(3)港を彷徨う
文字数 2,905文字
まだこめかみがどくどくと脈を打っている。
ヴィズルのふざけた訪問のおかげで、私の繊細な神経はかなり興奮している。
私は何とか気持ちを落ち着かせてから、自室にリーザを呼んだ。
勿論、行方不明とされるロワールハイネス号のことを調べるため、このアマランス号を不在にするので、彼女にその間私の代行を頼むためだ。
「ロワールハイネス号が行方不明? それはちょっと気になるわね」
リーザはそのことには納得してくれたが、イマイチ顔色が冴えない。
「さっき来た、ごっつい体をした、あなたの『昔の恋人』が教えてくれたの?」
彼女の凍りつくような無表情な顔を見て、私の背筋に冷たいものが走った。
「彼女――? いやいやいや! それは違う。全然違うっ! 奴の事はあとで話す。まったく、もっと別の変装をすればいいのに。変態がっ」
「変態――?」
リーザが首を傾げる。
私の瞳を覗き込むように、
そ、そんな顔をしないでくれ。まるで『私』が『変態』みたいではないか!
「と、とにかく港へ行って、港湾事務所でロワールハイネス号のことを尋ねてくる。船の事、頼んだぞ。マリエステル副長」
私は慌てて青い航海服の上から、外出用の黒いマントを羽織った。
リーザから逃げるように扉へと向かう。
「ねえ、ヴィラード」
「あ、なっ……なんだ?」
リーザに『名前』で呼ばれて、私は愛想笑いを浮かべながら振り向いた。
ここだけの話だが、二人きりの時はお互い名前で呼び合っているのだ。私達は。
「朝帰りは認めないから。22時には船に帰ってきてね?」
「……」
さては私がさっきの『ごつい女』と、外で会うと思っているのだろう。
ああ。時間があれば、ちゃんと彼女が納得するまで話をするというのに。
「わかった。22時までに船に戻る。じゃ……」
私はリーザに深くうなずいてみせて、艦長室から外へ出た。
「ヴィズルの奴――これがでまかせだったら、ただじゃおかないからな……」
今回の事で、私の順風満帆な新婚生活がぶち壊されたら、その恨みは必ず晴らす。
妙に上がったテンションのまま、私は取りあえず港へ上陸するために、ボートの手配を近くにいた水兵に頼んだ。
「なに、今日のジェミナ・クラス沖は平穏そのものですよ、ジャーヴィス艦長」
「ああ。私もそう思う」
「ではお気をつけて」
「……行ってくる」
艇長と言葉を交し、私は軍港の桟橋へと降り立った。
頭上では海鳥たちが、さかんに鳴き声を上げながらぐるぐると旋回している。
右手の突堤では港にいつも配備されている2等軍艦が一隻、そのずんぐりとした船体を、青い海面に洗わせながら停泊している。
さて……。
私は航海服の内ポケットから懐中時計を取り出した。
現在15時を過ぎた所だ。
あと残り7時間。
軍港の砂利道を歩き、検問所を抜けて、私は石畳で覆われた大通りへと向かった。
片手を上げて通りかかった、一人乗り用の流し馬車をつかまえる。
斜陽にきらめく海をみながら、そのまま通りを10分馬車に揺られ、私は商船がひしめいている『商港』へたどり着いた。
つんと魚の生臭いにおいが鼻をつく。
沢山の漁船が係留されている目の前の突堤を、きゃっきゃっと笑い声をあげて、子供達がはしゃぎながら駆けていく。
奥の桟橋では、爺さんが釣りをしながら居眠りをしているかと思えば、沖合いではアバディーン商船のような大きな会社の船が数十隻も停泊して、小型船に積荷を下ろしている作業に追われているのが見える。
いつもと変わらない日常がそこにある。
それを認識しながら、私は港湾事務所の赤レンガの建物へと歩いていった。
この建物の一階は、商船会社の社長達が組織した『組合』があり、船員の仕事の斡旋業務などをしている窓口がある。
条件の良い船の情報を求めて、多くの船乗り達が窓口に向かって列を作っている。
私は彼等をかき分けて、奥の階段へと向かった。二階が入港管理事務所になっているからだ。その手すりは、長年多くの船乗り達がつけた手垢のせいで黒々としておりぺかぺかと光っていた。
