4-91 使命
文字数 3,239文字
エアリエル号の甲板では、海賊達も海軍の人間も混乱状態に陥っていた。ブランニルは憎々しげに近付いてくるウインガード号を見つめ、ヴィズルもまた、こちらに砲撃してきたツヴァイスの真意を探るように睨みつけている。
「俺はツヴァイス司令が何故撃ってきたのか、その理由に心当たりがある。だから、彼を止められるのはきっと……俺だけだ」
「グラヴェール艦長」
シャインは痛いほど自分を見つめるジャーヴィスにうなずいた。ジャーヴィスには申し訳ないが、今度ばかりはついてこられても彼の出番はきっとない。
「……わかりました。私が中将閣下の側についています。あなたのために」
「ありがとう。ジャーヴィス」
結局ジャーヴィスはシャインの言葉に従った。シャインが一度自分で決めたことは、なかなか覆さない頑固な性格を知っているからだ。
ジャーヴィスが水兵達と共にアドビスを気遣いながら、後方の艦長室へ入っていくのをシャインはちらりと一瞥した。そしてシャインは、ヴィズルとブランニルを自分の側に呼び寄せた。
「ブランニル艦長。今からヴィズル達海賊との戦闘は
「なっ」
ブランニルが息を飲んだ。ヴィズルは唇を噛みしめ腕を組んで黙っている。
「ブランニル艦長。ツヴァイス司令官はこのエアリエル号を、そして、ヴィズルのグローリアス号。
ヴィズルは胸くそが悪くなったのか甲板に唾を吐いた。
「俺達がまだこの船に乗っているっていうのに、撃ってきやがったからな。俺もお前の言う通りだと思うぜ。シャイン」
「し、しかし何故海軍の我々を巻き込むのだ。ツヴァイス司令は!」
拳を握りしめブランニルが声を震わせる。
「ツヴァイス司令は、アドビス・グラヴェールをこの海に葬るべく、同じく彼を憎むヴィズルと組んでいました。けれどツヴァイス司令の考えは、ヴィズル達にエアリエル号を襲わせ、両者が消耗したところで、向後の憂いを取り除くべくどちらも沈めるつもりなのでしょう」
「な……なんということだ。そこまでツヴァイス司令が、グラヴェール中将を憎んでいたとは……」
ブランニルは嘆息して、絶望感一杯にウインガード号を見つめた。
ウインガ-ド号はさらに距離を詰めてきた。三百リールほどだろうか。
再びウインガード号の砲門から白い煙が上がったかと思うと、耳をつんざく激しい砲撃がエアリエル号と、その船首部分に接舷しているグローリアス号を襲った。
グローリアス号のフォアマスト の主帆が裂け、被弾したエアリエル号の船首甲板で悲鳴が上がった。木屑と埃が白くぱっと舞い上がる。
「くそっ! ここにいたら全員皆殺しだ。移動するなり、反撃しねぇと」
ヴィズルが噛み付くように吠えた。
シャインは静かに頷いた。
「しかし時間が必要だ。だから俺が、ツヴァイス司令の所へ行って話してみる」
「何だと?」
「グラヴェール艦長!」
ヴィズルとブランニルが目を見開いてシャインを凝視した。
「本当は彼を止める事ができればいいが、できないかもしれない。けれど、ここから離脱する時間を稼ぎます」
「シャイン、お前何言ってるんだ」
ヴィズルがシャインの肩を強く掴む。シャインは自分の顔を覗き込むヴィズルの視線をやんわりと受け止め、けれど迷のない力強い眼差しで視線を返した。
「ヴィズル。君は、月影のスカーヴィズから名前を受け継ぎ、その跡目を継いだ海賊の頭だろう。早く手下達の所へ行って、彼等を守ってやれ。それが君の役目なんじゃないのか?」
ヴィズルが小さく舌打ちして黙り込んだ。
「ブランニル艦長。さっきも言った通り、ヴィズル達との戦闘は止めて、彼等をここから逃がします」
「グラヴェール艦長。それはちょっと待たれよ」
ブランニルは納得がいかないように口を開いた。きっとヴィズルを睨みつける。
