4-21 追跡

文字数 5,374文字

 ジャーヴィスの退院はあと一週間ほどかかるはずだった。しかし、ひとしきり室内を歩き回れるようになったことで、医者はそれを本日にしてもよいと判断を下した。

「お兄様、くれぐれも無理はしないで下さいね」

 <エルシーア海軍療養院>の外でアドビスが待たせてある馬車に乗ったジャーヴィスは、不安げに眉根を寄せて自分を見る妹ファルーナへ、できるかぎり優しい笑みを浮かべ、その心労を取り除こうとした。

 馬車の中にはアドビスとリーザとシルフィードも乗り込んでいて、しばし妹と別れの挨拶を交わすジャーヴィスを、静かに見守っていた。

「お前こそ、道中気をつけて王都へ帰るんだぞ。お前の身に何かあったら、ソフィー姉に怒鳴りつけられてしまう」

 くすくす……。
 空の色を大きな瞳に映し出しながら、ようやくファルーナが口元をほころばせて、いつもの微笑をジャーヴィスに見せた。傍らに控えているライラも、ほっとしたようにファルーナと視線を交わす。

「じゃ、ライラ、ファルーナの事頼んだぞ。道中いらん道草をして、腹をこわさないよう、しっかり見張ってやってくれ」
「かしこまりました」

 同じ二十才だというのに、メイドのライラの方が二、三才年上のように見える。無理もない。ファルーナはお気楽な……いや、そのおおらかな性格のせいで、言動も行動も子供っぽすぎるのだ。

「お兄様ったら、ホント失礼しちゃうわ」

 口を尖らせつつも微笑むファルーナに、ライラが肩をすくめながら首を振った。

「でもファルーナ様。現にアスラトルへ来るまで、あちこちで素敵なお店を見つけては、お菓子やお料理を召し上がっていたじゃあないですか。帰りは急がないから、目星をつけていたお店に絶対寄るって……」

「……そう。すっごく楽しみにしているのよ。うふふ……」

 両手を胸の前で合わせ、ファルーナは幸せそうに微笑む。

「ライラ、本当に、よろしく、頼む」

 予想通りの結果にげっそりしながら、ジャーヴィスはライラに再度念を押した。
 結婚して家を出た長姉ソフィーの怖い顔が脳裏をよぎる。王都にはここ数年帰っていないので、便り一つ寄越さない自分を姉は良く思っていないはずなのだ。

 だからファルーナの身に何かあれば、彼女は烈火のごとく怒りまくるだろう。ジャーヴィスが密かに恐れるのは、家を守るために姉が、自分の縁談を勝手に決めるのではないかということだった。

「さ、もう行かなくてはならない。ファルーナ」

 ジャーヴィスの言葉に、ファルーナは微笑に少しかげりを見せつつ、小さくうなずいた。

「あの――お兄様。お体には気をつけて。それから……」

 ファルーナはしばし目を伏せ、
「グラヴェール艦長にお会いしたら、エルシャンロ-ズのお礼を伝えて下さいね。きっとよ」と、それだけが心残りだという口調で顔を上げた。

「ああ。伝えておく」

 ジャーヴィスはゆっくりとうなずいた。
 右手を軽く振り、ファルーナへ馬車から離れるようにそっと促す。

「ヴィラード様、お気をつけて」

 ライラがファルーナの肩を抱いて手を振った。
 ジャーヴィスも窓越しに手を振る。その後、伸ばした右手を軽く握り、馬車の天井を二、三度叩いた。それが馬車を出す合図。
 御者は馬にひとむち当て、馬車は石畳に轍の音を響かせながら、ゆっくりと動き出した。



「可愛らしい妹御だな」

 ジャーヴィスの向いに座っているアドビスがぽつりとつぶやいた。

「いえ。時にこちらが予測しない行動に走るので、いつもヒヤヒヤさせられています」

 ジャーヴィスはため息をついて、恐縮した。現に今回自分に会いに来たことがそうだ。馬車道が整備されているといっても、山深い所はあるし、山賊や大型の獣の類いに襲われる旅人は結構いる。

「あれだけ可愛いと、お兄さんとしては心配なんでしょうねぇ~」

 アドビスの隣に座っているリーザが、心もち楽しそうな表情を浮かべて、ジャーヴィスを見ていた。

「俺も、そう思います。マリエステル艦長。いやー、ジャーヴィス副長ともっと親しくなりたいなぁ~」

 ジャーヴィスは何も言わず自分の隣に座っている、シルフィードの太い腿をつまんでねじった。
 息を一瞬止めてシルフィードが目をむく。だがアドビスがいるせいか、シルフィードは涙目になりながらも声を上げなかった。ただ抗議するようにジャーヴィスを見つめたが、ジャーヴィスは彼と視線を合わせなかった。