軽く、1時間待たされた。
入港手続きをしに来た船長達で、こちらも一つしかない窓口がひしめきあっていたのだ。私はしびれを切らしながら、ようやく目の前の受付へ飛びついた。
「シャイン・グラヴェール船長の『ロワールハイネス号』が、ジェミナ・クラスに入港しているはずなんだが、船の姿が港内に見当たらない。調べてはもらえないだろうか」
眼鏡をかけた白髪混じりの職員は、一瞬血走った目を見開いて、そしてげっそりとした表情を浮かべながら、吐き捨てるようにつぶやいた。
「……知らん」
「は?」
職員はうるさそうに首を振った。
「あんた。このエルシーア最大の港に、1日どれだけの船が入ってくるのか知らんのかぁ? それを把握するのが大変だから、ここで入港申請を義務付けとるんじゃ!」
職員の爺さんは、私に向かっていきなり机の上に広げていた分厚い帳簿を目の前に突き付けた。
「わしはな、若いの。あんたと同じように、ロワールハイネス号のことを聞きに来た兄ちゃんに、半ば脅されながら、入出港記録を3日前から遡って調べさせられて、それがやっと1時間前に終わったんじゃい!!」
爺さんは今にも憤死するのではないかという勢いで帳簿を叩いた。
「『ロワールハイネス号』とやらの船長は、3日前から今日15時現在、まだ入港申請にきておらん! わかったら
職員の爺さんに散々怒鳴られて、私は仕方なく港湾事務所から外へ出た。
あの爺さんを脅してロワールハイネス号のことを調べたのはきっとヴィズルだろう。おかげで手間が省けたというか……しかし、あまり良い気はしない。
「はぁ……」
空ははや黄昏始めており、周囲はじきに夕闇へと包まれるだろう。
私はぼんやりと、『商港』に停泊している大小様々な船を見つめた。
一体ロワールハイネス号はどこにいるのだろう。
そもそも、本当にジェミナ・クラスへ戻ってきたのかどうかも定かではない。
私は出会う船員達にロワールハイネス号のことを聞いて回った。
が、目撃情報は一切得られず、私はどっと疲れを感じた。
限界だ。確かにひとりでこの広い港から、たった1隻の船をみつけだそうとするなんて無謀だ。
私は自分のアマランス号へ帰るため、『軍港』へと戻ることにした。
「ヴィズルのバカヤロー!!」
人は労力が報われないと、何かに八つ当たりをせずにはいられない。
海に向かってそう叫ぶと少し私の気分はすっきりした。
そして軍港に戻ってきた私は、ふと懐かしいものを目にして、思わずそちらへ向かって歩いていた。
やっぱり。間違いない。
数百リール先の石造りの突堤に、一隻の白いスクーナー船が係留されている。あれは、リーザが元艦長を務めていた『ファラグレール号』だ。
ファラグレール号の甲板の上には、二人の水兵と一人の小柄な士官の姿が見える。
彼等はメインマストのある船の中央部の船縁へ集まり、そこから一生懸命海面を覗き込んでいる。彼等に近付くにつれて、なんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
ヴィズルのふざけた訪問のおかげで、私の繊細な神経はかなり興奮している。
私は何とか気持ちを落ち着かせてから、自室にリーザを呼んだ。
勿論、行方不明とされるロワールハイネス号のことを調べるため、このアマランス号を不在にするので、彼女にその間私の代行を頼むためだ。
「ロワールハイネス号が行方不明? それはちょっと気になるわね」
リーザはそのことには納得してくれたが、イマイチ顔色が冴えない。
「さっき来た、ごっつい体をした、あなたの『昔の恋人』が教えてくれたの?」
彼女の凍りつくような無表情な顔を見て、私の背筋に冷たいものが走った。
「彼女――? いやいやいや! それは違う。全然違うっ! 奴の事はあとで話す。まったく、もっと別の変装をすればいいのに。変態がっ」
「変態――?」
リーザが首を傾げる。
私の瞳を覗き込むように、
じっと
。そ、そんな顔をしないでくれ。まるで『私』が『変態』みたいではないか!
