4-74 唯一の味方
文字数 3,372文字
護衛船から海兵隊を乗せた一隻の雑用艇は、押し寄せる海流が速いせいか、どすんと気になる音を立ててロワールハイネス号の船体にぶつかった。
下手くそめ。
その音を聞き漏らさなかったシャインは軽く息を吐き、唇を引きつらせて、滅多に口にしない悪態をもらした。
船体の塗料がまた剥げてしまったじゃないか。
シャインはメインマスト の前に立ち、ロワールハイネス号の甲板に続々と上がってくる男達を思いきり見下げた視線で眺めた。
彼等はめいめい水色の上着に水色のズボンを着用し、長銃を片手に持って、両肩に弾倉のついた白いベルトをかけて、それを胸の前で交差させている。
総勢15名の男達はメインマストの前に立つシャインの姿を見るなり、一斉に長銃の狙いをこちらへと定めた。半円を描くように彼等は陣を組み、銃の照準を合わせたまま、じりじりとシャインに近付いてくる。
中々よく統率された連中である。彼等なら海賊と交戦することになった時、頼もしい戦力として重宝するだろう。そんなことを思ったシャインは、自分が意識している以上に軍人としての考え方がすっかり染み付いている事に辟易した。
軍人なんて、いつかきっと辞めてやる。
アドビスと何が何でも話をすると覚悟を決めたせいか。
それともヴィズルに散々けなされたせいか。胸の内に浮かんだ言葉を否定しない自分自身にシャインは驚いた。
「抵抗すれば容赦なく撃ち殺す! ……む? 貴様一人だけか?」
風の叫び声に負けぬよう、良く通る男の声がしたかと思うと、壁のようにそびえ立つ海兵隊の陣の中央がさっと割れた。
明るい青色の軍服の裾をざわりと揺らし、履きこなして艶のない光沢を帯びた黒いブーツが、砂だらけの甲板のせいでじゃりっという靴音を鳴らす。
襟首にふわりとかかるほどの短い金髪に、アスラトル生まれらしい水色の双眸が、油断のない光をたたえてひたとシャインを見据える。
年の頃は三十代前半で中肉中背。並んで立てばシャインの方が拳一つ分だけ背が高いかもしれない。一見思慮深そうな青年だが、軍服の襟元に入っているラインは白で三本。よって大尉。
おそらくあの護衛船の副長だろう。人を指揮する事にこなれている者がかもしだす、自信に満ちあふれた態度といい、高みから見下すような視線の向け方からきっとそうだと思う。
シャインは自分を睨む青年の敵意ある眼差しを半ば伏せた瞳で受け止め、さらりと流した。流しながらも、こちらの言い分をちゃんと理解させるため、凪の海面のように揺らがない表情と毅然とした態度で口を開いた。
「あなたはどなたです? ここはエルシーアの領海です。このロワールハイネス号はエルシーア海軍に属する軍船であるのに、なぜ罪人のような不当な扱いを受けなければならないのですか? 事と次第によっては非礼を詫びて頂きますよ」
十五個の銃口に怯む事なく放たれたシャインの言葉に、目の前の大尉はむっとして頬をふくらませた。
細い水色の瞳がシャインの頭の先からつま先まで、舐めるように見回していく。潮焼けした角張った顔に、動揺の色が走るのをシャインは見て取った。
「これは申し遅れた。私はエルシーア海軍アスラトル地方警備第二艦隊所属のカーライト大尉だ。非礼うんぬんはさておき、まずはあなたの素性を確認させてもらおう」
望むところだ。
シャインはゆっくりとうなずいた。
「エルシーア海軍アスラトル地方後方支援艦隊所属、ロワールハイネス号艦長のグラヴェールだ」
カーライトが大きくまばたきを繰り返した。しげしげと眺める視線が、いかにも怪しいといわんばかりに冷たさを帯びる。
どうやら言葉だけでは信じないらしい。
シャインはジャーヴィスと同じくらい堅物そうな、カーライトにはやうんざりしてきた。
「貴様、確かにこの船は海軍のロワールハイネス号だが。船内にあったグラヴェール艦長の軍服を着ただけで、この私を騙せると思うなよ?」
シャインは半分驚き、半分カーライトのいうことに可笑しさを覚えながら、疑惑に満ちた大尉の形相を見つめた。
「……は?」
「は、じゃない!!」
シャインの返事に気を悪くしたのか、カーライトはずかずかとシャインの目の前にやってきた。
やはりシャインの方が少し背が高いので、カーライトは上目遣いでシャインを睨む。
