4-92 条件付き休戦
文字数 3,145文字
「海賊との戦闘は中止! ミズンマスト班はマストの前に集まれっ!」
艦長ブランニルの指示を受けた中尉のリュイットが叫んだ。
「斧を持ってこい。ぐずぐずするなっ!」
どたどたと十数人の水兵達が手に斧を携え、エアリエル号の船尾へと走っていく。
「倒れたマストと上げ綱を切り離すんだ。死にたくなければ作業を急げ!!」
斧が振り下ろされる鋭い音を背後で聞きながら、ヴィズルはエアリエル号の船首右舷側に接舷しているグローリアス号へ向かっていた。
途中すれ違った水兵や海兵隊が、ヴィズルの姿を見てぎょっとしたり、武器を構えたりした。しかしブランニルが戦闘を中止するよう命じていたので、彼等はヴィズルを憎々しげに睨み付けながら、自分達の仕事をするべく走り去っていった。
「海賊め。目障りだ、早く失せろ!」
メインマスト の前まで来た時、一人の海兵隊員が甲板にうずくまった黒髪の青年の背中を蹴り付けていた。
「お、お助けっ!」
「この……人間のクズが」
海兵隊員は青年が甲板に叩き付けられるように転ぶのを眺め、そして目の前にやってきたヴィズルを見ると、急に足早にそこから立ち去った。
ぼさぼさの黒髪を肩まで伸ばした青年は、甲板に倒れたまま震えている。
「おいノエル。早く起きて船に戻れ。置いてくぞ」
ヴィズルは青年の腕を掴んで立ち上がらせた。顔を上げた青年が一瞬表情を凍りつかせてヴィズルを見つめる。
「せっ、船長っ!」
ヴィズルは一瞬逃げようとしたノエルの肩を掴み、にやりと微笑してみせた。
「残っている連中にグローリアス号へ戻るよう声をかけてくれ。だが、逃げようなんて思うんじゃねぇぜ? 俺がここにいるからには、勝手に船を動かせると思うなよ。
「へっ、へい」
「なら行け!」
ヴィズルは突き飛ばすようにノエルの背中を押しやった。ふらふらしながらノエルは辺りを見回し、仲間を探す。
それを見ながらヴィズルは走って、ようやく船首の右舷側までたどりついた。
ツヴァイスのウインガード号の砲撃を受けて、エアリエル号の船首甲板は手すりが砕け、赤黒い血にまみれ、倒れた負傷者を水兵達がひきずるように下の甲板へ運んでいる。
ヴィズルはそれらに目もくれず、グローリアス号の船首甲板へと飛び移った。
そこには太っちょの料理番ナバルロがいた。
接舷のため、グローリアス号からエアリエル号に向かって投げ付けた、鉤爪付きのロープをふうふう言いながら曲刀で切り離している。
「畜生、なんでこんなことになったんだ。早く逃げないとやられちまう!」
「ナバルロ、ちょっと待てよ。まだ船に戻っていない連中がいるぜ」
「げっ! 船長……いや、ヴィズル!」
ナバルロは目を真ん丸に見開いてヴィズルを見つめた。怪我はなさそうだが、白いシャツや水色のズボンは、返り血や埃にまみれて汚れている。
「な、何しに戻ってきやがった。あんたは俺達を置いて逃げた。海軍の船に乗って、そして副船長ティレグを殺しやがった裏切り者だ!」
ヴィズルはナバルロが振り上げた曲刀を持っていた剣で受けて剣先を絡めた。あっという間にナバルロの刀がヴィズルのそれに絡めとられ、後方の甲板へと突き刺さる。ヴィズルは銀髪を揺らし、恐怖に顔を引きつらせたナバルロを見据えた。
「俺はお前達を裏切っちゃあいないぜ。それに
「なんだと?」
ナバルロは訳が分からないというふうに口をすぼめた。
ナバルロの周りに、すでに船に戻っていた手下たちが集まり、疑念に満ちた目つきでヴィズルを睨み付けている。
だがヴィズルへ斬り付けようとする者はいない。