「奴等はノーブルブルーの船を三隻も沈め、多くの同胞を殺した重罪人ですぞ」
ブランニルの胸のもどかしさは痛い程シャインには理解できた。愛する者を海戦で失った人々が、エルシーアの聖堂で涙にくれていた光景が思い出される。
シャインは深くうなずきながらも静かに言い返した。
「確かに。でも、我々も多くの海賊を殺しました。お互いにその恨みを晴らさんと、戦いを続ければ、後に残るのは屍と果てしなく続く怨恨のみです。その鎖をどこかで断ち切らなければなりません」
これはあくまでも理想だ。
そんなことができればこの世から戦いはなくなっている。
ブランニルは黙り込んだ。彼もまた、頭ではそれを理解できる人物なのだ。
「しかしグラヴェール艦長。海賊を勝手に見逃すなど、これは海軍への反逆行為ですぞ」
ブランニルはシャインのためを思って、まだ思いとどまる事ができると考え、そう言ったのだろう。シャインはその心遣いをうれしく思いながら、ゆっくりとうなずいた。
「ええその通りです。航海日誌 に俺の発言を記入して下さい。それであなたへ責任が及ぶことはないでしょう」
「グラヴェール艦長」
シャインはまだ何かいいたげなブランニルの言葉を遮り、ヴィズルに話しかけた。
「そこでヴィズル。君達を逃がすかわりに、一つ頼みがある」
「そうくると思ったぜ。言えよ」
「ありがとう。実は、エアリエル号を座礁させている沈船を、君の力でどかすことはできないだろうか。このままでは、エアリエル号は身動きがとれない」
ヴィズルはそっと腰のベルトにはさんでいたブルーエイジの短剣に目をやった。
にやりと薄い唇が笑みを浮かべる。
「容易い事だ。船に縛り付けている精霊を解放すればいいだけだからな」
精霊を解放する。その言い方は良いように聞こえるが、それは精霊達の消滅を意味する。けれどそうしなければ、エアリエル号はここから離脱することができない。
「……では、グローリアス号の退避をしつつ、沈船をどかしてくれ」
「わかったぜ」
ヴィズルはうなずいた。
シャインは続いてブランニルに話しかけた。
「ブランニル艦長。エアリエル号が動かせるようになったら、すぐに離脱して下さい。ツヴァイス司令官が俺の話をきいてくれなければ、彼は
「……そうするしかないのか」
ブランニルは両手の拳を握りしめ、仕方なく了承した印にうなずいた。
「準備にかからせよう。一方的にやられてばかりもいかんしな」
ブランニルはシャインの手を取って、しっかりとそれを握りしめた後、待機していた中尉のサーブルと副長カーライトのいる、メインマスト の方へ歩き去った。
「シャイン」
ヴィズルの声がシャインの耳元をかすめた。
「俺は逃げないぜ。お前を援護してやる。お前は一人じゃない」
はっと顔を上げたシャインの前方で、銀髪をなびかせながら立ち去るヴィズルの背中が見えた。
「野郎共! ツヴァイスが俺達を裏切った。急いでここから退避する! 全員グローリアス号へ戻れ!」
シャインはその大きく見える背中を見つめながら、自分の成すべきことの重大さを意識した。そして少しだけ、ほっとした。
ヴィズルの言葉がうれしかった。
憎しみを堪えて協力してくれるヴィズルのためにも、これ以上不要な犠牲を出してはならない。それにはツヴァイスを足止めする時間が必要だ。
シャインは砲撃を一旦止め、相変わらずこちらへ狙いを定めているウインガード号の濃紺の船体を、その向こうに広がる水平線と蒼空を見た。
そして騒々しくなった甲板へと歩く。水兵達に声をかけて、ボートを下ろすのを手伝ってもらわなくてはならない。
ウインガード号の後方に、ロワールハイネス号が浮かんでいた。
水鳥が羽根を広げたように小さな姿だったが、シャインは確かに彼女の姿を見い出していた。
海を渡る風にシャインはロワールへの想いを乗せた。
もう少し。
もう少しで君の所に戻るから。
だから待っていてくれ。
俺の大切な、大切な……レイディ・ロワール。
「俺はツヴァイス司令が何故撃ってきたのか、その理由に心当たりがある。だから、彼を止められるのはきっと……俺だけだ」
「グラヴェール艦長」
シャインは痛いほど自分を見つめるジャーヴィスにうなずいた。ジャーヴィスには申し訳ないが、今度ばかりはついてこられても彼の出番はきっとない。
「……わかりました。私が中将閣下の側についています。あなたのために」
「ありがとう。ジャーヴィス」
結局ジャーヴィスはシャインの言葉に従った。シャインが一度自分で決めたことは、なかなか覆さない頑固な性格を知っているからだ。
ジャーヴィスが水兵達と共にアドビスを気遣いながら、後方の艦長室へ入っていくのをシャインはちらりと一瞥した。そしてシャインは、ヴィズルとブランニルを自分の側に呼び寄せた。
「ブランニル艦長。今からヴィズル達海賊との戦闘は
中止
して下さい」「なっ」
ブランニルが息を飲んだ。ヴィズルは唇を噛みしめ腕を組んで黙っている。
「ブランニル艦長。ツヴァイス司令官はこのエアリエル号を、そして、ヴィズルのグローリアス号。
どちらも
沈める気だと思います」ヴィズルは胸くそが悪くなったのか甲板に唾を吐いた。
「俺達がまだこの船に乗っているっていうのに、撃ってきやがったからな。俺もお前の言う通りだと思うぜ。シャイン」
「し、しかし何故海軍の我々を巻き込むのだ。ツヴァイス司令は!」
拳を握りしめブランニルが声を震わせる。
「ツヴァイス司令は、アドビス・グラヴェールをこの海に葬るべく、同じく彼を憎むヴィズルと組んでいました。けれどツヴァイス司令の考えは、ヴィズル達にエアリエル号を襲わせ、両者が消耗したところで、向後の憂いを取り除くべくどちらも沈めるつもりなのでしょう」
「な……なんということだ。そこまでツヴァイス司令が、グラヴェール中将を憎んでいたとは……」
ブランニルは嘆息して、絶望感一杯にウインガード号を見つめた。
ウインガ-ド号はさらに距離を詰めてきた。三百リールほどだろうか。
再びウインガード号の砲門から白い煙が上がったかと思うと、耳をつんざく激しい砲撃がエアリエル号と、その船首部分に接舷しているグローリアス号を襲った。
グローリアス号の
「くそっ! ここにいたら全員皆殺しだ。移動するなり、反撃しねぇと」
ヴィズルが噛み付くように吠えた。
シャインは静かに頷いた。
「しかし時間が必要だ。だから俺が、ツヴァイス司令の所へ行って話してみる」
「何だと?」
「グラヴェール艦長!」
ヴィズルとブランニルが目を見開いてシャインを凝視した。
「本当は彼を止める事ができればいいが、できないかもしれない。けれど、ここから離脱する時間を稼ぎます」
「シャイン、お前何言ってるんだ」
ヴィズルがシャインの肩を強く掴む。シャインは自分の顔を覗き込むヴィズルの視線をやんわりと受け止め、けれど迷のない力強い眼差しで視線を返した。
「ヴィズル。君は、月影のスカーヴィズから名前を受け継ぎ、その跡目を継いだ海賊の頭だろう。早く手下達の所へ行って、彼等を守ってやれ。それが君の役目なんじゃないのか?」
ヴィズルが小さく舌打ちして黙り込んだ。
「ブランニル艦長。さっきも言った通り、ヴィズル達との戦闘は止めて、彼等をここから逃がします」
「グラヴェール艦長。それはちょっと待たれよ」
ブランニルは納得がいかないように口を開いた。きっとヴィズルを睨みつける。
「奴等はノーブルブルーの船を三隻も沈め、多くの同胞を殺した重罪人ですぞ」
ブランニルの胸のもどかしさは痛い程シャインには理解できた。愛する者を海戦で失った人々が、エルシーアの聖堂で涙にくれていた光景が思い出される。
シャインは深くうなずきながらも静かに言い返した。
「確かに。でも、我々も多くの海賊を殺しました。お互いにその恨みを晴らさんと、戦いを続ければ、後に残るのは屍と果てしなく続く怨恨のみです。その鎖をどこかで断ち切らなければなりません」
これはあくまでも理想だ。
そんなことができればこの世から戦いはなくなっている。
ブランニルは黙り込んだ。彼もまた、頭ではそれを理解できる人物なのだ。
「しかしグラヴェール艦長。海賊を勝手に見逃すなど、これは海軍への反逆行為ですぞ」
ブランニルはシャインのためを思って、まだ思いとどまる事ができると考え、そう言ったのだろう。シャインはその心遣いをうれしく思いながら、ゆっくりとうなずいた。
「ええその通りです。
「グラヴェール艦長」
シャインはまだ何かいいたげなブランニルの言葉を遮り、ヴィズルに話しかけた。
「そこでヴィズル。君達を逃がすかわりに、一つ頼みがある」
「そうくると思ったぜ。言えよ」
「ありがとう。実は、エアリエル号を座礁させている沈船を、君の力でどかすことはできないだろうか。このままでは、エアリエル号は身動きがとれない」
ヴィズルはそっと腰のベルトにはさんでいたブルーエイジの短剣に目をやった。
にやりと薄い唇が笑みを浮かべる。
「容易い事だ。船に縛り付けている精霊を解放すればいいだけだからな」
精霊を解放する。その言い方は良いように聞こえるが、それは精霊達の消滅を意味する。けれどそうしなければ、エアリエル号はここから離脱することができない。
「……では、グローリアス号の退避をしつつ、沈船をどかしてくれ」
「わかったぜ」
ヴィズルはうなずいた。
シャインは続いてブランニルに話しかけた。
「ブランニル艦長。エアリエル号が動かせるようになったら、すぐに離脱して下さい。ツヴァイス司令官が俺の話をきいてくれなければ、彼は
必ず
この船を沈めます。あまりもたないかもしれませんが、右舷の大砲を使えるようにする時間ぐらいは稼げると思います」「……そうするしかないのか」
ブランニルは両手の拳を握りしめ、仕方なく了承した印にうなずいた。
「準備にかからせよう。一方的にやられてばかりもいかんしな」
ブランニルはシャインの手を取って、しっかりとそれを握りしめた後、待機していた中尉のサーブルと副長カーライトのいる、
「シャイン」
ヴィズルの声がシャインの耳元をかすめた。
「俺は逃げないぜ。お前を援護してやる。お前は一人じゃない」
はっと顔を上げたシャインの前方で、銀髪をなびかせながら立ち去るヴィズルの背中が見えた。
「野郎共! ツヴァイスが俺達を裏切った。急いでここから退避する! 全員グローリアス号へ戻れ!」
シャインはその大きく見える背中を見つめながら、自分の成すべきことの重大さを意識した。そして少しだけ、ほっとした。
ヴィズルの言葉がうれしかった。
憎しみを堪えて協力してくれるヴィズルのためにも、これ以上不要な犠牲を出してはならない。それにはツヴァイスを足止めする時間が必要だ。
シャインは砲撃を一旦止め、相変わらずこちらへ狙いを定めているウインガード号の濃紺の船体を、その向こうに広がる水平線と蒼空を見た。
そして騒々しくなった甲板へと歩く。水兵達に声をかけて、ボートを下ろすのを手伝ってもらわなくてはならない。
ウインガード号の後方に、ロワールハイネス号が浮かんでいた。
水鳥が羽根を広げたように小さな姿だったが、シャインは確かに彼女の姿を見い出していた。
海を渡る風にシャインはロワールへの想いを乗せた。
もう少し。
もう少しで君の所に戻るから。
だから待っていてくれ。
俺の大切な、大切な……レイディ・ロワール。