「いいか、ロワ-ルハイネス号は先月海賊に襲われて、今まで行方不明になっていた。だから、この船に乗っている人間は、十中八九……いや、九割がた
「それは、何故?」
こんな質問を自分がするなんて。シャインは可笑しくて、つい口元をほころばせる。それを見たカーライトはさらに顔を怒りで歪めた。
「わ、笑ったな? おい、私が知らないなんて思っているんじゃないだろうな。ああ、知っているとも。グラヴェール艦長は自分の船を海賊に奪われた過失を問われ、現在アスラトルで謹慎中の身だ! だからここで、このロワールハイネス号に乗っているはずがないのだ!」
「カーライト大尉。時間が惜しいですから、これ以上の詮議は無用にして頂けませんか」
シャインは一瞬体を強ばらせて、カーライトの背後から響いた声に息を飲んだ。 一陣の風のように通り抜けた今の声は。
シャインの頭の中で一斉に疑問が立ち上がる。
何故――?
じゃり、っと甲板を踏み締める音を立てて、声の主である茶髪の背の高い海軍士官が、こちらに歩み寄って来るのが見えた。
どうして、ここに?
シャインは信じられない思いでその姿を一心にながめた。
君は知らないはずだ。
だって、あの時自分は――
彼の姿は、エルシーア海軍軍属の療養院のベッドで、眠っているのを見たのが最後だった。あれからほんの一週間ほどしか経っていないのに、こちらに颯爽と歩いてくる足取りは、病み上がりには見えないほどしっかりしたものだ。
安堵のせいか無意識のうちに唇が震え始める。
シャインはそれをぐっと噛みしめた。
「その方は私の上官、グラヴェール艦長に間違いありません。ご存知の通り、私はこのロワールハイネス号の副長を務めておりましたから、素性は
カーライトの左隣に立った海軍士官――ヴィラード・ジャーヴィスは、真昼の空のように真っ青な瞳を細め、控えめな態度を取りつつも、有無を言わさない凄みを帯びた視線でカーライトを見つめていた。
「ジャーヴィス中尉。あなたのことはブランニル艦長の方から聞いてはいるが……その……」
カーライトは口ごもりながら、正面に立つシャインの顔をじっとながめ、そして左側で自分を見下ろすジャーヴィスに視線を向けた。
穏やかに微笑みつつも、不当な扱いを受けてその詫びがされないことに、目だけがまったく笑っていないシャインと、口元は紳士的な笑みをたたえながら、上官であるシャインを侮辱され、怒りに鋭く凍てつく眼差しを向けるジャーヴィス。
そんな二人の視線に真っ向から挟まれたカーライトは、まばたきをせわしなく繰り返し、喉をごくりと鳴らして唾を飲み込んだ。
「彼はグラヴェール中将閣下のご子息だ。顔を見た事がなくても、それぐらいはご存知ですよね? だが……」
「そ、それが、どうした」
階級はカーライトの方が上だ。しかし狼狽しながらもなんとか面子を保とうと虚勢を張るその姿が、道化めいているように見えるのは気のせいだろうか。
ジャーヴィスは構わず、ひやりとする口調で言葉を続けた。
「大尉がそれほどまで疑うのなら、昨日から徹夜して、まったく機嫌のすぐれないグラヴェール中将閣下に、ここまで、わざわざ、ご足労を願い、直接、確認をして、頂きましょうか――?」
「うっ……そ、それは……」
「私ならやめておきますがね。カーライト大尉。輝かしいあなたの軍歴がここで終わってしまうかもしれませんから」
ジャーヴィスは白い手袋をはめた右手を口元に寄せ、そっと声を潜めた。
低い旋律を奏でるジャーヴィスの声は、歌い手のようにとても魅力的で深い響きを伴い、シャインの耳にも聞こえた。
が、彼の言った『グラヴェール中将』という言葉だけが、何度も何度も脳裏に反芻していく。
そう。アドビスはあの船に乗っているのだ。
あの船でヴィズルと対決しにやってきたのだ。
下手くそめ。
その音を聞き漏らさなかったシャインは軽く息を吐き、唇を引きつらせて、滅多に口にしない悪態をもらした。
船体の塗料がまた剥げてしまったじゃないか。
シャインは
彼等はめいめい水色の上着に水色のズボンを着用し、長銃を片手に持って、両肩に弾倉のついた白いベルトをかけて、それを胸の前で交差させている。
総勢15名の男達はメインマストの前に立つシャインの姿を見るなり、一斉に長銃の狙いをこちらへと定めた。半円を描くように彼等は陣を組み、銃の照準を合わせたまま、じりじりとシャインに近付いてくる。