彼等は知っているのだ。ヴィズルがグローリアス号へ戻ったからには、この船は彼が自在に動かすということを。この船にはヴィズルが縛り付けた船の精霊 が宿っていて、彼女はヴィズルの命令にしか従わないということを。
ヴィズルはひとりひとり、手下達の不満げな顔を見つめながら、苦々しく眉を寄せ口を開いた。
「お前達の所へ戻りたかったが、アドビスの息子に反対に捕まって帰ってこられなかった。取りあえず今の状況は、海軍と条件付きで戦闘が中止になった」
「船……いや、ヴィズル。条件付きって何だ」
ヴィズルはティレグ亡き今、他の手下達に一目置かれる存在となったナバルロをちらりと一瞥した。
「ツヴァイスさ。俺達がまだここにいるのをわかって、奴が砲撃したのはお前達も見ただろう。詳しい話は海軍と協力して、俺達を裏切ったツヴァイスをどうにかしてから、会議を開いて説明する。とにかく今は、ここにいたらツヴァイスに船を沈められて皆死んじまう。そうなりたくなければ、黙って俺に従ってくれ」
「なんかよくわかんねぇが。『会議』をするんだな。嘘じゃねえな? なら、しかたねえな、船長」
ナバルロが大きな体を揺すって手下達を見回した。
「船を動かすにはあんたの力が必要だ。だが、すべてが終わったら『会議』であんたの責任を問わせてもらう。みんな、今はそれでいいよな」
「そうするしかねえだろ」
「ああ」
手下達はめいめいゆっくりとうなずき、ヴィズルを見据えた。
ヴィズルは『会議』の内容を思い浮かべながら、軽く息をついた。
「みんな、ありがとよ。じゃ、早速持ち場へついてくれ。ここから急いで離脱する」
「おう!」
ナバルロが再びエアリエル号とグローリアス号を繋いでいるロープを切り離しにかかった。他の者達は各マストの元へ走り、だらりと垂れ下がった帆を張り直す。
ヴィズルはグローリアス号の舳先を眺めた。
青い三角帆をバックに、腰ほどまで伸びた黒髪を二つに分けて三つ編みにした、翡翠の瞳を持つ少女がたたずんでいる。大きな瞳をうるませて、白い花びらのような顔が不安げに曇っている。
「ご無事でよかった、船長」
「グローリア、心配かけたな。ま、事情は聞いての通りだ。お前にグローリアス号の操船を任せる。俺は沈船に閉じ込めた船の精霊の戒めを解いて、エアリエル号を動かせるようにしなくてはならないんだ。頼んだぜ」
グローリアは目を伏せて小さくうなずいた。
「わかりました。船長」
彼女の性格は温厚で従順。だがヴィズルは
口でそのことを言う事はないが、ヴィズルの気持ちを察しているグローリアは、赤い唇にうっすらと微笑を浮かべ、前方にほっそりとした手を伸ばした。
グローリアの体が金色の光に満ちあふれ、船全体が大きく見振るいするように甲板に振動が走る。
「船が動き出すぜ!」
手下達がお馴染みとなったそれに喜色を浮かべた。
一方ヴィズルは、徐々に離れるエアリエル号を見ながら、腰のベルトにはさんでいたブルーエイジの短剣を左手に握りしめた。そしてそれを自らの心臓の位置に水平に並べ、息を軽く吸い込んだ。
きらりとブルーエイジの短剣の刃が青白い炎のような光を放つ。
それらに全身を包み込まれるように、短剣の力が満ちていくのを感じながら、ヴィズルは両目を閉じて、沈船に縛り付けた精霊たちの存在を、海の底から自分に向けられるどす黒い負の感情を意識した。
「諸々のしがらみを捨て去れ。今、その戒めを解き放つ」
ぞくぞくと悪寒が背中を駆け上がり、螺旋を描くようにヴィズルの中の力が海に沈んだ船達へ放たれた。
それは突風を呼び、エアリエル号を包み込んだ。
青緑の海面が激しく小刻みに波打ち、灰色の船体がゆっくりと大きく持ち上げられては沈んだ。
「……さてと、これで約束は果たしたぜ、シャイン」
ヴィズルはゆっくりと息を吐き、力が失せる虚脱感に一瞬目眩を感じながら、甲板に膝をついた。