「と、とにかく港へ行って、港湾事務所でロワールハイネス号のことを尋ねてくる。船の事、頼んだぞ。マリエステル副長」
私は慌てて青い航海服の上から、外出用の黒いマントを羽織った。
リーザから逃げるように扉へと向かう。
「ねえ、ヴィラード」
「あ、なっ……なんだ?」
リーザに『名前』で呼ばれて、私は愛想笑いを浮かべながら振り向いた。
ここだけの話だが、二人きりの時はお互い名前で呼び合っているのだ。私達は。
「朝帰りは認めないから。22時には船に帰ってきてね?」
「……」
さては私がさっきの『ごつい女』と、外で会うと思っているのだろう。
ああ。時間があれば、ちゃんと彼女が納得するまで話をするというのに。
「わかった。22時までに船に戻る。じゃ……」
私はリーザに深くうなずいてみせて、艦長室から外へ出た。
「ヴィズルの奴――これがでまかせだったら、ただじゃおかないからな……」
今回の事で、私の順風満帆な新婚生活がぶち壊されたら、その恨みは必ず晴らす。
妙に上がったテンションのまま、私は取りあえず港へ上陸するために、ボートの手配を近くにいた水兵に頼んだ。
「なに、今日のジェミナ・クラス沖は平穏そのものですよ、ジャーヴィス艦長」
「ああ。私もそう思う」
「ではお気をつけて」
「……行ってくる」
艇長と言葉を交し、私は軍港の桟橋へと降り立った。
頭上では海鳥たちが、さかんに鳴き声を上げながらぐるぐると旋回している。
右手の突堤では港にいつも配備されている2等軍艦が一隻、そのずんぐりとした船体を、青い海面に洗わせながら停泊している。
さて……。
私は航海服の内ポケットから懐中時計を取り出した。
現在15時を過ぎた所だ。
あと残り7時間。
軍港の砂利道を歩き、検問所を抜けて、私は石畳で覆われた大通りへと向かった。
片手を上げて通りかかった、一人乗り用の流し馬車をつかまえる。
斜陽にきらめく海をみながら、そのまま通りを10分馬車に揺られ、私は商船がひしめいている『商港』へたどり着いた。
つんと魚の生臭いにおいが鼻をつく。
沢山の漁船が係留されている目の前の突堤を、きゃっきゃっと笑い声をあげて、子供達がはしゃぎながら駆けていく。
奥の桟橋では、爺さんが釣りをしながら居眠りをしているかと思えば、沖合いではアバディーン商船のような大きな会社の船が数十隻も停泊して、小型船に積荷を下ろしている作業に追われているのが見える。
いつもと変わらない日常がそこにある。
それを認識しながら、私は港湾事務所の赤レンガの建物へと歩いていった。
この建物の一階は、商船会社の社長達が組織した『組合』があり、船員の仕事の斡旋業務などをしている窓口がある。
条件の良い船の情報を求めて、多くの船乗り達が窓口に向かって列を作っている。
私は彼等をかき分けて、奥の階段へと向かった。二階が入港管理事務所になっているからだ。その手すりは、長年多くの船乗り達がつけた手垢のせいで黒々としておりぺかぺかと光っていた。
軽く、1時間待たされた。
入港手続きをしに来た船長達で、こちらも一つしかない窓口がひしめきあっていたのだ。私はしびれを切らしながら、ようやく目の前の受付へ飛びついた。
「シャイン・グラヴェール船長の『ロワールハイネス号』が、ジェミナ・クラスに入港しているはずなんだが、船の姿が港内に見当たらない。調べてはもらえないだろうか」
眼鏡をかけた白髪混じりの職員は、一瞬血走った目を見開いて、そしてげっそりとした表情を浮かべながら、吐き捨てるようにつぶやいた。
「……知らん」
「は?」
職員はうるさそうに首を振った。
「あんた。このエルシーア最大の港に、1日どれだけの船が入ってくるのか知らんのかぁ? それを把握するのが大変だから、ここで入港申請を義務付けとるんじゃ!」
職員の爺さんは、私に向かっていきなり机の上に広げていた分厚い帳簿を目の前に突き付けた。
「わしはな、若いの。あんたと同じように、ロワールハイネス号のことを聞きに来た兄ちゃんに、半ば脅されながら、入出港記録を3日前から遡って調べさせられて、それがやっと1時間前に終わったんじゃい!!」
爺さんは今にも憤死するのではないかという勢いで帳簿を叩いた。
「『ロワールハイネス号』とやらの船長は、3日前から今日15時現在、まだ入港申請にきておらん! わかったら
とっとと帰れ
! ――はい、次の人ぉっ!!」職員の爺さんに散々怒鳴られて、私は仕方なく港湾事務所から外へ出た。
あの爺さんを脅してロワールハイネス号のことを調べたのはきっとヴィズルだろう。おかげで手間が省けたというか……しかし、あまり良い気はしない。
「はぁ……」
空ははや黄昏始めており、周囲はじきに夕闇へと包まれるだろう。
私はぼんやりと、『商港』に停泊している大小様々な船を見つめた。
一体ロワールハイネス号はどこにいるのだろう。
そもそも、本当にジェミナ・クラスへ戻ってきたのかどうかも定かではない。
私は出会う船員達にロワールハイネス号のことを聞いて回った。
が、目撃情報は一切得られず、私はどっと疲れを感じた。
限界だ。確かにひとりでこの広い港から、たった1隻の船をみつけだそうとするなんて無謀だ。
私は自分のアマランス号へ帰るため、『軍港』へと戻ることにした。
「ヴィズルのバカヤロー!!」
人は労力が報われないと、何かに八つ当たりをせずにはいられない。
海に向かってそう叫ぶと少し私の気分はすっきりした。
そして軍港に戻ってきた私は、ふと懐かしいものを目にして、思わずそちらへ向かって歩いていた。
やっぱり。間違いない。
数百リール先の石造りの突堤に、一隻の白いスクーナー船が係留されている。あれは、リーザが元艦長を務めていた『ファラグレール号』だ。
ファラグレール号の甲板の上には、二人の水兵と一人の小柄な士官の姿が見える。
彼等はメインマストのある船の中央部の船縁へ集まり、そこから一生懸命海面を覗き込んでいる。彼等に近付くにつれて、なんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきた。