4-18 ジャーヴィス兄妹  (1)

文字数 3,002文字

 朝日のやわらかい光が白いレースのカーテン越しに射し込み、石造りの病室を明るく照らしている。
 穏やかな安らかさを覚えながら目覚めたジャーヴィスは、白っぽい石の天井を、以前よりはっきりした意識で見ている自分に気がついた。

 薄い掛け布団の下で伸ばした肢体に力を込め、もぞもぞと動かす。
 今まで感じていた背中の傷の痛みやしびれが、さほど気にならないくらい薄らいできたと思う。
 ふと人の気配を感じて、ジャーヴィスは天を仰いだまま目を細めた。

「いや~びっくりしましたぜ。ジャーヴィス副長」

 静寂を破る陽気な男の声が、ジャーヴィスの療養している病室の中で明るく響いた。

「いいや、もうー何もかも驚いたっていうか……」

 コツコツと重いブーツのかかとが石床を鳴らし、声の主がこちらへ近付いてきた。大きな黒い影がジャーヴィスのベッドの上に落ちる。

「お前……」

 一瞬目を見張ったジャーヴィスは、ベッドの傍らに立っている人物と視線を合わせ、ふっと口元に皮肉めいた笑みをもらした。

 潮焼けした褐色の肌。人のよさそうな緑色のタレ目。隆々した筋肉が窮屈そうに、濃紺の海軍の制服の中に収まっており、無精者のせいで伸ばしっぱなしの黒髪を、後ろで一つに束ねている――がっしりした男。

「シルフィード。どうしてここに」

 ジャーヴィスは久方ぶりに見る、元気そうな航海長に安堵感を覚えた。
 シルフィードは褐色の肌のせいで一際目立つ、白い歯をみせながらにんまりと微笑した。

「それは俺が聞きたいですぜ、副長。一体何があったっていうんですかい? 折れた腕の怪我が治ったから、復帰の手続きに本部へ行ったのに、聞いた話によれば、ノーブルブルーの船が三隻も海賊にやられたっていうじゃあないですか。まさか、副長がそれに巻き込まれていたなんて、思ってもみませんでしたぜ?」

「……だからここへ来たのか。すまんな、心配かけて」

 ジャーヴィスはそうつぶやくと、両腕に力を入れて上半身を起こそうとした。
 シルフィードが手を貸そうとしたが、ジャーヴィスは首を振り、その必要がないことを示す。ジャーヴィスは自力で身を起こし、軽く息をついてベッドにもたれた。

「体はもう大分いいんだ。傷も塞がったしな。医者がきたら今日明日にでも、ここを出るつもりだということを、言おうと思ってる」

「そうですかい? なんでもひどい怪我だったらしいじゃないですか」

 シルフィードの緑のガラス玉のような目がわずかにうるむ。

「……らしいな。もう大丈夫だが、私はあの時の事をあまりよく覚えていなくてね。ノーブルブルーへ命令書を渡す任務について、ラフェール提督が乗艦するファスガード号で砲撃を受けたんだ――それで」

