波に、シャインは視線を落としたままだった。胸が締め付けられるような苦しさを感じながら。黄金色の紅茶は、あの夜へシャインの記憶を呼び戻していく。
てらてらと燃え上がるファスガード号の甲板で、じっと自分を見つめていたヴィズルの顔を思い出した。どんなに憎んでも、その思いが満たされない、暗い炎に身を焦がしているような……哀しい顔を。
他人の命を奪う権利は誰にもない。それが侵害されるからこそ、人は怒り、憎み、恨みを晴らそうとするのだと思う。
無意識のうちに言葉が出た。
「
閣下も
あの人のせいで、誰か大切な人を失ったのですか?」波打つ紅茶から顔を上げたシャインは、ツヴァイスの落ち窪んだ鋭い瞳が、一瞬伏せられるの見た。余裕を見せる薄い唇が、ぐっと噛みしめられるのを見た。長細い指が、表情を見られるのを避けるように、そっと銀縁の眼鏡に添えられる。
「あの男の人格に嫌気がさしているが、一概に奴のせいにはできない部分もある」
「それは……」
ツヴァイスは伏し目がちにカップへ口をつけた。すでに冷めきってしまった紅茶に渋い顔をする。
「君はリュイーシャの事をどこまで知っている?」
「えっ……」
シャインはツヴァイスを凝視した。
母親の話をしてもらうはずだが、いきなり今出てきた事に戸惑ったのだ。
「名前と……リオーネさんの姉にあたる人だという事と……」
シャインはカップを持たない左手で、前髪をかき上げた。
「俺が一才の時に、あの人が死に追いやったということだけです」
シャインの言葉に、ツヴァイスが歯ぎしりしながら小さくため息をつく。
「何も知らないのと同じだ」
「母の事を問うと、罰として屋敷の地下にあるワイン蔵に閉じ込められました。一昼夜。けれど、どうしても納得いかなくて、一度リオーネさんに詰め寄り、これだけの事をやっと教えてもらったのです。そして……」
シャインは左手にカップを持ち替え、空いた右手の甲をツヴァイスへ向けた。
長年帆船の操船の為のロープワークにいそしんだ結果、シャインの手のひらは厚くなっているが、整った形ゆえに無骨さがまったくない。人差し指に、青い微光を放つブルーエイジの指輪がはまっている。
「リュイーシャのものだな。見た事がある」
「はい……あの人が自ら俺にくれたのです。その日以来、俺はあの人に母の事を聞くのをあきらめました」
シャインは寂し気に微笑した。いつかきっと、アドビスが自ら話してくれる日が来る。密かにそう信じていた、幼い頃の自分を思い出して。
「リュイーシャの死の真相を、なぜ実子である君に話さないのか……やはり、あの男の考えはわからないな」
シャインは黙りこくったまま、目を伏せて思案するツヴァイスを眺めていた。
「本当に、彼女の事を話していいのだな?」
何故か念を押すツヴァイスの言葉に、シャインは一抹の不安を覚えた。そこにこめられた意味はなんであろう。アドビスが何があっても、語ろうとしなかったのは、よっぽど自分に知られたくない内容だと推測するが。
「お願いします。どんなに後ろ暗いことを知ることになっても構いません」
チャンスだと思う。これを逃せば二度と、母親の事を知る事はできないと、胸の奥で感じる。それに、アドビスの考えが読めるかもしれない。
母親から受け継いだ青緑の瞳に、その決意を秘めたシャインの真っすぐな視線を受け止め、ツヴァイスは満足げに微笑した。
「わかった……よく聞きたまえ。君には知る義務がある。あの男の血を引いた者として、あの男の罪深さを」
まるで、審判を下す天神を思わせる厳かな声。その厳しさに身を固くした時、ツヴァイスの唇から発せられたそれは、別人の様に、穏やかであたたかいものへと変わっていた。
「そして君は、知る権利がある。あの人の気高い魂を、その身に宿した唯一の存在として、遺した真実の想いを――」