中々よく統率された連中である。彼等なら海賊と交戦することになった時、頼もしい戦力として重宝するだろう。そんなことを思ったシャインは、自分が意識している以上に軍人としての考え方がすっかり染み付いている事に辟易した。
軍人なんて、いつかきっと辞めてやる。
アドビスと何が何でも話をすると覚悟を決めたせいか。
それともヴィズルに散々けなされたせいか。胸の内に浮かんだ言葉を否定しない自分自身にシャインは驚いた。
「抵抗すれば容赦なく撃ち殺す! ……む? 貴様一人だけか?」
風の叫び声に負けぬよう、良く通る男の声がしたかと思うと、壁のようにそびえ立つ海兵隊の陣の中央がさっと割れた。
明るい青色の軍服の裾をざわりと揺らし、履きこなして艶のない光沢を帯びた黒いブーツが、砂だらけの甲板のせいでじゃりっという靴音を鳴らす。
襟首にふわりとかかるほどの短い金髪に、アスラトル生まれらしい水色の双眸が、油断のない光をたたえてひたとシャインを見据える。
年の頃は三十代前半で中肉中背。並んで立てばシャインの方が拳一つ分だけ背が高いかもしれない。一見思慮深そうな青年だが、軍服の襟元に入っているラインは白で三本。よって大尉。
おそらくあの護衛船の副長だろう。人を指揮する事にこなれている者がかもしだす、自信に満ちあふれた態度といい、高みから見下すような視線の向け方からきっとそうだと思う。
シャインは自分を睨む青年の敵意ある眼差しを半ば伏せた瞳で受け止め、さらりと流した。流しながらも、こちらの言い分をちゃんと理解させるため、凪の海面のように揺らがない表情と毅然とした態度で口を開いた。
「あなたはどなたです? ここはエルシーアの領海です。このロワールハイネス号はエルシーア海軍に属する軍船であるのに、なぜ罪人のような不当な扱いを受けなければならないのですか? 事と次第によっては非礼を詫びて頂きますよ」
十五個の銃口に怯む事なく放たれたシャインの言葉に、目の前の大尉はむっとして頬をふくらませた。
細い水色の瞳がシャインの頭の先からつま先まで、舐めるように見回していく。潮焼けした角張った顔に、動揺の色が走るのをシャインは見て取った。
「これは申し遅れた。私はエルシーア海軍アスラトル地方警備第二艦隊所属のカーライト大尉だ。非礼うんぬんはさておき、まずはあなたの素性を確認させてもらおう」
望むところだ。
シャインはゆっくりとうなずいた。
「エルシーア海軍アスラトル地方後方支援艦隊所属、ロワールハイネス号艦長のグラヴェールだ」
カーライトが大きくまばたきを繰り返した。しげしげと眺める視線が、いかにも怪しいといわんばかりに冷たさを帯びる。
どうやら言葉だけでは信じないらしい。
シャインはジャーヴィスと同じくらい堅物そうな、カーライトにはやうんざりしてきた。
「貴様、確かにこの船は海軍のロワールハイネス号だが。船内にあったグラヴェール艦長の軍服を着ただけで、この私を騙せると思うなよ?」
シャインは半分驚き、半分カーライトのいうことに可笑しさを覚えながら、疑惑に満ちた大尉の形相を見つめた。
「……は?」
「は、じゃない!!」
シャインの返事に気を悪くしたのか、カーライトはずかずかとシャインの目の前にやってきた。
やはりシャインの方が少し背が高いので、カーライトは上目遣いでシャインを睨む。
「いいか、ロワ-ルハイネス号は先月海賊に襲われて、今まで行方不明になっていた。だから、この船に乗っている人間は、十中八九……いや、九割がた
海賊
だ。それにグラヴェール艦長がここにいるはずがないんだよ」「それは、何故?」
こんな質問を自分がするなんて。シャインは可笑しくて、つい口元をほころばせる。それを見たカーライトはさらに顔を怒りで歪めた。
「わ、笑ったな? おい、私が知らないなんて思っているんじゃないだろうな。ああ、知っているとも。グラヴェール艦長は自分の船を海賊に奪われた過失を問われ、現在アスラトルで謹慎中の身だ! だからここで、このロワールハイネス号に乗っているはずがないのだ!」
「カーライト大尉。時間が惜しいですから、これ以上の詮議は無用にして頂けませんか」
シャインは一瞬体を強ばらせて、カーライトの背後から響いた声に息を飲んだ。 一陣の風のように通り抜けた今の声は。
シャインの頭の中で一斉に疑問が立ち上がる。
何故――?