 ジャーヴィスは眉間をしかめ、思わず手を添えた。
 一瞬頭から足の先まで細かな震えが走る。

 木の弾け飛ぶ音。ガラスの砕け散る音。
 無我夢中でシャインの腕をつかみ、床に伏した。
 ――恐ろしい夜。

「シルフィード」

 ジャーヴィスはふとシャインの事を思い出して口を開いた。

「艦長に会ったか? 実は昨日……私の所へ来た……らしいのだが、私は眠っていて、言葉を交わす事はなかったんだ」

 シルフィードはゆっくりと首を振った。

「いいえ。会ってないです。海軍省で副長の負傷を先に知ったもんだから、急いでここへ来たんで。……そうそう」

 シルフィードはそわそわしながらジャーヴィスを見た。陽気な大男の顔が、驚く程不安げに暗い色をたたえている。

「ロワールハイネス号はどうなっちゃったんですかい? 本部で聞いたんですが、なんでも海賊に奪われたっていうじゃないですか!」
「……何だと?」

 ジャーヴィスは目を見開き、その鋭い眼光をシルフィードへ向けた。
 今の言葉は聞き捨てならない。ありえない話だ。

「ロワールハイネス号が? そんな馬鹿な。ヴィズルの奴が船をみていたはずなんだ。どうして海賊なんかに? ……何をやっていたんだ、あいつは!」

 ジャーヴィスは訳が分からず、ぐっと両手を握りしめた。

「ヴィズル? ヴィズルって誰です?」

 ジャーヴィスの形相に少しひいているシルフィードが、冷や汗を浮かべながら恐る恐る尋ねる。無意識の内に歯ぎしりしていたジャーヴィスは我に返った。

「あ、ああ……お前が知るわけなかったな。すまん。お前の代わりにロワールハイネス号の航海長として乗せた、商船あがりの若い男だ。艦長の知り合いだか何だか知らんが、口の悪い礼儀知らずな奴でな……」

 際限なくヴィズルへの不満が口先まで出かかり、ジャーヴィスはぎりぎりそれを抑え込んだ。

「そんなことより、もっと詳しい話を知っていたら教えてくれ。私はずっとここへ入れられていて、お前より状況がわからないんだ」
「……はぁ……」

 シルフィードはジャーヴィスから視線をそらせ、困惑した表情を浮かべたまま頭をかく。

「俺もよくは知らねぇんですが、とにかく本部で教えてもらった事は、ロワールハイネス号が海賊に襲われて、その乗組員もすべて行方不明だっていうんです。副長。クラウスの奴と一緒じゃあなかったんですかい? 何で副長と艦長だけが、アスラトルへ帰ってこられたんです?」

 シルフィードの声に普段のような明るさはなかった。ジャーヴィスはそれに少しだけ胸が痛んだ。クラウスはシルフィードにとてもなついていたからだ。

 そこでジャーヴィスは、先日ノーブルブルーへ命令書を渡す任務についたことを、簡単にシルフィードへ話して聞かせた。クラウスが嵐の海で酷い船酔いになってしまったため、ロワールハイネス号へ残すことになったことを。

 ファスガード号に乗っていたのはシャインと自分の二人だけで、その後戦闘が起ったため、ロワールハイネス号へ戻れなかったのだということも。

 ジャーヴィスとシルフィードは暫し黙ったまま、行方不明になった乗組員達の顔を思い浮かべ、その安否を案じた。

「副長……グラヴェール艦長のことですがね」

 大きくため息を一つついて、シルフィードは傍らの丸椅子に腰を下ろした。
 ぽつぽつと生えている短い無精髭の顎を、大きな右手でせわしなくしごく。

「どうした?」

 ジャーヴィスの声に、シルフィードは肩をすくめた。

「現在一ヶ月の陸上謹慎処分中だそうですぜ。ロワールハイネス号を奪われたせいで。幸い、軍法会議にはかけられなかったそうですけど」
「……」

 ジャーヴィスは白い天井をじっと見上げた。
 処分が軽すぎるな、と一瞬思った自分に思わず怒りを覚える。
 生きてアスラトルへ帰ってこれたのは、シャインのおかげだというのに。

「そうか……。ロワールハイネス号がなくなり、艦長は謹慎処分。どうやら我々は、乗るべき船を失ってしまったということだな」
「ええ……」

 言葉少なげにシルフィードがうなずく。
 暫し訪れた沈黙を気にしながら、虚空を彷徨うジャ-ヴィスの目に、白いエルシャンローズの花が映った。出入り口の扉の左隅に置かれているチェストの上に、誰かが数輪花瓶に生けてくれている。

 こぼれおちそうな大輪の花は、窓から差し込む柔らかな朝の光を受けて、透き通るような光沢を放ち、生命力に溢れ、実に瑞々しい。

「だがここでぼんやりするヒマはないぞ。艦長の事だ。ロワールハイネス号が行方不明だというのに、大人しく謹慎処分を受けているとは考えられん」

 ジャーヴィスはエルシャンローズを見つめながら、目を細めてつぶやいた。
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