艦長ブランニルの指示を受けた中尉のリュイットが叫んだ。
「斧を持ってこい。ぐずぐずするなっ!」
どたどたと十数人の水兵達が手に斧を携え、エアリエル号の船尾へと走っていく。
「倒れたマストと上げ綱を切り離すんだ。死にたくなければ作業を急げ!!」
斧が振り下ろされる鋭い音を背後で聞きながら、ヴィズルはエアリエル号の船首右舷側に接舷しているグローリアス号へ向かっていた。
途中すれ違った水兵や海兵隊が、ヴィズルの姿を見てぎょっとしたり、武器を構えたりした。しかしブランニルが戦闘を中止するよう命じていたので、彼等はヴィズルを憎々しげに睨み付けながら、自分達の仕事をするべく走り去っていった。
「海賊め。目障りだ、早く失せろ!」
「お、お助けっ!」
「この……人間のクズが」
海兵隊員は青年が甲板に叩き付けられるように転ぶのを眺め、そして目の前にやってきたヴィズルを見ると、急に足早にそこから立ち去った。
ぼさぼさの黒髪を肩まで伸ばした青年は、甲板に倒れたまま震えている。
「おいノエル。早く起きて船に戻れ。置いてくぞ」
ヴィズルは青年の腕を掴んで立ち上がらせた。顔を上げた青年が一瞬表情を凍りつかせてヴィズルを見つめる。
「せっ、船長っ!」
ヴィズルは一瞬逃げようとしたノエルの肩を掴み、にやりと微笑してみせた。
「残っている連中にグローリアス号へ戻るよう声をかけてくれ。だが、逃げようなんて思うんじゃねぇぜ? 俺がここにいるからには、勝手に船を動かせると思うなよ。
わかってるな
? ノエル」「へっ、へい」
「なら行け!」
ヴィズルは突き飛ばすようにノエルの背中を押しやった。ふらふらしながらノエルは辺りを見回し、仲間を探す。
それを見ながらヴィズルは走って、ようやく船首の右舷側までたどりついた。
ツヴァイスのウインガード号の砲撃を受けて、エアリエル号の船首甲板は手すりが砕け、赤黒い血にまみれ、倒れた負傷者を水兵達がひきずるように下の甲板へ運んでいる。
ヴィズルはそれらに目もくれず、グローリアス号の船首甲板へと飛び移った。
そこには太っちょの料理番ナバルロがいた。
接舷のため、グローリアス号からエアリエル号に向かって投げ付けた、鉤爪付きのロープをふうふう言いながら曲刀で切り離している。
「畜生、なんでこんなことになったんだ。早く逃げないとやられちまう!」
「ナバルロ、ちょっと待てよ。まだ船に戻っていない連中がいるぜ」
「げっ! 船長……いや、ヴィズル!」
ナバルロは目を真ん丸に見開いてヴィズルを見つめた。怪我はなさそうだが、白いシャツや水色のズボンは、返り血や埃にまみれて汚れている。
「な、何しに戻ってきやがった。あんたは俺達を置いて逃げた。海軍の船に乗って、そして副船長ティレグを殺しやがった裏切り者だ!」
ヴィズルはナバルロが振り上げた曲刀を持っていた剣で受けて剣先を絡めた。あっという間にナバルロの刀がヴィズルのそれに絡めとられ、後方の甲板へと突き刺さる。ヴィズルは銀髪を揺らし、恐怖に顔を引きつらせたナバルロを見据えた。
「俺はお前達を裏切っちゃあいないぜ。それに
裏切ったのは
ティレグの方だ。ティレグが先代の月影のスカーヴィズを殺して、それをずっと俺達に隠していたんだ。だから俺はその仇を討ったんだよ」「なんだと?」
ナバルロは訳が分からないというふうに口をすぼめた。
ナバルロの周りに、すでに船に戻っていた手下たちが集まり、疑念に満ちた目つきでヴィズルを睨み付けている。
だがヴィズルへ斬り付けようとする者はいない。
彼等は知っているのだ。ヴィズルがグローリアス号へ戻ったからには、この船は彼が自在に動かすということを。この船にはヴィズルが縛り付けた船の
ヴィズルはひとりひとり、手下達の不満げな顔を見つめながら、苦々しく眉を寄せ口を開いた。
「お前達の所へ戻りたかったが、アドビスの息子に反対に捕まって帰ってこられなかった。取りあえず今の状況は、海軍と条件付きで戦闘が中止になった」
「船……いや、ヴィズル。条件付きって何だ」
ヴィズルはティレグ亡き今、他の手下達に一目置かれる存在となったナバルロをちらりと一瞥した。
「ツヴァイスさ。俺達がまだここにいるのをわかって、奴が砲撃したのはお前達も見ただろう。詳しい話は海軍と協力して、俺達を裏切ったツヴァイスをどうにかしてから、会議を開いて説明する。とにかく今は、ここにいたらツヴァイスに船を沈められて皆死んじまう。そうなりたくなければ、黙って俺に従ってくれ」
「なんかよくわかんねぇが。『会議』をするんだな。嘘じゃねえな? なら、しかたねえな、船長」
ナバルロが大きな体を揺すって手下達を見回した。
「船を動かすにはあんたの力が必要だ。だが、すべてが終わったら『会議』であんたの責任を問わせてもらう。みんな、今はそれでいいよな」
「そうするしかねえだろ」
「ああ」
手下達はめいめいゆっくりとうなずき、ヴィズルを見据えた。
ヴィズルは『会議』の内容を思い浮かべながら、軽く息をついた。
「みんな、ありがとよ。じゃ、早速持ち場へついてくれ。ここから急いで離脱する」
「おう!」
ナバルロが再びエアリエル号とグローリアス号を繋いでいるロープを切り離しにかかった。他の者達は各マストの元へ走り、だらりと垂れ下がった帆を張り直す。
ヴィズルはグローリアス号の舳先を眺めた。
青い三角帆をバックに、腰ほどまで伸びた黒髪を二つに分けて三つ編みにした、翡翠の瞳を持つ少女がたたずんでいる。大きな瞳をうるませて、白い花びらのような顔が不安げに曇っている。
「ご無事でよかった、船長」
「グローリア、心配かけたな。ま、事情は聞いての通りだ。お前にグローリアス号の操船を任せる。俺は沈船に閉じ込めた船の精霊の戒めを解いて、エアリエル号を動かせるようにしなくてはならないんだ。頼んだぜ」
グローリアは目を伏せて小さくうなずいた。
「わかりました。船長」
彼女の性格は温厚で従順。だがヴィズルは
絶対
の信頼を彼女においていた。口でそのことを言う事はないが、ヴィズルの気持ちを察しているグローリアは、赤い唇にうっすらと微笑を浮かべ、前方にほっそりとした手を伸ばした。
グローリアの体が金色の光に満ちあふれ、船全体が大きく見振るいするように甲板に振動が走る。
「船が動き出すぜ!」
手下達がお馴染みとなったそれに喜色を浮かべた。
一方ヴィズルは、徐々に離れるエアリエル号を見ながら、腰のベルトにはさんでいたブルーエイジの短剣を左手に握りしめた。そしてそれを自らの心臓の位置に水平に並べ、息を軽く吸い込んだ。
きらりとブルーエイジの短剣の刃が青白い炎のような光を放つ。
それらに全身を包み込まれるように、短剣の力が満ちていくのを感じながら、ヴィズルは両目を閉じて、沈船に縛り付けた精霊たちの存在を、海の底から自分に向けられるどす黒い負の感情を意識した。
「諸々のしがらみを捨て去れ。今、その戒めを解き放つ」
ぞくぞくと悪寒が背中を駆け上がり、螺旋を描くようにヴィズルの中の力が海に沈んだ船達へ放たれた。
それは突風を呼び、エアリエル号を包み込んだ。
青緑の海面が激しく小刻みに波打ち、灰色の船体がゆっくりと大きく持ち上げられては沈んだ。
「……さてと、これで約束は果たしたぜ、シャイン」
ヴィズルはゆっくりと息を吐き、力が失せる虚脱感に一瞬目眩を感じながら、甲板に膝をついた。