じゃり、っと甲板を踏み締める音を立てて、声の主である茶髪の背の高い海軍士官が、こちらに歩み寄って来るのが見えた。
どうして、ここに?
シャインは信じられない思いでその姿を一心にながめた。
君は知らないはずだ。
だって、あの時自分は――
言えなかった
のだから。彼の姿は、エルシーア海軍軍属の療養院のベッドで、眠っているのを見たのが最後だった。あれからほんの一週間ほどしか経っていないのに、こちらに颯爽と歩いてくる足取りは、病み上がりには見えないほどしっかりしたものだ。
安堵のせいか無意識のうちに唇が震え始める。
シャインはそれをぐっと噛みしめた。
「その方は私の上官、グラヴェール艦長に間違いありません。ご存知の通り、私はこのロワールハイネス号の副長を務めておりましたから、素性は
私
が保証します」カーライトの左隣に立った海軍士官――ヴィラード・ジャーヴィスは、真昼の空のように真っ青な瞳を細め、控えめな態度を取りつつも、有無を言わさない凄みを帯びた視線でカーライトを見つめていた。
「ジャーヴィス中尉。あなたのことはブランニル艦長の方から聞いてはいるが……その……」
カーライトは口ごもりながら、正面に立つシャインの顔をじっとながめ、そして左側で自分を見下ろすジャーヴィスに視線を向けた。
穏やかに微笑みつつも、不当な扱いを受けてその詫びがされないことに、目だけがまったく笑っていないシャインと、口元は紳士的な笑みをたたえながら、上官であるシャインを侮辱され、怒りに鋭く凍てつく眼差しを向けるジャーヴィス。
そんな二人の視線に真っ向から挟まれたカーライトは、まばたきをせわしなく繰り返し、喉をごくりと鳴らして唾を飲み込んだ。
「彼はグラヴェール中将閣下のご子息だ。顔を見た事がなくても、それぐらいはご存知ですよね? だが……」
「そ、それが、どうした」
階級はカーライトの方が上だ。しかし狼狽しながらもなんとか面子を保とうと虚勢を張るその姿が、道化めいているように見えるのは気のせいだろうか。
ジャーヴィスは構わず、ひやりとする口調で言葉を続けた。
「大尉がそれほどまで疑うのなら、昨日から徹夜して、まったく機嫌のすぐれないグラヴェール中将閣下に、ここまで、わざわざ、ご足労を願い、直接、確認をして、頂きましょうか――?」
「うっ……そ、それは……」
「私ならやめておきますがね。カーライト大尉。輝かしいあなたの軍歴がここで終わってしまうかもしれませんから」
ジャーヴィスは白い手袋をはめた右手を口元に寄せ、そっと声を潜めた。
低い旋律を奏でるジャーヴィスの声は、歌い手のようにとても魅力的で深い響きを伴い、シャインの耳にも聞こえた。
が、彼の言った『グラヴェール中将』という言葉だけが、何度も何度も脳裏に反芻していく。
そう。アドビスはあの船に乗っているのだ。
あの船でヴィズルと対決しにやってきたのだ。