『そんな話をしている場合じゃない。馬鹿者』
 内心シルフィードへ毒づきながら、ジャーヴィスは心持ち、くつろいでいるようにみえるアドビスへ声をかけた。

「閣下自ら私の所へお越し下さったということは、あの人……いえ、ご子息は本当に行方不明なのですね?」

 アドビスは視線をジャーヴィスへ向けた。影が顔に落ちているせいだろうか。
 いつになく精彩を欠いた様に見える。

「そうだ。昨日海軍省を16時頃出て行く姿を守衛が見たっきりで、間借先にもいないのだ」

 アドビスは目を細め、その節くれた大きな手を膝の間で組んだ。

「……シャインの報告書で、君の身に起きたことは知っている。ジャーヴィス中尉。君が身をていして、あれを助けてくれたというのにな」

 ジャーヴィスは両腕を抱え、思わず身震いした。

「いえ。私の方がご子息に助けられたのです。あの方がいなければ、私がこうして、アスラトルへ生きて帰る事は叶いませんでした」
「そうか」

 アドビスの探るような――青灰色の瞳が細くなる。
 ジャーヴィスはただただ恐縮して顔を伏せた。

「申し訳ありません。私が……自分の役目をちゃんと果たしていれば、ご子息を一人で何処かへ行かせる事には、ならなかったものを――」

 情けなかった。
 アドビスはジャーヴィスの能力を見込んで、シャインの副官へ推挙してくれたのだ。それなのに自分は、アドビスの期待を裏切ってしまった。

 シャインはアドビスに良い感情を持っていないようだが、アドビスがシャインの身を案じているのは、担当の副官を彼が自ら選んだ事から、容易に察する事ができる。
 療養院のベッドに縛られていても、誰かを使って、何らかの対処法を打つ事はできたのだ。

 ジャーヴィスは悔いていた。
 昨日シャインが自分の所に来た時、言葉を交わすべきだったと。
 顔を見れば、彼がどこまで追い込まれていたか、わかったはずなのだ。

「ジャーヴィス中尉、顔を上げるのだ。私は君の働きには満足しているし、シャインの居場所もわかっている」
「えっ……?」

 ジャーヴィスは一瞬目を見開いた。そして耳を疑った。
 今アドビスは、何と言ったのか。
 シャインの居場所の見当はついている……? そう聞こえたような。

 アドビスは涼し気な顔をしてこちらを見ている。
 隣で黙りこくっているリーザもそうだ。

「ほ、本当なんですかい!?」

 その時、ジャーヴィスの隣で大柄な体を小さく丸めていたシルフィードが、アドビスの言葉に驚いて背筋を伸ばした。

 ゴッ!!

 シルフィードの頭が馬車の天井にぶつかり、鈍い音が響く。
 馬がいななく声がして、馬車が一瞬右側へ傾いた。

「痛ぅ~!」

 緊張感のカケラすらないシルフィードのそそっかしさに、ジャーヴィスは自己嫌悪を忘れて思わず眉をひそめた。シルフィードは頭を左手でさすりながら、再びうっすらと目に涙を浮かべ、すまなさそうにジャーヴィスを見る。

 ジャーヴィスは真っすぐ前を見据え、今度もすがるようなその視線を無視した。部下のしつけがなってないと、アドビスに思われただろう。

 軽く咳き払いをするアドビスを見て、ジャーヴィスは下りられるものなら、すぐさま馬車から下りたかった。

「……私も驚いたのだがな。あれは自らノーブルブルーへの転属を願い出て、どうやらウインガード号に乗ったようなのだ。恐らく、ジェミナ・クラスへ戻るツヴァイスと一緒にな」
「閣下。それは本当ですか?」

 ジャーヴィスは膝の上で握った拳に力を込めた。

「ああ。エスペランサに転属を申し出たらしい。そして、ツヴァイスにもな。だから……これから軍港へ行き、マリエステル艦長の船でウインガード号を追うつもりなのだ」

 ちらりとアドビスが青灰色の瞳を隣にいるリーザへ向ける。
 リーザは軽く頭を垂れた。

「これから出港したら、多分三日、ないし四日後には追いつけるかと。最悪、同じ日にジェミナ・クラスへ入港できるはずです」
「閣下は、もしかして同行されるのですか?」

 ジャーヴィスの問いにアドビスは眉間を寄せた。

「私はアスラトルから離れられない。ノーブルブルー襲撃事件の調査も、ままならぬのでな。だからシャインをアスラトルへ呼び戻したいのだ。あれしか知らない事があって、事件の真相解明のために、どうしても必要なことなのだ」

 ジャーヴィスは考えるより先に言葉を発していた。
 きっとアドビスはそれを期待している。

「私が参ります。マリエステル艦長の船に乗船させて下さい。必ずご子息を連れて帰ります」
「……行ってくれるか?」

 アドビスの口調に、ジャーヴィスはその期待を確信した。

「はい。それが、私の務めですから」

 きっぱりと言い切ったジャーヴィスの言葉の後に。

「あ、あのっ!」

 うわずったシルフィードの声が馬車の轍の音を消さんばかりに響いた。

「俺も一緒に行きたいです! 艦長には世話になってるし……ロワールハイネス号を取り戻すために、俺も何かやりたいんです。いいですよね、閣下、副長」

 子犬のように緑の瞳をうるませ、シルフィードはジャ-ヴィスの右腕を掴む。
 うんと言わなければ、シルフィードはきっとジャーヴィスの腕をへし折るだろう。
 勿論ジャーヴィスは反対しなかった。アドビスも。



 馬車の窓から朝日を受けてきらめく軍港の海が見える。光の反射で青や緑がかって見えるその海に、白い石を組んで作られた突堤が一直線に伸びている。
その先に、まるで白い灯台のようにたたずむ三本マストの帆船――リーザのファラグレール号が、静かにジャーヴィス達の到着を待っていた。
 馬車は突堤へ下りる階段の手前で止まった。

 いそいそと初めにジャーヴィス、次いでシルフィード、最後にリーザが潮風に漆黒の髪を揺らし馬車から下り立つ。

 馬車の四角い窓から、アドビスの少し疲れたような、けれども幾分晴れやかな顔がのぞいた。ジャ-ヴィス達はアドビスに向かってそっと頭を垂れた。それにアドビスが右手を上げて応える。

 馬が一声鋭くいなないたかと思うと、風を切る御者の鞭音がして、馬車は海軍省がある通りに向かって走り出した。


「うふふ……今日はとっても美味しい食事にありつけそうだわ」

 アドビスの乗った馬車を見送りながら、リーザは風に舞う髪をそっと指ですき、小さく含み笑いを漏らした。

「そ、それはどういうことですかい? マリエステル艦長?」

 シルフィードがぽかんと口を開けて、リーザに尋ねる。

「あらー、あなた達。ファラグレール号は客船じゃないのよ。今から私の部下として配属されたんだから、きっちり仕事してもらうわよ」
「リーザ。君の部下って!?」

 ジャーヴィスは口走った。
 すうっと、カーディナルレッドのリーザの瞳が細められる。

「私の事はマリエステル艦長と呼びなさい。ジャーヴィス中尉。上官不敬罪で今から罰則を適用します」
「……おい、リーザ。ちゃんと事情を聞かせろ。どういうことか納得していないのに罰則だなんてそんな……!」
「ジャーヴィス副長、黙って従った方がよさそうですぜっ!」

 やばい雰囲気を悟ったのか、シルフィードがジャーヴィスの腕を押さえる。
 リーザは腕を組んだまま、肩をすくめて唇に艶やかな笑みを浮かべた。

「私の名を二度呼び捨てにした事は、これで聞かなかった事にします。ジャーヴィス中尉。あなたとシルフィード航海長に適用する罰則は……」
「お、俺もですかい!? 何でですかっ!」

 リーザはさらっとシルフィードの抗議を流し、片手を頬に当て、自分を射ぬかんばかりに鋭い光を放つジャーヴィスの青い瞳を見据えた。

「ジェミナ・クラスに着くまでの一週間。ファラグレール号でのあなたの仕事場は厨房よ。ジャーヴィス。そして、シルフィード。あなたはジャーヴィスの手伝いをすること。以上、命じたわよ」
「……」

 ジャーヴィスは大きな脱力感を覚えつつ、何も言い返せないままリーザを見つめていた。リーザは小首をかしげ、両手を腰に当てた。

「わかった? ジャーヴィス?」

 名前を呼ばれて、仕方なくジャーヴィスは返事をする。

「……拝命及びその内容を理解しました。マリエステル艦長」
「よろしい。では、さっそく仕事にかかって頂戴」

 完璧なジャ-ヴィスの応答に、リーザはうっとりとした笑みを浮かべた。
 彼女にはめられてあまりいい気分ではなかったが、陽の光よりまぶしいその微笑に、ジャーヴィスは思わず目を細めた。

 ……たまにはこういうのも、いいのかもしれない。
 体の傷は癒えたものの、船の上の仕事は結構ハードで、以前の体力がまだ戻らない今ではかなりきつい。
 少々強引なやり方だが、リーザの配慮には感謝せねばなるまい。

 そう思ったジャーヴィスの耳に、突堤を先に歩くリーザの独り言が聞こえた。

「今日はアムダリアのコース料理とか食べたいわね~。デザート付きで。うちの料理長は、とにかく肉を焼く事しかできないのよ。まったく~」
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